40.彼女の為にプレゼン頑張ります!
翌日から正司の会社での仕事態度が一変した。
もともと新規プロジェクトにやる気を見せていた正司だったが、それが鬼気迫るほど気合を見せて仕事をするようになった。
「正司君、大丈夫?」
お昼。机の上で弁当を広げながらキーボードを叩く正司を心配して、同僚のみこが声を掛ける。正司が笑顔で返す。
「ああ、大丈夫。この仕事、絶対に成功さるから!!」
入社以来ずっと一緒に仕事をしてきたふたり。課長に昇進したとはいえあまりやる気のなかった彼の急な変化にみこも戸惑う。
「ねえ」
「なに?」
正司はPCのモニターの画面を見ながら答える。
「渡辺さんって子と、上手く行ってるの?」
キーボードを叩く正司の手が一瞬止まる。すぐに返す。
「うん、絶対に上手く行かせる!!」
その返事の意味が分からないみこが少し笑って立ち去る。そして自分にはもう踏み込めない領域がある事をはっきりと理解した。
「ではプレゼンを始めます」
数日後の良く晴れた日の午後。
S商事の会議室で営業四課主体の新規プロジェクトのプレゼンが行われた。上司である部長には事前に相談していたが、その部長をはじめ会社の取締役も数名出席してのプレゼン。正司は現状とこれからの見通しなどを分かりやすく説明した。
「橘君、ちょっと聞きたいんだが……」
正司の説明に対し、役員らが幾つかの質問をする。正司はそれに対して用意した資料と共に的確に答える。しかしある役員が尋ねた質問に正司の気持ちが一瞬揺れる。
「その、新しい会社、ええっと渡辺製作所だっけ。大丈夫なのか?」
まったく取引実績のない会社。正司の説明によれば高品質の部品を納期通りに納められるとの話だが、新たな会社の柱にもなるプロジェクトにそこを使うのはリスクがある。
「橘君も十分わかっているよね、この仕事の意味」
「はい、もちろんです……」
だから取引先の精査も、新たな交渉も部下達と一緒に続けてきた。その上でリストに上がった渡辺製作所。最初は知らずに訪れていた花凛の実家の工場だったが、品質も十分信頼のおける会社である。そして今正司が強く思う。
――彼女の笑顔の為なら、俺は何だってやる!!
腐りかけていた自分の人生に優しく手を差し伸べてくれた花凛。
一緒に食べるご飯がこんなに美味しいものだと教えてくれた花凛。
彼女にはずっと笑っていて欲しい。
彼女にはずっと笑顔で料理を作っていて欲しい。
そのためなら自分は悪魔でも鬼にでもなんでもなる。
「大丈夫です!! 自分を信用してください!!!」
正司は立ったまま怪訝そうな顔をする役員たちに向かった深々と頭を下げて言った。同席した部下達も驚く正司の気迫。それでも会社のことを客観的に考える取締役たちの表情は変わらない。
「責任は私が取ります」
(え?)
頭を下げ続けていた正司に部長の声が響いた。
「部長?」
顔を上げて見ると上司である営業部長が立ち上がり役員たちに向かって言った。
「うちとの実績はありませんが、客観的に見ても信頼できる会社。橘もあそこまで言っています。責任は私が取ります」
「部長……」
正司は思わず涙が出そうになった。
事前に部長に相談した際には実は渡辺製作所を使うことに反対されていた。それを何度も粘り強く交渉し、結局は部長が根負けした。
プレゼンは終わり、無事正司が立てた計画で進められることとなった。もちろん参加企業の名に渡辺製作所の名前もある。会議が終わった後、正司は真っ先に部長の元へ言って頭を下げた。
「ありがとうございました。部長」
皆が退室した部屋で部長が笑いながら答える。
「ああ。まあ、あんなに頑張っているお前を見たことがないんでな。そんなとこだ」
まさか隣に住んでいる女子大生の為に頑張っているとは言えない。
「必ず成功させます!」
「ああ、頼むぞ」
部長はそう言って何度も頭を下げる正司を見て思う。
(何があったか知らんが、この頑張りを続けて貰えると嬉しいんだがな……)
「橘さんっ!!」
そんなふたりのところに正司の部下が青い顔をしてやってきた。
「どうした?」
正司と部長が心配そうな顔で尋ねる。
「あのですね、KY工業の不正が発覚しました」
「え? 何だって!?」
ふたりが自分の耳を疑う。部下が続ける。
「品質の偽装、原材料の違反、指定してあるもの以外の製品が納入されてお客さんからクレームが幾つも入って来てます!!」
「そんな馬鹿な……」
不良ならまだ分かるが、意図的に質を落とすことなど有り得ないはず。KY工業と言えばS商事との付き合いも長く、堅物だった先代の社長は仕事に対してはどこよりも厳しかった。部長が言う。
「そう言えば代替わりして息子が社長に就いたんだよな」
「ええ、遊んでいたひとり息子を先代の奥さんが無理やり就任させたって聞いています」
クレームが出た製品の納入時期と社長交代時期がほぼ重なる。幸い新規プロジェクトへの参加はしていないが、会社に対する損害は避けては通れない。部長が指示を出す。
「すぐに損害額、それから今回の原因を調べてくれ」
「はい!」
「それから恐らくKY工業との取引は中止となるだろうが、その辺の対処を橘に任せる」
「え? 俺ですか?」
「ああ、何事も経験。辛い役だが頼む」
損害を与えた取引先への謝罪行脚は部長が行くつもりだろう。正司にはそれ以外の役割をお願いしたいとの意味である。どんな理由があるにせよ、こんなことで新規プロジェクトの邪魔はされたくない。正司はすぐに原因調査に乗り出した。
その頃、KY工業では顧客からのクレームの電話が幾つも鳴り響いていた。新社長の若田の元に社員が青い顔をしてやって来る。
「社長、クレームの電話が止まりません!! どうすれば……」
若田は社長椅子に足を上げて座り、スマホで遊んでいた。聞きたくない報告にいらっとして強い口調で言う。
「そんなもん現場に考えさせろ!! 自分達で何もできないのか!? 頭を使え、頭を!!」
「は、はい!!」
社員は頭を下げて慌てて退出して行く。
「あ~あ、つまんねんの」
若田は嫌々内線の受話器を取り常務に電話する。
「あー、もしもし、俺だけどさあ、悪いけどクレーム入れて来てるお客のところに行って謝って置いて。ヨロ~」
そういって若田は何か言い掛けた常務の電話を切る。そしてスマホを見ながら既にブロックされている『花凛』と言う名前を見つめる。
「もう一回だけチャンスをやろうかな?」
若田はそう言うと会社を出て黒塗りの車で渡辺製作所へと向かった。
「しょーくん、ごめんね。今日は少し遅くなるかも……」
その日大学が休講になっていた花凛は、先日忘れて来たカバンを実家に取りに行くため朝から準備をしていた。正司の部屋で一緒にご飯を食べていたふたり。正司が花凛が言う。
「うん、分かった。気を付けてな」
「しょーくん、寂しい?」
「寂しい」
そう言いながら正司は良く恥ずかしくもなくそんなことが言えるなと苦笑する。
「しょーくんは甘えん坊だなあ」
そう言って花凛は立ち上がって椅子に座っていた正司の頭を抱きしめる。
「か、花凛……?」
花凛の大きな胸に正司の顔が埋まる。甘い香り。温かく柔らかい感触。
「しょーくん、花凛のご飯、美味しい?」
「うん、美味しい」
「うふっ、可愛い……」
そう言って花凛は正司の頭を強く抱きしめその頭を何度も撫でる。正司は横に立っていた花凛の腕を引き、自分の膝の上に座らせる。膝の上でこちらを見る花凛の頬を撫でながら正司がキスをする。うっとりした顔になった花凛が正司の頬をつまみながら言う。
「花凛がいない間も浮気しちゃだめだぞ。話すのもダメ、見るのもダメ、あと……」
「ああ、分かってるよ」
「きゃっ!」
正司はそう言って花凛の口を自分の唇で塞ぐ正司。
「ああん、もうこんなことされたら家に行けなくなるじゃん~」
そう言いながらも嬉しそうな顔で正司に抱き着く花凛。
正司は花凛を抱きながら、間もなく彼女の会社に正式に仕事の依頼ができそうなのを楽しみにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます