15.花凛の夢
みこが花凛のアパートの部屋から去った後、彼女はしばらくぼうっと動けなかった。色々な事実が頭の中でぐるぐると回り、どうしたらいいのか自分でも分からない。花凛は無言のままキッチンへ行き自然と料理を始めた。
トントントン、ジュウ……
揚げ物を揚げる音、炒め物の音、野菜を切る音。
料理が大好きな花凛はその音を聞いていると自然と心が落ち着いて来た。そしてほぼ料理を作り終えてからあることに気付く。
(あれ、私。何を作っているんだろう……?)
鶏のから揚げにミートボール、野菜の炒め物におひたし。気がつけば手に買ってからほとんど使っていなかった弁当箱を持っている。
(お弁当箱……?)
花凛はその時はっきりと自分の頭の中に、正司の病院へお弁当を持って行き一緒に食べる光景が浮かんでいた。
(正司さんとお弁当……)
そう考えると花凛の胸がどきどきと強く鳴り出す。手が勝手に弁当箱に料理を詰め始める。そして思った。
(正司さんが待ってる。正司さんが待ってるから、行かなきゃ!!)
怖かった。
行けばもっと辛いことを知るかもしれないと怖かった。
それでも彼女に迷いはない。自分自身分かっている。この気持ちを、私を幸せにしてくれるのは彼だってことを。
「花凛ちゃん……」
「お弁当作って来たんです。一緒に食べましょう!!」
正司は突然現れたその天使のような彼女に一瞬で心打ち抜かれた。正司が涙を拭いて言う。
「ありがとう。ずっと待ってたよ……」
「ごめんなさい。遅くなって……」
花凛が申し訳なさそうに下を向いて言う。正司が言う。
「花凛ちゃん、外で食べようか。天気もいいし」
「え、あ、はい!」
正司はベッドから起き上がると上着を羽織り歩き始める。花凛が心配そうに言う。
「あの、大丈夫ですか……?」
「あ、うん。大丈夫」
正司は笑顔で花凛に答える。花凛はもうその笑顔だけで心がキュンキュンしてしまい、ふらつきかけてしまった。
「気持ちいいですね!!」
病院の中庭にはたくさんの木が植えられており、秋も深まったこの時期は赤や黄色に美しく色づいた紅葉が見ごろを迎えていた。少しひんやりした空気の中、地面に敷き詰められた落ち葉の上を歩きながら花凛が言う。
「病気、なんですか?」
正司が笑って答える。
「分からないんだ、それが。色々検査しているんだけどね」
花凛が一瞬心配そうな顔をする。正司が中庭にあるベンチを見て言う。
「ここに座ろうか」
「はい」
ふたりは一緒にベンチに腰を下ろす。
はらりと目の前を落ちる黄色の落ち葉。花凛がそれを取ろうと手を伸ばすがその横をすり抜けるように落ちる。
「はい」
正司がすっと横から手を出しその落ち葉を手のひらに乗せ、花凛に差し出す。
「あ、ありがとうございます」
「綺麗だね」
(え?)
花凛はこちらを見てそう言う正司に、一瞬自分のことを言われたのかと誤解する。いつの間にか彼の視線は黄色の落ち葉に向けられている。
「はい。本当に綺麗」
「花凛ちゃん」
「はい?」
「来てくれてありがとう」
花凛が頬を赤らめて答える。
「いえ、そんなこと……」
正司が前を向いて真面目な顔で言う。
「俺ね、花凛ちゃんに話さなきゃならないことがあるんだ」
(え?)
花凛はきっとそれがあの彼女のことだと直感した。
最も彼の口から聞きたくない言葉。でも避けては通れない。どんなに辛くてもその現実は受け止めなければならない。花凛は黙って頷く。正司が言う。
「俺ね、病気なんだ」
「え?」
予想もしていなかった言葉。
病気は分かっている。だから今こうして病院にいる。正司が笑って続ける。
「あ、今回のとは関係ないやつ。実はね、俺って味覚障害なんだ」
「味覚、障害……?」
花凛が正司の顔を見つめて言った。
「うん、子供の頃から重度の味覚障害を持っていて、普通の食べ物がほとんど食べられないほど酷いんだよ」
驚きつつも黙って聞く花凛。
「何を食べてもね、耐えられないほど不味くて、子供の頃はそれこそ毎日吐いていた。今は大人になって耐性もついて我慢できるようになったけど、それでも症状は全く改善されていないんだ」
「正司さん……」
驚きの目で正司を見つめる花凛。正司が言う。
「そんな中で出会ったのが君の料理。全くよく分からないんだけど、どんな食べ物も受け付けなかった俺がさ、花凛ちゃんの料理だけは不思議とすっごく美味しく感じるんだ」
そう言う正司の顔が嬉しそうになる。
「あの、私……」
何か言いたそうな花凛に正司が深く頭を下げて言う。
「味覚障害だから花凛ちゃんの料理が美味しいだなんてすごく失礼だよね。ごめん、謝る。でもこれが俺なんだ。信じて欲しい。俺にとって花凛ちゃんの料理は本当に最高の料理なんだ。美味しい。すごく美味しい。毎日でも食べていたい」
「私……」
ぐう~
「あっ」
何か言い掛けた花凛の耳に、正司のお腹の音が響く。
「ぷっ、くすくすっ。お腹空いてるんですか、正司さん?」
あまりの間の悪さに恥ずかしさで顔を歪める正司が答える。
「う、うん。空いた。ここの食事、ほんと合わなくて……」
「じゃあ、まず食べましょうか」
「うん、食べたい!」
花凛が笑顔で持ってきた弁当箱を開ける。そこには美味しそうなから揚げに野菜炒めおひたしなど見事な料理が詰められている。ほとんど食べたことのない、味の分からない料理だが正司は間違いなく美味しいと思えた。
「すごいよ、花凛ちゃん!! じゃあ、食べるね!!」
「はい、どうぞ!!」
正司はそう言って弁当箱を受け取るとガツガツと口に料理を入れていく。
「美味い、美味い、本当に美味いいいいいいい!!!!」
大きな声に驚く花凛。
そんなことはまったく気にしないで正司はどんどんと食べていく。
(可愛いな……、もしかして私がいなきゃ死んじゃうんじゃないかな……?)
花凛はその必死に食べる姿を見て思わずそう思った。花凛が言う。
「正司さん」
「ん?」
口にいっぱい食べ物を入れたまま正司が答える。
「私、全然気にしていませんから」
「花凛ちゃん……?」
花凛が正司の方を向いて言う。
「味覚障害とかまったく気にしていませんから、私。例えそうであっても私の料理をこんなに美味しそうに食べてくれる正司さんに何も変わりはありませんから!」
今度は正司が黙って話を聞く。
「私ね、お料理大好きなんだけど、本当はすっごい下手くそなんです」
花凛が一度目を閉じてから続ける。
「でも、本当に料理が好きで毎日作って、それと同じぐらい私の料理を食べて貰うのも好きで……」
「うん……」
正司が相槌をうって頷く。
「でも散々でした」
「散々?」
「はい。友達にお願いして好き嫌いのない人を紹介して貰ったりしてたんですけど、みんなすごく怒っちゃって……」
「怒る……?」
その意味がよく理解できない正司。花凛が自嘲気味に言う。
「不味いって。みんな怒って言うんです」
「そんな……」
花凛の料理が一般では美味しくないことは分かっていたつもりだった。だが彼女の口からその話を聞いて正司は心痛めた。花凛が言う。
「私ね、夢があるんです。聞いて貰えますか?」
「うん」
花凛が恥ずかしそうに下を向いて言う。
「私ね、結婚して子供をたくさん作って、それで私の手料理をみんなが一緒に笑顔で食べるのが夢なんです」
正司の心は完全に花凛によって掴まれた。恥ずかしがる花凛を前に正司は心を決めた。
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