第3話 デイリークエスト
「あいつなんなんだ! どこがホーンラビットなんだよ!」
僕は目の前にある鍋の蓋にホーンラビットの恐ろしさを感じた。
見事にステンレス製の鍋の蓋が一瞬にして半分程度消えたのだ。
角で突くのなら見た目からしてわかる。それがまさか齧ってくるとは思いもしなかった。
今でも玄関の外ではガシガシと歯を鳴らしている。だが、幸運なことが一つだけあった。
「あの顔なら殺せそうだ」
ホーンラビットがこっちを見た時は可愛かった。
目がキュルルンとしてまだ見たこともない可愛い顔をしていたのだ。
それが地面を蹴って、噛みついてきた途端に顔が変わった。可愛さのかけらも残っていなかったのだ。
僕の視界の縁では少しずつ、制限時間が進んでいる。
それなのに部屋の時計は巻き戻っている。
全てが反転している世界なら向こうの時間もゆっくりと経過しているのかもしれない。
あいつを倒さなければ元の世界には帰ることができない。
そもそもクエストをクリアできなかった時にどうなるのかもわからない。
ひょっとしたらこのまま鏡の中に閉じ込められる可能性もある。どうすればいいのか考えていると、外は静かになった。
きっと離れたところに移動したのだろう。
僕が再び玄関の扉を開けると、やはりホーンラビットは外で待っていた。待っていたがそういう展開は誰も望んでいない。
「なんで二体に増えているんだよ!」
なぜかホーンラビットは二体に増えていた。
僕の存在に気づいたホーンラビットは、チラリとこちらを見て、再び歯をガシガシと鳴らしている。
このままでは二体とも飛び込んで来てしまうと思い、玄関の扉を閉めた。
流石に二体になってしまうと倒せなくなってしまう。
「ウサギの好きなものって人参だったか?」
僕は記憶を頼りに野菜室から人参を取り出した。
ちょうど冷蔵庫に入っていたので、母親に感謝するしかない。
人参を片手に玄関の扉を開けると、やはりホーンラビットは二体待機していた。
「これでも食べろ!」
人参をホーンラビットに向けて大きな放物線を描くように投げた。これなら人参に気が向いて……。
「えっ……」
ホーンラビットは人参を後ろ足で蹴ると、勢いよく扉に向かって返ってきた。
正確に言えば、勢いよく返ってきて壁に人参が埋もれている。僕は勢いよく扉を閉めて手を合わせた。
人参様ご愁傷様です。
あなたを食べなかったのは決して僕のせいではなく、ホーンラビットのせいです。
どうやら人参で誘導作戦は失敗のようだ。
そして、よく見るとその隣には齧られた部分であろう鍋の蓋の一部が吐き出されていた。
「あいつらって何を食べるんだ?」
ホーンラビットの動きからして、反応していたのは僕のはずだ。
僕は一つの賭けをすることにした。再び冷蔵庫に向かって取り出したのはあれだ。
「国産黒毛和牛肩ロース!」
あいつらに食わせるのが勿体無いほどのしゃぶしゃぶ用の肉が冷蔵庫に入っていた。
単に冷蔵庫の中に入っている肉がこれしかなかったのだ。僕は肉と包丁を片手に玄関へ戻った。
流石に素手では腕が無くなる可能性高いと思い、ちゃんとトングも忘れずに持っている。
「ほら、肉だぞー!」
トングで掴んだ肉をゆっくりと扉の隙間から出した。すると歯がガシガシとなる音と共に肉が消えたのだ。
次第に歯を鳴らす音ではなく、咀嚼音が外から聞こえている。
明らかにホーンラビットは肉食の獣だった。今度も同様に肉を隙間から差し出す。
そのタイミングで同時に反対の手で包丁を突き出した。
『キャン!』
明らかに高い声とともに手に何か重い感触を感じた。それと同時に脳内に声が聞こえてきた。
【デイリークエストをクリアしました】
「やった――」
僕は嬉しさのあまり忘れていた。
ホーンラビットがもう一体いたことを……。
急いで扉を閉めると血飛沫が扉に飛んでいた。
仲間だと思っていたホーンラビットが共食いをしていたのだ。
見た目を遥かに超える獰猛さに、ウサギではない違う生物に感じた。
しばらく待っていると音は次第に収まった。
きっといなくなったと思い、確認するとやつはまだこちらを見て歯を鳴らしていた。
ここで止めるべきなのか、それとも倒して外がどんな状況になっているのか、確認するべきなのか僕は迷った。
「よし、あいつも倒すか!」
僕はもう一体のホーンラビットも倒すことにした。
作戦はさっきと同様、"黒毛和牛肩ロース100g1000円(お値打ちシール付き)作戦"だ。
「おーい、こっち――」
トングを出した瞬間に黒毛和牛肩ロースは無くなっていた。
ホーンラビットは仲間を共食いしても、まだ足りないのだろう。
手元にはあと三枚しか残っていない、黒毛和牛を再び出すタイミングで包丁を突き刺した。
しかし、包丁は空気に突き刺さりタイミングが合わないのか肉だけ取られてしまう。
手元の肉の枚数はあと二枚。
「チャンスは二回か……」
そこであることを思いついた。
包丁を先に出したらどうなるか。思いつきだが出した瞬間に、反応しているなら可能性はあった。
僕は扉を開けるタイミングで包丁を突き出した。
『キャン!』
思いつきの想定が見事に当たった瞬間だった。
まだ生きているのか歯をガシガシと鳴らしている音が聞こえてきた。
次で仕留めないと僕の食べる肉がなくなってしまう。
だからこそここで仕留めたい。今度はトングを出すタイミングで包丁を突き刺した。
『キャアアアン!』
さっきよりも大きく鳴いたことで、ホーンラビットが死んだことを感じ取った。
恐る恐る玄関の扉を開けると、そこにはホーンラビットが血を流して倒れていた。
その隣には骨だけ残っている遺体が横たわっている。
「中々えげつないな」
どうやらホーンラビットは仲間が死んだら共食いをする個体で間違いないらしい。
そのまま庭に出ると辺りに人気はなく、外は夕暮れ時だった。そして、外にいるのはホーンラビットだけだった。
そう、ホーンラビットが外にはたくさんいたのだ。
周囲からガシガシと鳴る音が、死んだホーンラビットを狙っているのだろうと感じた。
遺体を囲むように何匹もホーンラビットが寄り集まっている。
体の向きを変えると全速力で家の中に入った。
仲間を食べていたからこそ、気づかれずに家に入ることができたのだ。
「鏡の世界は恐ろしいわ」
家に帰った僕はその場でゆっくりと腰掛けた。
久々に急いで走ったため、息苦しさが襲ってくる。
元々昔の病気の影響もあるが、HPの低さも関係しているのだろうか。
だが命掛けで外に出てわかったことは、外にはホーンラビットの群れがいるということを知った。
息を必死に落ち着かせると、僕は鏡の前に向かった。
さっき聞こえた声はクエストのクリア報告が流れたのだ。
恐る恐る鏡に触れるとやはり指先は消えていた。
きっと元の世界に帰ることができるのだろう。
安堵する気持ちとともに帰りたくないという思いが胸の中で入り乱れている。
【デイリークエストクリアに伴いステータスポイントがユーザーに反映されます。身長+1cm増加、体重-2kg減少しました】
「えっ?」
【チュートリアル報酬としてホーンラビットのトングを手に入れた】
僕は気づいたら引き込まれるように現実世界に戻っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます