43.若社長、涙の謝罪。

 始業開始と同時に鳴り響く事務所の電話。

 その電話に青い顔、やつれた顔をした社員が対応する。

 

 これがここ最近のKY工業の朝の風景。その電話の相手はほとんどが取引からのクレームや説明を求める声。営業は早朝から、製造部の人間も顧客のところへ行き謝罪や部品交換や補修を行っている。



(もうダメだ、あの社長では……)


 KY工業の社員の多くが口には出さないがそう思っていた。

 しかし若社長の母親、先代社長の妻が今は会長として会社に残り息子を全面支援している。不正によって生まれた最初の頃の売り上げだけを見せられ、息子を全面信用してしまっているようだ。

 ただそんな信用もいわば砂上の楼閣。その崩壊のとどめを刺すこととなる人物がKY工業を訪れた。



「社長、S商事さんがお越しですが……」


 社長室にいた若田が報告に来た社員に嫌そうな顔で言う。



「あー、俺はいないって言って。常務か専務に頼んで」


「常務も専務も外出中ですが……」


 ふたりとも、いや、社長以外の重役はすべて謝罪のために出払っている。説明を聞いた若田が面倒くさそうな顔で社員に言う。



「あー、仕方ない。応接室に通して置いて」


「はい」


 社員が頭を下げて退出する。若田は立ち上がり大きな欠伸をしてから言う。



「S商事? ああ、面倒臭せえ。また新しい仕事でも持って来たのか? あそこはうちが助けてやってるからな」


 若田は背中をぼりぼりと掻きながら応接室へと向かった。




「お世話になります。社長」


「あー、どうも」


 応接室で待っていた正司が部屋に入って来た若田に挨拶をする。数回だがふたりは会ったことがあり面識がある。若田は余裕の態度でソファーにどかっと座ると置かれていたお茶を口にした。



「飲んでくださいよ。美味しいですよ」


 若田は正司の前に置かれたお茶を勧める。


「では、いただきます」


 そう言って正司が熱い緑茶を口にする。



 不味い。

 吐きそうになるが、そんなことは言えない。若田が言う。



「で、今日は何の御用で? 俺、結構忙しいんだけど」


 正司は笑顔を保ったまま言う。



「お忙しいとは。では簡潔に言いますね。今後、御社との取引を一切中止します」



「は?」


 お茶を飲んでいた若田の手が止まる。


「えっと、立畠たちはたさんでしたっけ? それってどういう意味?」


 正司が笑顔で答える。



「簡単ですよ。取引中止です。さらに御社のミスで発生したうちへの損害賠償もこれから請求します」



「な、何言ってんだよ!」


 これまで余裕の態度でいた若田が初めて動揺する。正司はカバンから分厚い資料を取り出しテーブルの上に置く。



「これ、すべて御社の契約違反に関する書類です。不正したもの、基準に満たないもの、それによる不良などすべて」


 若田は震える声で資料にある部品の写真を指差して言う。



「こ、これなんて見た目同じだろ? 安く作ってやってるんだよ。何がいけないんだよ!!」


「全然違いますよ。見た目が同じでも製品としてできた時に差が出る。だから基準があるんです」


 正司は一体どんなレベルの話をしているのかと情けなくなった。

 KY工業の先代社長には入社したての正司はよく叱られ勉強させて貰った。ゆえに今のこの会社の現状を見るのがとても辛かった。それは花凛の父親である渡辺社長とも似た感情。ただ正司はKY工業と渡辺製作所に繋がりがある事までは知らない。



「ちょっと待ってくれよ。悪かったのは認めるから、今度ちゃんと作るからさ……」


 ようやく事の重大さに気付き始めた若田が正司に懇願するように言う。正司が答える。



「次はないんですよ。もう社内で決まったこと。一度失った信用は簡単には取り戻せない。次があるとすれば数年後。また声を掛けさせてもらいます。では」


 正司は一通り説明が終わったので、必要な資料をテーブルに残し立ち去ろうとする。



「待って、待ってください!!」


 帰ろうとする正司に若田が前に立って泣きそうな顔で言う。



「すまない、悪かった。悪いのは俺の方です。だから、このまま仕事を……」


「お忙しかったんですよね、社長。私の話はもう終わりましたから」


「あ、あ……」


 KY工業の売り上げの多くを占めるのがS商事との取引のものである。正司に見せられた書類に書かれた額、そして父親である先代の『S商事さんとは上手くやれ』と言っていた言葉が今更になって頭に蘇る。



「お、お願いします。全部タダで交換するから。もう一度チャンスを、チャンスをください!!」


 ついに若田は正司の前で土下座をして頼み込んだ。生まれて初めての土下座。不安と屈辱で腕が震える。正司が言う。



「顔を上げてください。そんなことされても困ります。次があるとすれば数年後。その時また会いましょう」


 床に座りながら若田が顔を上げる。その目は真っ赤になり今にも泣きそうである。



「お願いです、立畠たちはたさん。お願いです……」


 正司は床に座る若田の隣に腰を下ろして優しく言う。


「ごめんなさい、社長。自分にはどうすることもできないんです。あと……」


 正司が笑顔で言う。



「私は橘ですよ。まずは相手の名前をしっかり覚えましょう。では失礼します」


 正司は立ち上がり一礼すると応接室を出て行った。




「ああ、あ、ああぁ……」


 口を開けたまま立ち上がった若田。

 顔面蒼白、目の前は真っ暗。頭の中に何度も品質向上を訴えに来た社員の顔が浮かび上がる。



(どうしよう、どうしよう……、あっ!!)


 何も考えられない若田の頭に父親の言葉が蘇る。



『本当に困ったら渡辺製作所を頼りなさい。きっと助けてくれる』


 若田はすぐにスマホを取り出し渡辺社長へと電話する。



(そうだ、そうだそうだ。みんなが言っていた質のいい製品。渡辺製作所なら……)



『はい、渡辺ですが……』


 電話に出た社長の声色が暗い。若田が早口で言う。



『社長、実は……』


 若田が必死に説明する。しかし興奮と動揺で呂律が回らない。何となく意味を汲み取った渡辺社長が言う。



『申し訳ないですが、うちも新しい仕事で手一杯で……』


『え? 新しい仕事……!?』


『ええ、これまでにないような大きな仕事を頂いて、今皆それに向かって頑張っておりますので』


 だからKY工業の仕事をやる余裕はないという。渡辺社長としても先代にお世話になった分何とかしてあげたい気持ちもあったが、今は自分のところの仕事で手一杯でそれどころではない。



「ああ、俺は、俺はどうすればいいんだよ……」


 若田は床に跪き、ひとり頭を抱えて涙を流した。






「おはよ、しょーくん。今日も寒いね!」


 師走に入ってから底冷えのする日々が続いている。

 今日は花凛の家へ行く日。朝、正司の部屋にやって来た花凛が手をこすりながら言った。



「おはよ、花凛。本当に寒いね」


 そう言って部屋に花凛を入れる正司。花凛はハーフコートに、寒いと言いながら生足を大胆に出したミニスカート。黒いブーツを脱ぎながら色っぽい足にどうしても目が行く。



(舐めたい。べろべろと舌で舐めまわしたい。言ったら怒られるかな……)


 自分の足を凝視する正司の視線に気付いた花凛が少し笑って言う。



「どうしたの、しょーくん? 花凛の足、舐めたいとか?」



「は!?」


 なぜ分かった!?

 驚く正司に花凛が言う。



「やっぱりそーなんだ。しょーくんのえっち。でも、今日はお父さん達に会うから今は我慢してね」


「今?」


 正司が花凛の言葉を復唱する。



「うん、今は。でも、しょーくんが頑張ったらご褒美で舐めさせてあげてもいいよ……」


 そう言いながら花凛が顔を赤くする正司の頬をつつーと撫でる。


「ご、ご褒美って……」


 そうつぶやきながらも、そう言えば自分は花凛のイヌになってもいいと思ったことを思い出した。





「さあ、行こっか」


「うん。今日はよろしくね、しょーくん」


「こちらこそ」


 そう返事して出掛けようとする正司の腕を花凛が掴む。



「ん、花凛?」


 花凛は目を閉じて人差し指で自分のをトントンと軽く叩く。



「あ、ごめん」


 正司はすぐに花凛に向き合い、両手を肩に乗せてキスをする。



「んん……」


 寒いけど温かい花凛の唇にどきどきする正司。花凛がうっとりとした目で言う。


「しょーくん、大好き……」


 正司はそれに抱きしめて応え、ふたりは手を繋いで外に出た。

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