17.ヤンデレ花凛ちゃん

「……あ、はい。ええ、そうです。もうちょっと必要がなくなったので。はい、あ、ありがとうございます。はい、では」


 正司はそう言ってからふうと息を吐いて電話を切った。

 花凛が病院に通うようになりすぐに正司の体調が良くなり退院。結局、体調不良の原因は分からなかったが、ふたりはまるで夫婦のように仲良く病院を一緒に出た。

 アパートに戻った正司と花凛。キッチンから正司を呼ぶ声がする。



、電話終わったの?」


 正司の部屋のキッチンに立つ花凛がこちらを覗くようにして言う。正司が答える。



「ああ、断ったよ」


「何て言ってた? 結婚相談所の人?」


「うーん、おめでとうございますって言われた」



「きゃはっ、嬉しいっ!!!」


 花凛は料理中の手を止め、部屋にいた正司のところへ行き抱き着く。



「わ、わっ、花凛っ!?」


 花凛の大きな胸が正司に押し当てられる。同時に香る甘い花凛の香り。柔らかい彼女の体を抱きしめながら正司の心臓がバクバクと鳴る。花凛が顔を赤くして言う。


「本当に危なかった。そんなのに登録して、私のしょーくん、誰かに取られちゃうとこだった」


「む、無理だよ。俺なんて……」


「そんなことないよ~、しょーくん、優しいし、花凛心配だよ……」


「大丈夫だって、……うっ!?」


 花凛は正司に抱き着いたまま唇を重ねる。



「か、花凛!?」


 とろんとした目で花凛が言う。



「花凛のつば、いっぱいつけちゃった。もう誰にも渡さないよー」


 そう言いながら再び正司の唇に自分の唇を重ねる。花凛が言う。


「その電話の人って、女の人だった?」


「え? あ、ああ、そうだよ……」



 それを聞いて正司の腕の中にいた花凛の顔がぷっと膨らむ。



「うわきっ、しょーくん、うわきしたー!!」



「は? 浮気って……、あっ!」


 正司があることを思い出す。それは花凛と付き合ったその日に彼女から言われた言葉。




『正司さん、お付き合いするに当たって守って欲しいことがあるの』


『なに?』


『私、結構嫉妬深い方だったみたいで、色々と約束して欲しいんです……』


『ど、どんなこと?』


『私以外の女の人と、話さない、仲良くしない、喋らない、目を合わせない、エッチなことを想像しない、触れない、連絡のやり取りしない、視界に入れない、ぐらいかな?』


『おいおい、それじゃあ生活できないぞ……』


『正司さんは、私のこと嫌いなんですか?』


『そ、そんなことはない。一緒にいたいよ……』


『だったら守ってくださいね』


『うーん、努力するよ……』




 結婚相談所の電話の人は女性だった。それに花凛は嫉妬しているようだ。


「ご、ごめん。って言っても仕方ないだろ?」


「分かってる。でもなんか悔しくて……、その女の人って綺麗な人?」


「知らないよ!! 電話だし」


「うん、許してあげる。だから……、キスして」



「え、また? だって今したばか……、うっ!?」


 そう言い掛けた正司の唇を花凛の唇が塞ぐ。花凛が言う。



「花凛、忘れん坊だから、またして……」


 そう言って花凛はまたキスをする。正司は何度も何度もキスをする花凛をまるで子猫のようだと可愛いと思いつつも、すっかりヤンデレ化してしまった彼女にちょっとだけ戸惑っていた。




「いただきまーす!!! おおおっ、美味いっ!!!!」


 食事は朝晩、花凛の部屋で一緒に食べた。

 朝も正司の出勤の時間に合わせて花凛が作り、帰りも正司の帰宅を待って花凛が準備をする。そして出勤前には必ず彼女の部屋に寄って、『行ってきます』のキスをする。帰りはただいまのキス。とにかくもう新婚のような生活となっていた。



「美味しい? しょーくん?」


 それでも正司は幸せだった。

 毎日美味しいご飯が食べられる。下水道のようなクソ不味い生野菜をかじって生きていたこれまでの人生とは天と地ほどの差がある。それに花凛はどんどん可愛くなっていった。



「しょ~くん……」


 食事が終わった後も、片づけをしてから部屋で寛ぐ正司にネコのように甘えてくる。そして彼女はキス魔だったのか知らないが、腕の中にやって来ては何度もキスを求めてくる。



「だーめっ」


 それでもエッチなことは一切禁止であった。

 キス以上のことも全て。そのあたり花凛は潔癖のようで『結婚前はそう言うは我慢してね』ということだった。

 独身男性の正司にとってはかなり辛い条件ではあったが、花凛のことを本気で愛していたし、彼女を大事にしたかったので納得してそれを受け入れた。




 チーン!!


 じゃれ合っていたふたりの耳にオーブンの鳴る音が聞こえた。


「あ、できたみたい!」


 先程から部屋に漂う甘い香り。花凛は何かを焼いていたようだ。



「るん、るる~ん」


 嬉しそうにオーブンへと歩く花凛。そしてドアを開け綺麗なきつね色に焼けたクッキーを見て笑顔になる。



「お、クッキーか。美味しそうだな!!」


 隣にやって来た正司も出来立てのクッキーを見て大きく頷く。花凛が熱々のクッキーをつまんで正司に言う。



「はい、あ~ん」


「あ~ん、むしゃむしゃ……、美味い、美味ああああい!!!!」


 クッキーの美味しさに感動する正司。花凛が幸せそうな顔で言う。



「しょーくんのその笑顔の為なら、花凛どんなことだって頑張れるよ」


「うん、俺も頑張るよ。花凛はいっぱいいっぱい料理を作ってね。俺、全部食べるから!」


「うん……、嬉しい。でもこの小さなクッキーが始まりだったんだよね」


 そう言いながら花凛は焼きたてのクッキーを自分の口に入れる。正司が言う。



「そうだね。あの時、花凛がクッキーを持ってきてくれたから、今こうして一緒にいられる」


 ふたりは引っ越しの時、花凛が焼いたクッキーを持って挨拶に来たことを思い出す。



「もしあの時、それこそタオルとか持って挨拶に来てたら、こうにはならなかったかもな」


 それを聞いた花凛の顔が泣きそうになる。そして正司に抱き着いて言った。



「嫌だよ~、花凛、そんなの嫌だ。ずっとしょーくんと一緒なの~!!!」


 正司が苦笑し、花凛の体を抱きながらその頭を優しく撫でる。



「大丈夫。俺はずっと一緒だよ。花凛とずっと一緒」


「うん……」


 花凛が涙目になって正司を見つめる。

 そして重なるふたりの唇。柔らかいちょっとだけ湿った唇。花凛が言う。



「甘い、クッキーの味だ」


「うん、クッキーの味のキス」



「ぷっ、くすくすくす……」


 ふたりで見つめ合って笑う。



「あ、そうだ。しょーくん」


 花凛が何かを思い出したよう言う。


「なに?」


「うん、来週の土曜日さあ、由香里が一緒に出掛けようって言うの」


「由香里ちゃん?」


 花凛の顔が一瞬むっとする。女の子の名前を口にしただけで花凛にとっては不愉快なこととなる。



「うん、ゆかりの彼氏と一緒にデートしたいんだって」


「俺達と?」


「うん」


 正司は少し考えてから答える。



「うーん、俺はどっちでもいいよ。花凛に任せる」


「うん、花凛もあまり気は進まないけど、由香里には色々お世話になってるから」


 正司と付き合う前、そして今も大学で良くしてくれる親友の由香里。邪険にはできない。



 そうして迎えた約束の日曜日。花凛と正司は初めてのダブルデートへと向かった。

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