第9話 反撃
多分、敵は俺を捕捉できていない。
俺が運転する車の音、それと足音か何かで感知しているはずだ。
電子機器の類は使っていない。使っていたらもう俺がいることはバレている。
ワゴン車は、駐車場の吹き抜けを一望できる場所に陣取っていた。水滴が続いている。そしておそらくだが、あのボディは、温かい。
どう手を打つか。スロープの斜面、ガードレールに身を隠しながら思案する。ここから一気に距離を詰めるのは……バレたら終わりだな。となると、他に手は……。
それから浮かんだ奇妙な策に、俺は思わず笑ってしまいそうになった。しかしすぐに、別に悪い手ではないなと思い至る。実行するには……再び吹き抜けの方に目をやる。
俺はポケットから予備の弾倉を取り出すと、口に咥え、吹き抜けの方に向かった。ガードレールを乗り越え、吹き抜けの縁を慎重に歩く。中腰。ガードレールに身を隠す。とんでもなく危なっかしい恰好で、少しでもバランスを崩せば地面まで真っ逆さまという状況だったが……しかし俺の心は落ち着いていた。獲物を狩る猫のような足取りで、ゆっくりとワゴン車に近づく。
ある程度のところまで辿り着くと、俺は口に咥えていた弾倉を、思いっきり遠くに放った。少しの間を置いて、鉄の塊を詰めた物体がコンクリートにぶつかる大きな音が聞こえてきた。ガードレールの向こうのワゴンに動きがあった。それは僅かな振動だったが、俺の耳には大きく聞こえた。
すぐさま、ガードレールから姿を現し立て続けにワゴン車に発砲した。
鉄の板を弾丸が貫通する軽快な音。そしてくぐもった声が聞こえてきた。俺は続けざまにワゴン車の窓に弾丸を撃ち込むと、拳銃を車内に向け、それから「出てこい! 今すぐ出てこい! 両手を見せろ!」と叫んだ。一瞬の間があって、窓の向こうに、ぬらりと男の、腕が見えた。
*
俺が銃を向けた前で。
ワゴン車から男が姿を現した。そいつはどさっと、砂袋でも放るように体を放り出すと、そのまま車の横に座り込んだ。脹脛を銃弾が抉っていた。俺はそいつに向かってつぶやいた。
「久しぶりだな、ジェームズ」
座り込んだ男が笑った。
「久しぶりだな、ハーバード」
ちらりと車内に目をやった。ワルサーのWA200が、リクライニングされた座席の上に鎮座していた。
近くにはいくつかの薬莢。銃口の先にある後部ドアには、灯油缶程度の、五十センチ四方くらいの穴が開いていた。俺は鼻から息を吐いた。俺の考えた通り、こいつはあそこから銃身を出し、狙いをつけていたのだ。
考えてみれば簡単なことだった。車の中から狙撃したのだ。放出される薬莢や火薬のカスは車内に落ち、車が移動すれば一緒に残骸も移動する。地面には何も残らない。これが、見えない狙撃手の正体。
「よく考えたよ」
俺はジェームズを讃えた。
「知能を強化されただけはある」
「戦闘力が足らなかったな」
座り込んだジェームズは自虐的に笑った。
「初手で仕留められなかった時点で負けだった」
「そうかもな」
俺はグロックを突きつけたまま肩をすくめた。
「惜しいところだった」
「防弾チョッキを着ている。念の為だ」
ジェームズがちらりと鎖骨の辺りを見せた。
「頭を撃てよ。楽に殺してくれ」
「どうしてこんなことをした」
俺がジェームズの願いを無視して訊ねると、奴は笑った。
「復讐だよ」
「トーマスのか」
「他に何があるんだよ」
煙草、あるか。
ジェームズにそう訊かれ俺は首を横に振った。俺たちデザイナーチャイルドは国家の道具だから健康状態を管理されている。煙草なんてものは吸わせてもらえない。しかしジェームズは一度国家から逃走した身だった。きっと煙草の味も、知っているんだろうな。旨いのだろうか。
「ま、ねぇよな」
ジェームズの苦笑を俺は黙って見ていた。
彼の力ない姿に、俺はトーマスの姿を重ね、奴を仕留めた時のことを思い出す。
銃弾に倒れたトーマスは、ジェームズに向かって何事か囁いていた。手当をすればまだ逃走できたかもしれない自分を放っておいて、ジェームズに、何事か。
俺は今更になって、その内容が分かった気がした。だから、口を開いた。ジェームズが哀れな目つきを俺に向けた。
「なぁ、俺は分かったことがあるんだが」
ジェームズは黙っていた。
「トーマスが死に際に、お前に言った言葉だ」
奴の目が、一瞬揺らいだ。
「『俺の分も生きてくれ』」
ジェームズが目線を落とした。
「そう、言ったんじゃないか」
「……黙れ」
この時初めてジェームズが激昂した。
「黙れ、黙れ、黙れ、黙れ」
叫んだジェームズに、俺は向けていた銃を下ろした。それから告げた。
「なぁ」
ジェームズは地面を見つめていた。
「これが単なる自己満足なのは、承知の上なんだが……」
俺はいよいよ銃を腰の辺りにぶら下げた。
「あの時、お前の弟を撃って本当に悪かった」
するとジェームズがかっと目を剝いて俺を睨んだ。
「俺が許すとでも?」
俺は答えた。
「ああ、いいんだ。許さなくて。ただ、俺は罪を認めたかっただけなんだ。今、そこでぶら下がってる……」
俺は吹き抜けの方を顎でしゃくって示した。
「ジェシカが教えてくれた。考え方を変えれば過去は変わる。俺が……俺たちがどんな業を背負って生まれたのか、何のために作られたのか、そうした過去は、考え方を変えれば明るくなる。俺も考え方を変えたい。お前も変えろとは言わないが、せめて、俺に、謝らせてくれ」
悪かった。俺が静かにまた繰り返すと、ジェームズが獣のように咆哮しながら涙した。俺はそれを見つめていた。
それからしばらくして、モニークが手配した軍用ヘリが空を覆い隠した。ジェームズは連行されていった。俺は空に浮かんだ城みたいなヘリを見て、思った。えらい仕事だったな、と……。
*
ジェシカも救急車で運ばれ、病院で治療を受けた。薬物を使って意識を飛ばされていただけで、残りはホースによる擦過傷がいくつか、それ以外はぴんぴんして彼女は病院から出てきた。彼女はいきなり俺に告げた。
「あなたが助けてくれたの?」
まぁ……と俺が言葉を濁すと、ジェシカが俺に抱きついてきた。
「ありがとう! おかげで命が助かったわ!」
複雑な心境だった。俺は彼女を救うためにまた一人、デザイナーチャイルドを見捨てた。その事実が心に突き刺さったまま抜けなかった。すると俺の表情から察したのか、ジェシカがどうしたの? と訊いてきた。俺は素直に……珍しいだろ、俺が素直に……話した。ジェシカが深刻な顔になった。
「それは、辛かったわね」
ひどく軽い言葉だったが、俺の心には染みた。俺は笑った。
「まぁ、作られた命だ」
自虐的な言葉だった。
「フラスコの中から、逃げられなかったってわけだ」
「ううん、そんなことない」
ジェシカはいきなり俺の言葉を強く否定してきた。俺は少し目線を上げてジェシカを見た。
「確かに過去は変えられない。でも、考え方を変えたり、未来を切り開くことはできる」
ジェシカが手を差し伸べてきた。俺はそれを見ていた。
「私と一緒に、未来を変えよう! デザイナーチャイルドが明るく生きられるようにするの。そうすれば、きっとトーマスやジェームズのような人も……」
「綺麗事だな」
俺は静かに笑った。それから告げた。
「でも、綺麗事っていうのもいいもんだな」
ジェシカの手をしっかり取った。彼女は俺を引っ張り上げた。
*
後日。
ジェシカの手によってデザイナーチャイルド保護解放法案の成立が推し進められた。それが達成されるまでかなり時間がかかったが、しかし確かな足取りで現実となった。ジェシカの求心力は凄まじかった。先日の事件の話もあり、国民の関心も高まっていた。
やがてデザイナーチャイルドにも人権が与えられるようになると、俺は「7th」を脱退して一人の民間人となった。民間人には職がいる。俺は慣れた職場に向かう毎日を送った。
ボートハウス。全ての始祖が働くオフィス。
ジェシカの秘書として俺は働くことにした。銃も戦闘もない仕事で、退屈と言えば退屈だったが、悪くなかった。
俺は煙草を吸うようになった。行き帰りの車の中、窓から吐く煙は何だか心地よかった。
俺の分も生きてくれ。
煙がそう言って散っていくように、俺には見えた。
了
『ジェームズ、俺の分まで生きてくれ』 亜未田久志 @abky-6102
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