32.料理なんてしなくていい。

「よし!! これでいいぞ!!」


 日曜の朝、キッチンに立った正司がひとりガッツポーズを取る。

 正司は昨晩、花凛に教えて貰った鍋に残ったスープに白米をたくさん入れて雑炊を作っていた。勢いに任せてほとんど食べてしまった鍋。こうすればまだ花凛の料理が食べられる。鍋の延命作業を終えた正司が早速味見をする。



「ああ、美味い。なんて優しい味なんだ……」


 優しい味。

 花凛の料理を食べる前は『食いものに優しいも怖いもあるか!!』と毒づいていた正司であったが、気がつけば自然とその言葉を口にしている。出来上がった雑炊をテーブルに運び、ひとりスプーンで食べ始める。



「美味いなあ。美味いけど……」


 正司はテーブル横に花凛がいないことを寂しく思う。ここ最近はずっと一緒にご飯を食べていた彼女。たった一日いないだけでこんなに寂しく感じるものかと自嘲する。




 トルルルルゥ……


 朝食をとっていた正司の携帯に着信が入る。


(あ、花凛かな?)


 正司がスマホをとって画面を見ると、そこには会社の同僚のみこの名前が表示されている。



「もしもし?」


 休日に何だろうと思いつつ正司が電話に出る。



「あ、正司君? ごめんね~、休みの日に!!」


 明るい声。いつも元気なみこらしい。



「いいよ。どうしたの?」


 みこが少し間を置いて答える。



「うん。今日ね、時間あってさ、またたまご焼きでも作ってあげようかな~、って思ってさ」


 みこのたまご焼き。

 花凛と出会う前はそれを聞いただけで嬉しくなった魔法の言葉。でも今は状況が違う。正司が言う。



「あ、いいや。ごめん」


「……いいの?」



 正司の頭には花凛の笑顔が浮かぶ。


「うん。大丈夫、ありがとう」



「……」


 沈黙。そして正司の部屋にチャイムの音が響く。



 ピンポーン


(え?)


 みこが言う。


「もうね、



 正司は振り返って、そのドアの向こうにいる人物を想像した。






 ピンポーン


「はーい!!」


 同じ頃、花凛の実家にも同じようなチャイムの音が響いていた。

 花凛の母親が大きな声で返事をし玄関へ向かう。今日は渡辺製作所の得意先であるKY工業の若社長、若田春男がやって来る日である。



「ど~もぉ!!」


 若田の軽い口調が玄関に響く。茶髪にピアス。色物のシャツにグレーのジャケット。チャラ男を絵にかいたような男である。外にいる飼い犬のゴンがまるで敵が来たかのように勢いよく吠えている。



「お待ちしてました。どうぞおあがりください」


 若田が少し首を傾げる。



「あれ? 今日は花凛ちゃんとデートのつもりで外出しようと思っていたんだけど」


「こんにちは」



「お!」


 そこへ花凛がやって来て言った。


「今日はどこかへ出かけるつもりはありません。私が料理を作るんで、良かったら上がって食べて行きませんか」


 それを聞いた若田が顔を明るくして答える。



「えー、マジでぇ? ちょー嬉しいよ!! 上がる上がる!!」


 若田は高そうな革靴をポイポイと脱ぎ捨てて、どかどかと花凛の家へと上がって行く。若田は花凛の前まで来ると、その顔や体を舐めるように見て言う。



「うわー、花凛ちゃん。マジで可愛いじゃん。オレ、若田春男。春男って呼んでよ。よろしくね!!」


 花凛は少し後退し距離をとってから答える。



「初めまして、さん。父がお世話になっています」


 あくまで堅苦しく挨拶をする。若田は花凛に近付き手を握ろうとしながら言う。



「えー、そんな怖い挨拶いいよ~、仲よくしようよ、ね」


 そう言って手を握ろうとした若田の腕を、花凛がパンと叩く。そして笑顔で言う。



「父が待っています。どうぞ」


 花凛の母親はその様子をハラハラしながら眺めていた。




「どうも、いらっしゃい。社長」


 居間で父親が笑顔で若田を迎える。


「どうもーっす!」


 その返事に一瞬顔が引きつる花凛の父親。



「狭い所ですが、どうぞお座りください」


「ほんと狭いとこだね。あ、俺、ここ座るね。花凛ちゃん、隣おいでよ」



 一瞬凍り付いた空気の中、そんなことは一切気にしない若田が花凛を自分の隣に座らせようとする。


 ギギッ……


 花凛はその言葉を無視して、若田から離れた椅子を引いてそこに座る。花凛の父親が若田に言う。



「社長。先日の話、来期の生産計画ですが、うちとしては……」


「あー、そう言うのいいから。今はプライベート。仕事の話はなしでヨロ!」


 そう軽く言うと、すぐに花凛に色々と話し掛ける。



(はあ……)


 花凛の父親は内心ため息をつき、一体自分は何をしているのだろうかと悲しくなった。



「ねえ、花凛ちゃん。連絡先教えてよ。SNSとかのさあ」


 そう言って若田は自分のスマホを取り出す。



「……」


 無言のままの花凛。オーラで『交換したくない』と伝えている。それに気付いたのか若田がつまらなそうな顔で言う。



「えー、もしかして嫌なの~、悲しいなあ~、寂しいなあ~、じゃあ、俺、このまま帰っちゃおうかな~?」


「しゃ、社長!?」


 動揺する花凛の父親。このまま帰られては今後の仕事に影響が出るのは必至だ。父の心から困った顔を見て花凛がため息をついて言う。



「はい……」


 嫌々だが、スマホを差し出しアドレスの交換をする。


「やった~、ちょー嬉しいよ!! これで花凛ちゃんと繋がれるね!!」


 その言葉を聞き一瞬悪寒が走る花凛。早く用事を済ませたいと思い若田に言う。



「料理の準備をしてきますから、ここでお待ちください」


 花凛は丁寧にそう言って台所へと向かう。



「花凛……」


 隣に来た母親に花凛が笑って応える。



 ジャー、シュウジュウーー


 花凛は冷蔵庫にあった余り物の野菜と豚肉、そして麺で見た目は美味しそうな焼きそばを作り上げる。使い慣れた台所。花凛は昔を思いながら久しぶりの実家での料理を楽しむ。



「お母さん、ちょっと用事があるから先食べていてね」


「うん……」


 花凛が無表情で答える。

 これはいつものこと。そして居間で待っている父親もきっと席を外しているはず。



(できた……)


 花凛が会心の出来栄えの焼きそばを皿に盛る。嫌いな相手でもご飯は美味しく食べてもらいたい。花凛は野菜サラダも一緒に準備してプレートに乗せて運ぶ。



「うわっ、美味そうな焼きそば!! 花凛ちゃん、めっちゃ庶民的で最高じゃん!!」


 褒めているのか貶しているのか分からない軽い言葉。花凛は表情を変えず皿をテーブルに置く。そして若田をじっと見て言う。



「これ、食べられる?」


 ちょっと驚いた顔をする若田。目の前の美味しそうな焼きそばを前に一体何を言っているのかと首を傾げる。



「あったり前じゃん! 花凛ちゃんの手料理、いただきます~!!」


 そう言って置かれた箸を持ち大きな口でガッと焼きそばを口に入れる。



「もぐもぐもぐ……、うっ!!」


 花凛はその見慣れた光景がまたやって来たと思った。



「うごっ、ごほっ、ごほっ!!!」


 口に入れていた焼きそばを皿の上に吐き出す若田。手にしたお茶を一気に飲み込む。



「うおぉ……、ごっ、うぇ……」


 顔を真っ赤にし未だ苦しそうな顔をする若田。



(見慣れたはずだったけど……)


 最近はずっと正司から『美味しい美味しい、最高!!』と毎日褒められ続けていたので、久しぶりに見るこの拒絶反応に心が締め付けられるような気分となる。むわっと心を真っ黒な闇が包み込む感覚。花凛の脈拍も上がる。少し落ち着いた若田が言った。



「なんの冗談?」


 無言の花凛。若田が再びお茶を口に含んでから言う。


「僕を試しているのかな?」


「試す? まあ、ある意味そうかも知れないわね。私の料理が食べられなきゃ、私は認めないの」


 若田が笑って言う。



「料理? そんなのに何の意味があるの?」


 意味が分からない花凛。



「料理なんて家政婦に作らせておけばいいんだよ。君がマズ飯しか作れなくても問題ない」



(……ああ、何を言っているのかな。この人)


 花凛は若田を何か別の星の生物のような目で見つめる。



「花凛ちゃんは可愛いんだ。それに、ねえ……」


 若田は発育良く育った花凛の体を舐めまわすように見つめる。そして言う。



「花凛ちゃんは僕と付き合ったらいろいろ楽しいこと経験させてあげるから。料理なんてよ」




(早くしょーくんに、ぎゅっとされたいなぁ……)


 花凛は目の前の男の発する無意味な言葉を耳にしながら、今日は会えない正司のことをぼんやりと考えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る