大人、子ども
第二十七話 僕の本当の
「——翔助のことを助けたいの」
「……え?」
桃花が立ち止まって僕の顔をじっと見ながらそう言ったとき、ぼんやりと見つめ返すことしか出来なかった。
翔助?
しょうすけ。
それは、誰だ?
「しょうすけ……?」
壊れた機械のように動きを停止させ、瞬きもせず僕はただその名前を口に出した。
しょうすけ。
しょうすけ…………?
頭の中が、その謎の人物の名前でいっぱいになる。名前からしてきっと男の子なのだろう。過去にそんな名前の同級生が、僕が覚えていないだけでいたのだろうか。それとも桃花の親戚とかか。
「翔助」
そう言いながら、桃花は僕の両手をぎゅっと握った。首がぎこちなく動き、その手に視線が落ちる。
彼女の手は白くて全く日焼けしていなくて、元々吹奏楽をやっていたからか指が長い。爪は短めに綺麗に整えられている。力を込めて握っているからか指先や爪が赤みを帯びていた。
「私は翔助のことを、助けたいよ」
桃花の声は、心なしか震えていた。
翔助。
それは、もしかして——…………。
「…………ぼく?」
俯いたままそう聞くと、彼女が頷いた。
「巡は、『巡』じゃなくて『翔助』っていう名前なんだよ」
僕は玉置巡という人間ではない。
僕の本当の名前は翔助。
俄には信じ難いことだった。
何故、僕は名前が変わったの?
そもそも名前を変えることなど、“名賜の儀”の慣習があるここで出来ることなの?
どうして僕の周りの人たちは違和感なく僕を巡と呼ぶの?
どうして桃花は僕の「本当の名前」を知っているの?
どうして……。
疑問が溢れて止まらない。
桃花が嘘をついているのかと思ったが、彼女は嘘をつくような性格ではない。
『……そうだよ、巡』
突然、頭の中に声が響いた。
それは、紛れもなく僕の声だった。
『僕は君だよ。翔助だった頃の、君』
「は…………? どういうこと……」
「めぐ…………翔助?」
僕の様子を心配してか、桃花が僕の顔を覗き込んでくる。
彼女はもう僕のことを巡と呼ぶのはやめるようだった。言い聞かせるように、僕の頭に刷り込ませるように、はっきりとその名前を発音する。
頭が痛い。気持ち悪い。なんだか心がざわざわする。
頭に無理やり手を突っ込まれて、記憶の引き出しを勝手に開けて漁られているような。
これも違う、それも違う、と放り投げられて頭の中をぐしゃぐしゃにされているような。
僕の頭の中にいるらしい翔助がそれをやっているのか? どうして、そいつはそんなことをするのか……?
いや、翔助だけではない。桃花も、僕に名前を思い出させてどうしたいのだろうか。
詳しいことは、僕の記憶からは抜け落ちてしまっているだろうからわからないけれど、きっと何か事情があって当時の僕は名前を変えたのだ。
それなのに、どうして今更…………。
——私は、巡より×××の方が良かった。
何度目かのタイムリープ。
桃花が飛び降りる直前に僕に言い放った一言が蘇ってきた。
あのとき聞き取れなかった部分の靄が晴れ、鮮明になっていく。
私は、巡より……の方が良かった。
私は、巡より「翔助」の方が良かった。
あのとき、彼女はそう言っていたのだ。
僕が「翔助」としての記憶を取り戻さなければいけないのは……、僕が、「翔助」に戻らなくてはいけないから?
桃花をこれ以上殺さないように。
もうタイムリープを起こさないように。
彼女がタイムリープする理由とは、僕を、助けるため…………?
じゃあ、「大人にならないで」っていうのは何だ……?
『そうだよ、翔助』
頭の中で翔助が囁いてくる。
『君は記憶を取り戻さなければいけない。だけど、君の中の「翔助」としての記憶はボロボロになってしまっているみたい。ほとんどが「巡」の記憶みたいだ。だから、僕のをあげる。大切に使うんだよ』
先程まで漁っていた記憶を元通りに引き出しに戻して整理した後、翔助は別の引き出しを組み立て始めた。
それは「巡」の引き出しと同じくらいの大きさだけれど、少しだけ古いものだった。
ここに、「翔助」としての記憶が入っているのだ。
『さあ、開けて』
開けて、と言いながらその引き出しは勝手に開いていく。僕が嫌だと念じても止まらない。
『開けなきゃ駄目だよ、君が桃花を助けたいのなら』
助けたい。助けたいよ、それはもちろん。
でも、怖いんだよ!
今まで「巡」として生きてきた、って自分では思っていた。
それが、全て、壊されていく。自分が誰なのかわからなくなっていく。
僕は……。
『君は……。「僕」は、翔助だよ』
「翔助」
『翔助』
『君は……翔助だよ』
うるさい!
うるさいうるさいうるさい…………!
どうして今になって出てくるんだよ!
『だって…………。「今回」になって、君はやっと本気でどうにかしようって思い始めたんじゃないの?』
タイムリープに気づいてから「前回」までは、桃花が飛び降りたっていうことを聞いても、心のどこかで「でもまた時間が戻るから」って思っていたんじゃない?
桃花と仲が良い古屋や藤島に最初から頼らなかったのはどうして?
「違う……!」
「翔助…………?」
声に出して否定すると、またも桃花が心配そうな顔をした。
違う。僕は、本当に、彼女を助けたいって。
『じゃあ開けてよ! 早く!!』
『覚悟を決めろ! どうしてこんなことになっているのか知る覚悟を!』
『本当に助けたいと思っているのなら!!!』
わかったよ!!!
頭の中で捲し立ててくる声を大きく頭を振って払い、僕は深呼吸を繰り返した。
目を閉じて、5回。
すぅー…………。はぁ……。という、呼吸音が真っ暗な世界に響く。それに混じって、微かに桃花の息遣いが聞こえる。
生きている。彼女は、今は生きている。
もうこの先、彼女が寿命を全うするまでその呼吸が止まらないように。自ら止めさせないように。
僕は、「翔助」の記憶の引き出しを開けた。
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