第46話 現在編パートラスト 今伝えるよ

ヘアピンの箱から出てきた一枚の紙。

もちろん、その正体は知っていた。

でも…中に俺の知らないことも書かれていた。


『ごめんなさい。撫子は悪くないんだ。避けるようになったのも、全部俺が勝手にやったことだから…。本当にごめんなさい。』


この俺の文字の下に…彼女からの、俺が受け取れる最後のメッセージが書いてあった。


『何があっても…私の思いは変わらないよ』


所詮はただの文字。

だけど…俺はその一文を見た時…

「そういう…ことか…」

鴇羽のおかげで、俺は気付いた。

自分が撫子に何をしていたのかを。


彼女の最後のメッセージが、今を生きる撫子鴇羽へと繋がっていた。



「ここが…私が過ごした教室…」

家庭科室を出て、三年の時の教室へ。

「うん…えっと、確か最後の席替えで…あっ、そこの席に鴇羽が座ってた…まぁ、今は全然知らない人なんだけどさ…」

「そうだね…。でも、何でだろう、初めて来たはずなのに、何だか懐かしい感じがするよ…」

あぁ…俺、顔色、伺われてるな…。

「噓つかなくてもいい…」

「え?」

撫子は驚いたと言わんばかりの、表情を向けてくる。

「それ…噓だよね…」

「う、ううん。違うよ? あっ、こ、これだけじゃないからね…。露草くんと初めて会った時も、なんだか懐かしい感じがして…初めて会ったとは思えないような…」

「もう…いいんだ…本当にごめん」


『何があっても…私の思いは変わらないよ』


俺だってそうだ。

きっと何があっても鴇羽への思いは変わらないと思う。

だけど…


それを今の撫子に押し付けるのは、最低な行為だよな。


「撫子…?」

「な、何かな…?」

「本当に俺…自分のことばっかり考えてた。昨日のあれだって、多分、心のどこかでは自分の気持ちを整理したくて、それに今の撫子を使った最低な行為だったんだと思う…」


伝わってない。

はっきりと分かる。

彼女に俺は、何も伝えられてない。

昨日のあれじゃ、伝わるわけがない。

だから、改めて、今度は今目の前にいる撫子のために…。


「わ、私は…別に…」

「今日…俺を呼んだのだって……」

「えっ…?」

「昔の自分と俺のために…色々気を遣わせてごめん…」

「そ、そんな…こと……」

「今の撫子の…本心を聞かせて欲しいんだ……」

「……そ、そんなこと…言えない…よ…」

肩を震わせ、何かに怯えるような撫子。

「怖いのは分かる…でも、頼む!」

「…………」

しばらく悩んだ末、撫子は口を開く。

「分かった…全部、正直に言うね…」

「うん…ありがとう…」

撫子は少しだけ、にっこりと笑って言う。

「まだ露草くんのことよく知らないし…それに自分のことだってよく分からない…だけど…」

震える手と、声で、撫子は思いを続ける。


「私、露草くんと出会えて本当によかった!」


「…………」

嬉しい言葉のはずなのに、どこか切なさがある。

この気持ちは何なんだろう…。

「あの時…露草くん、私に言ってくれたよね? 今の私は、昔の私とは違う、別人なんだって…昔の私に縛られないで、今の私を大切にって…」

「それは別に…深い意味はなくて…そ、その…」

説教臭かったし、偉そうな発言だったから、本当は嫌だった…なんて言われるかなって思った。

それに俺自身の自己満足のためでもあったし…。

だけど、撫子の反応は違った。

「私、その言葉を言われた時、すごく嬉しかった…」

「え?」

「本当は誰にも言えなかったけど怖かった…」

撫子はそのまま、捨てられた子犬のような、憂いを帯びた瞳で話を続ける。

「過去の私を壊さないように、一生懸命取り繕って…初対面の人でも、まるで知り合いかのように接して…」

辛い…よな。

こんなこと、考えなくても分かる。

今、目の前にいる撫子鴇羽という人間が、どれだけ心細くて、辛くて、苦しくて、悲しかったのか…。

自分がその立場だったらと、考えるだけで手が震えそうになる。

「でも、露草くんに言われて、私は、私として生きていいんだって…過去の撫子鴇羽に縛られる必要ないんだって…初めてそう思えたの…だからっ…!」

キュッと服の裾を掴み、力の籠った声で……

「今の私の本心…露草くんに出会えて本当によかった!」

再び言われた言葉。

しかし、さっきと違う所がある。

本心…。

今の撫子が、本当に心の底から思って、発してくれた言葉。

彼女という人間の俺に対する思い。

「素直に嬉しいよ…ありがとう…」

そう返事をする。

「あっ…うんっ!」

「まぁその…なんかお別れするみたいになってるんだけど…」

「ち、違うからね! た、確かにお別れみたいな空気になってるけど……その……他にも言いたいことがあって……」

次に撫子が言った言葉。

その言葉に俺は体を硬直させる。


「好きです……私と……付き合ってくれませんか…?」


こんなにも、悲しい告白があるだろうか。

先ほど、本心と言った彼女の言葉。

あれは噓ではなかっただろう。

確かに感じた。

出会えてよかったという思いを。

しかし、それがあったからこそ、分かってしまう。

この告白が本心の思いか、噓の思いか。


あぁ…やっぱり変わっても優しいんだな。

撫子鴇羽という人間は。

まぁ、さっきから嫌というほど、実感していることだけど。


「ごめん…それはできない…」

「えっ…どう…して……」

「だって…撫子、俺に恋愛感情、抱いてないでしょ?」


はっきりと分かる。

あの言葉は、噓の思いだと。

でもその中にある。

優しさは本物だ。


「何回も言ってるけどさ…いや、今の撫子が分かってくれるまで、何回も言うんだけど。もう、誰かに…自分自身に気を遣わなくていいんだ。さっき自分で言ってた、今の私は私なんだって…それでいいんだよ。だから、過去の鴇羽のこと、俺のこと…何も気にしなくていいんだ…」

吹っ切れたように、見せて。

最後の最後は、俺にも、鴇羽にも気を遣う。

もっと、自分自身を大切にして欲しいよ…。

撫子の瞳から、ポツリポツリと涙が零れる。

「なんで…分かっちゃうかな……ぐすっ……」

「そういうところ…昔と一緒だ」

ここで比較はしてはいけないはずなのに…。

これは失礼な行為であると分かっているのに、口を止められなかった。

「人の顔色を伺って、いつも自分のことは後回し。誰かに気を遣って、自分の意見を殺しちゃう…そんな女の子だったんだよ…撫子鴇羽って子は…」

「そう…なんだ……」

「まぁ、俺が偉そうに言えるほど、深くは知らないかもしれないけど…」

この先は本当に言ってはいけない。

それは分かっていた。

だけど…抑えられなかった。

「似てる…」

「やっぱり…私…似てるんだ…」

「ああ、正直言って、性格も容姿、全く同じだよ…だからこそ俺は…」

ギュッと自分の手を握る。

まるで力を籠めるように。


「撫子鴇羽のことが好きだ…。付き合ってほしい……」


こんなことを言っても、悲しくなるだけなのに。

俺ってば…今さら……なんだよ…。

「あっ…そ、それは……どっちの…って、そんなこと聞くなんて、私馬鹿だよね…ごめんね。昔の私に決まってるよね…」

「違う。どっちもだ」

「えっ…どっちも?」

撫子は驚いたように瞳を見開く。

「ああ。きっと過去の幻影を追いかけているだけなんだ…今の撫子には失礼かもしれないけど、昔の撫子と…鴇羽と、照らし合わせて…だから好きって気持ちが溢れるんだ…」

「そ、そう……なんだ………私のこと…」

「一緒に過ごした日々も何もかもが、俺にしか残ってないことは分かってる。照らし合わせた所で、それは幻想でしかないのなんて、嫌っていうほど、最近突き付けられてる…でも、それでも答えが欲しい…ずっと俺が伝えられなかった思いの…言葉にできなかった思いへの……」

ずっと…ずっと心の奥底で飼っていた言葉。

最近、やっと何度か口にすることができた。

あとは…撫子鴇羽の…答えを待つだけである。


「うん…分かった…ちゃんと答えるね…今を生きる…撫子鴇羽として……」


撫子は答えてくれた。

言葉にできなかった思いに対する答えを…。



この日、五年越しに俺の思いは終着点へとたどり着き、結末を迎えた。

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