オルタナティブ怪奇体験手記~天与の暴力で俺達が挑むは、血塗られた鬼神伝承の怪異~

黒木ジュン

第一章

第一章 探し人を求めて、鬼の鳴く廃村へ

「鬼が出る、廃村……。じゃあ、やっぱりこの陰気臭そうな村に、あのクソッタレなテロリスト達がいるんだねっ?」


 現職警察官の君島真奈美は、そう言って丸椅子から立ち上がった。古ぼけたビルの一角にある赤い布を垂らした占い部屋で、俺は顔を背ける。

 台座の上におかれた水晶玉には、「鬼巌村」と書かれた古びた看板と、果実のように実った真奈美の胸が映り込んでいた。

 馴染みの客とはいえ、警察官が占い師の館に来ているというミスマッチ感と、彼女の幼い笑顔に、十八歳=彼女いない歴の俺はどうしていいか分からない。


「まあ、何度やっても、同じ結果が出るな。ただ、占いに絶対はない」


「分かってるよぉ。結果は百発百中じゃないってことくらい。直感と持ち前の異能で、起きるかもしれない事実や未来のパーセンテージを知るだけ、でしょう?」


「そうだ。今回は三回占ってみたが、どれも同じ結果で八十六パーセントだった。お嬢さんの追うテロリストがその村にいる可能性が高めに出たが、それが確実である保証はない」


 そう俺は言ったが、真奈美は、満足そうに微笑んだ。


「大丈夫、ヨミ君の占いは当たるからさぁ。よーやく手掛かりを掴んだよ。これで今からその村まで追いかけていって、あいつらを全員検挙できる」


「俺の占いなど、あまり当てにするなよ? 当たるも八卦、当たらぬも八卦だ。地道な捜査が、あくまで警察の基本だろう」


 いわゆる僕っ娘の真奈美は、台座の前の座椅子に座り、にこにこと笑っている。ボーイッシュな短髪に黒いパンツスーツという姿で、美人と断言してもいい。

 年齢も二十歳そこそこだが、彼女の本質を知る者からすれば、この美貌に騙された男達が、どれだけ泣きを見てきたことだろうか思うと、気の毒になる。

 しかし、彼女の追うテロリスト組織――大蜘蛛一族といえば、主に公務員や政治家など、公人を狙ったように破壊活動を行う過激な連中だと聞く。

 一説では政府要人が政敵の殺害を依頼しているとか、時代錯誤な国家転覆を企んでいるとも世間では騒がれていて、全貌が未だに明かされていない。

 そいつらを追うことで、真奈美にも危険が及ぶのではと、つい心配になる。


「おい、お嬢さん。恩人のあんただから忠告しておくが、この件は一人で行くのはやめておいた方がいい。相手は命を顧みない危険な連中なんだろう?」


「それも君の占い?」


「いや、ただの俺個人からの忠告だ。せめて警察の同僚を頼れ。何て言ったか、確かお嬢さんは荒事を専門とする部署に所属しているんだったろう。だったら、一人ぐらいは、同行してくれる奴がいるんじゃないか?」


 俺は親切心から言ったつもりだったが、真奈美は気まずそうに表情を歪ませる。

 まさか彼女は、警察組織で孤立している――? 一瞬、その陰りを見せた顔を見て焦ったが、すぐにそれはあり得ないと思い直す。

 何しろ、いつも自分の同僚達がどれだけ優秀か自慢げに話してくるのだ。自分達は純粋な戦闘能力を見込まれて採用された、特別な選ばれた職員なのだと。

 特に自慢話に多く出てきた名前は、空木瞬成と神代雪羅の二人だったか。そいつらが凶悪な犯罪者を何人逮捕しただの、もう耳にタコができるくらい聞かされた。

 それなのに、その同僚達と折り合いが悪いという訳はないはずだ。


「いないよ、今はさぁ。部署の同僚は、君が言った通り、それぞれで地道な捜査で必死にあいつらの行方を追ってるんだ。それなのに、こんな占いを根拠にしてる僕と来てくれる奴なんていると思う?」


「……そうか、それは悪かった。しかし、かといって、ここで引き止めたとしても、お嬢さんは聞かないんだろうな……」


 俺は、真奈美の目を見た。今までに何度か見た、固定観念に支配された目だ。自分の決断が正しいと信じ、どこまでも一途に突き進む性格が垣間見える。

 彼女が今、置かれている立場を理解した。孤立している訳ではないが、捜査方針の違いから、一時的にあぶれてしまっているということか。

 彼女のこの特性がプラスに働けば、どんな障害だろうと乗り越えられるだろう。ただし、マイナスに働けば、下手をすればどこぞで野たれ死ぬかもしれない。

 では、この場はどうするのが俺、ひいては彼女にとって最適解なのか。


「――っ」


 その瞬間、頭が痛んだ。


「どうしたの? 大丈夫、ヨミ君?」


 真奈美が身をよじって、本当に心配そうに訊いてくる。またあの悪夢の出来事が、フラッシュバックしてしまった。

 言葉通りに俺は、地獄のどん底から真奈美に救い出されている。あの悲惨な当時のことは、今でもまだ何度も思い出す。毎晩のように夢でまでうなされるのだ。


「問題ない……」


 俺の額に当ててきた真奈美の手を優しく解いて、結論を出した。


「仕方がないな。乗り掛かった船だ、俺もついて行ってやるよ。お嬢さんは命の恩人だし、常連客を失うのは当店にとって損失だからな」


 まだ頭痛は続いているが、あの頃ほどではない。こうして占い師として働けるくらいに立ち直れるまで、かなりの時間を要したが、その間、真奈美はずっと占いの館に来てくれた。

 客としてというよりも、まるで俺の状態を確認するように――。

 俺が顔を上げると、目の前の彼女は何を思ったのか、にんまりと笑う。


「ねえ、ヨミ君さぁ。さっきから僕をお嬢さんとか呼んで子供扱いしてるけど、僕よりも年下だよねぇ? まだ十八歳でしょ? もうっ、可愛げがない子だなぁ」


「なっ……」


「それにずっと黙っていたけど、君の恰好、ずいぶん痛いファッションだよねぇ。あいたたた……ほら、鏡で自分でもよく見てみなよ」


 真奈美はそう言って、手下げバッグから取り出した手鏡の鏡面を俺に向けた。

 そこには細身で子供っぽい顔立ち、目の隈が印象的な鋭い目つきをしている少年――俺の顔が、映し出されている。

 黒い短髪を無造作に下ろした額には、赤いヘアバンドが巻かれていて、着用している服は、襟や手首の部分がモサモサしている黒色ベースのコートだ。

 これは占い師として、それらしさを出すためにしている恰好のつもりだった。しかし、痛いファッションと揶揄されてしまうと、顔から火が出そうになってくる。


「だ、だからどうしたっ。これでも俺は、立派に社会人をしているっ」


「うん、だからお互い対等なビジネスの関係でいこうよ。年齢もそこまで変わらないんだし、これからは同じ目線で話さない? はい、これは今回のお代金ね」


 真奈美は愉快そうに目を細めると、財布から四千円を取り出して台座に置いた。

 気まずい雰囲気になってしまったが、俺は彼女からの占い料金を有り難く受け取って、椅子から立ち上がる。


「ああ……分かった。今までの呼び方が、癇に障っていたんなら謝ろう。今日は早いが、もう店仕舞いにする。今、支度をするから、外で待っていてくれ」


 ここは三階建てビルの二階だ。あまり広いとは言えないが、二階を占いの館、一階をガレージ、三階を生活スペースとして借りて使わせてもらっている。

 俺は真奈美を占いの館の外に出してから、しっかりと鍵をかけて戸締りをした。

 そして遠出をする準備をするため、その足で三階に上がっていく。だが……。


「おい、なぜついて来る? あんたは、俺の部屋に用なんかないだろ」


「未成年の君が、どんな部屋で暮らしているか、純粋に気になってさぁ。別にいいじゃん。顔見知りなんだし、気にしないでよ」


「構わんが、中は散らかっている。勝手に幻滅してくれるなよ」


 とは言いつつ、俺は女子を部屋に上げるのを、やや躊躇してしまっている。

 ドアノブを回しながら、最後にやはり迷ったが、覚悟を決めて三階のドアを開く。

 中は雑然としていて、ソファや机には、雑誌や新聞、カップ麺の空きケースが所狭しと散乱している。


「わおっ、すっごい汚い部屋だねっ」


 真奈美の顔を見ると、何の冗談か目を輝かせていた。こんな汚らしい部屋を見せられて、何が楽しいというのか。

 俺はウキウキ気分の彼女を放置して、旅行バッグの中に懐中電灯や簡易食、占い道具を詰め込む。そして最後に、棚の一番上の奥に手を伸ばす。

 苦々しい自身の過去の象徴。所々が刃こぼれした、古ぼけた一本のナイフだ。もう武器や道具としては、使い物にならない。

 しかし、俺はそれを手に取り、ズボンのポケットに押し込んだ。


「よし、これでいいだろう。待たせたな」


「うーん、実家で使っていた僕の部屋を思い出すなぁ。部屋が小奇麗だと、なーんか落ち着かないんだよね。そんな気は前からしてたけど、やっぱり僕らは同類だったんだ」


 俺がナイフを手にしたところも目撃しているはずなのに、まだ部屋の話をしている真奈美に呆れつつ、部屋を出る。いちいち相手するのは悪手だ。これから、長い旅になるのだから。


「もう行くぞ。車は、どっちのを使う?」


「そうだね。じゃあ、僕の車で行こっか」


 俺は三階の部屋にも鍵をかけ、二人で一階まで降りる。そしてビル前に停車していた、目が覚める程に明るい赤いカラーのセダンに乗り込んだ。

 ガレージに入れてある自分の中古自動車とは違い、ピカピカの新車だ。

 安定した公務員の彼女と、不安定でしがない占い師の俺とでは、収入に格差があるのだということを、嫌でも思い知らされてしまう。

 実を言うと、俺も真奈美のような公務員に憧れがない訳ではない。しかし、学校をまともに行ったことがない自分には無理だと、もう最初から諦めている。


「さっきの占いの最中に、スマートフォンで調べたらさぁ。鬼巌村って、長野県にあるっぽいんだよね。今から十年前、村を支えていた有力者の没後に廃村になったんだって。今はホラースポットとして有名らしいけど、大蜘蛛一族の奴らは何でまたそんな所にいるんだろうね」


「それを調べに行くんだろう?」


「ま。そうだけどさ。素人予想も楽しいじゃん?」


「……メシが美味いから」


 俺は少し考えてから、真奈美が言ったことに、ぼそっと呟いてみた。別にそれは特に深く考えた訳でもないし、信憑性がある訳でもない。

 ただ、この場で閃いただけの、単なる思い付きではあったが――。


「はへ?」


「駄目か? 素人予想でいいんだろう? 鬼達も、毎食カップラーメンじゃ飽きるだろうし」


 真奈美は、キョトンとしてから、笑いだした。


「まったく! ヨミ君は、可愛いねえ」


「なっ。馬鹿にするなよ!?」


「はいはい。ちゃんと尊敬してますよ。占い師としてはね」


 運転席の真奈美は、助手席に座る俺に笑いかけながら、アクセルを踏んで車を発車させる。

 今の時刻は、正午をやや過ぎた頃だ。関越自動車道と上信越自動車道を経由すれば、ここ東京から長野県まで日が沈む前までには到着できるだろう。

 この旅の無事を願って、俺はタロットカードの束を取り出す。そしてその中から、無造作に一枚引いてみた。

 引き当てたそのカードを手に持ち、見つめながら俺は陰気な気分になる。


「正位置の、吊るされた男のカード、か。鬼巌村からの生還確率は、二十六パーセント……」


 そのカードを束に戻しながら、俺は誰に言うともなく呟く。


「なあ、真奈美。今から言うことを、心して聞いてくれないか?」


「ん、どうしたの、ヨミ君?」


「あんたには……死相が見える。しかも、悪いが、かなり色濃くはっきりとだ」


 それはやっと絞り出せた言葉だった。しかし、真奈美は目をぱちくりさせるだけで、動揺した様子はまったくない。

 それどころか、俺の顔を見て、愉快そうにただ一言……。


「なるほど。それは楽しみだね!」


 真奈美は本当に愉快そうに、ワクワクした顔をしていた。

 むしろ、それを告げた俺の方が、そんな未来が訪れないように、どうやって変えてやろうかと、今から頭が悩ませている。

 窓の外には、春が訪れたばかりの真昼の東京都内の街並みが映し出されている。

 だが、俺の脳裏には、水晶玉に映っていた不吉な靄が醸し出されている鬼巌村の様子があった。

 先行きには、早くも不安しかなかった――。

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