私は女の子が好きだった

西影

想い

 大きくなったら大学を卒業して、いい人と出逢えば結婚して、”普通”の家庭を築いて。両親を見ていた私は、将来そんな風になるのかなって漠然と思っていた。


 だけど私は一生、自分の心と向き合わなければならない。二人の影が重なった教室で、私はそんな現実を思い知らされた。


 ***


 今思えば、その片鱗は小学生の頃にあったと思う。お泊り会の夜。私は幼馴染の愛美まなみが話す恋話こいばなを聞いていた。


「それでね、高橋たかはしくんが体育のバスケで活躍してて……」


 楽しそうに話す愛美まなみに適当な相槌を打つ。正直、私は恋というものがよくわからない。愛美まなみが好きな高橋たかはしくん。スポーツが得意で、他の女子も彼のことが好きだと聞いたことがある。


 それでも私は彼を魅力的に思えない。彼よりも私は愛美まなみのほうが好きだった。いつも天真爛漫な笑顔を振りまき、誰にでも優しい人は探してもまずいないだろう。


「あたしの話はこれでおしまい。それで、カレンの好きな男の子は? 最近仲のいい山本やまもとくんとかどう?」


 気付けば話が私に向けられていた。どう返事をすればいいかわからず、素直に答える。


山本やまもとくんはただの友達だよ」

「えー。あんなに仲良さそうでお似合いなのに。ホントは気になってたりするんじゃないの〜? 正直に言わない子は……」

「だから好きじゃないって言って、あ、ちょ、くすぐった……あはははは!」


 愛美まなみじゃれ付きから逃げるように体をよじる。それでも脇をくすぐる手は止まってくれない。笑わされ続けてつらかったけど、やっぱり愛美まなみが好きなんだと再認識した。


 そんな生活が終わりを迎えたのは中学二年の春。家庭科の授業でビデオを見ていたときのことだった。私はそこでLGBTQを学んだ。出演している少女は同性が好きなレズビアン。そんな彼女が幼馴染に対して好意を隠すべきか葛藤するお話。


 今まで恋に馴染みがなかった私には興味深いものだった。


 ふとした時に会いたくなる。誰かといても寂しさを感じてしまう。好きなものは共有したい。一緒にいるだけで楽しい。


 あれ、この気持ちって……。


 離れた席にいる愛美まなみが視界に映る。その後ろ姿が妙に麗しく、心臓が早鐘を打ち付けた。顔から火が点いたように熱くなる。恋愛ドラマを見ても湧かなかった、恋心に対する親近感。男性を見ても微塵も意識しなかった原因。その正体の謎がついに見つかった。


 私、ずっと恋をしてたんだ。


 早くこの気持ちを伝えたい。好きって感情を表現したい。もっと愛美まなみに甘えたい。もっと……。


「──同性が好きになるって明らかにおかしいだろ」


 授業終わり。それは誰が、どこから言ったのかわからない。それでも鮮明に聞こえてきた。


「体と心の性別が違うって気持ち悪すぎ」

「わたし、”普通”じゃない人とは友達になれないな」

「意味分からん。全員”普通”の恋愛してろっての」


 そこかしこで溢れる否定。私に直接投げられている言葉じゃないのに、胸が苦しくなる。心臓に針が刺されたような鋭い痛み。遠回しに「私の居場所はないんだぞ」と言われているような気がした。


 愛美まなみも近くの席の友達と何かを話してる。愛美まなみも私のこと、気持ち悪いって思ってるのかな?


 火照った体が次第に冷えていく。


花恋かれんは感想文書けた? こんなの”普通”の人じゃ書けないよね」


 つい一時限前の休み時間に雑談した異性女の子。隣にいるはずなのに、やけに遠く感じる。共通の趣味で縮まった仲が急に離れていく。


 いや、そもそも離れていない。これは私の勘違い。私たちはずっとこの距離で話していたんだ。今ならビデオの葛藤がよくわかる。フィクションだから周囲の反応を大袈裟にしたんじゃない。現実の問題だからこそ映されたんだ。


「あはは、でも授業だから埋めないとダメだよ」


 なんとか作り笑いをして平静を装う。


 どうして私は”普通”じゃないんだろう。どうして私はこんなに気持ち悪いんだろう。だって同性女の子を愛するなんておかしいじゃない。クラスや部活で仲良くなった人は全員、異性男の子恋話こいばなで盛り上がってるのに。


 私だけが、みんなと違っていた。


「カレン大丈夫? 今日はずっと上の空じゃない?」

「だ、大丈夫だから気にしないで」


 その日の昼休みは愛美まなみに手を握ってくれた。でも話せない。私はみんなと違うから。異質だから。気持ち悪いから。特に愛美まなみには離れられたくない……今の関係を壊したくないから。


 愛美まなみに手の温もりが嬉しいと思う自分に嫌気が差した。


 そんなある日の放課後。三年生になった私が愛美まなみと茜色に染め上げられた帰路に就いていた時だった。


「あたし、好きな人ができたんだ」


 愛美まなみの頬が赤く見えたのは、夕日だけのせいではないだろう。


「塾が一緒なんだけど、優しくて面白い人なんだ。志望校も同じでね。二人とも合格したら告白しようと思ってる」

「そう……なんだ」


 いつか、こんな日が来ると思っていた。


 愛美まなみは私と違って”普通”の女の子。当然”普通”に異性男の子に恋をして、結婚もして、幸せな家庭を築き上げるだろう。


 隣で揺れる黒髪。僅かに触れそうで触れない白い腕。この数センチに満たない距離が一生埋まらないのだと再認識させられて……私は地面に映る二人の影に視線を落とす。伸びた影が重なる先を独り静かに眺めていた。






「気付けば好きになってた。今年は三年で受験で忙しいと思うけど、良かったら付き合ってほしい」


 それは愛美まなみの告白から数日前の出来事だった。その日私は仲の良い異性男の子からのプロポーズを受けていた。当然、呼ばれた理由を知らなかった私は酷く狼狽えていたと思う。


 けれど、一つだけ確信していることはあった。私は友達として彼が好きだ。多分、異性男の子の中で一番。でも恋愛の好きではない。この気持ちは告白されても変わらない。それでも彼が恋人なら、きっと楽しいだろう。何でもない話に花を咲かせ、馬鹿なことして、一緒に勉強して。


 好きになれるかわからないけど、この告白に応じれば私は”普通”になれる。


 ずっと憧れていた”普通”に……。


「どうして、私を好きだと思ったの?」


 言葉が零れていた。彼は一瞬悩んだのちに虚空へ視線を向ける。


「ずっと傍にいたいと思った。手を繋ぎたいと思った。……デートとか、その先もしたいと思った」


 独りごちるようにゆっくりと、静かに、照れ臭そうに紡がれる。


「言葉にしないと伝わらないと思ったんだ。花恋かれんを好きだと思った理由、分かかってもらえたかな」


 不安そうに尋ねられるので私は静かに首を縦に振った。


「うん、わかった。わかったけど……」


 決心が付かず目を逸らす。


「少しだけ待ってもらっていいかな」


 そう、私は最後に躊躇ってしまった。付き合っても良かったはずだ。どうせ愛美まなみとは付き合えない。それでも……


『ずっと傍にいたいと思った』

 美しい黒髪の少女が浮かんだ。

『手を繋ぎたいと思った』

 少女の白い、華奢な腕が浮かんだ。

『デートとか、その先もしたいと思った』

 私服姿の少女とその笑顔が浮かんだ。


 どれだけ彼を想おうとしても、私の脳裏には愛美まなみしか浮かばない。どれだけ異性男の子を想おうとしても、望みのない同性女の子を想ってしまった。


 だから私は。


「ごめんなさい」


 翌日の放課後、告白を断った。


 愛情を愛情で返せなくてごめんなさい。


 あなたが好きなのに、好きになれなくてごめんなさい。


 ”普通”なあなたの心を”普通”でない私が奪ってごめんなさい。


 ”普通じゃなくてごめんなさい。


 たくさんある想いを一つの『ごめんなさい』に注ぎ込む。


「俺の、何が悪かったかな……」


 震えながらも、それを必死に隠すように尋ねられた。私は静かに首を横に振る。


「何も悪くない。一番仲のいい男友達だし、君が恋人なら楽しいと思う」

「じゃあ、なんで……」


 胸が痛んだ。わかってあげられない恋心。”普通”でない私では幸せにできない想い。胸が引き裂かれたように苦しくなる。


「これは、私の問題だから。”普通”じゃない私なんかより、もっと可愛らしい”普通”の異性おんなのこを愛してあげて」


 私もそろそろ決心するべきだ。彼のように、この気持ちを伝える決心を。


 ***


 卒業式が終わり、中学最後のホームルームはあっけなく終了した。先生はいつの間にか姿を消しており、残っていた数人の生徒も教室を去る。


 最後に残ったのは私と愛美まなみだけだった。


「それで話って?」

「……愛美まなみは志望校に合格したんだよね」

「うん。塾の子も受かったの聞いて、この前告白したとこ」

「どう……だった?」


 必死に震えを抑えたせいで小さな声しか出せない。それでも静寂に満ちた教室では聞き取るに十分すぎたようだ。


「成功したよ」


 瞬間、一縷の希望の糸が切れる音がした。せき止めていた熱いものが目に込み上げてくる。せめて顔は見られないように下を向く。


「おめでと」

「あはは。照れくさいって……カレン泣いてる?」


 愛美まなみの甘い言葉で、より涙が溢れだす。


「えっと、大丈夫! 彼氏ができても、高校が違ってもまた会えるし、カレンとは遊べるよ!」


 私の不安を取り除くために愛美まなみが笑顔を浮かべる。しかし彼女は私の涙の理由を知らない。言葉にしないと決して伝わらない。


「聞いて、愛美まなみ。私ね、私……」


 だから私は覚悟を決める。卒業を機に告げると決めたんだから。


「私は──女の子が好きなの。ずっと、愛美まなみのこと好きだったの!」


 長年隠してきた想い。軽蔑されるのが怖くて隠してきた本来の私。それをやっと口にすることができた。


「叶わないってわかっていても、軽蔑されると思っても愛美まなみが好きだった」


 頬に伝う涙を拭かず言葉を続ける。


「どんな男よりも愛美まなみがす……」


 ふわりと視界に髪が舞った。目の前に愛美まなみの顔があり、思わず目を瞑る。その間に勢いよく抱き着かれて私の口が止まった。


「ごめん、ごめんね……ずっと気付いてあげられなくて。その気持ちに応えてあげれなくてごめんね」

「まな……み?」


 耳元で囁かれて、私も愛美まなみの背中に手を回す。


「わたしは軽蔑しないよ。だってカレンはカレンなんだもん」


 その身体が、言葉が、心が温かくて静かな校舎に私の嗚咽が響いた。

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私は女の子が好きだった 西影 @Nishikage

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