第28話 撤退


半径10メートル程の半円の黒いドームから弾き飛ばされた俺は、自身に回復をかけて受けたダメージを癒した。


この黒いドームは、能力で生み出されたものだと思う。

だが、俺はこの能力を知らない。


黒いドームに触ると弾き飛ばされる。

中に入るには、難しいようだ。


「拓海くん!」


そんな俺に清水先生が駆け寄って来た。


「拓海くん、早く逃げよう」


そんな事を言われるが、俺はこの場を動けなかった。

どうしても風見屋玲二を殺したい。


「清水先生、俺……まだやる事があります。あいつを生かしておくのは俺自身が許せません」


「そうかもしれないけど、拓海くんにそんな事してほしくない。確かにあの人は悪魔のような人だわ。でも、拓海くんがこの場であの人を殺したらきっと、貴方の心は壊れてしまう、そんな気がするの」


医者として、精神心理学の権威として清水先生はそう言っているのはわかる。


俺は壊れてもいい。

あいつを殺せるなら。


黒いドームはの中では、時折激しい戦闘音が聞こえて来る。

おそらく、旧施設を抜け出して新しい組織に入った能力者達だと思う。


すると、目の前に俺達がここまで乗ってきたバスが横付けされた。


「さあ、乗るんじゃ」


運転してたのは霧坂の爺さんだ。


「何でここに?」


「そんな事は後じゃ。ここは日本帝国ではないぞ。いつ軍隊が来るかもしれん。そうなったら助けられる命も助けられなくなる」


バスの中には船に乗って連れて来られた子供達がいる。

みんな不安そうな顔をしていた。


だが、俺は……


「お主にも引けない事情があるのだろう。じゃが、機を誤ってはいかん。今は脱出するのが吉じゃ」


何も無かった俺にも、今は大事な人達がいる。

それに、子供達にもきっと帰りを待っている人達がいるんだ。


それでも、黒いドームの前から動かなかった俺を、修造爺さんが車から降りてきて、『すまんな』と言ったのが聞こえた後、俺は気を失った。





「これで良かったのでしょうか?」


頑なにあの場から動かなかった拓海を連れて来てしまって、その判断が間違っていたのではないかと気に病む清水先生が誰となく呟く。


「能力者達の争いはすごいのう。生身の人間では太刀打ちができん。じゃが、動きは素人じゃ。武術を極めた熟練の者達はそこそこ対抗し得るじゃろう。

拓海の動きは、まだまだじゃ。思い描く技の動きに身体がついていっておらん。

おそらく、あの場にいたら少なくとも負けておったろう。

実戦での負けは『死』と同義。娘は、こやつの命を救ったのじゃ」


戦争を映画や物語では知っている。

しかし、現実の死線はそんな生優しいものではなかった。


「私は、知識として分かってただけなのかもしれません。自分の生死をかけるだけの敵がいたのなら、戦わせて壊れてしまった方がその人の為なんじゃないかと思ったりもしてます。

だけど、私は拓海くんを失いたくありません。きっと、私の他にもそう思う人達がいると思います。

だから、拓海くんを連れて帰ったのは私の我儘です」


「そうじゃな。わしと娘の我儘じゃ。でも、それで良くないか?所詮、この世はそんな人達の我儘でできておるじゃろう?」


そんな会話がなされるバスは、ひたすら港に向けて走っていた。





『あれ?たっくん何処にもいない』


拓海の自室に声だけが響く。

部屋は綺麗に掃除されており、洗面所に行ってもたっくんの洗濯物が見当たらない。


『何処に行ったんだろう?』


今のソファーに腰掛けて、思考を巡らす。

誰かがそれを見たら、ソファーが急に人が腰掛けたように凹んで見えただろう。


拓海の自宅を出て隣の家に入る。

アンジェの能力は『透過』旧施設時代は、その能力だけを報告していた。

だから、透明人間になれる能力は拓海しか知らない。


アンジェはドアがどんな頑丈な素材でできていても、それをすり抜ける事ができる。


隣の家に侵入すると、ひとりの気の良さそうな人がパソコンと睨めっこしてた。


「ああ、どうしてもありきたりな証拠しか集められないわ。これじゃあ、楓さんに啖呵を切ったのに申し訳が立たないわ」


(楓さんってたっくんのお世話をしてる人だよね。私のママみたいに)


少し気になったアンジェは、デスクに広がった資料を読む。


(ふむふむ、そういう事?この日下部本部長っていう奴が悪いことしてる証拠が欲しいわけか……)


それは、ほんの気まぐれだった。

せっかく会いに来たのに拓海がいなかった事。

転校の手続きが無事済んだ事。

とにかく暇だった事。


そんな偶然が、アンジェに行動を起こさせた。


(たっくんのお世話をしてもらってるし、少し協力してやるか)


その晩、アンジェはその男が勤める会社に潜り込んだのだった。





バスが港に着こうとする間際、港が軍によって閉鎖されていた。

元々、この港は軍関係者しか入れない港なのだが、施設が襲撃にあったと情報を得た軍が、厳戒態勢で港を閉鎖したのだ。


修造はバスを港を封鎖する軍に見つからないように岩陰に隠して少し離れた場所でその光景を見ていた。


「突破するのは難しいのう。他の港に行く以外あるまいて」


ここが敵地である事を重々承知している修造は、そう簡単にこの島から抜け出せない事をわかっていた。


それでも、諦めている様子はない。

おそらく、今晩にでも迎えが来ると信じている。


修造の持っているスマホの電源は残り少ない。

既に予備は使ってしまって、これが最後の予備電源だ。


竜宮寺家の護衛役として必要最低限の物は持っている。

このスマホも電源さへ入れば衛星通信でその居場所が特定できる。


港を物陰から見張っていた修造は沖からひとつの軍艦が近づいて来たのが見えた。


掲げている旗は、馴染みのある日本帝国のものだ。

近づいて来るに従って、その全貌が見えた。

『あさぎり型護衛艦』それが、敵地であるこの港に堂々と着岸した船の名だ。


「竜宮寺家が、国と軍を動かしおったわい」


日本を支える財閥のひとつである竜宮寺家。

その威光は海外でも知られている。


「そろそろ出発じゃ」


修造は隠してあったバスに乗り込みみんなに告げる。

拓海はまだ夢の中のようだ。


「でも、港が封鎖されてたんじゃ?」

「安心せい。助けが来たぞい」


起きている子供達が騒ぎ出した。

清水先生も、安心したようだ。


修造がバスのエンジンをかけて、発進させる。

そのバスは、閉鎖された港に向けて走り出した。





「あれ、ここは何処だ?」


風見屋玲二と戦闘していた事を思い出して、身体が戦闘体制になった。

だが、目の前にいるのは、なぜか楓さんだった。


「拓海様、良かった、ほんとに良かった……」


涙を俺の頬に垂らしながら、楓さんは自身の顔を俺の顔に寄せていた。


(楓さんが、なぜここに?あいつはどうなったんだ?)


沸き出す疑問を一旦閉じて、起きて楓さんに向き合った。


「楓さん、ここはどこ?」


「ここは船の中ですよ。既に日本帝国の領海内ですので安心してください」


(船か……拉致された漁船とは比べ物にならないほど清潔だ)


「そうだ、清水先生は?あと子供達は?」


「香織は、隣の部屋で休んでいます。子供達も食事を摂って休んでもらってます」


良かった……あの時、まだ戦っていたらきっとこんな風な結果にならなかっただろう。


後悔はある。

だが、きっと風見屋と再戦する未来が訪れるだろう。

その時は、きっと……。


「そういえば、よく俺達の居場所がわかったね?それに、他国なのに平気なの?」


「拓海様のスマホも香織のスマホも途中で消息が途絶えました。この場所がわかったのは霧坂のお爺さまが連絡を入れてくれたからです。

それと、これは内密なのですが、竜宮寺家が国と国との間に入って調整を行いました。それに今回は雲仙家も加わっております。日本帝国の首相をはじめ、幹部たちは焦っていたと聞いております。

交渉内容は、彼の国で行われていた拉致、監禁など非人道的な行いを国連本部に報告しない代わりに、連れ攫われた子達の保護を約束させました」


「凄いね、竜宮寺家って」


「そうですね。ですが、滅多な事でここまでの強権を振るう事はしないのですよ。今回は拓海様の拉致が関連してましたので当主様も彼の国を滅ぼす勢いで交渉されたと聞いております」


(おーーこわい、こわい)


「それだけ大事にしてもらって、どうやって恩を返したものか?」


「恩なんて既に拓海様から頂いているじゃないですか?明日香様や和紗様をお救い頂いております。こんな事では竜宮寺家や雲仙家の方が恩を返しきれてないと考えているようですよ」


その時、ドアがノックされた。

楓さんが「どうぞ」と言って招き入れると二人の女性が敬礼しながら立っていた。


「話し声が聞こえたので蔵敷様が起きられたのかと思い、お礼を伝えに伺いました」


(あれ、この女性達は……)


「藤倉美咲1等海曹士であります。治療して頂いて有難うございます」

「内海凪沙1等海曹士であります。拓海さん、またお会いできて嬉しいです」


そう、この2人は横須賀での治療で出会った女性達だった。

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