第10話:「Lv0<最弱>の一撃」


「に、逃げて、ください、リクさん…!!」


「なにを…逃げるの君の方だ、ルチェ」


うるさい羽虫を払うようにソードベアはルチェにその爪を振るうが、すんでのところでルチェはそれを避ける。


それはルチェが動けるからとかではなく、あの魔物が本気でないのと、たまたま当たらなかったという、ただの運でしかない。


「早く…君まで、やられたら、おれは」


「いや、ですっ!」


「ルチェ!」


「リクさんが、い、いなければ、わたしはずっと、ずっとあのまま一人でした!」


魔物の攻撃をかいくぐり、臆病な妖精は泣きそうになりながら必死に叫ぶ。


「今のわたしには、記憶も、なにもありません…! でも、だからこそわたしは…! リクさんだけは、わたしを救ってくれた人だけは、なにに変えても守ります!」


それは頼りないふらふらとした、今にも消えそうな光。

だが、その光は確実に闇を晴らす。


「だって、それすら無くしてしまったら、自分は本当になにものでもなくなってしまうから!!」


魔物の爪がルチェにかすりその小さな身体に傷をつける。

それでも、彼女は諦めない。


爪も、牙も剣も、なにもない身で、ただ必死に魔物に食らいつく。

おれはその姿に言葉を忘れ、目を離せなくなる。


どうして、この小さな妖精の背中が、あの人師匠の背中と被るのだろう。


「そしていつか…!!」


ルチェの瞳は涙で溢れ、顔は恐怖で歪んでいる。

だけれど、それはどんな勇者よりも勇ましく、揺るぎないものに見える。


そして、ルチェは叫ぶ。


「わたしは、隣でリクさんを助けられるように、なりたいのです!!!」


その言葉に、おれは目が覚めるようだった。


「……ああ」


あの寒空で見た景色が脳裏に浮かぶ。

届かぬ手を伸ばしたあの日を。


おれもルチェも勘違いをしていた。

おれたちは一方的に相手を助ける関係なんかではなかった。

そう、まったく違っていた。


幸いにして、世界にはそれを指す言葉がある。おれが憧れているあの言葉。


「──相棒、だよな」


業を煮やしたのか、ソードベアは吠え、本気でその爪を振るう。

もしその爪が当たれば、ルチェはひとたまりもないだろう。


怯んだルチェは目を瞑り覚悟する。

自分の運命を。


だが、彼女が覚悟した結末は絶対にやってこない。

おれが、やってこさせない。


ソードベアの一撃は割り込んだおれによって受け止められる。


「おれさ、憧れてたんだ」


「リ、リクさん…!?」


最後の魔力を振り絞って、身体を強化している。

魔力切れと出血でくらくらするが、不思議と身体は動く。

これも、これまでの修行の成果だろうか。なら、すこしは救われる。


「ずっと、仲間が欲しかった。一緒に冒険をする仲間が」


おれをそのまま押し潰そうとソードベアは力を強くする。


「だから、ルチェ。よかったらなんだが」


吠える魔物。さらに逆の腕からの一撃。

身体が吹き飛びそうになるが、耐える。何事も根性だ。


そして、おれは先のルチェの言葉に返礼するようにして言葉を紡ぐ。


「──おれの、友達になってくれないか」


対する返答は、こわいのか、痛いのか、なんなのか、めちゃくちゃな感情で叫ぶようなものだった。


でも、たぶん、それは彼女の産声のようなものだったのだろう。


「も、もちろんっですっ!!!!」


ルチェの叫び。

それを聞いて、おれは久しぶりに心から笑う。

学園ではできなかった、あの遠い田舎の村での記憶にあるような笑いを。


「あははは! じゃあ、一緒に帰らないとな!」


奴の両腕をはじき、おれは睨む。

ソードベアを、おれたちの敵を。自らの冒険の障害を。


相対するソードベアも睨む。

おれを、ルチェを。自らの生命の障害を。


「それでは、決着としよう」


応えるようにソードベアは吠える。


それを合図にして、おれは握っていた左の拳を緩める。

そこには赤く輝くブラッドハウンドの魔石。ルチェの作ってくれた隙を使って、拳に握りこんでいたのだ。


それを再び握り、砕く。


粉々に弾ける魔石。それは内包していた魔力を発散させ、魔力が尽きたおれの身体に収束する。

魔石は魔力の塊だ、魔導具の動力となり、足りない魔力を魔石によって補うこともできる。緊急用のブースト手段。


おれは魔石からもたらされた魔力をすべて『強化限界強化魔法リミット・ブレイカー』へと回す。


そして、すぐさま地面を蹴り、無事な左腕でソードベアに強化された拳を見舞う。


「まだだ!」


さらに魔石を取り出し、砕く。


重ねて強化。強化は三式、そして四式へ。


砕き、殴る。

さらに、砕き、殴る。殴る。殴る。


その連撃を繰り返す。


それは強化に強化をもって、強化を重ねる所行。おれに残された最後の魔法に限界はない。やるなら派手に、だ。


決着、幕引き、手向けの一撃。

半端なところでは止めてやらない。今のおれレベル0の全力でこいつを倒す!


すべての魔石を砕き、今や魔力の奔流を纏ったおれは言う。


「…行くぞ。見せてやろう、最強最弱の元魔導士の一撃を」


──至るは、『十式強化』。


砕けた結晶と紅く染まった魔力が左腕を手甲ガントレットのように覆う。

それは赤い、暴虐の左腕。ただの強化魔法は今、『必殺』と相成った。


そして、唱えるのはもう呪文ではない。


「必殺魔拳──『熊殺しベア・ブレイカー』」


破壊という概念が顕現し、迷宮が轟いた。


+ + +


「ん、ぐ…?」


目を開けるが暗い。なにも見えない。

おれは死んでしまったのだろうか。


「ぐむむっ…!?」


息ができない。

やはり死んでしまったのか、と思うがこの感覚には覚えがあった。


自分の顔をまさぐりその原因を探す。

案の状、おれの顔面には生暖かい塊が抱きついていた。

本当に死んでしまわないうちに引きはがす。


「ルチェ、頼むから、顔面に張り付くのはやめてくれ…」


「リ、リク、リクしゃああああああああああ」


涙とよだれでびちゃびちゃで、血と汚れでぐちゃぐちゃなこの塊はおそらくルチェだろう。

笑ってしまうくらいにお互い満身創痍だ。


というか、おれは何度ルチェの前で気絶すれば済むのだろうか。

次回辺りには、そろそろ本当に死んでしまってそうだ。


「よ、よがっだでず…びぎででぇ!!」


「すまない、ちょっとなに言ってるのかわからない」


自分の身体を見てみるが、本当に生きてるのが不思議なくらいぼろぼろだった。あの一撃の反動で吹き飛んだのだろうが、なけなしの全身強化で助かったのだろう。


ふと傍らを見ると、ソードベアの亡骸があった。

あり得ないほどの強化を重ねた拳によって、上半身が吹き飛んでいる。


さすがにちょっとやり過ぎた。


だが、なんとか勝てた。


「よし、とにかくまずは治療だな。他の魔物が寄ってこないうちに移動しよう」


「は、はい…!」


ルチェとおれは、満身創痍ながら最初の障害を乗り越え、冒険を進める。

憧れていた、相棒となる相手をお互いの隣に置いて。


しかし、次の苦難がおれたちを待ち受けていた。

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