6.花凛ちゃん × 正司さん
チーン!!
翌祝日の朝、正司は電子レンジで温めた
以前は食べものを温めたり柔らかくしたりと変化をつけるための道具だったが、最近はずっと埃をかぶっていた電子レンジ。それが冷めてしまった花凛のチャーハンに温かな命を吹き込んでいく。
「はあ……、いい匂い……」
昨日の失敗から少し学んだ正司は、貰ったチャーハンを全部食べずに今日のために少し取って置いた。こうすれば量は減るがまた食べることができる。
「いただきます。むしゃむしゃむしゃ……、美味いっ!!!!」
こんな贅沢な朝があっていいのだろうか。
ベランダから見えるすっきり晴れた空のように正司の心も清く澄み渡っていた。
正司は朝から感動の渦に浸りながらも、間も無く始まる『町内ごみ拾い』に参加する為に押し入れからジャージを取り出す。着替え終えると部屋のチャイムが鳴った。
ピンポーン
「あ、はいはい!」
急ぎ玄関へ行きドアを開ける。
(わわっ!!!)
そこには同じくジャージ姿の花凛が立っていた。可愛らしいピンク色のジャージ。手には軍手と、そして小さな紙の袋を持っている。
「お、おはようございます……」
なぜか恥ずかしそうに挨拶をする花凛。もうその可愛らしい姿を見るだけ昇天しそうな正司が答える。
「おはよう、渡辺さん」
花凛が言う。
「今日はよろしくお願いします。あと、これ。その、またクッキーを焼いたので、よろしければどうぞ」
正司が心から嬉しそうな顔で言う。
「え? いいの!? やったー!!」
そう言って子供のようになって喜ぶ正司の姿を見て花凛が思う。
(私のクッキーでこんなに喜んでくれるなんて……、ああ、もうダメ、この笑顔をずっと見ていたいよぉ……)
花凛は朝からぎゅっと心臓を掴まるような強烈な刺激を受け早くも倒れそうになる。正司が言う。
「ありがとう! お昼ごはんにするね」
(え? お昼ごはん??)
その言葉の意味が分からない花凛。そんな彼女をよそに正司がスニーカーを履き、準備をする。
「じゃあ、行こうか」
「あ、はい!」
ふたりは一緒に集会所へと向かった。
集会所にはごみ拾いに参加する町内の人が集まっていた。
その多くが中年や家族連れで、花凛のような若い女の子はほとんどいない。可愛いくてピンクのジャージを着た彼女はとても目立ち、ひとりだったら絶対声を掛けられていただろう。だが今日は正司と一緒。周りからはカップルのような目で見られた。
「じゃあ、始めましょうか」
町内会から皆にごみ袋が配られ、近くにある大きな公園へ行ってごみ拾いが始まった。秋晴れの気持ちがいい朝。歩いているだけで気分も良くなる。
「渡辺さんは、大学生なのかな?」
ごみを拾い始めた正司が花凛に尋ねる。隣でごみを拾っていた花凛が少し間を置いて答える。
「あ、はい。そうです……」
その少し困ったような表情。低い声の抑揚。正司はすぐに失礼なことを聞いてしまったのだと理解した。
「ご、ごめん。変なこと聞いちゃったかな……?」
おっさんやっちまったぜ、と正司が反省する。女子大生との会話などもう記憶がないほど昔。会話が成り立つのかと思うほどである。花凛が答える。
「あ、いえ、そんなことはないんです。ただ、『渡辺』って呼ばれるのに慣れてなくて……、あの、もしよければ『花凛』って呼んで貰えませんか?」
「へ?」
(マ、マジか!? 出会ってまだ数日で下の名前で呼べだと!? ど、どういうことだ!?)
戸惑う正司を見て花凛が下から上目遣いで言う。
「イヤ、でしたか……?」
(かかかかかか、可愛いいいいい!!!!!)
「い、嫌じゃないけど、い、いいの本当に!?」
「はい、是非……」
正司が少し考えて小さく言う。
「じゃあ、花凛、さん……」
花凛はちょっとむっとして言う。
「なんか違います、それ……」
「え? じゃ、じゃあ、花凛くん……」
「ダメ」
正司の額に汗が流れる。
「じゃあ、花凛、ちゃん……?」
「はい!!」
花凛がにっこり笑って答える。そして言う。
「私も、橘さんのこと、その……」
「あ、俺、あの、正司って……」
「正司さんって呼んでもいいですか?」
「あ、ああ、うん……」
正司は自分よりずいぶんと若い女の子にどうしてこんなにもドキドキしているのかと、可笑しくてならなかった。
「正司さんは会社員さんなんですか?」
それからもふたりは一緒に公園のごみを拾いながら話を続ける。
「ああ、そうだよ。花凛ちゃんは学生さんだったよね?」
「はい、大学二年です!! あ、あの……、正司さんはあそこでひとり暮らしをされているんですよね?」
花凛がもじもじしながら尋ねる。正司が答える。
「え? ああ、そうだよ」
花凛が顔を赤くして尋ねる。
「あ、あの、正司さんは、その……、単身赴任とかなんですか?」
「単身赴任?」
ちょっと意味が分からない正司が答える。
「違うよ、あそこに住んでいるんだよ」
花凛が言う。
「ずっとおひとりで?」
「うん……」
花凛がくるっと後ろを振り向いて小さく言う。
「そうか、そうか、よしよし!!」
「??」
ピピピピピッ
その時正司の持っていたスマホから着信音が響いた。正司がポケットからスマホを取り出し見る。
(みこ? 何だこんな休みに?)
会社の同僚の
「もしもし? どうしたの?」
会話に気付いた花凛がゆっくりと正司に近付いて聞き耳を立てる。
(え? 女の人の声……)
花凛の心臓がばくばくと鳴る。正司が言う。
「今日? ああ、今日はちょっと忙しいから……、え? まあ、そりゃたまご焼きは食べたいけど……」
(たまご焼き!? 何の話をしているのかしら……)
花凛はその会話を聞きながら意味の分からない話に混乱する。
「うん、とにかく今日はいいから。ああ、じゃあな」
そう言って電話を切る正司。気が付くとすぐ真横に花凛がいる。
「わ、わあ、花凛ちゃん。ごめんね、電話……」
花凛が正司を見つめて尋ねる。
「あの……、彼女さん、ですか?」
(え?)
全く予想外の質問に正司の答えが一瞬遅れる。
「え、あ、いや、違うよ、そんなんじゃなくて、ただの同僚だよ……」
そう言いながらも一度は付き合ったことのあるみこ。すぐにきちんと否定できなかったことに正司は気付かない。
「そうですか……」
それを見て表情が曇る花凛。
(ただの同僚さんじゃないことは間違いないわ。でも、たまご焼きって何だろう……?)
会話が途切れたふたりの耳に、町内会長のゴミ拾い終了を告げる声が聞こえた。正司が言う。
「う~ん、疲れたね!」
「あ、はい。足が痛くなりました」
「うん、たくさん歩いたからね。お腹空いたな~」
(来た!!)
花凛はその言葉を聞き逃さなかった。時刻はお昼前。実はこれを待っていた。花凛が言う。
「あの、宜しければこのまま一緒にお昼、どうですか?」
「え? あ、ああ、そうだね」
正司は嬉しさと同時に「自分でいいのか?」という気持ちになる。
正司が周りを見回すと幾つかの飲食店がある。流れ的にはあそこに一緒に行くのだろうが、正司的には花凛の手料理が食べたい。
(で、でも、そんなことを頼むのはさすがに……)
一回り近く年の離れた花凛。そんな彼女にご飯を作らせるのはさすがにおっさんである正司には気が引ける。しかしそんな正司の不安を、花凛が笑顔で言った言葉が簡単に吹き飛ばした。
「帰りにスーパー寄って材料買いましょうね。正司さん、何が食べたいですか?」
ゴミ袋を持ったまま正司の目頭が熱くなる。嬉しそうにそう言う花凛を見て涙をこらえるのに必死になった。
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