第13話 波乱

 控え室に戻り一人になっても、俺の興奮はなかなか収まらなかった。

 勝利の余韻を噛み締めながら、試合内容を振り返る。


 おそらくデルモンが見せた隙は、誘いでも何でもなく俺が見抜いた、という事だろう。


 一年前なら勝ち負けはともかく、少なくとも一撃で倒せるような相手じゃなかったはずだ。


 少なくとも西にエントリーしている中でも、デルモンは一番の強敵と言っても差し支えが無い相手のハズ。


「いける、今年こそアルトとの約束を果たせる⋯⋯!」


 子供の頃、俺が勝手にアイツに押し付けた約束ではあるが⋯⋯。


 それでもアルトは妥協なく目指してくれた。

 その気持ちにやっと応えられそうだ、と考えていると⋯⋯。


 バタンッ! と。


 ノックも無しに、控え室のドアが勢いよく開け放たれた。

 そちらに目をやると、妹のエリスが飛び込んで来た。



「お、お兄ちゃんッ! 大変なの! すぐに来て!」


「⋯⋯な、なんだよ急に」


「良いからッ! 早く!」


 エリスに急かされ、会場まで走っていく。

 まだ試合中だろうに、会場は静まり返っていた。


 舞台の上に立ってたのは、アルトとジェダ。

 東の第一回戦のようだ。



「お兄ちゃん、アルトさんを止めて! あんな状態じゃ戦えないよ!」


「あんな状態⋯⋯?」



 エリスの言葉でアルトを見ると⋯⋯。


 顔が真っ青で、尋常じゃない量の脂汗をかいていた。

 動きも精細さに欠け、ジェダの猛攻をギリギリ防いでいる。


 状況がわからず俺が戸惑っていると、会場のヤジが教えてくれた。


「貴公子さんよお、腹を押さえながら何やってんだ! さっさと引っ込め!」


 野次とともに、会場にどっと笑いが起こる。

 嘲笑が巻き起こる中、エリスがさらに説明してくれた。


「アルトさん、入場して来た時点で顔が、真っ青で、体調悪そうなのに、無理して、ねぇ、お兄ちゃん、止めて、私、これ以上見てられない!」


「あ、ああ⋯⋯」


 アルトの様子は明らかにおかしい。

 体調不良なら、確かに試合どころじゃない、俺が舞台に上ろうとすると⋯⋯。


「来るなッ! フェス!」


「あ、アルト⋯⋯」


「そのまま見ていてくれ⋯⋯僕は⋯⋯決勝に進むんだ!」


 アルトの気迫に押され、俺は舞台に上がるのを躊躇ってしまう。


 審判も状況が状況だけに、解説もそっちのけでオロオロとしている。

 その間も、ジェダはアルトの事なんて構わずに攻撃を続けた。


「オラオラオラオラッ! 調子わりぃんなら、サッサと引っ込めや!」


 アルトの身体に、ジェダの剣が何度か触れる。

 ただ、決定打となる一撃は無い。


 焦りからか、ジェダから大振りな攻撃が繰り出された。


 その瞬間、ここが勝負所だと感じたのか、防戦一方だったアルトが前に出ながら突きを放った。


 ──が。


 本調子であれば決まっていたであろうその突きは僅かに逸れ、空を切った。


 伸びきった腕に、ジェダの攻撃が吸い込まれ──。


 ボキッ。


 俺の所まで、骨が砕ける鈍い音が伝わる。

 不運にもジェダの剣はアルトの左手、籠手と鎧の間に入ってしまった。


 アルトが剣を取り落とし、膝をつき、右手で左腕を押さえた。

 ジェダも自らの攻撃が起こした効果に、流石に顔を青ざめさせている。


 先ほどまでヤジが飛んでいた会場も、シーンとなった。


 だがしばらくして──アルトは右手を離し、剣を拾おうとした。

 ブツブツと、呟きが聞こえる。


「決勝に、行かないと、約束、守らないと⋯⋯」


「審判ッ! いい加減に止めろ!」


 たまらず俺が叫ぶと、審判もハッとした表情を浮かべながら言った。


「アルト選手重傷により、試合終了! ジェダ選手の勝利とします!」


 審判の声を聞き、張り詰めていた糸が切れたのか、アルトが倒れる。

 痛みが限界となり、気絶したのだろう。


 だが俺の耳は、倒れる直前の最後の呟きを拾っていた。


『フェス、ごめん』



───────────────────────



『救護班⋯⋯担架を!』


『清掃班、舞台の掃除を⋯⋯』


『みなさま次の試合まで、しばらくお時間頂きます!』


 会場が騒がしくなる中、アルトの呟きがいつまでも耳に残る。

 次に俺の意識を引いたのは、ジェダの言葉だった。


「粘ってんじゃねぇ、クソ野郎が」


 その言葉に──俺の怒りは一瞬で沸騰した。

 舞台に飛び上がり、ジェダの胸ぐらを掴む。


「テメェ⋯⋯」


「な、なんだよ」


「相手の体調考えて試合を一時中断させたり、お前だって言えただろうが!」


「知らねーよ! 体調管理だって剣士の仕事だろうがっ! 戦場で体調悪いからって許して貰えるのかよ!」


「ここは戦場じゃねぇ、あくまで試合だ、殺し合いじゃねぇんだ!」


「はっ、甘いんだよ! 試合でも相手の隙を突くのは常套手段だろ!? 隙見せた方が悪いんだよ、腹壊してるんなら、出てくんなっつうんだ」


 プチン、と聞こえた気がした。

 あっ、ダメだ。


 もう、失格してもいい。


 俺がジェダをぶん殴ってやろうと拳を振り上げると──肘に手が差し込まれ、止められた。


 振り返ると、いつの間に来たのか父がいた。

 会場から飛び降りたのだろう。


「フェスゥウウウウウッ!」


 父は大声で叫び──そのまま俺を殴った。

 俺は地面に倒れ、父を見上げた。


「お前がこんな事で失格になって、アルト君が喜ぶとでも思うかッ!」


「⋯⋯だけど、コイツはアルトをバカに」


「いいから、来いッ!」


 父に引きずられるようにされるまま、控え室に戻った。

 会場スタッフからは何も伝達はない。

 どうやら失格は免れたようだ。


 先ほどまでの形相が嘘だったように、父は普段通りの表情で、何も言わず黙っていた。


 しばらくして、やや冷静さを取り戻した俺は、父に言った。


「去年、さ」


「ああ」


「俺も本番前、腹壊しちゃって。トイレに籠もってたんだけど⋯⋯ちょっと安心してたんだ。こんな状態なら、約束を守れなくても仕方ない、って」


「⋯⋯」


「だけど、アルトは⋯⋯自分が恥をかくのも承知で⋯⋯体調不良の中でも、戦って⋯⋯」


 冷静になったつもりだったが、話しながら俺の目に⋯⋯悔し涙が込み上げてきた。

 自分とアルトの、約束に対する『覚悟』の差を感じてしまった。


「俺は、約束を、破って、でも、破る理由があってホッとしたのに、アルトの奴は、俺との約束を何が何でも、守ろうとして、あんな思いまでして、俺が、勝手に押し付けた、約束なのに⋯⋯! 父さんに、約束は守れって言われたのに、俺は、守ろうとしなくて、アルトは、守ろうとしてくれて、だから、ジェダを殴ろうとしたのも、俺の、八つ当たりなんだ!」

 

 何が言いたいのか、自分でも上手く纏まらない。

 そんな俺の頭を、父はガシッと胸に抱き寄せた。


「⋯⋯父さん?」


「その状況なら、棄権するのも仕方ない。アルト君だって、知ったとしても、お前を責めたりしないさ」


「⋯⋯だけど!」


「でも、それでホッとした自分が許せなかったんだろう?」


「うん⋯⋯」


「ならその気持ちが間違いだと、アルト君が⋯⋯友達が、体を張って気付かせてくれたんだ。後悔はしなくていい。間違いに気付いたなら、今日からまた、約束を守ろうとすれば良いんだ」


 父は叱るでもなく、俺を諭すように言った。

 『友達が気付かせてくれた』

 その言葉が、弱った俺の心に染みた。


「⋯⋯うん」


「フェス⋯⋯アルト君の分まで頑張って、優勝しろ。大丈夫だ、お前ならできる──俺の息子なんだからな」


「うん、うん⋯⋯!」


 父の胸の中で、俺は何度も頷いた。

 そうだ。

 今年こそは、約束を守らなければ。


 アルトがいないなら、俺が優勝する。

 それが彼の思いに報いる、ただ一つの方法だ。


 決意を新たにしながらも──俺は大会に潜む違和感に気付き始めていた。

 

 






 

 




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