第二十一話 やり残し
「——…………っは」
なんだか、ひどく頭を使う夢を見ていた気がする。それの影響かは知らないが目を覚ますと首が凝っていて、起き上がってからぐるりと回すとバキバキボキッと小気味良い音が鳴った。
でも人によってはこういう、関節だとか骨を鳴らすような音が苦手という人もいるので、そういう人が今の音を聞いたらきっと怯えているだろうな、なんてことを働かない頭で考えた。
僕はスマートフォンではなく、部屋の壁にかけてある時計で時間を確かめた。特に意味はなく、首を回したときにたまたま目に入ったからだ。
6時30分の少し手前くらい。目覚ましがなるより早く起きることが出来たみたいだ。
時間に余裕があるので、着替える前に少し問題を解くことにした。
昨日の夜は部屋の机で勉強していたので、まだ片付けずにそのまま机の上に筆記用具やノートなど、必要なものは置かれているはずだ。
ベッドから降りて、短い距離を歩いて移動する。寝汗で湿っているのかぺたぺたとペンギンのような足音がした。
椅子を引いて腰かけるが、僕は「あれ?」と口には出さないが心の中で呟き、首を傾げる。
机の上には、何も置かれていない。
昨日の夜寝る前に鞄に入れていたのだろうか、と思って開けて確認するが、筆記用具はあっても今日テストが行われる科目の参考書、ノート、教科書は入っていなかった。
普段本などをしまっている棚。ベッドの下。リビングのテーブルの上。色々なところを探したが一向に見つからない。
昨日勉強したと思っていたのは、夢だった?
実は学校に置き忘れた?
いやいやいや、そんな馬鹿な。
確かに僕は昨日の夜、自分の部屋の勉強机に向き合って手を動かしていた。
………………あ……?
「昨日」の夜?
僕は目が覚めてから、今日が何日かを見たっけ?
まだテスト期間中だから。
何も悪い報せを聞いていないから。
だから油断して、朝起きたときに日付を確認していなかったのだ。
ここで僕はようやく、枕元のスマートフォンを手に取った。
7月2日。
テストが始まる丁度2週間前。
「え…………?」
思わず手の力が抜け、持っていたスマートフォンが滑り落ちる。枕がそれを受け止め、ぼふっという空気を含んだ音がした。
な、なぜ。なぜ、何故……?
だって、「昨日」佐久は言っていたのに。
また明日ねって。明日も頑張ろうねって。
何故? 何が駄目だった?
僕が、何か間違えた?
それに、彼女が飛び降りたという話も「昨日」から今日にかけて1つも聞いていない。
一体、いつ?
帰り道は彼女は藤島たちといただろうから、するとしたらその後だ。だとしたら夕方から夜にかけて。でもその時間は学校にはまだ誰かしらが残っていたはず。飛び降りたとしてもすぐに気づかれるだろうから、報せは「昨日」には担任から届いているはずだ。
では、真夜中か……?
『わたし、お、大人に、なっちゃった、から』
あのときと同じように。
僕は、どうしたら良い……?
タイムリープするのは、これで何回目だろう。もうこれで5回目になるのではなかったか。
だけど、彼女がどうして飛び降りるのか、今までの意味深な言葉に隠されたものは何か、全く掴めないでいた。
「……あ」
ふと頭の中に、あの物語の表紙に描かれた、少年少女のイラストが浮かんでくる。
タイムリープについて参考になるのかどうかはわからないが、「前回」図書館で読んだあの小説が読みたくなった。
司書さんがもう来ていたら、朝でも本を借りることは出来る。……まあ、肝心のその本が置かれていなかったり、誰かが借りてしまっていたら意味がないのだけれど……。
行ってみないことにはわからない。
僕は通らない喉に無理やり焼いた食パンを詰めて牛乳で流し込み、支度を始めた。
身支度を終えて荷物を持った僕は、扉の鍵を閉めてから通学路を歩き出した。
まだ早いかなと思ったが部屋で考え事をしている間に時間は過ぎていたらしく、いつも登校する時間より少し早いくらいになっていた。
周りには行き先が同じ学生がまばらにいる。音楽を聴きながらそのテンポに合わせて歩いているのか、歩幅がバラバラな者。どこぞの漫画のようにパンを口に挟みながら歩く者。ハンディ扇風機を奪い合う2人組。
誰も英単語や歴史の年表、漢字など問題を出し合ったり、二宮金次郎の如く参考書に夢中になりながら歩いたりしていなかった。それが、ここに「前回」とは違う時間が流れているのだと実感させられる。とは言えテスト2週間前だから、そろそろそういう者がちらほらと登下校の時間に現れてくるとは思うが。
普段だったら彼らに混じってのろのろと歩くだろうが、今は一刻も早くあの本が読みたい。
早足で抜かし、僕は学校へと急いだ。
日光とほぼ同化していてわかりづらいが、扉についた小窓から白い明かりが漏れている。もう司書さんは来ているようだ。
ぐっ、と力を込めて扉を引いてみても、カラカラと軽い音を立てて滑らかにスライドしていく。
「あら、おはようございます」
「お、おはようございます……」
僕の姿を認めた司書さんは、眼鏡の奥の瞳を細めて笑顔を向けてくれた。笑い皺が刻まれた、柔らかい雰囲気の人だ。
「何かお探しですか? テストも近いし、参考書とか……?」
「あ、いえ、ええと」
探している小説のことを伝えると、司書さんは「ああ!」と心当たりがあるような声を出した。
「こちらですかね?」
いそいそと持ってきて僕に手渡してくれる。
タイトル、背表紙のあらすじ、表紙のイラスト。全てが見覚えのあるものだ。
「あ、これです……! 借りても良いですか?」
「はい、もちろん。ではバーコードだけスキャンさせてくださいね」
貸出用バーコードをスキャンし、返却期限がスタンプで押された紙を挟むと、司書さんは再び僕に手渡してくれた。
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて図書室を出た僕は、教室へと向かった。もう佐久はいるだろうから、彼女に見つからないようにコソコソと読まなくては。
…………なんだか学校に持ってきてはいけない本を読んでいると誤解されそうで怖いな。
10分休みなどに、佐久の方へ背中を向けて読書をしている自分を想像するが、怪しさに満ち溢れていた。
逆に、堂々と読む方が良いのだろうか。でもそれで「前と同じ本を……?」と別の意味で怪しまれるのもなあ。
まあ、教室に行ってから考えよう。
タイムリープをするのは、何かしらやり残したことや変えたい過去があるから。
小説の世界を探索していて、見つけたのはこれだけ。だが、何かヒントが見つかっただけでも進歩である。
僕が読んだこの小説だったら、主人公は幼馴染を助けたいからタイムリープしている。つまり、幼馴染が殺されてしまうという過去を改変してなかったことに出来れば、もう主人公は時間を巻き戻す必要がなくなる。他にやり残したことなどはないからだ。
……きっと、彼女にも何かしら、変えたいものややり残したことがあるはずだ。
同じ日々を何度も繰り返して。
そのために何度も自分のことを殺して。
僕はそれをしたことがないから想像もつかないけれど、尋常ではない恐怖を味わって。
一体、君は、何をやり残したのか。
——君があと何回自殺したら、この日々を抜け出せるんだろうか。
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