第4話 ジェシカ
ジェシカは希望の女だった。そうさ。いつだって明るかった。
彼女を護衛して思ったことはそれだ。希望の象徴。それは、俺たちデザイナーチャイルドにとって、という意味でもそうだし、合衆国民にとっても、という意味もあった。
何せこの国の人間は「自由」だとか「解放」だとかいう言葉に弱い。奴隷解放、開拓者精神、そういうのに励まされて生きてきた国民だからとにかくリバティに弱い。そしてジェシカは、現在の合衆国政府において「自由」の象徴だった。彼女の押し出した政策は、ざっくり以下だ。
デザイナーチャイルド解放法案。
俺たちデザイナーチャイルドは、基本的には国の所有物で自由がない。ジェシカは例外だがその後のモデルについては国家の奴隷、モノとして扱われる。
このことに異議を唱える人間は多い。
人なら自由であるべきだ。そう考える国民が一定数いる。
ただ俺たちからするとそうやって争いの火種を作られると俺たち自身の命が危うくなるわけで、平たく言えばありがた迷惑だった。命の自由。何だそれ。
俺たちはそういう連中に哀れまれていた。そういう自覚があった。そのことがちょっと、ムカつくと言えばムカつくが、俺の同僚には「命の自由主義」を支持する人間も多かった。俺たちを自由に。そういう連中もいる。
ジェシカはその自由を勝ち取ろうと動く人間だった。
彼女は事あるごとに俺に訊いてきた。もし、自由になれたら何がしたい? 好きなことを目いっぱいできるとしたら? あなたの夢は?
中でも俺にとって決定的な思い出は、俺がランチにサンドイッチを買おうとして、デザイナーチャイルドに対して批判的な客……作られた命を蔑視するタイプの人間に絡まれた時のことだった。俺たちデザイナーチャイルドは国の所有物であることを認知させるために手の甲にちょっとしたタトゥーが入っている。それを見とがめられたのだ。客は叫んだ。
「おい、汚れた命がいるぞ」
汚れた命。作られた命。そう、俺たちを揶揄する人間は一定数いる。
それでも、俺たちにとってそれは「フラスコの中の命」という言葉よりは程度の低い差別用語だったので、俺は気にせずサンドイッチを買おうとした。しかしその客が、サンドイッチを受け取ろうとした俺の手を払った。サンドイッチは地面に落ちた。べしゃりと哀れな音がした。
「ほら、食いたきゃ拾え」
客はなじった。
「ほら」
客は俺のサンドイッチを踏んだ。
あーあ、また買わなきゃいけねぇ。そう思って財布を取り出そうとしたその時、誰かが俺の背後からカツカツと近づいてきた。足音からハイヒール、つまり女だとは分かったがそれがジェシカだとは思わなかった。ジェシカは客の顔面をいきなりぶっ叩いた。
「あんたが食いなさい」
客は呆然とした。通りすがりの女に殴られるとは思わなかったのだろう。
「ほら! あんたが食いなさい!」
地面にへばりついたサンドイッチだったものを示しジェシカが強く言った。「な、何だよ……」客はすごすごと退散した。頬を押さえて。可哀想な見た目で。
「もう一個ちょうだい」
ジェシカは財布から札を取り出していた。
「うんと美味しいやつ!」
「はいよ」
店長は何故か嬉しそうだった。
「俺の商品をあんな風に扱う奴にはあれくらいハッキリ言ってもらわないとね」
そういうわけで俺は三グレードくらいアップしたサンドイッチを持って、ジェシカのオフィスに行った。そこでジェシカに説教された。
「あんな場面でやられっぱなしじゃ、ボディガードなんて言えないわ」
「あのなぁ、俺は俺の身に起きたことについては不問にされる人種なんだ。あれくらいのことで怒っていちゃ……」
「怒るわよ!」
ジェシカは叫んだ。
「あなたは人間よ! 自由で、尊厳を保たれるべきよ!」
自由で、尊厳を。
そんなこと、考えたこともなかった。
「とにかく、今後あのような人間に会ったら強く対応して」
強く対応、ね。
「サンドイッチを食べたら私とお茶しなさい! これは命令です」
「おいおい、お茶って、俺は護衛で……」
「いいの!」
ジェシカは強い目で俺を見た。
「あなたも自由を満喫しなさい!」
そういうわけで俺はジェシカの部屋で茶をしばくことになった。ジェシカは茶菓子を準備して俺を待っていた。用意周到なことだ。
「自由の味よ」
彼女は楽しそうだった。
「たっぷり楽しんで!」
たっぷり、か。
しかし俺はそういうわけにはいかなかった。俺の手は汚れていた。そう、そうだ。俺はトーマスから自由を、命を、奪っていた。そのことをジェシカに話そうと思った。
「俺は一人の人間から、自由を奪っている」
「どういうこと?」
ジェシカはカップを持ったまま訊いてきた。
「俺と……あんたと同じデザイナーチャイルドを一人、殺している」
ジェシカが息を吞んだ。カップの水面が震えている。俺は続けた。
「そいつには大切な人がいた。俺はそいつらを引き裂いた」
ジェシカの目線が顔に刺さった。
「あの時の俺に、『どうせデザイナーチャイルドだから』という気持ちがあったことを否定はできない。どうせデザイナーチャイルドだから、殺しても、平気だ。だってそういう設計なのだから。そう思っていたことを、否定はできない」
俺はカップを置いた。しかしジェシカは食い下がった。
「だから何だっていうの」
俺がため息をついても、彼女はまだ食い下がってきた。
「きっとその人も他の人の自由を奪っていたんだわ」
決めつけだった。少なくとも俺はトーマスが誰かの自由を奪ったところを見てはいない。
俺は返した。
「自由を奪った人間は自由になっちゃいけない」
俺の言葉にジェシカは黙った。さっきはあんなに強気に出ていた女が、しゅんと萎れる様は何だか見ごたえがあったが、しかし馬鹿馬鹿しかった。俺は馬鹿だった。
「俺は自由になれない。なっちゃいけない」
そう告げて彼女のオフィスを出た。
階段を下りて、一階の秘書がいる辺りを通過する頃には、何故か俺の手は震えていた。こんな風になったのは、多分トーマスを殺した時以来だ。あの時を思い出したからこうなったんだ。
それから俺は自分の車……政府から出されているやつだが……に乗ると一息ついた。ホルスターから銃を取り出して、分解してパーツを磨いた。そして思った。
俺は必要な時に、命を投げ出せるようじゃないといけない。
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