22.しあわせ

 幸せって、なんだろうか。


 俺や田所、柳生。

 三人が幸せになる方法なんて、あるのだろうか。

 それぞれの幸せがわからない状態で、それはできるのだろうか。


 俺は、三人でいられたら幸せだった。

 だけど、もうそれもあと数日で終わる。


 違う。


 本来なら、この幸せはもうないはずのものだったのだ。


 柳生が戻ってきていなければ。

 俺は柳生を失っていた。

 違う、もう失っているのだ。


 一人、自室で胡坐をかいた状態のまま、座卓に上半身を預けた。

 一瞬、柳生を失ったのは自分のせいだという声が心の中でわめきかけるが、なんとかそれに蓋をする。

 柳生がいなくなってしまうまで、時間はもう、あまり残っていない。

 自分を責めるのは、今じゃなくてもできる。

 だけど、柳生にあんな言葉を、選択肢を間違えた、なんて言葉を吐かせたままあの世に送り出さずに済む方法を考えることは、今しかできない。


 この十年近く。

 具体的には、八年と四か月ほど。

 柳生はずっと、このためだけに時間と体力を使い続けてきたのだ。

 具体的になにをしたいのかは、教えてもらえないけれども。


 俺の、幸せ。

 柳生がいない世の中でも続いていく人生の中、俺はどうしたら幸せになるのか。

 どうしたら田所は、幸せになれるのか。

 そして、どうしたら柳生を幸せな思いで送り出せるのか。


 幸せってなんなんだろう。


 柳生は、俺たちがどうなれば、幸せだと思っているんだろう。

 目を閉じて、幸せだったころの記憶に思いを馳せる。

 いつだ、なんて迷うことはなかった。


 高校生活。

 その三年間が、幸せだった。


 唯一無二の友人ができた。

 初めての恋をした。

 あの三年間を、ずっと繰り返せたら。

 やり直せるのなら。


 目を開いて、座卓の上に置かれている携帯を開く。

 今はもう、充電がすぐに減ってしまうので、持ち出すことさえできなくなってしまったガラケーだ。

 電源ボタンを押せば、しばらくして液晶が光を放つ。

 メニューから、写真フォルダーを開いた。


 出てきたのは、高校三年間で撮った写真たち。

 わからないところをメールで教えあうためにとったノートや教科書、参考書の写真なんかもあるけれど、圧倒的に多いのは、柳生が撮った俺たちだった。

 高校一年生の遠足時には、もう会話をするようになっていたから、二人での写真はそこから始まっている。

 疲れ果てているくせに笑っている柳生に、まだこの頃は壁があったのかもしれない、なんて思ってしまう。

 しばらくスクロールしていけば、二年生になる。

 二人で撮ったものの中に、少しずつ田所を含めた三人での写真が増えていく。

 田所がいつから柳生を好きになったのか。

 あの頃はタイミングがわかっていないながらに、好きになるとしたら俺相手よりは柳生だよな、となっていたが、こうやって見ているとわかった。

 三年生の写真で、秋、具体的には文化祭後からの写真で、少しだけ柳生に対する田所の表情というか、雰囲気がそれまでの写真とは違っていた。

 ほんのりと頬を淡く染めていたり、視線が普段他の人たちにむけるそれとはまた違う柔らかさをまとっていたり。

 対する柳生は、少しずつ壁がなくなっていっているのが見えて少し微笑ましかった。

 俺はというと、自覚したあたりから一時的に田所と微妙に距離ができていたが、最後のほうになるにつれて距離がもとに戻っていて、頭を抱えてしまう。

 思い出を振り返る、とは言っても、枚数は少ないのですぐに最後のほうまで到達してしまう。


 最後の写真は、卒業式のものだった。

 照れて写真を撮ろうの一言が言えなかった俺の代わりに、柳生が田所に声をかけて、三人で撮った写真。

 なぜか柳生が俺の携帯を持って、三人集まったところを撮っていたっけ。

 三枚くらい撮ろうって話をしていたのに、ふざけて柳生は連写したから、そこだけ似た構図の写真が複数枚ある。

 三人でピースをしていつもの笑顔を浮かべていたところから、徐々に口元を抑えて笑い出す田所に、ケラケラといたずらっ子の笑い声を立てる柳生、そして呆れたふりをしつつ口元が笑ってしまっている俺。

 今にも声が聞こえてきそうな、楽し気な写真。

 思わずこちらまで笑顔になってしまう。

 このときはまだ、田所は告白をしていなかったし、柳生はまだ振っていなかった。

 柳生は、どんな気持ちで田所の告白を振って、どんな気持ちでその後、俺に田所に告白するように言っていたのだろう。


 最後の一枚が視界に入る。


「……柳生、お前は」


 きちんと言葉で言われたわけではない。

 だから、うっすらそうではないのかと思ってはいたけれど、一度も声に出して訊いたことはなかった。

 訊けばよかった。


 額に手をやって、ため息を吐きつつも笑っている俺。

 真ん中で口元を手で押さえつつ、涙をこぼしながら笑う田所。

 そしてその隣。

 柳生はただただ、諦めを含んだ、この上なく優しい瞳で、田所を見つめていた。


 俺は、この瞳を知っている。

 この時点でもしも柳生が田所に対してそういった感情を抱いていたのなら、どうして振ったんだ。

 そんなの、決まっていた。

 俺のためだ。

 俺が田所を好きなことを知っていたから、柳生は自分の気持ちを押し殺して、田所を振った。


 そこまで考えて、ふと、違和感を抱いた。

 俺が田所を好きだから、田所を振った柳生が、どうして今、田所と一緒に暮らしているのか。

 単純に、好きだからなのだと思っていた。

 だけど、ずっと隠して、俺と田所をくっつけようとしていたあいつが、死後、唐突に田所と暮らし始めるのは、よく考えてみたらおかしい。

 生前の柳生ならきっと、そういった、田所と恋愛的な意味合いで近づいてしまうようなことをしないだろうし、するとしたらそれは、俺にはバレないようにするか、俺に言ったうえで許可を取ろうとするだろう。

 別に俺に拒否権もなにもないのだが。


 田所に関することでやりたいことに必要だから、同棲しているのだと思っていた。

 実際、そうなんだろう。

 

 一緒に暮らしていないといけない、もしくはそのくらい時間が必要なこと。

 それが、田所に関することでやりたいこと。

 そしてそれが、田所と、そして俺の幸せにつながると、柳生は思っている。


 なにをしようとしているのか。

 それがわかればきっと、柳生の選択したことを、間違いにしたまま送り出すことはない。

 必死に頭を回転させて――思い出したのは、俺たちが田所に近づくきっかけになった会話を思い出した。


 高校時代、田所の周囲には幽霊がよくいた。

 今もそれは変わっていない、と思う。

 会うときに、見かけたり、見かけなかったりするから、学生時代ほどの頻度かどうかはわからないが。


 それを柳生に話した高校時代の俺は、過去の祖父母のことを思い出し、田所を見張ることにした。

 それが、仲良くなったきっかけだった。


 結局田所は死にかけはしたけれど、今も生きている。

 だから、生死と幽霊が見ている頻度がどのくらい関わっているかはわかってはいないし、どうして彼らが彼女を見ているのかもわからないままだった。


 柳生は今、幽霊だ。

 そして長時間、彼女のそばにいる。

 柳生は田所を思っていて、田所も柳生を思っている。


 祖父母と、似ている。

 祖父はずっと祖母を見守っていて、祖母は祖父が亡くなってから一年経たずに亡くなった。


「……いや、ない。絶対にない」


 柳生が、田所を連れていくはずがない。

 だってそんなことをしたら、少なくとも俺が幸せにならないことだけは柳生にもわかるだろう。

 田所と俺を幸せにする。

 それが目的なら、田所を連れていくはずがないのだ。


 でも、と閃いてしまう。


 二人が幽霊になってしまったら、柳生は生きている人に見えている必要がなくなる。

 俺には、二人が見えるから。

 だから、俺が亡くなるまでは、なんなら亡くなってからも、三人一緒にいられる。


「疲れてんのかな」


 閃いたそれらを振り払うように、頭を振る。

 あり得ない想像をしてしまうのは、よくない。


 今度、柳生に会えたら訊こう。

 柳生がなにをしたいのか、ではない。

 柳生の幸せは、なんなのか、を。


 それまでに、俺はどうしたら幸せなのかを見つけて、それを伝えるんだ。

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