33.浮気はしていません!!
「しょーくぅん~!!!」
「わわっ、花凛っ!!」
日曜の夜、アパートに帰って来た花凛が正司の部屋に行き思いきり抱き締める。
「しょーくん、会いたかったよ!! 会いたかった、会いたかった!!!」
そう言って抱き着きぐいぐいと大きな胸を無意識に押し当てる。
「か、花凛!?」
その勢いに驚く正司。
「しょーくん、ぎゅってして!!」
「うん、ぎゅーっ」
「ふわぁ……、しょーくんのぎゅうぅ~、もっと強く……」
耳元で甘い声でささやくようにおねだりをする花凛。正司が更に強く花凛を抱きしめる。
「ぎゅーーーーーっ!!!」
「ああん、いい……、いいよぉ、しょーくん……」
正司に抱かれ、正司の匂いを嗅ぎ、正司の肌の温かさを感じる。
花凛はもうそれだけで今日あった辛いことをすべて忘れられそうであった。脳に幸せと言う名の甘い蜜をかけられ舌でくすぐられるような感覚。どくどく鳴る心臓を感じながら正司を見つめて言う。
「ちゅー、して……」
(うっ、か、可愛い!!!!!)
顔を赤らめて腕の中でキスをおねだりする花凛。週末花凛に会えなかった寂しさから正司の理性も吹き飛びそうになる。
「ん、んん……」
久し振りのキス。
昨日もたくさんしたので実質毎日しているはずなのだが、何だか随分と久しぶりのキスだと花凛は感じた。
「美味しい……」
「うん、美味しい」
ふたりは鼻が触れ合うほどの距離で見つめ合いながら言う。
ぐう~
その時正司のお腹が鳴る。
「あ、しょーくん、まさか晩御飯まだなの?」
正司がお腹を押さえながら答える。
「うん、だって鍋全部食べちゃったし」
そう言ってはにかむ正司を見て花凛は子供みたいだと可愛く思う。
「じゃあ、花凛ちゃんが何か作ってあげるね~」
そう言って笑う花凛を正司が再び抱きしめてキスをする。
「う、んん……」
柔らかい唇。しっとりと甘く女性らしさを感じられる場所。正司が言う。
「でも先にデザートは頂いちゃったよ。心はお腹いっぱい」
「もう、しょーくんったら、そんなこと言われたらキッチンに行けないよ~」
そう言って今度は花凛の方から正司を抱きしめる。
ふたりは一日半会えなかった寂しさを埋める様に、何度もお互いを腕や唇で感じ合った。
「はい、あ~ん」
花凛は焼きそばを作った。
昼間の記憶を上書きするかのように、花凛は自然と焼きそばを作っていた。
「美味しい?」
「うん!! 最高だよっ!!!」
「うんうん……」
花凛の心が洗われるように澄んでいく。
昼間若田が吐き出した焼きそばは涙を流しながらごみ箱へ捨てた。家族も花凛が台所に立つと煙のように消えてなくなる。
慣れていた光景だったはずだが、ひとりで残った料理を食べるのがこんなに辛いものなんだと改めて気付いた。そして改めて目の前の正司のことを愛おしく思った。
若田は途中で体調不良を訴え帰った。ただ帰り際に青い顔をして花凛にひと言だけ言った。
「また連絡するよ。それですべてが上手く行くから……」
嫌な言葉。
何を意味するかは鈍い花凛でも何となく分かる。
「しょーくぅ~ん」
焼きそばを食べる正司の膝の上でまるで猫のようになって甘える花凛。正司は食べながら膝の上にかかるいい香りの黒髪、舐めたくなるような首すじ、横になった更に大きく見える胸の膨らみに目が行ってしまい食事に集中できない。花凛が下から見つめて言う。
「ねえ、今日泊って行ってもいい?」
そんな顔で言われたら断る男なんていないだろう。正司が答える。
「いいよ。でも花凛美味しそうだから、食べちゃうぞ~!!」
正司が冗談っぽく言う。花凛が顔を赤くして答える。
「しょーくんだったら、いいよ……」
(へ?)
箸を持った正司の手が止まる。
時々女の子って言うのはどこまで本気で、どこまで冗談なのか計り知れないことがある。
31才独身のおっさんにとっては、花凛のような可愛い女子大生にそんなことを言われすでに絶命寸前になってしまっている。花凛が正司の太ももと指でつつきながら言う。
「私がいない間、浮気しなかったかな~?」
(え?)
正司は花凛のその言葉に、一瞬息ができなくなるほど驚いた。
「もう来ちゃったの……」
正司は花凛に言われ、今朝ご飯を食べながら出た美咲みこからの電話を思い出した。部屋に鳴るチャイム。すぐにその意味を理解した。
「みこ!?」
ドアを開けるとそこには私服姿のみこがやや申し訳なさそうな顔をして立っていた。
「入っていい?」
みこはそう言うと正司の返事を聞く前に玄関へ入る。
「どうしたんだよ、急に?」
「急に来ちゃダメだった?」
じっと正司を見つめて言うみこに戸惑いながら答える。
「いや、そんなことはないんだけど……」
みこは玄関に入った瞬間に匂う食事の香りに気付いて言う。
「ご飯食べてたの?」
「ああ、朝ごはん」
(料理、なんだ……)
正司と付き合ったことがあるみこ。彼の食事は生野菜ばかりで料理などするはずがない。だとするとその理由はひとつである。
「たまご焼き、作ってあげるよ……」
みこがやや自信なさそうに言う。正司は首を振って断る。
「いや、いいんだ。もう……」
その言葉。
それはみこにとって、正司と自分を大きく分けるような意味を持つ言葉に聞こえる。
「どうして? あの隣に住んでいる渡辺って子のせいなの……?」
みこが悲しそうに言う。正司は黙って小さく頷く。
「私ね……」
みこが自嘲しながら話し始める。
「私、正司君と別れてから何度も何度も飲み会に行って、友達に紹介して貰って、今は結婚紹介所に登録しているの……」
「みこ……?」
みこは少し涙目になって言う。
「私ね、結婚願望が強かったみたい。正司君と別れてから気付いたの……、ねえ……」
正司が黙ってみこを見つめる。
「私と、よりを戻そうよ……」
正司は不思議ととても冷静にいられる自分を感じていた。みこに言う。
「ごめん。それはできないんだ」
「どうして? あの女なの?」
「うん。今は結婚を前提に付き合っている」
「う、そ……」
毎日会社で顔を見合わせている正司。そんなことになっているなんて思ってもみなかった。
「料理なの? 料理が上手いからあの女がいいの?」
正司は少しだけ首を振って答える。
「料理もそう。それに女性として、人間として彼女のことが好きなんだ。ごめん」
「私、また料理を頑張って……」
正司が首を左右に振る。みこは小さく息を吐いてから笑顔で言った。
「な~んてね!! びっくりした? 元カノのドッキリ!!」
「え、みこ?」
みこが奥の部屋を覗くようにして言う。
「来てるの? 渡辺さん?」
「いや、居ないけど……」
みこが正司の肩をポンと叩きながら笑って言う。
「まあ、そういうこと。頑張ってね、応援してるよ!!」
「あ、ああ。ありがとう……」
正司はよく意味が分からないまま玄関を出ようとするみこを見つめる。
「みこ……」
「ん、なに?」
ドアを開けたみこが名前を呼ばれて振り返る。
「ありがとな、来てくれて」
「いいよ。じゃあね~」
みこは片手を上げ笑顔でドアを閉める。
正司はしばらく閉じられたドアをひとりで見つめていた。
「ううっ、くすん……」
みこは歩きながら自然と流れてくる涙をハンカチで何度も拭きとった。
(浮気は、してないよな……)
正司はみことのやり取りを思い出し自問する。膝の上で丸くなる花凛がちょっと不満そうに言う。
「しょーくん、返事は~?」
「え、ああ。もちろんしてないよ! 俺はこの可愛い花凛だけだよ」
「うふふっ、ありがと~」
そう言いながら花凛は正司の足に何度も顔を擦り付ける。正司は花凛の頭を優しく撫でた。
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