第二十六話 大人になったら

「なあ、何歳から大人になるんだと思う?」


 放課後の教室。

 僕、桃花、学、藤島、そして古屋の5人は机を並べて、昨日約束した勉強会をしていた。

 机の上には皆が取りやすいように開けられたクッキーのパッケージと、アーモンドチョコレートの箱、煎餅の袋がある。手が汚れても拭けるようにとウェットティッシュまで置かれていた。

 

 僕は朝に藤島と古屋の2人と会ったのだが、そこで彼女たちが、


『勉強会なのにちょっと楽しみになっちゃって……。コンビニでお菓子買ってきちゃった』

『あ……。実は僕も』


 藤島がクッキーを、古屋がチョコレートを。そして僕が個包装の煎餅がたくさん入った袋を鞄からそれぞれ取り出して悪戯っぽく笑い合った。


『これじゃあほぼお菓子パーティーじゃん』


 と、机にお菓子を出したときにツッコんでいた学が1番手を伸ばしていた。

 いつかのタイムリープのとき、「何か変わったことはないか」と聞いたら「少し体重が増えた」って気にしていなかったっけ?

 今回の世界ではなかったことになったのだろうか。


 エアコンの風を流さないように閉めている窓越しにも、部活動に励む運動部の声が聞こえる。

 サッカー部、野球部、陸上部。それぞれ掛け声が異なっていて、部の個性が表れている。

 藤島や古屋が所属する吹奏楽部は、テスト2週間前になると平日は毎日あった活動が週3回になる。今日は休みと被ったというわけだ。そして、テスト実施期間の4、5日間は休みになるらしい。

 いつからテスト休みになるかも、部活動によってバラバラのようだった。


 他の4人がペンを走らせている中、ぼーっとその声に耳を澄ませて遠くを見ていた学の一言。


 何歳から大人になるんだと思う?


 僕たちは顔を上げて、学の顔を見つめた。急に何を言い出すんだろう。

 彼が今まで解いていたのは数学のプリントだ。まったく関係はないと思うのだが。


 ……いや、急ではないか。もしかしたら、昨日の「大人になってほしくない」などの話を僕から聞き、彼なりに色々考えていたのかもしれない。


「何歳……かぁ。でも成人年齢は18歳だよね!」


 古屋がペンを置いて話に乗っかった。

 18歳。僕たちが今年度迎える年齢だ。藤島は春生まれなのでもうなっていた。


 ——大人になっちゃったねぇ!


 何度目かのタイムリープ。その中で見ていた夢で、誰かが可笑そうに言っていた台詞が蘇る。

 なんだかあの人物のことを思い浮かべると妙な胸騒ぎがするので、頭を小さく振って消した。


「でも高校生とか……このくらいの年齢って、大人っていう感じはしないよね」

「親に学費を出してもらっているしな。酒飲んだりとか……、20歳にならないと出来ないことって多いよな」


 飲酒、喫煙。その他にも探せば色々あるだろうが、20歳になったら解禁されることと言われて思いつくのはこの2つだった。


「全員がお酒飲んだり煙草吸ったりするわけでもないし…………。じゃあ、20歳が大人なのかなぁ?」


 藤島が首を傾げる。


 20歳といったら、大学に通っているかもう社会に出て働いたりしているだろう。いずれにせよ、高校生の僕たちが知らない世界を未来の僕たちはきっと知っている。

 働いてお金を稼ぐことの大変さ。今までより難しい学問。あとは……、何だろう。お酒の美味しさも知っていたりするのだろうか。


 当時の記憶はあまりないけれど、小学1年生の頃に見た上級生は、体や声が大きくて、足が早くて、委員会の委員長などで場を纏めていて……。お互い子どもなのに、「大人っぽいなぁ」なんて考えていた気がする。

 いざ自分がその立場になっても、1年生の頃と何かが変わった気なんてあまりしなくて。


 中学生になったら、1年生も6年生も関係なく「小さいなぁ」なんていう風に、道ですれ違う小学生のことを見ていた。

 それで、高校生のことは「しっかりしていて何でも出来る」という、完璧な超人のように思っていた。家に届く通信教材の漫画の影響が強かったかもしれない。あの中の高校生たちは、部活動や勉強、プライベート全てを充実させていて、キラキラと輝いていたからだ。


 やっぱり、いざ自分が高校生になって……、過去に憧れの目で見つめていたものに今なってみると、何でも出来るわけではないし特にしっかりもしていない。

 年上に対するフィルターというものは、いくつになっても存在するのかもしれない。そして、自分がそれになったら跡形もなく消えてしまうのだろう。


 だから、大学生や社会人としての生活は、今思い描いているほど楽しくないかもしれないし、実りがないかもしれない。あるいは、思ったよりずっと楽しいかもしれない。それは実際になってみることでしか体験出来ないのだ。


 ……大人と子どもの境は、一体どこなのだろう。


 改めて学の質問を頭に浮かべた僕は心の中で首を捻った。

 

「大人になったら、何したい?」


 1番最初の問いについて特に纏めることもなく、学は別の質問を投げかけた。

 

 ……どうしたのだろう。なんだか今日の彼は、物憂げというか…………。心ここにあらず、という感じだ。変なものでも食べたのだろうか。それともお菓子を食べ過ぎて眠くでもなったのだろうか。


「学は何したいの?」


 僕が逆に問うと、彼は頬杖をついてうぅんと唸った。


「俺は…………。勉強、かな」


 しっかりとした口調で答えた。眠くはないようだ。


「今までとあんまり変わんないじゃん」

「いや、今よりもっと専門的なこととか、色々学べるだろ?」


 そう言った後で彼は「ううん」と口の中で小さく発した。先程の唸り声とは少し違う、否定の意味を持つ言葉。


「勉強はやりたいことじゃなくて、やらなきゃいけないことだから……。これとは別に、何かやりたいことは……」


 ぶつぶつと独り言を続ける彼に、僕や藤島、古屋は心配しながら「大丈夫……?」と肩を揺すったり目の前で手を振ったりする。どこかに飛ばしていた意識が戻ってきたのか、学は目をぱちくりと見開いて、それから手元のプリントに視線を落とした。

 勉強に戻るのかと思いきや、顔を上げた彼は僕たちの顔を見回して「で、どう? 何か大人になったらしたいことある?」と同じ質問を繰り返した。


「うーん……。……あ、市民楽団に入って社会人でも吹奏楽は続けたいかな」


 卒業後は就職する予定の古屋が最初に口を開いた。


「あと、1人暮らしもしたいな! それで猫飼う」

「良いねぇ。そしたら遊びに行って良い?」

「もちろん! 桃花ちゃんも来てね?」


 藤島に笑顔でそう言った後、学が最初に質問を投げてから一度も口を開いていない桃花に水を向けた。


「……」


 彼女が一瞬だけ暗い表情をしたのを、僕は見逃さなかった。


 ——……大人にならないでね。


 大人になりたくない。

 大人になるつもりがないから、質問に答えなかったのだろうか。


 しかし直後には微笑んで「うん」と返したので、他には誰もその陰には気がついていない。


「佐久は、何かしたいこととかないのか?」


 学がそう尋ねると、


「…………。…………そうだなぁ、私は、特にまだ、そういうのはないかな」


 俯き気味で誰とも目を合わせず、桃花はそれだけ言った。


 ——どうせ皆大人になれないんだから!!


 あの悲痛な叫び声が、再び聞こえたような気がした。

 彼女の様子に僕は、皆が勉強に戻っても集中することが出来なかった。

 


「桃花は、将来の夢って決まってるの?」


 皆と別れて2人で並んで帰っているときに、僕は隣の彼女にそう聞いた。


 例えば古屋のように、1人暮らしだとか猫を飼うとか、進路以外でのやりたいことがなくても、○○大学に行きたいと言うからには何かしらそこで学びたいことがあるのだろう、と思ったからだ。その学びたいことは、きっと将来やりたいことに繋がっていくだろうから。

 あと、彼女に将来やりたいことや楽しみなことなどを考えてもらって、少しでも未来に希望を持ってほしいという目的もこの質問にはあった。


「…………夢、っていうか……。上手く説明できないけど」


 「正しい」とは何か。「人を助ける」とはどういうことか。大学で色々なことを勉強し、それについて考えるヒントにしたい。

 彼女はそう言った。


 進路が決まっているのに。

 具体的じゃなくても、将来やりたいことがあるのに。


 どうして、大人になりたくないのだろう。


 考え事をしている僕に気づいているのかいないのか、桃花は言葉を続ける。


「それで、それでね…………」














 ——翔助しょうすけのことを助けたいの。

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