7.おかわりっ!!

「正司さん、何が食べたいですか?」


 花凛かりんは「お腹が空いた」と言った正司に対して、ようやく温め続けたその言葉を口にした。



(何が食べたいって……)


 食べたい物などない。

 何を食べても不味くて、生きる為だけに無理して食べてきた正司。世の中にあるどんな料理もその本当の味など知らない。すべてが不味い食べ物。でも食べたいものと聞かれれば答えはこれしかない。



『君が作った料理』


(……って、それじゃ、口説く気満々のエロオヤジじゃん!!)


 そうは思ったものの料理の味を知らない正司にとって好物などないし、食べたいものと聞かれても答えようがない。



(でも、食べてみたいものならある!!)



「何でもいいの?」


 恐る恐る聞く正司に花凛が笑顔で答える。



「はい! 私、料理大好きなんでたいていの物は作れますよ!!」


「そう。じゃあ、食べたいものはね、カレーライス」



「え、カレーライス!?」


 意外な料理名に驚く花凛。



(そんな簡単なものでいいのかしら? で、でも、食べたいものを言ってくれた人って初めて!! 頑張らなきゃ!!!)



「大丈夫かな?」


 ちょっと不安そうな顔をして言う正司に花凛は笑顔で答える。



「大丈夫です! じゃあ、これからスーパーに買い出しに行くんで、付き合って貰えますか?」


「ああ、もちろん!」


 正司も笑顔で答えた。





「ふん、ふふ~ん、ふんふん~」


 スーパーに入り、かごをカートに乗せた花凛がご機嫌で店内を歩く。そのちょっと後ろに正司がついて歩く。

 お互いジャージ姿。特にピンクの服を着た花凛は店内でも目立ち、偶然お揃いのような服装のふたりは、周りから見ればまるで新婚夫婦のようにも見える。花凛が尋ねる。



「でも意外でした。正司さん、カレーが好きなんですね!」


「え? あ、ああ、うん……」


 カレーの味など知らない。

 ただ汚い話で決して彼女には言えないが、下痢の時に出るにそっくりなあの食べ物が、一体どんな味がするのか子供の頃から興味はあった。正司が花凛を見て思う。



(彼女なら大丈夫。料理の達人。きっと美味しいを作ってくれるはず)


 正司が花凛を見つめる。すごく楽しそうに食材を見てはかごに入れていく。



(それにしてもスーパーがそんなに楽しいのかな……?)


 正司には楽しそうな花凛が全く理解できなかった。何せ彼にとってみれば不味い物しか並べていないお店。目に映るのは吐き気を催すようなものばかり。いつも我慢して仕方なしにやって来る場所なのだ。



「さあ、このくらいでいいかな?」


 気が付くとカートのかごには山盛りの食材が積まれている。正司が言う。



「ここは俺が払うから」


「え? いいですよ。そんなこと……」


 正司が彼女が握っていたカートを持って言う。



「俺が頼んだものを作ってくれるんだ。支払いぐらいしなきゃ申し訳ない」


「で、でも……」


 それでも食い下がる花凛に正司が言う。



「これでも一応社会人。花凛ちゃんは料理だけに集中して」


「あ、はい……」


 花凛はその言葉を聞いて体がじんじんと痺れてしまった。



(お金は正司さんが払ってくれて、私は料理に集中……、それってまるで私、みたい……)


 愛する人のために美味しい料理を作る。

 これが花凛の夢。これまで誰ひとりとしてちゃんと食べてくれなかった自分の料理。何も考えずに料理に集中しろだなんて、まるで夢のような言葉。



(嬉しい嬉しい、嬉しいし、恥ずかしいいよおおおおぉ!!!!)


 花凛は叫びたくなる衝動を必死に抑え、自分に落ち着くよう言い聞かせてレジに並ぶ。そんな花凛に、レジのおばさんが追撃の言葉をかける。



「あら、若いだね~」



「「え!?」」


 思わずふたりが見つめ合う。



 ――奥さん


 それを聞いた花凛は顔を真っ赤にして下を向く。正司は慌ててそれを否定しようとしたが、レジのおばさんが先に言う。



「はい、そこの機械でお金払ってね」


「あ、はい……」


 休日のスーパー。たくさんの人で混んでいるレジ。それ以上の会話などできる余裕はなかった。





(気まずい……)


 スーパーのレジ袋を両手に持ってアパートへ歩く正司がひとり思う。花凛は先程からずっと下を向いて黙ったままだ。故意ではないにせよ、こんなおっさんと夫婦などと思われれば普通の女子大生なら嫌がるのも無理はない。



(謝ろうか……、いや、それもちょっとおかしいよな。どうすればいいんだ……)


 難しい顔をして考える正司。一方の花凛は全く別のことで頭がいっぱいであった。



(夫婦。幸せな夫婦。私が作った手料理を愛する夫と、可愛い子供達が笑顔で食べる幸せな家庭。家族で買い物をするって、きっとこんな幸せな感じなんだろうな……)


 いつもひとりで買い物をする花凛。誰かの為と思って買い物をした事などない。それを半ば強制とは言え、叶えてくれた正司に恥ずかしいと思いつつ心から感謝していた。



(でも、迷惑かも知れないな……、電話の女の人ってきっと特別な人なんだろうし。私みたいな子供じゃ……、はあ……)


 ふたりはほとんど会話のないままアパートへ辿り着く。時刻はちょうどお昼。花凛が言う。




「これからすぐ作りますね。うちに来て待っててもらえませんか?」


(え? そ、それって、彼女の部屋に上がるってこと!?)



 31歳独身男性。現役女子大生の部屋に上がるなど、天地がひっくり返っても起き得ないこと。慌てて正司が言う。



「い、いいの、上がっちゃって!?」


 それを聞いた花凛が不思議そうな顔で答える。


「え? いいですよ。よく友達も来ていますから」



 ちなみに今のアパートに引っ越す前、花凛は友人の由香里と一緒によくやって来た男の友達を部屋に上げていた。もちろん花凛に興味を持ち料理を食べて貰う為に来て貰ったのだが、それ以来料理について話す男は皆無であった。



「そ、そうなの? 花凛ちゃんが良いって言うなら、じゃあ、お邪魔しようかな……」


 と冷静に言いつつも内心喜びを爆発させていた。こんなに可愛い女の子の部屋に行ける。

 それも嬉しかったが、それ以上にに彼女が料理を作っているのかどうかを知れるまたとない機会。どうやったら味覚崩壊した自分に合った料理を作れるのか。正司は興味津々であった。




「お邪魔します……」


 正司が隣である花凛の部屋に入る。

 入った瞬間に正司を包む甘い香り。女の子、それも若い女の子特有の甘く痺れるような香り。部屋はピンクが基本の可愛らしいものばかり。ぬいぐるみや抱き枕など女の子っぽいもので溢れている。

 そして部屋に干してあるある物を見て正司が固まった。



(あ、あれって、まさか、下着……!?)


 部屋のカーテンの隅にかけられた小さなピンチハンガー。そこには白やピンクの下着が干してあった。その視線に気づいた花凛が慌てて下着を隠し声を上げる。



「きゃあ!! み、見ました!?」


 顔は真っ赤。正司を見つめて言う。



「い、いや、見ていない!!」


 すぐに答えた正司だが、もうその答えが『見ました』と言っているようなものであった。下着を隠しつつ花凛が言う。



「ご、ごめんなさい。片付け忘れちゃって……」


 下着を見られたのに謝る花凛を見て、正司は思わず可笑しくなった。




「じゃあ、作りますね!! 食材を買ってくれたんで、頑張ります!!!」


 花凛はそう言うと愛用のピンクのエプロンをしてキッチンに向かった。




(すごく、幸せだな。こう言うの……)


 正司はキッチンにあるテーブルで、一生懸命料理をする花凛の背中を見て思った。先ほどスーパーで『奥さん』とか言われちゃったけど、こうしていると本当に新婚のような気持になる。

 料理の手際は凄く良かった。普段から料理をしていることが正司でも分かる。名前も知らない調味料や食材を次から次へと持ち鍋の中へ入れていく。




「お待たせしました!!!」


 一時間ほどで花凛は見栄えも素晴らしいカレーを作り上げた。料理を何度も頷きながら見る正司を見て花凛が思う。



(本当に、本当にちゃんと食べてくれるのかな。残さず、ちゃんと……)



「いただきます!!!」


 正司はスプーンを持って大きな声で言った。そして躊躇いなくカレーを口へと運ぶ。



「むしゃむしゃむしゃ……、う、美味いいいいいい!!!!」


 それは花凛が驚くほどの大きな声。

 まるで初めてカレーを食べたような驚きと興奮した表情で言う。



「美味しいよ、本当に美味しいよ、花凛ちゃん!!!」


 正司はまるでお腹を空かせて学校から帰って来た子供みたいに、がつがつとカレーを食べる。呆然とそれを見つめる花凛に、正司は空になった皿を突き出し言った。



「おかわりっ!!」


 花凛の顔を見た正司が固まる。



「……え? 花凛ちゃん!?」


 花凛は口に手を当て、目からは大粒の涙がぼろぼろと流れ出ていた。慌てる正司を見ながら花凛が思う。



(本当に、本当に食べてくれた。おかわりって、そんなの嬉しすぎだよぉ……)


 涙を見て慌てる正司に、花凛は笑顔で大盛りのご飯とカレーをよそって手渡した。

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