第二十九話 呪いの正体

「………………桃花…………」

「……うん」


 名前を呼び、彼女の顔を見ようかと思ったが頭が重くて上がらなかった。

 それに、やっぱり今自分の顔を見られたくなかった。一気に情報が頭の中に湧いてきたことでパニックになったのか、僕の目からは勝手に涙が溢れてきたからだ。


 僕は、玉置たまき翔助しょうすけ

 桃花の父親を刺した、玉置ただしの息子。

 自分の名前に絶望し、偶然辿り着いた“ミコト様”がいる神社にて名前を変えて貰ったのだ。




「——僕がこのタイムリープを起こしていたんだ」




 やっと、答えが解った。

 


 桃花に「大人にならないで」と言われた。だから、自分自身は大人になってはいけないと……、大人に「なりたくない」と、思い込んだ。

 

 それと同時に、彼女にも大人になってほしくないと思ってしまったのである。

 置いていかれたくない。

 ずっと、そばにいてほしい。

 だから僕と一緒に、君も大人にならないでいて。


『……じゃあ、君はどんな名前にしたいの? どんな意味を込めたいの?』


 “ミコト様”にそう尋ねられた。

 僕の中でもう願いは決まっていたが、すぐには口に出せずあのときの僕は黙り込んでいた。

 

 何故なら、その願いとは「僕と桃花が大人にならず、ずっと一緒にいられるように」というものだったからだ。


 しかし、これでは複数扱いになる。そう思って口に出せなかったのだ。


『…………』


 僕が黙っている間も、“ミコト様”はずっとこちらを見ていた。見透かされるような視線が落ち着かなくて、口を開いてしまった。


『……いいよ』

『え……? で、でも複数のお願いは叶わないんじゃ……』


 そう聞くと、“ミコト様”は気怠そうに長い髪を払った。やっと顔を出した太陽の光に照らされて、それがきらきらと美しく輝いていたのを覚えている。


『それは、ある時代に欲張っていくつも名前に願いを盛り込んだら、その子どもも強欲に成長して人が離れていったという人間がいたから、そういう噂が流れただけだよ。別に、出来ないとは言っていない』


 ニヤリと笑って鋭い歯を見せた。今度の喋り方は少年のようで、自分に少しだけ近づいた感じがしてどこか安心した。


 “ミコト様”は僕に向かって手招きをした。魔法でもかけられたかのように、ふらふらと勝手に引き寄せられていく。そして、彼女の前に跪いた。石の階段なので膝が痛かったが、自分の意思では立ち上がることが出来なかった。


 僕の額に手を当て、“ミコト様”は目を閉じた。

 瞼も、まつ毛も、鼻も唇も、全く動かない。顔を近づけられているから僅かでも呼吸音が聞こえてきて良い筈なのに、自分のものしか聞こえなかった。触れている手も冷たくて、“ミコト様”がこの世の理から外れた存在であることを実感させられた。



『——……めぐる



 あなたの名前は、巡。

 

 そう繰り返した瞬間、僕の中にあった本当の名前である「翔助」が、消え去ってしまったのだ。


 自分に今までの名前を付けてくれた両親の記憶。

 その名前に込められた意味。

 それらが影も残さず僕の頭の中から消えた。

 他にも、「翔助」として過ごした保育園、小学生、中学生の記憶があやふやになってしまった。


 この瞬間に、「巡」という僕が生まれた。

 

 丁度それが高校生になる直前のことだった。

 高校から知り合った友人、そして学や藤島たちなど中学校から同じ友人でも、僕のことを違和感なく「巡」と呼ぶ。

 彼らの中から、この世界から、「玉置翔助がいた」という事実は消えてなくなってしまったから。


 「翔助」がこの世界に存在しなくなったため、僕の本当の両親が「彼の親である」という事実も同時に消えた。2人は僕の前からいなくなってしまった。

 だから、僕はあの家に1人で住んでいたのだ。


 僕に名前を与えてくれた後、“ミコト様”はこうも言っていた。


『これで、あなたは大人にならないよ。そして、桃花も…………』

『だから、進めない世界で桃花と一緒にいられるね?』


 その大人にならない方法というのが、タイムリープだった。

 桃花が誕生日を迎えて「大人になった」と無意識下で判断した僕が、起こしていたのだ。



「…………桃花は、気づいていたの?」


 鼻を啜りながら聞くと、彼女は頷いた。


「ずっと、怖かった。私の中で翔助は翔助でしかなかったのに……。周りの人は皆、『巡』って呼ぶから」


 自分1人だけが違う世界にいるようで、ずっと孤独だった。彼女はそう言う。

 僕はその感覚を知っている。

 自分1人だけがタイムリープに気がついていると思っていたあのとき。周りの人間はごく普通に過ごしていて、何も違和感など感じていなさそうで……。それが怖かった。

 でも、きっと本当に孤独だったのは彼女の方だ。


 ——ひどい呪いだね。


 今なら、あの言葉の意味がわかる。

 あれは、僕の……「巡」の名前に絡まった、願いのことを言っていたのだ。

 同じ時間を繰り返す呪い。

 先に進めない呪い。

 大人になれない呪い……。

 彼女に、自分のことを殺させてしまう呪い?


「でもね、1つだけ、間違えていることがあるの」

「え…………?」




「私は、『大人にならないでね』じゃなくて、『大人にならないでね』って、あのとき言ったんだ」


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