第5話:「故郷の夢、君だけの冒険<ロマン>」

「リクくーん」


ルチェとは違う懐かしい声。その声でおれは自分が夢を見ていることに気付く。

なぜならその声の主とは、数年前に別れたから。


「ねえ、おーいってば。リクくんやーい」


頬をむにむにと引かれる感触。


「むぐ…あ…師匠」


「やっと起きた。まったく、こんなところで寝てると風邪引くよ? しかし、君のほっぺは本当にむにむにだな…こんなの犯罪だぞ…」


柔らかな笑みを浮かべつつ、おれの頬を揉むのは白髪の若い女性。長い髪は顔の半分を隠すほど。


彼女はおれの師匠だ。


周囲は雪深い田舎の、懐かしい景色。

ここはおれと師匠が暮らしたあの村なのだろう。


「おい…やめ…ちょっと、いつまで揉んでるんだ」


「かわいい私の弟子を可愛がってなにが悪いかね。しかし君ぃ、まーた魔力が切れるまで修行してたのかい?」


「そうだ。やれるとこまでやらないと師匠あんたには追いつけないからな」


「うへえ、こんな私に追いつきたいとか君も物好きだねえ」


やれやれ誰に似たんだか、と顔をしかめながら、それでもどこかうれしそうに言う師匠。

おれは師匠に手を引かれ、立ち上がる。


「リクくん、明日には学園に向かうんだよね」


「ああ。そういう師匠はフロンティアに戻るんだよな」


「うん、まあね。やっと君のお守りから解放されるってとこかな」


にへへと笑い、伸びをする師匠。

困ったような笑い方が、この人の癖だ。


おれは幼い頃、この人に拾われた。

かつてフロンティアの英雄とまで謳われた師匠は、拾ったおれを育てるために前線を退き、こんな田舎の片隅に居を移したらしい。以来、この人は自分のいるべき場所フロンティアには戻っていない。


つまり、おれはずっと、この人のお荷物だったのだ。


「あ、ほーら、ノルンちゃんが呼んでるよ。今日の晩ご飯なんだろうねえ」


遠くで夕食ができたと、こちらに手を振る幼なじみの少女の姿。

いつも通りの時間に、いつも通りの出来事。平和な時、穏やかな日常。

それはきっと得がたいものなのだろう。


しかし、おれと師匠はそれを捨ててでも歩むを進める。

それぞれの場所へ。


「さあ早く行こう、リクくん。今日は私たちの旅立ちのお祝いさ。きっと肉と肉と肉が出る! 今日は野菜なんて食べないぞ!!」


「だから野菜も食べないとだめだって何回言わせるんだ…」


前を向けば、そこにはおれの先を進む師匠の姿。夕日が雪に散乱して、師匠の背中を照らしている。

手を伸ばせば届くけれど、それは冬の空よりも高く、遠くにある背中。


おれはその背中に、無意識に手を伸ばしていた。


でも、ただ憧れ続けるのは今日で終わりだ。

おれは明日から学園へ行く。そこで鍛錬して、この距離を埋めてみせる。


そのためならなにを犠牲にしてもいい。

それだけの決意はある。


「ねえねえ、リクくん」


そんなおれの気持ちを知ってか知らずか、師匠はこちらを見ず背中を向けたまま、独り言のように語り始める。忘れたくても忘れられないあの瞬間の言葉を。


「色々言ったし、反対もしたけどさ。今の私は、君がいつかフロンティアに来るのを楽しみにしてるんだ」


ざくりと雪を踏む師匠。

新雪を汚し、歩みを刻む。それは前に立つものだけの特権。


「この村を出て、学園でもフロンティアに着くまでも、たくさんの苦難があると思う。嫌なことも苦しいことも、もうダメ、マジで死ぬー!!って、こともね」


大げさな身振りで笑いながら彼女は語る。

茶化してはいるが、それは実際に師匠自身が体験したことなのだろう。


「けどね、それがきっと君の冒険になる」


一度きりの、君だけの冒険さ、と師匠。


「だから、私からは一つだけ」


冬の風が吹き、寒空に師匠とおれの吐く息は白く染まる。

そこには熱があるがゆえに。


「なにがあっても君の、『君だけの冒険』ロマンを止めるなよ、少年」


+ + +


「……ぬぁば!」


本日二度目の気絶から目覚める。

くそ、よりにもよってあの時の夢を見るとは。センチメンタルに殺されるかと思った。


「リ、リクしゃ…リクしゃーーーーーん!!」


目覚めた途端、顔面にやわらかく生温かいなにかが張り付く。

それはたぶんルチェだろう。ただ口も鼻もふさぐのはやめて欲しい、今度は本当に死んでしまう。


窒息しないようルチェを引きはがすと彼女は自分自身の涙とよだれでびちゃびちゃになっていた。

無論張り付かれていたおれの顔も悲惨なことになっていることだろう。


「ずびば、ごめんなさい、う゛ぁた…わたしのせいで…!」


妖精から分泌された諸々の液体を拭き取っていると、魔法が封印されたことをルチェは謝ってくれた。


だけれど、それは違う。


「違うぞルチェ。君のせいじゃない、おれが望んで勝手にやったことだ」


そう、おれがルチェを助けたくて自分で決めてやったことだ。

むしろルチェは止めてくれた立場なのだ。


「でも…」


「くどいぞ、むしろ君を解放できてよかった。こうして君の顔も見れたしな」


「リクしゃぁ…」


「…まあ、見るに堪えない泣き顔だが」


「リクしゃあああああ!!」


からかわれ、また泣きそうになる妖精。また色んなものをびちゃびちゃにされては堪らないのでとりあえず彼女をなだめることにする。まったく、この小さい身体のどこからこんな水分が出るというのか。


妖精とは不思議な生き物である。


+ + +


「落ち着いたか?」


「はひ、おひつきまひた」


もにもにとした喋りは食べ物で口がいっぱいだから。

ルチェを落ち着けようと携行食の干し肉を渡したのだ。


しかし、下手をすれば数千年ぶりの食事かもしれないので夢中になるのもわかるが、ルチェは見た目も行動もまるで小さな子どものようなので見ていておもしろい。


「ぷは。でも、リクさんはすごいですね。魔法を失っても冷静で…」


「ん? ああいや、でも気絶したぞ? かっこ悪いとこを見せてしまった」


魔力切れもあるとはいえ、ショックのあまりぶっ倒れたのはなかなかに恥ずかしい。


「そ、そんなことありません…! 普通、もっと慌てたり、怒ったりすると思います」


「まあ、なんていうかな。ちょっと夢を見たんだよ」


「夢、ですか?」


それは旅立ちに師匠からもらった言葉。

どんな状況でも、おれは止まるわけにはいかない。あの人に追いつくために。

おれの冒険ロマンを果たすために。


とはいえ、気合いだけではどうにもならない。

魔法が封印されてしまったのなら、別の手段を考える必要があるだろう。


「とにかく、まずはここから二人で脱出する方法を考えよう」


「そ、そうですね! わたしもなんでもお手伝いします!」


ここは遙か迷宮の最下層。

Lv0最弱の元魔導士と妖精、二人の冒険がここからはじまるのだ。

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