21.あまいあまい花凛ちゃん

(どうしてこうなった? 一体どうしてこんなことになったんだ???)


 夜、明かりを消した正司の狭いアパートの部屋。敷かれた小さな布団に花凛と一緒に横になっている。


(一緒の布団。花凛と一緒の布団……)


 触れるほどの距離で横になる花凛。吐息を感じるほどの距離。正司は自分を落ち着かせることに精一杯であった。



 一方の花凛も正司に背を向けたまま、壊れるほどの爆音を立てる心臓を押さえながら色々と考える。


(しょーくんも男。えっちなことはしたいの。私が断っていたら、他の女にとられちゃう……)


 花凛の頭には昼間親友の由香里に言われた言葉がぐるぐると回っていた。



(しょーくんは大人。いつまでも我慢させちゃ、私、彼女として失格よ……)


 花凛は意を決して体を正司の方へと向ける。それに気付いた正司が驚いて言う。



「花凛……?」


 暗くて良く分からないが、正司の目にはなぜか少し悲しそうな顔をしているように映った。花凛が言う。



「しょーくん、大好きだよ……」


 そう言って正司の顔に手を添え口づけをする花凛。


 一瞬切れそうになる理性。

 ただ花凛を滅茶苦茶にしたいと思う気持ちを抑えたのは、彼女に触れて気付いたある事であった。




 ――震えてる?


 花凛は震えていた。

 唇を重ねながら震えていた。


 これが正司の大人としての理性を呼び戻す。崩壊した理性が逆再生の動画の様に綺麗に戻って行く。



「花凛」


 正司はそう言うと横に寝たまま花凛を抱きしめた。



「しょーくん……?」


 突然抱きしめられた花凛は少し違ったその反応に驚く。すべてを覚悟していた花凛の耳に優しい正司の声が響く。



「無理しなくていいんだよ」



(しょーくん……)


 そのひと言で強張っていた花凛の体からすっと力が抜けて行った。花凛は流れ出る涙を感じながら弱々しい声で正司に言う。



「怖かったの……」


「……何が?」



「しょーくんが、どこか遠い所へ行っちゃうんじゃないかって……」


 その言葉の意味が良く分からない正司であったが、再び花凛を抱きしめて言う。



「どこにも行かないよ。ずっと一緒に居る」


「ほんと?」


「ああ、ほんと。お前以外に誰が俺の飯作れるって言うんだ?」



 花凛は頬を赤らめながら尋ねる。


「みこさん、って人は?」


「みこ?」


「……うん。たまご焼き、作ったんでしょ?」



「ああ、そうだ。でもそれだけ。花凛の方がずっとすごい」


 花凛がちょっとむっとした表情になる。そして不満そうに言う。



「信じられない。彼女と一緒の布団の中にいながら、他の女の話するなんて」


「へ?」


(それはお前がその話振って来たからだろ??)


 そう混乱する正司に花凛が尋ねる。



「ねえ、みこさんとは、その……、えっちはしたの?」


 一瞬固まる正司だったが、素直に答えた。



「手……、繋いだだけ」


「ほんと?」


 花凛は正司の腕の中にいながら更に顔を近づけて言う。正司が答える。



「ほんとだよ。みことは付き合った期間も短かったし、そう言う雰囲気にもならなかった」


「ほんとに……?」



「ああ、本当だって。みことは……」


 そう言い掛けた正司の口を花凛の口が塞ぐ。



「う、ううっ、か、花凛……?」


 少し唇を離して花凛が言う。


「他の女の子の話はしないで。しょーくんのばかぁ……」



「うっ!?」


 そう言いながら今度は強めに唇を押し当てる花凛。

 正司は彼女を抱きしめながら、先ほどまでの心の震えが消えていることに気付いた。






「おはよー、しょーくん!!」


 翌朝、ぼんやりとした目をこすりながら目を覚ました正司に花凛が笑顔で言った。



(ほとんど眠れんかった……)


 あれから相当疲れたのか花凛はすーすーと正司の腕の中で寝息を立て、先にぐっすりと眠ってしまった。

 正司と言えば積極的過ぎた花凛に興奮してギンギンに目が冴えてしまい、更に腕の中の花凛からか漂う甘い香りに脳が興奮して結局朝までほとんど眠ることができなかった。正司がキッチンに立つ花凛に声を掛ける。



「ん、ああ、おはよ、花凛……、えっ!?」


 花凛は昨夜から正司の服を着た『彼シャツ』のままであった。



「か、花凛、まだその服……」


 花凛が部屋にやって来て色っぽい太腿と見せながら服の裾をつまんで答える。



「うん、なんかしょーくんの匂いがして、着ていると安心しちゃって」


 そう言ってくるっと回る花凛。一瞬見えるピンクの下着。正司は今夜も眠れそうにないなとあたふたしながら彼女を眺めた。




「いただきまーす!!」

「いただきますっ!!」


 ふたりが隣に並んで朝食を食べる。

 毎朝花凛が淹れてくれるコーヒー。水以外の飲み物がこんなに美味しいとは夢にも思わなかった。パンには花凛特製のジャム。サラダにもオリジナルドレッシング。このお陰で味覚障害の正司でも美味しく食べることができた。



「美味しいよおおお、花凛、本当に美味しいっ!!」


「うん」


 これまで誰にも認められなかった自分の料理。好きだけど、本当は不味いんだって気付いていた自分の料理。


 花凛は正司の『美味しい』って言葉を聞く度に自分が料理を作ってもいいんだと、自分がいてもいいんだと思えるようになっていた。



「しょーくん、大好きだよぉ」


 そう言って正司の肩にもたれ掛かる花凛。


「うん……」


 そう答えつつも、上から見える花凛の胸の谷間にどきどきする正司。花凛が何となくその視線に気付いて言う。



「しょーくん、エッチなこと考えてた!」


「だ、だって、仕方ないだろ! こんなに可愛い……、その、彼女なんだから……」



「え~、なに? 良く聞こえなかったよ~、もう一回言って」


「い、いや、もういいよ……、恥ずかしいし……」



「あー、言わないんだ。じゃあ……」



(ええっ!!??)


 花凛は胸元の服をつまんでわざと谷間を見せつける。そしてうっとりとした目で正司に言う。



「どお、花凛、可愛い?」


 もはや完全に手の平の上で転がされる正司が魂を抜かれたような顔で答える。



「可愛いです。可愛い……」


「きゃっ、嬉しいっ!!」


 そう言って花凛が正司に抱き着く。我に返った正司が慌てて言う。



「わ、わっ、コーヒーがこぼれるよ!!」


 花凛は笑いながらそのコーヒーを手に取り、机の上に置く。そして正司の首に自分の手を回し、うっとりとした顔で言った。



「はい、食後のデザートの花凛ちゃんですよ~」


 そう言ってあたふたする正司の唇に自分の唇をそっと重ねた。

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