第二話 正夢?
夏休み前に僕たち学生の気分を下げる大きな壁、テスト返しが終わった。
全ての教科の返却、そして帰りのホームルームが終了して先生が出ていった後の教室は色々な意味で賑わっている。いや、賑わいと言って良いのかわからないけれど。
「よっしゃあ点数上がったー!」
「お前、順位何位だった?」
「やっべぇ〜俺赤点の教科3つもあるわぁ〜。夏休みの思い出補習だけとか笑えねえー」
「うーわ終わった。終わったわ、終わった」
喜びを含む声。
自分が誰かより上に立ちたいのか知らないが、確認される学年順位。
聞き覚えのある、最早持ちネタと言っても過言ではない台詞。
吐き出される絶望。
ずっと終わったと連呼している彼のことが心配になる。テスト返しが「終わった」ではなく、テストの点数が「終わった」のだろう。彼の周りにいるクラスメイトはどう励ましたら良いかわからないらしく、遠巻きにチラチラと心配するような視線を送っている。彼の周りだけ結界でも張られているのかと錯覚するくらい、綺麗に距離を取られていた。
ざわざわと教室内の会話は盛り上がり、エアコンが効いているのにどことなくじっとりと、嫌な湿度がある暑さをしている気がした。
窓を開けたい。
そして、入道雲が映える夏空の空気を取り込みたい。
「お前、順位何位だった?」
頬杖をついて外を眺めていると、さっきから何度も聞こえる言葉がついに僕のところまでやってきた。
声の主はわかっている。友人の
僕はちらりと彼の方に顔を向けた。学は言い方こそ変わらないが、人によって表情を変えて同じ質問をする。
自分より成績の良さそうな人には、唇をきゅっと結んで目を軽く見開き、力が篭っているような顔をする。
対して、自分より下だろうと思っている人には、口の端をぺろんと緩ませ半笑いで聞く。
僕に対してはどう聞くかって?
もちろん、後者だ。
というか、学が前者の顔をして質問する相手など1人しかいない。
「まぁ学さんよりは下ですよ」
「今更何言ってるんだよ、そんなの当然だろ」
思っていても口には出さないほうが良いと思う。
「順位表見せろよー」
「もう鞄にしまったから嫌だ、面倒くさい」
「しょうがないな、俺の見せてやるよ」
誰も頼んでいないんですけど……。
僕が君に対して頼みたいのは「ちゃんと会話のキャッチボールをして」ということだけだ。
別に良いのに、学は解答用紙より少し小さめの紙をひらりと僕の目の前に突きつけてきた。
「どうだ!」
彼は得意げにふふんと笑った。まあ僕の視界は紙で覆われているから実際には見えないが、声色からどんな表情か手に取るようにわかる。
僕は鼻から大きく息を吐いた。それにあおられて学の順位表が翻った。
「……クラス順位、2位」
僕がそう読み上げると、学はぐうっとうめいた。
「…………流石の俺でも佐久には勝てないんだよな」
そう、学が自分より成績が良いと思って順位を聞く唯一の相手とは、佐久のことだ。
「あいつすごいよなぁ。どうやって勉強してんの?」
「僕に聞くなよ」
「幼馴染だろ、一緒に勉強したりしてないのか?」
「してないって」
ふーん、と学は微妙に納得していなさそうな顔をした。
一緒に勉強という言葉から僕はまた夢を連想した。あのときに映っていた順位表の数字まで僕はくっきりと覚えている。現実で貰った数字より遥かに良かった。そこは正夢になってほしかった。
「佐久、多分塾も通ってないよな。俺が行ってるところにいないし」
「気になるなら本人に聞けよ」
「いや、この間聞いたんだって! そしたら『ノート見返したり授業で貰ったプリント解き直すくらいかな』って。本当なんかなぁ」
「そう言ったんならそれが答えだろ。佐久、嘘つくタイプでもないし」
あれこそ本物の天才ってことか……。
学はぶつぶつと呟きながら、僕の席まで来たときより心なしか猫背になって自分の席まで戻っていった。
僕はちらりと、今まで話題の中心になっていた人物の方へ視線を向けた。
佐久は普段からよく一緒にいる
古屋のはつらつとした声がこちらまで聞こえてくる。
「桃花ちゃんのおかげで今回めっちゃ良かったー! 本当ありがとねえ」
どうやら古屋と藤島は佐久に勉強を教えてもらっていたらしい。
「でさぁ、さっき私と心春で考えたんだけど。桃花ちゃん明日誕生日じゃん? 勉強教えてくれたお礼と、誕生日のお祝いで放課後……」
お菓子パーティーしようよ!
その言葉が脳内で勝手によぎったが、古屋の口からはそれとは違う言葉が出てきた。
「ケーキ食べに行こうよ! 最近できたカフェ、美味しいらしくてさ〜。もちろん、桃花ちゃんの分は私たちの奢り!」
「ええ、そこまでしてもらわなくても……」
「いーのいーの、ね!」
古屋の、後頭部で元気よくぴょこぴょこと揺れるポニーテール。
藤島の、全てを包み込むかのように優しく細められた目。
おろおろとしていた佐久は段々と照れたような表情に変わり、「じゃぁ、お言葉に甘えて……」と小声で言ったのだった。
僕はその様子を見ながら、今はもう関わりがなくなってしまった幼馴染に心の中で「良かったね」と声をかけた。
翌日。
夏休みの前日。そして佐久の誕生日。
僕は担任に用事があったため、いつもより早めに登校していた。
通学路にはまばらにしか人がいない。それも学生ではなく、暑そうにワイシャツの袖を捲り上げた社会人だとか、朝の巡回をしているとでも言わんばかりに悠然と歩く野良猫だとか。
この調子で行ったらきっと教室にもまだ全然人は来ていないだろう。学はいつも遅刻ギリギリに来るしな、寝て時間を潰そうかな、なんて考えながら校門をくぐる。
担任への用事を済ませ、階段を上って教室へ向かう。人がいないから上履きが床を踏む音、鞄につけたキーホルダーが立てるカチャリという金属的な音、踊り場で話す少女たちのひそひそ声がよく響く。
やっぱり教室にはまだ誰もいなかった。
1番最初に来た人がエアコンをつけることになっているが、僕はまだつけずに窓際の自分の席へ鞄を置くと、窓を全開にして深く息を吸った。外気温と、今の室内の温度はそう変わらないから涼しいとは思わないけれど、なんだか開放感があった。
あった、のは、一瞬。
逆さまに落ちてきた少女と目が合い、直後に彼女は地面へと叩きつけられた。
「え」
という、か細い声を僕の耳は確かに拾った。
さっき見えた吊り目も、か細い声も、
嫌だ、見たくない。
見たくないのに勝手に僕の体は動いて窓から身を乗り出し、地面に横たわっている人物を確かめてしまう。
なんで。
どうして、そんな部分を、……正夢にしてしまったんだ。
「佐久……」
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