31.しょーくんが死んじゃう!!

 久しぶりに実家へ帰った花凛。

 そこで待っていたのは取引先の若社長に一度会って欲しいという父からのお願いであった。母親は反対していたが、断れば工場の経営危機へとつながる。花凛は幼い頃から父が一生懸命仕事をしてきたことを思い出す。



「いいわ。会うだけなら……」


 もう自分も子供ではない。工場や両親の為になるのであれば、多少の我慢はしなければならない。



「花凛……」


 母親が心配そうな顔をする。

 父親はしばらく間を置いてから頷いて言った。



「ありがとう……」


 そしてKY工業の若社長が置いていった名刺を取り出し、すぐに電話をかける。




「……はい、はい、え? 明日?」


 電話をしながら驚く父親。そして申し訳なさそうに顔を上げ花凛を見つめる。

 頷く花凛。父親が何やら話をしてから電話を切った。



「花凛、すまない」


「いいよ。明日なんでしょ?」


「ああ、ここへ迎えに来るそうだ」



 驚いた母親が言う。


「迎えに来るって、それじゃまるでデートじゃないですか!!」


 下を向いて無言になる父親。もう自分の力ではどうにもならないことだと感じ始めている。花凛がふたりに向かって言う。



「家に上がって貰って。私がを作って食べてもらうわ」



 それを聞いたふたりの顔が引きつる。

 悪夢のように思い出される花凛の料理。とにかく色々作っては誰かに食べさせるのが好きな子。彼女が『ひとり暮らししたい』と言った時に二つ返事で了承したのも、ある意味その呪縛から解き放たれたいからでもあった。



「私の料理をちゃんと食べてくれる人なら、きっと悪い人じゃないと思うし」


 両親は花凛の鈍感さを知っていた。

 を食べさせて判断しようなど、まるで現代の踏み絵である。そう思う一方、あの花凛の料理を食べさせられればあの若社長だってさすがに幻滅するだろうと考える。父親が言う。



「分かった。じゃあ、明日来て貰ったら家に上がってお昼を食べて行ってもらおう。料理は任せるぞ、花凛」


「うん、分かったわ」


 花凛はそう返事しながらも内心思う。



(どれだけ私の料理を食べて貰っても、私はもうしょーくんのもの。これはお父さん達の為に仕方なくやること。だから少しだけ我慢しなきゃ……)


 花凛は今ここに居ない正司を思い出しため息をつく。



(はあ、もうしょーくんに会いたくなっちゃったよ……、明日、それが終わったらすぐに帰ろう……)




「お姉ちゃん!」


 そこへ花凛の妹で高校二年の美香みかがやって来た。黒い長髪が特長の可愛らしい女の子で、高校生ながら花凛同様胸の膨らみは大人顔負けである。


「ただいま、美香」


 花凛が笑顔で美香に挨拶する。



「お姉ちゃん大丈夫なの?」


 話を聞いていたのだろうか、美香が心配そうな顔で言う。


「うん、大丈夫。これくらいのこと我慢しなきゃ」


 健気にそう言う花凛に美香が憐れんだ顔で言う。



「違うよ、その相手の人のことだよ。お姉ちゃんの料理食べさせるって……」


 一瞬両親を含めた皆の顔が引きつる。すぐに花凛が苦笑いしながら答える。



「そんな心配要らないよ。これでも料理の腕、随分上がったんだから」


「ほんと?」


「うん。私の料理を美味しいって食べてくれる人もいるんだぞ!」



(嘘だろ……)

(幻覚か……)

(白昼夢でも見たんじゃ……?)


 皆口にはしないがそれぞれの頭の中で一斉にその言葉を否定する。美香が言う。



「今夜は私がご馳走作るね。お姉ちゃん帰って来てくれたし」


 美香も姉同様に料理好き。違うのは美香の料理は本当に上手い。同じ姉妹、同じ料理好きでもその点においては決して越えられぬ壁がある。花凛が言う。



「私も手伝うね!」



「いや、いいよ」

「やめなさい」

「花凛は疲れているから寝てなさい」


 普段意見が合わないことが多い家族も、この一点だけは昔からすぐに合意する。花凛がつまらなそうに言う。



「ちぇ~っ、つまらないなあ。仕方ない、ゴンと散歩でも行ってくるか」


 ゴンとは渡辺家で飼われている柴犬のこと。花凛のことが大好きなゴンだが、他の家族同様花凛が作ったエサだけは頑として食べない。




「キャイン、キャンキャン、ワンワン!!!」


 久しぶりに花凛に会えたゴンが狂ったように喜びを表す。狂ったように鳴き、庭を走り回る。


「ゴン~、久しぶり!!」


 そして花凛に抱かれるとベロベトと顔を舐めまわす。花凛は大切な家族に触れ、久しぶりの実家を満喫した。






「はあ……」


 妹の美香が作った夕食を食べ終え、ひとり久しぶりの自分の部屋に戻って来た花凛。母親の計らいで花凛がひとり暮らしをしてからもずっと手付かずのままにされている。

 大好きなピンクを基調とした部屋。可愛いぬいぐるみや抱き枕もそのままにされており、棚には料理の本がぎっしりと並んでいる。



(しょーくんに、言わないといけないかな……)


 花凛は明日、KY工業の若社長に会うことを正司に伝えるか悩んでいた。全く興味がない男であっても『正司の妻』を自負する花凛にとっては、他の男に会うというのは不貞行為にすら感じる。



(でも、これは浮気なんかじゃない。私も渡辺家のひとりとしてお父さんの仕事を手伝うだけ……)


 いわば会社の社員として取引先と会う。そう考えると少しだけ気が楽になった。



 コンコン……


 花凛がそんなことを考えているとドアをノックする音が聞こえた。



「お姉ちゃん、入っていい?」


 妹の美香である。


「いいよ」


 花凛がすぐに返事をする。それと同時にドアを開け部屋に入る美香。長い黒髪はやはり今でも美しい。



「ねえ、お姉ちゃん」


「なに?」


 部屋に来てベッドに腰かけた美香が尋ねる。



「そのさ、お姉ちゃんの料理を美味しいって食べてくれる人。本当にいるの?」


 少し驚く花凛。


「なんで? いるよ」


 美香が姉の顔を見つめる。



「その人のこと、好きなの?」



「ええっ!? な、なんで急に!!??」


 慌てる花凛に美香が言う。


「だってお姉ちゃんずっと自分の料理食べてくれる人探してたでしょ」


「うん……」


「それに……」


 美香が花凛の顔をじっと見て言う。



「お姉ちゃんの顔、とっても幸せそうなんだもん」


 その言葉を聞いて花凛の頬が少し赤くなる。



(そうだよね……、私、幸せだもん……)


 美香が言う。



「ねえ、今度お姉ちゃんのアパート行くからさ、紹介してよ。その人」


「え!?」


 妹のいきなりの発言に焦る花凛。



「だめ、だめ、そんなの!!」


 正司の好みは知らないが、美香はかなり可愛くて胸も大きく性格もいい。そして何より『料理が上手』、下手をしたら奪われる可能性だってある。美香がむっとした顔で言う。



「えー、なんでダメなの?」


「あなたはまだ子供なの! 絶対相手にされないから!!」



(え? それって、お姉ちゃん……、まさか……)


 美香はまだ会ってもいない姉のお相手に対して警戒されていることに気付く。

 とにかく昔から可愛くて性格も良く、近所でも評判だった姉。そんな姉に認められた男の人に一度会ってみたい。美香は純粋にそう思っていただけであった。



「お姉ちゃん、何も取ったりしないよ~」


 花凛がむっとして言う。


「ダメ!! 美香、いつの間にか大人っぽくなったし、胸だってすっごく大きくなったし!!」


 そう言いながら花凛は、時々自分の胸を見て鼻の下を伸ばしてみている正司を思い出す。男からすれば女性の胸に目が行ってしまうのは自然なことであったが、花凛は『しょーくんは胸の大きな女の子が好き』だと勝手に思い込んでいた。



「ほんとに取らないって。ただお姉ちゃんの料理を食べられる人って言うのにも興味あったし……」


「ほら、興味あるんじゃん!! ダメダメ!! さあ、もう出てって! 忙しいんだから!!」


「ええ~、来たばっかだよ!!」


 ぶつぶつ言う妹を部屋から追い出す花凛。

 時刻は午後九時過ぎ。急に正司のことが恋しくなる。



(しょーくんの声が聞きたいよぉ……)


 花凛は我慢できなくなって携帯を手にして電話をかける。



「しょーくん……」



「お、花凛!」


 声を聞いた瞬間、胸がほわっと温かくなる。花凛が優しい顔になりながら尋ねる。



「しょーくん、ご飯もう食べた?」


「食べたよ!! 花凛が作ってくれた鍋、めっちゃ美味かったよ!!!」



(ふわわあぁ……)


 話しながら喜びで体が溶けそうになる花凛。



「もうほとんど食べちゃってさ、明日まで持つかな……」


「え?」


 大きな土鍋でたくさん作った鍋。自分がいない土日で食べて貰おうと用意しておいたはずなのに、



(もうほとんどないって、どういうことーーーーーっ!?)


 花凛は嬉しさと同時に、焦り始める。



(ど、どうしよう!? わ、私が早く行ってご飯作ってあげないと、しょーくんが、しょーくんが……)



 ――しょーくんが死んじゃう!!



「しょーくん!!」


「ん? なに?」


 花凛が目に涙を溜めながら話す。



「明日、できるだけ早く帰るね。ご飯作るから!!」


「え? ああ、まあ、嬉しいけど、実家でもう少しゆっくりと……」



「しょーくんが死んじゃうから!!」



(は?)


 正司はその後、涙声で話を続ける花凛の相手を夜遅くまで続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る