第4話 もう一度鏡の中へ

 気づいた時には僕は脱衣所に座っていた。辺りが暗くなっていないということは、そんなに時間が経っていないのだろう。


 鏡の世界は夕方だったのに……。


「きゃあー!」


 玄関から女性の叫び声が聞こえてきた。急いで玄関に向かうとそこには母がこちらを見ていた。


「健……夕飯に使うはずの黒毛和牛と鍋の蓋を食べたのね!」


 流石に僕でも鍋の蓋を食べることはない。


 だが、鏡の世界で使った道具はそのままでホーンラビットに齧られた鍋の蓋と包丁、そしてプラスチック製のトレイには黒毛和牛肩ロースが一枚だけ乗っていた。


「それよりもあなたいつ帰ってきたのよ? どうかしたの?」


 今気づいたが今日は母の仕事が休みの日だった。部屋の時計を見るとお昼前と時は進んでいる。


 おおよそ鏡の世界にいた時間と同じぐらい経っているだろう。


「ちょっと体調悪かったから帰ってきた」


「病院行かなくても大丈夫? 流石に鍋の蓋を食べたらお腹を壊すわよね。しかも、あなたこれ生肉だったから早く吐き出した方がいいわ」


 母はどうも僕が食べたことにしたいらしい。


 流石にデブだからって鍋の蓋も食べたことないし、生肉を食べる勇気もない。


 僕は重い体を動かし自分の部屋に戻った。





 僕はベッドで横たわっている体を起こした。いつの間にか寝ていたのだろう。


 辺りは暗くなり時間は夜の23時を過ぎている。


 部屋の扉を開けるとそこには母からの手紙が置いてあった。


「少し痩せていたから体調が悪いと思い、元気が出るように豚カツにしました。鍋の蓋と黒毛和牛を食べたことを疑ってごめんね」


 色々と突っ込むところが多いが、やはり鍋の蓋を食べたと思っていたのだろう。


 度を超える天然はむしろ宇宙人のように感じる。


 一度母の頭の中を覗いてみたいぐらいだ。


 それでも僕はキッチンに向かうと、大好物の豚カツが置いてあることに母の温かみを感じた。


 そういえば、昨日唐揚げを食べたのに今日も揚げ物とは……我が家の食生活は大丈夫なのか。


「とりあえず食べ……ん? ちょっとどういうことだ?」


 僕はもう一度手紙を読み返すと、急いで脱衣所に向かった。


 急いで服を脱ぎ、パンツだけになるとゆっくりと体重計に乗る。


「本当に痩せている」


 体重計には2kg減って76kgと記載してあった


 どれだけ食事制限をしても痩せられなかった僕の体重が急に落ちたのだ。だから母は少し痩せたと感じたのだろう。


 たった2kgの変化を感じる母にさすがと言いたい。


 命がけではあったが、もう一度鏡の世界に行けば痩せることができるだろう。ふと、鏡に触れると僕の指は押し返されていた。


「やっぱり夢だったのか?」


 せっかく脱いだ服を着るのがめんどくさくなり、先にお風呂に入ることにした。





「はぁー、痩せたら変わるのかな」


 お風呂から出ると鏡に映った自分の姿に改めてため息が出る。


 この姿が虐められる原因の一つになったのだろう。


 もう一度鏡の世界に入ることができれば……。


 鏡に触れると指先が消え、手が丸ごと鏡の中に入って消えた。


「えっ?」


 さっきまではただの鏡だったが、今はあの時と同様に異世界へと繋がっている。


 その違いは時間が過ぎ、日付を超えているという点だけだ。


 僕は急いで体を拭き、服に着替えると鏡の中に再び手を入れた。


 ここで逃げ出してしまえば自分を変えるチャンスを失ってしまう。


 その気持ちだけが僕の体を動かした。


【キャラクタークリエイトをしてください!】


 鏡の世界に入るとやはり聞こえたのはあの時と同じ声だった。


 そして目の前には同じ半透明の板が浮いている。


――――――――――――――――――――


《ユーザー》

[名前] 駒田健こまだたける

[種族] 人間/男/童貞

[年齢] 17歳

[身長] 156cm

[体重] 76kg

[チン長] 最大5cm


《ステータス》

駒田 健 Lv.2

[能力値] ポイント3

HP体力 10

MP魔力 17

STR物理攻撃力 9

INT魔法攻撃力 0

DEF物理防御力 10

RES魔法防御力 0

DEX器用さ 13

AGI素早さ 7

LUK 0

[固有スキル] キャラクタークリエイト

[スキル] なし


――――――――――――――――――――


 相変わらず僕のコンプレックスを隠す気はないようだ。見るたびに傷を抉ってくる。


 そしてレベルが上がり、新しく3ポイント入っていた。


 前回のポイントの割り振りを考えると、AGIが重要だと感じた。


 ホーンラビットの動きについて行くこともできなかったのだ。


 逆にSTRは包丁であればホーンラビットに刺さっているため、そこまで力は必要ないのだろう。


「ポイントを振るなら体力かな?」


 走った時に感じたのは病気の影響で続かない呼吸だった。


 外玄関から玄関に戻るだけですぐに息が上がり苦しくなってしまう。


 そのため僕はHPとAGIにポイントを振ることにした。



――――――――――――――――――――


《ステータス》

駒田 健 Lv.2

[能力値] ポイント0

HP体力 11 (+1)

MP魔力 17

STR物理攻撃力 9

INT魔法攻撃力 0

DEF物理防御力 10

RES魔法防御力 0

DEX器用さ 13

AGI素早さ 9 (+2)

LUK 0

[固有スキル] キャラクタークリエイト

[スキル] なし


――――――――――――――――――――


 ポイントを振り終えると再び声が流れてきた。


【本日のクエストはホーンラビットの討伐です】


 脳内に聞こえる電子音に安堵の胸を撫で下ろした。だがそれと同時に切り替わった透明の板に危機感を覚えた。


――――――――――――――――――――


【デイリークエスト】

[クエスト名] ホーンラビットの討伐

[討伐数] 10体

[制限時間] 12時間


――――――――――――――――――――


 今度は討伐数が10体になり、制限時間が半分になってしまった。しかも、今の時間帯は真夜中の0時過ぎなのだ。


 急いで窓から外を覗いてみると、外は静かになっており真っ暗だった。そう、何も明かりになる電灯もなく外がおかしいと思うぐらい暗い。


 電気が点いているのは、たぶんこの家だけなんだろう。だから僕は全部の部屋の電気をつけることにした。


 部屋をひっそり開けて覗いてみるが、家の中には誰もいない。


 妹や両親の寝室、そして僕の部屋やリビングや玄関。


 至る所の電気をつけられるだけつけたが、家の中には僕しかいない。


 どこか孤独な世界に残されたようだ。


 僕が玄関から外を覗くと、やはり今回の討伐対象であるホーンラビットが彷徨っている。


 なぜか全てふらふらとしながら、この家に近づいてきているのだ。


 そんなことを思っていると、電気が少しずつ消えていく。


 それに合わせてホーンラビットは、活発さを取り戻していた。


 気づいた時には再び電気が消える。


 時間差の問題なのか、それとも何かが影響しているのだろうか。ただ、電気が点いている時はホーンラビットが弱っていた。


 体力がない僕が奴らを狙うチャンスはその時だ。


 どうすればいいのか分かればあとは簡単。だが、再び電気を点けに行くが、妹の部屋と両親の寝室はすぐに消えてしまう。


 その後リビング、キッチン、玄関と消えて結局は僕の部屋以外は真っ暗となる。


「ひょっとして家族の誰かが電気を消しているのか?」


 鏡の中の世界は現実世界と同等の事が起きていた。


 それを踏まえると現実世界でも、勝手に点いた電気を誰かが消しているのだろう。


 その考えが合っていれば、今頃家族は心霊現象に遭っていると思っているはずだ。


 僕は電気が消える前に、急いで玄関から勢いよく飛び出した。


【現実世界の物は持ち運ぶ事ができません】


 突然、脳内に聞こえた言葉に僕の足は立ち止まった。


 "現実世界の物は持ち運ぶ事ができません"ということは、包丁や鍋の蓋。


 そして一番大事な食糧を外に持ち出す事ができないのだ。


 腹が減っては戦はできぬと言うぐらいだからな。


 そして、包丁が無ければ素手でホーンラビットを倒せと言われているのと同じだった。


 流石に僕の握力では、ホーンラビットを倒すことはできないだろう。


 あの飛びかかってくる恐ろしい生物を素手で掴んで、息の根を止める事はさすがにできない。


 何か格闘技をやっている人ぐらいしか無理だ。


 僕は再び玄関から部屋に戻ろうとすると、下駄箱の上に何かが置いてあることに気づいた。


 それを手に持つと脳内に声が聞こえてきた。


【ホーンラビットのトングを装備しますか?】


 見た目はトングのような形をしているが、先にはホーンラビットの角が付いている。


 トングは料理を取り分けたり掴むために使う物だ。


 その先端が尖った角になってしまったら、何も掴む事ができないだろう。


 そして今まで持ち出せた物が、なぜ何も持ち出せなくなったのか。


 ふと頭に浮かんだのはチュートリアルという言葉だった。


 今は手にホーンラビットのトングという武器もどきを持っている。


 可能性としては、武器がなかった前回はチュートリアルとして持ち出せたということだろう。


「でもこれって武器になるのか?」


 掴むことはできないが、先端が尖った鋭利なトングのため、ホーンラビットの体に刺すことができれば倒せるはずだ。


 そうなれば後は電気の確保だけだった。


「スマホを……あっ、外にライトを向ければいいのか」


 僕は部屋からスマホを取りに戻ると、そのまま窓際に置いた。


 玄関から一番近い部屋の窓へ玄関から向かうには、時間がかかってしまう。


 その間に真っ暗なところから見つかってしまえば僕は殺されるだろう。


 そのため外に向けてライトを当てるのではなく、玄関に向けるように角度をつけることで、玄関から隣の部屋までの間にホーンラビットが集まるのだ。


 ガラス越しだがスマホの光で外を照らすことで、ホーンラビットが思ったように集まってきた。


 どのホーンラビットもふらふらとしている。


 実際にやってみるとその作戦は正解だった。


 玄関を開けたすぐ目の前には、ホーンラビットが数匹集まっていた。


「数匹ならいけるのか?」


 体力的には問題が山積みだが、目の前のホーンラビットなら倒せるだろう。


 すぐに家に戻ればなぜか奴らは襲ってこないからな。


 僕は謎の武器であるトングを持って外に飛び出した。


 これが終われば痩せる。


 僕の頭の中は痩せることしか考えていなかった。

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