5.君のイヌになりたい
「はあ……」
花凛は部屋に戻って来て、テーブルの上に置いた空になった皿を指でつつっと撫でながらため息をついた。
(私の料理を、食べてくれた……)
未だに信じられないこの現実。誰かに食べて貰うことがこんなに幸せなのだと初めて知った。
――料理が上手なんだね
(きゃっ!!)
正司が口にした言葉が頭の中で何度も再生される。その度に花凛は顔を真っ赤にして放心状態となる。大学で異性からモテる彼女だが、どんな甘いセリフよりも料理を褒められる言葉の方がずっと心に響いた。
しかしそんな彼女にある疑問がわく。
(橘さん、全部食べたって言ってたけど、お皿に盛ったのは少なくとも3人前。こんな短い間に本当に食べたのかしら……?)
そんな花凛の頭にひと口だけ食べそれを吐き出し、そして残りの料理をゴミ箱に捨てる正司の姿が浮かぶ。花凛が首を左右に振って思う、
「そんなことはない。あれだけ笑顔で言ってくれて、決して、そんなことは……」
そう思いつつも自分の頭に浮かんだ正司の最も見たくない姿。もしかしたら自分に近付くために我慢して演技をしていたのかもしれない。
それは大学に入って何度も見てきた男達の姿。どんなに甘い顔で、優しい言葉をかけてくれる男でも、彼女の料理をひと口食べた瞬間に悍ましい顔へと変わる。
(まさか、私の体が目的とか……!?)
花凛はどんどんと色々な妄想を始める。しかしすぐにそれを打ち消して思う。
(そんなことはない。橘さんならきっとそんなことはしない。あの笑顔は本物……)
とは言えちゃんと食べてくれたという確証は何もない。騙されている可能性も捨てきれない。そうなるとすることはひとつ。
――橘さんと一緒にご飯を食べればいいんだわ!!
(だけど、どうやって……)
まだ知り合って間もない男性を部屋に呼んで食事をするというのは、いくらお隣とは言えはしたない女に思われる。
(それにもし橘さんに彼女とかいたら、私がすることって迷惑よね……)
それでもクッキーを食べたあの美味しそうに笑う顔は見たいし、さっきの皿を返してくれた時の言葉『料理上手なんだね』はまた聞きたい。いや、毎日でも聞きたい。
「はあ、どうしたらいいのかな……、ん?」
考える花凛の目に、先ほどドアの郵便受けに入っていた一枚の紙が目につく。それを見て花凛がすぐに思った。
(これだ! これなら自然に近づけるわ!!)
花凛はその紙を手に取り何度も読み返した。
「はあ……」
日曜の朝。
少し寝坊して起きてきた正司は、テーブルの上に置いた半分に切っただけのキャベツの塊を見てため息をついた。
今日の朝食はキャベツに水にビタミン剤。昔はもっと気を遣って色々な食材をかじっていたのだが、年を取るとともに面倒になって自然とこのような手抜き料理となっていった。いや、そもそもこれは『料理』と呼べるものですらない。
正司が昨日の夕方花凛が持って来てくれた料理を思い出す。
「あれは最高だったな。野菜炒めがあんな味をしていたとは夢にも思わなかった……」
何度思い出してもよだれが出るような料理。束の間の幸せだった。
「それにしても俺は本当にアホだ。あんなにたくさんあったんだから、少しぐらい今日に残しておいても良かったのに……、勢いで全部食べちゃってさ。盛りの付いたイヌかよ、俺は……」
正司はそう思いながら机に置いたキャベツの塊をかじる。
「うおぇ……、ああ、不味い……」
それでも生きるため我慢してかじり続ける。最後は無理やり水で流し込んだ。
午前中はネットやサブスクを観てだらだらと過ごした正司。やがてお昼が近付き、また食事の心配をしているとドアのチャイムが鳴った。
ピーンポン
「あ、もしかして!!」
正司が走って玄関に行きドアを開けると、そこには少し恥ずかしそうにする花凛が立っていた。
やや大き目のニットに白くすらっとした足が綺麗に見えるショートパンツ。花凛がまた来てくれたことを喜びつつも、手に料理を持っていないことに少し落胆した。
(何考えてんだ俺。こんな若い子に、飯たかろうとしてるのかよ!!)
いい大人の自分が恥ずかしくなる。花凛が言う。
「あ、あの、ごめんなさい。休みの日に……」
「あ、いいよ。これ返したかったし」
そう言って正司が昨晩渡されたプリンの陶器を手渡す。あれからすぐにしっかりと洗って置いたものだ。そして言う。
「すっごい美味しかったよ!! プリンも作れるなんて凄いんだね!!」
ずきゅん!!
こんなにもストレートに料理を褒められたことのない花凛は、再び放たれた正司の『誉れの弾丸』に心を簡単に撃ち抜かれた。
「ふあわああわああぁ……」
言葉に酔い、心を打ち砕かれた花凛が思わず倒れそうになる。
「え? あ、大丈夫!?」
「あ、だ、大丈夫です……」
倒れる寸前のところでドアにしがみつき転倒を免れた花凛。心配する正司に笑顔で言う。
「あの、これって参加しますか……?」
「え?」
花凛が差し出した一枚の紙。それは町内会で明日の祝日に行われるごみ拾いのことであった。正司が答える。
「ええっと、ちょっと迷っているんだけど……」
特に予定のない明日の祝日。適当に何かして時間を潰そうとしていた正司に、花凛が近付いて言う。
「私、こう言うの好きなんです。誰かのためにしてあげるとか。橘さん、あの、良かったら一緒に参加しませんか?」
「え?」
驚く正司に花凛が言う。
「色々とこの街のことを教えて貰いたいし、それに、あの、橘さんのこともちょっと知りたいかなって……」
下を向き、顔を少し赤くして最後は小さな声で花凛が言う。
(か、可愛いいいいいいい!!!! マジ天使っ!!!!)
気を抜くと心の叫びが口に出そうなぐらい破壊力のあるその笑顔。こんな可愛い誘われ方をして断る男がいるものか。正司が言う。
「お、俺でいいの……?」
花凛は恥ずかしそうに小さく頷く。もはや理性がぶっ飛びそうになった正司が言う。
「わ、分かった。美味しい料理をご馳走になったし、俺で良かったら付き合うよ!」
「本当ですか! やったー!!」
そう言って喜ぶ花凛。正司はその姿を見て心から可愛いと思った。
ぐう~
「あっ!」
不意に鳴る正司のお腹。それをしっかりと聞いた花凛が言う。
「あの~、もしかしてお腹空いているとか??」
今度は正司が恥ずかしそうに答える。
「あ、うん、まあ。これから何かかじろうと思っていたんだけど……」
花凛が笑顔になって言う。
「あの、よろしければさっきお昼に作ったチャーハンがたくさん余っているから、おすそ分けしましょうか?」
正司は花凛以上の笑顔になって言う。
「い、いいの? 食べる、食べる、食べたい!!!」
花凛はそれを見て口に手を当てて微笑む。
正司は花凛の作った美味しいご飯が食べられるならば、イヌでもなんでもなってやると思った。
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