第十三話 ぼくのなまえは

 放課後になり、ばらばらと人が帰っていく。

 教室で残って勉強する者、すぐに帰る者、ラケットやユニフォームなど必要なものを手に携えて部活に行く者、それぞれだ。

 

 藤島と古屋は部活だ。吹奏楽部は夏のコンクールがこれからあるから、3年生もまだ引退していない。サッカー部や野球部も引退していない人が多かったと思う。

 桃花はすぐ帰ったのか、いつの間にかいなくなっていた。

 そういえば今日は一度も話していない。彼女について勝手にあれこれ考えてはいたけれど。

 タイムリープしていることに気がついてから、彼女とどう関わったら良いのかが段々とわからなくなってしまっていた。


「あ、巡。今日も真っ直ぐ帰るのか?」

「ああ、うん。どうかした?」


 学に手を振って教室を出ようとしたとき、呼び止められた。


「今日は塾じゃなくて図書館に行って勉強するんだ、途中まで一緒に帰らないか?」


 彼がそう言うので、僕たちは一緒に帰ることになった。



「いやー、もうすぐテストかあ」


 歩きながら、何故か噛み締めるように学が言った。口に出して確認しなくてもわかっているのに。


「そうだね。……学さん、今回のテストの意気込みは?」


 ふざけてインタビューっぽく聞いてみる。

 彼は役に入り込んでいるのか、「そうですね……」なんて眉根を寄せ、小難しい顔をしてみせた。


「いつも通り、好成績を出して見せますよ」

「おお、流石ですね! 学さんは、将来の夢はあるのですか?」


 なんだか楽しくなってしまい、彼自身について掘り下げるドキュメンタリーっぽくなってきた。


「将来の夢ですか。まず、大学は○○大学を目指していまして、そこで色々な学問に触れて……」

「え! と…………」


 ○○大学と聞いて、思わず反射で「桃花と同じだ」と言いそうになってしまったが、すんでのところで飲み込んだ。学が彼女本人から聞いているのかどうか知らなかったので、勝手に教えることになるかもしれないと思ったからだ。


「どうしました? 玉置さん」

「ああいえ、なんでも」


 その後もインタビューごっこは少しの間続いた。

 あと5分ほどで図書館までの分かれ道が来るというところで、僕、玉置記者はインタビューを締めることにした。


「本日は田宮学さんにお話を伺いました。貴重なお話、ありがとうございましたー」


 ぱちぱちぱち……。

 2人分の薄っぺらい拍手が響く。高校生になっても、ごっこ遊びは意外と楽しいものだ。


「…………巡、ありがとうな。なんか、自分の考えをこうやって真面目に答えてたら、自分がちゃんと勉強しなきゃいけないってこと、改めて思い出したよ」

「え? は、はあ……」


 何を思ったのか、学がどこか遠くを見つめてキリリとした顔をした。覚悟を決めたかのような、ぐっと固く引き結ばれた口。やや釣り上がった眉。澄んで遠くを映す目。

 こんなおふざけが人の心を突き動かすことがあるのか?


「——の名前は、『学』だから。学ぶことをやめちゃいけないんだ」

「え…………?」


 小さな声で呟かれたその言葉。いつもと一人称が違うからか、一瞬彼が学ではなくなってしまったのかと錯覚した。

 僕は何と言って良いかわからず、戸惑いながら黙っていた。


 じじじじじじじ……

 じーわじわじわじわじわ……

 ちきちきちき……


 蝉たちの鳴き声が僕たちの間を取り持つ。

 虫たちは、何を考えながら鳴いているのだろう。何も考えてはいないのだろうか。

 隣の木にいる仲間の鳴き声がいつもと違うからと心配することもなく、昨日まで同じ木にいた仲間が落ちて地面に転がっても変わらず、ただひたすらに鳴き続けるのだろう。


「…………まってー!」

「あははっ」

「はやくはやくー!」


 パタパタと3人組の小学生が後ろから走って僕たちを追い越していった。少年少女が飛び跳ねる度に、背負ったランドセルの金具がカチャカチャと鳴っている。ちゃんとマグネットの錠前を閉めていないのか、笑い声に合わせてランドセルも笑っているかのようにパカパカと動いていた。

 最近の小学生は授業時間が伸びているのか。それとも、公園かどこかに今まで寄り道していたのか。


 無邪気な様子が眩しくて、僕は3人が駆けていくのを眺めていた。学も同じように見ていた。


 すると、


「あっ!」


 短く高い悲鳴の後に、ズシャッ、と痛々しい音を立てて、最後尾を走っていた1人が躓いて盛大に転んでしまう。

 硬くゴツゴツとしたアスファルトの道、半袖Tシャツにハーフパンツという防御力の低い装備。この掛け合わせだから、膝や腕を擦りむいて血が出てしまっているかもしれない。

 ランドセルがパカリと開き、中に入っていた教科書や筆箱も散らばってしまっていた。


 僕と学はその少年の元に駆け寄った。

 学は少年を抱え上げて立たせ、体や服についてしまった土埃を払っている。

 僕は地面に落ちてしまった教科書たちを拾い、汚れがついていないか確かめてから、少年に許可を取ってランドセルにしまう。


「…………ん?」


 ふと、近くに何かのプリントらしきものが落ちているのが見えた。ランドセルから出たもので、拾い損ねていたのだろうか。風に飛ばないように急いで僕はそれを拾って、少年に「これは君の?」と聞いた。


「うん! おにいちゃん、ありがと!」

「いーえ。……それ、作文?」


 少しだけだが書いていることが見えてしまったのだ。そこには、「ぼくのなまえ」という題名から始まる文章が鉛筆による文字で書かれていた。


「そう! あのねあのね、こくごのじかんでかいてね、センセーにほめられたの! だからおうちにかえって、お母さんによんであげるんだ!」

「そうなんだねえ」

「あ、名前作文か。懐かしいよな」


 少年の手元を覗き込んだ学が、目を細めて笑った。


「なまえさくぶん……?」

「えっ!? 小学生の授業でやったよな?」


 名前、作文。それぞれの単語はよく知っているが、組み合わさった「名前作文」というものは聞き馴染みがない。首を傾げながらその言葉を繰り返す僕に、学はひどく驚いたような顔をした。彼だけでなく、紙を持っている小学生も。


「いや、僕と学は小学校違っただろ?」

「学校違くても、ここら辺の地域では昔から小学校で名前作文をやるっていう決まりがあるだろ? 中学校でもやるところがあるらしいぞ」

「そーだよ! おにいちゃんも、“メイシノギ”で“ミコトさま”から名前をもらったでしょ?」

「へ…………?」


 メイシノギ……?

 ミコト様……?


 これまた聞き慣れない単語に冷や汗を流すと、学と少年は旧知の仲かのように、息ぴったり同じタイミングで顔を見合わせ、首を傾げたのだった。

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