第二十二話 ならないで

「そろそろテスト勉強始めてるか?」

「わっ!?」


 本を読むのに集中していたため、学が近づいてきたことに気づかなかった。声をかけられ、思わず叫んでしまう。


「そんな驚くか?」

「あぁ、ごめん……」


 僕は小説を机の中にしまった。

 その様子を見ていた彼が、興味深そうに僕の手元を覗き込んできた。


「巡が本読んでいるなんて珍しいな。それ面白い?」

「うん。学って本読むっけ?」

「本か……。最近は参考書とかしか読まないなぁ。小説とかはあまり」


 なんとなく予想はしていた。


「どういうあらすじ?」


 そう尋ねられ、僕はちらりと佐久の方を見てから視線を元に戻した。彼女はノートに何かを書き込んでいる。先程の授業のまとめでもしているのかもしれない。僕が見ていることには微塵も気づいていないようだ。


「……タイムリープの話…………」

「へえ」


 何か重大な秘密を……。例えば宝のありかだとか、僕は魔法が使えるのだとか、そういう誰もが驚くようなことを告げるかのように重々しく声を発した僕。

 対照的に、今日忘れものをしてしまっただとか、お弁当に卵焼きが入っていただとか、日常の他愛もない話を聞いたときのような相槌を打つ学。まあ、反応的には正しいのだけれど。


 あらすじだけ読ませてというので、机から出して手渡した。

 彼は裏のあらすじを読んだあと、表紙のイラストもちらちらと見ていた。

 その内本を開き、最初の数ページを読み始めた。思いの外興味をそそられたのだろうか。


「学はさ、」

「ん?」


 顔を上げて、彼は僕の顔をまじまじと見つめてきた。


「…………」

「……えっ?」


 声をかけておいて中々話し出さない僕に、学はそわそわとし始めた。もう読書に戻って良い? と言いたげに本と僕の顔に視線を行ったり来たりさせている。


 ……いや、聞いて良いのだろうか。

 タイムリープって起こると思う? と。

 

「学はさ……」

「田宮! あのさ〜」


 僕が喋ろうとしたのと同時に、古屋の声が横から聞こえた。

 急に飛んできた明るい声。もしかしたら佐久も一緒にいて、話を聞かれていたかもしれないという緊張。先程学が話しかけてきたときと同じように「わっ!?」と声を上げて驚いてしまった。

 その声に彼女も驚いたのか、「わっ」と小さく叫ばせてしまった。


「えっごめん! そんなびっくりした?」


 眉を下げて心配そうに、古屋が僕の顔を覗き込む。彼女の後ろには藤島はいたが、佐久の姿はなかった。


「いや、大丈夫……! こっちこそなんかごめん。学に話しに来たんだっけ?」

「あ、でも全然急ぎじゃないから大丈夫! 2人何か話してた?」


 僕も別に急ぎじゃない……。そう言おうとして、ハッと気がついた。

 聞くなら、佐久がいない今しかないのでは?

 

 タイムリープはあると思うか。

 最近変わったことはないか。

 この世界が、何度も巻き戻っていると言ったら、どうする?


 自分1人では、この異常事態を解決することが出来ないかもしれない。だから、誰かに……、クラスの中では1番彼女の近くにいる友人たちに助けを求めたくなってしまった。


「あのさ……」


 口を開くと、その場にいる3人は僕に視線を集中させた。

 周りを震わせる声は弱々しくて、神妙な空気を孕んでいる。皆は心配そうに顔を近づけてきた。

 もう一度、佐久の方を確認する。彼女はロッカーに次の教科の荷物を取りに行っているのか、教室内にいなかった。



「タイムリープって、あると思う?」



 3人は顔を見合わせた。学だけ小説に視線を落として、「これの影響か?」とでも言わんばかりの表情をしている。


 キーン……コーン……カーン……コーン……

 

 3人が何も答えることが出来ないまま、次の授業の始まりを告げるチャイムが古びたスピーカーから鳴った。教材を抱えた先生、廊下にいたクラスメイトたちが教室に入ってくる。

 僕の前にいた3人も、「戻らなきゃ」と席に戻ろうとする。僕は勢い良く、藤島と古屋の腕を掴んだ。


「今僕が聞いたこととか、タイムリープっていう言葉は、絶対に佐久には言わないでほしい」


 2人は目を見開き、パチパチと瞬きをして頷いてくれた。

 


 

 その晩、僕は夢を見た。


 目の前に少女がいる。俯き気味で、前髪がカーテンになって顔が見えない。床に正座をしていて、膝に置かれた手は固く握られていた。思い切り力を込めているのか、それとも寒さや恐怖などの別の原因かは知らないが、大きく震えている。

 僕も少女と同じく正座をしているのか目線はほぼ変わらない。まあ、顔を上げていないので目が合わないからわからないけれど。

 垂れた頭はいつ上がるのだろう、なんて僕はぼーっと考えていた。


「…………ねえ」


 不意に、少女が声を発した。泣いた後のような湿度を帯びた声。

 この場には僕と少女しかいないから、きっと僕に向けられたものなのだろう。

 


「——…………君は、……大人にならないでね」


 

 そして、彼女が顔を上げた。

 見覚えのある吊り目が真っ直ぐ僕を捕らえる。

 

 ……佐久?


 しかし、今より少し幼い印象を受ける。目の前にいるこの子は……、中学生くらいの佐久だろうか?


 大人にならない、って、どういうこと?

 そう聞こうとしたけれど、口は動かず声も出ない。口だけではなく、指先1つぴくりとも動かすことが出来なかった。


「約束したよね?」


 何が?

 大人にならない、という約束を?

 そのようなことはした覚えがない。僕は何のことかわからず、首も振れないのでただ少女の話を聞いていることしか出来なかった。


「…………大人にならない、って」


 ——そうだよ、巡。


 耳元で氷を思わせる女性の声がし、背中だけがヒヤリと冷たくなる。まるで、雪女に背中から抱きしめられているような感覚。体が動かないので振り向いて姿を見ることも出来ない。

 女性の姿は少女には見えていないのか、僕の目から視線を外すことはなかった。


 ——約束は、守らなきゃ駄目だからね?


 カッカッカッという不気味な笑い声が背後から聞こえる。

 この笑い方を、僕は知っている。


『——あなたの名前は、巡』

『——大人になっちゃったねえ!』


 あのときと同じ女性……?


 ——巡、忘れちゃ駄目だからね…………。


 その言葉だけ残して、背後の冷気は一瞬にして消え去った。

 

 目の前の少女は念を押すように、一言一言を口の中で噛み締めながら、同じ言葉を繰り返す。



 君は、…………大人にならないでね。

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