第177話 魔王な始祖と世界会談Ⅲ



 ヒイロは私の全身をくまなく見渡す。



 足のつま先から膝、腰からお腹へと視線は移り、胸元に差し掛かった辺りで一時停止。そうして何事もなかったよう微笑んだ。



「大丈夫そう……だね、よかったぁ。もし少しでも当たってたらっと思ってたんだけど、うん、いつもの綺麗なリアちゃんだ」


「心配性ね。あんな攻撃が私に当たる訳ないのに……」



 そう言いつつもヒイロの視線が気になり、リアはシーリンを膝で押さえつけながら自身の胸元を確認する。


 解れた糸。直撃はおろか触れたわけでもないのに、聖衣は表面だけが酷く焼けただれていた。


 留め具は溶け、胸元を覆い隠していたストールはいつの間にか消えている。

 後に残るは形のいい豊満な胸と、抑え込む姿勢から生まれた立派な谷間だけだった。



(あら? 避けきったと思ったのに、どうやら余波だけでダメになっちゃったみたいね。……ヒイロのえっち)



 見られて困るものでもなく、寧ろ散々見てる筈なのに興味を示してくれるのは純粋に嬉しい。

 するとヒイロも視線に気づいたのだろう。視線を彷徨わせ、恥ずかしそうにはにかんだ。


 そんな国宝級の可愛さに胸を打たれ、リアは少しだけ拘束を緩めてしまう。

 


「私に、触れるな!!」


「あ」



 肩の外れる音がはっきり聴こえ、不安定な姿勢からの蹴りがリアに繰り出される。

 手を添え、蹴りの軌道を少し調整。そのまま手を伸ばせば、シーリンは慌てたようにその場を飛び退く。


 憎々し気な視線と共に、荒い呼吸を繰り返すシーリン。

 片腕は焼き切られ、残った腕も力なくだらんと垂らされるその姿。



(うっかりしてたわ、まさか肩を無理やりに外して抜け出すなんて……その執念と気迫は褒めるけど、まぁひと手間増えただけね)



 死に体の彼女、再び拘束するなどリアにとって容易なことだ。

 そう思い身を屈めると、視界の端に白い腕が伸ばされる。



「……鎖よ」



 澄んだ声が空気に溶け込み、神聖な鎖の顕現。

 それらはジャラジャラと音を鳴らし、まるで意志を持ったかのよう獲物シーリンへ撃ち放たれる。


 片腕は焼き切られ、外れた腕をぶら下げながらも気を失わない胆力。その上で二度もの鎖を躱したのは賞賛に値するが、ヒイロから逃れることなど不可能だ。



 片足に鎖が巻き付く。



「ぐぅ!? こんな鎖などッ……!!」



 次に首に巻き付かれ、腰、足と順に食らいつく。

 ヒイロの追撃はそれだけには止まらない。



「天上の封剣よ、降り注げ」



 雁字搦めに拘束されたシーリンに対し、天より精剣が雨の如く降り注ぐ。


 直撃は必須。避けようもない剣雨により、その場一帯は弾けるようにして吹き飛んだ。

 激しい爆風が巻き起こり、満盈まんえいする砂煙。



 どうなったかなど、わざわざ確認するまでもない。

 ただ、出来ればヒイロにはその力を隠して欲しかった。だって後で絶対に変なのが湧いてくるから。



 未来に集るであろう蝿の対処を考えつつ、リアはまき散らされた砂煙の中を見据えた。

 全身に何十もの鎖を巻きつかせ、その上から刺し貫く精剣の数々。まるで剣山に磔にされた罪人のような光景だ。



「これは……見事な聖光魔法じゃの。手負の騎士にはちと、過剰すぎる気もするが……」



 私の領域内に足を踏み入れ、髭を撫でながら感嘆の声を漏らすは剣聖のお爺ちゃん。


(あれは魔法じゃなくてスキルなんだけどね。束縛効果に行動デバフを付与する《制約の鎖》、幽体化を含めありとあらゆる魔法封印を施す《かんする精剣》。ヒイロが聖光魔法なんか使ったら、ここら一帯吹き飛んじゃうわ)


 前世ゲームの頃によく目にしていたコンボ。

 そこに補助スキルや続く三手がないことを見るに、恐らくやりすぎたと思い直したのだろう。

 ちゃっかり、切り飛ばした腕は塞いであるし。



「シーリン!」



 大勢の乱れた足音が聴こえてくる。


 駆けつけたのは女騎士シーリンの主人、女帝とその他の面々だった。

 議長であるドルモア、会議中ちょくちょく視界に入った見覚えのある服装の聖職者、そして皇帝とその護衛達だ。



「これは……いや、それよりも――其方は一体何をやっているのだ」


「……」


「この場で聖技解放を行うなど、リア殿を……我々を殺すつもりか? 何を考えておる?」



 そう激怒した女帝を見て、リアは静観することにした。何故ならこれ以上は火の聖女ではなく、彼女の主である女帝に任せるべきだと判断したからだった。


 役目を終え、一時の休憩時間。

 リアはヒイロに歩み寄り、その存在と匂いを堪能することにした。……手握っちゃダメかしら?



 そんな桃色な空間が広がる一方で、繰り広げられる問答は続く。



「……陛下」


「はぁ……あれ程までに私情は捨てろと、神像に誓いまで立たせた上で同行を許した。それは一重に其方の揺るぎない忠誠を信じていたからだ。だが、この状況はどうだ? 其方は……いま自分が何を犯したのかわかっているのか!?」



 シーリンに向かって、女帝の持った黄金槌が振り下ろされる。

 眼前に向けられた獲物に対し、感情の渦巻いた表情を見せたシーリンは、徐々にその顔に陰りを落とす。



「……」


「答えろ、シーリン!」


 沈黙が訪れ、大多数の人間が固唾を飲む。

 周囲には会談の参加者が集まり、距離をとった所でこの状況を見定めていた。


 時間にして一分に満たない寸刻、それでも長く感じられた世界でそれは聴こえた。

 


「貴女にはわかりませんよ……陛下」


「なんだと?」



 再び顔を上げた彼女は――笑っていた。

 まるで自嘲するかのよう口元を歪め、主であった筈の女帝を冷めた目で見下している。


 そんな瞳がジロリとリアを見る。

 徐々に見開かれるまなこは憎悪を宿し、噛み締められた唇からは一滴の血が零れた。



「そいつが、そいつが姉さんを……! なぜまだ生きている? なぜ貴様はそこで息をし、心の臓を動かしているのだ? 確かに聖技解放はした筈だ、だというのに何故!?」


「っ、シーリン……」



 血走った目が向けられる。

 脅威ではないが、見てて気持ちのいい物じゃない。


(あの子から見たら逆恨み……でも、私から見れば紛れもない事実なのよね。まぁ、恨むなら大切な姉に加護の押し売りした、あの女アウロディーネを恨んで欲しいのだけど)


 絶え間ない呪詛を吐き続けられながらも、右から左に流してそんなことを考えていたリア。

 入り乱れた鎖は激しく打ち鳴らされ、前のめりになった体から徐々に白い魔力が滲みだす。


 そんな彼女に対し、会場の騎士達は包囲を固め、少し離れた距離から主の指示を待っていた。



「リアちゃん、どうしてあんなに恨まれてるの?」


「う~ん、大切な姉を死なせてしまった・・・・・・・・……からかしら。一時的とはいえPT組んでたから」


「それって……」



 顔を向けてきたヒイロに、リアは平然と微笑みながら頷く。

 すると少し悲しそうな表情を見せたヒイロは、その視線を戻す。



「力の証明……? そんなものがなくとも、アウロディーネ様のお役に立てられればそれは紛れもない英雄の所業! 役目を放棄し、己の保身に走ってあの御方の使徒を死なせた罪ぃ! その女は……断じて英雄などではない!!」


 滲ませた魔力は段々と色濃くなり、淡い白色が空気中に漂い始める。

 女帝は言葉を失い、手負いの獣ともいえる気迫に会場が飲まれ始めていた。


「姉さんが……アイシャ姉さんが生きていれば、こんなことにはならなかった! きっと多少の無理をしてでも、空間魔法を繋げ、他の英雄を離脱させることもできた筈なんだ! 姉さんが、生きてさえいれば……」


 そう空虚に言葉を漏らし、シーリンの頬から一滴の雫が零れ落ちる。


 魔法の封印が施された魔力は行き場を失い、漂わせた魔力にはうっすらと濁りのようなものが見えた気がした。



「この魔力は……無駄な抵抗はよせ。これ以上何かするというのなら、その首を即刻」


「撥ねるのか?」


「……」


「それもいい、私がここで死ねば……姉さんの元へ行けるだろうか?」



 脱力した様子で天を仰ぎ、誰に対してでもなく独り言を口ずさんだシーリン。

 白金髪のポニーテールが揺れ動き、まるで何かを見るかのようその目を見開いていく。


「あぁ……あぁぁああ!! 姉さん、姉さん姉さん姉さん姉さん……! アイシャ……姉さん」


 突然に嘆き出す彼女は誰を見ているのか。

 もはや正常な状態とはかけ離れたシーリンに対し、リアは違和感を覚え始める。



「うーん、なんだか嫌な予感がするなぁ」



 ヒイロは素早く空に文字を描き、座標をシーリンに指定。

 数秒も立たないうちに囲う兵士と彼女の間に二枚の境界が施された。


 隣でそれを見ていたお爺ちゃんはあんぐりと口を開け、横目にヒイロを凝視する。



「"破邪領域"に"退赦たいしゃの境界"まで、それはちょっと過剰じゃ……」



"姉さん?"



 そんな呟きのようなものが聴こえ、リアは咄嗟に振り返る。

 その瞬間、膨大な魔力の奔流が会場内に吹き荒れた。



「ヒイロの障壁があるのに、これは……っ」



 吹き荒れる視界の中、薄目にリアが見たもの。

 それは――




「アハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!」



 未だ拘束は解けず、自由は訪れないまま狂ったように笑い出すシーリン。

 先ほどまでとは明らかに異なる様子。


 会場内を埋め尽くす魔力は白と黒が混ざり合い、異常事態と言わざる得ない状況にリアは瞬時に気持ちを切り替えた。



「静観……なんて言ってられないわね」

《一心詠唱》《焔の導き》《詠唱定義》《炎神ノ加護》



 ガチ装備じゃない上、レーヴァテインも未装備。

 人目がある以上、相応の火系統で対処するほかない。


(色々と不足感は否めないけど、まずは最上位で……!)


「合わせるよ、リアちゃん」

《魔力強化》《魔力超強化》《祝福された器》《大聖女の加護》



「悪く思わないでよ、シーリン」

【炎焦魔法】――"紅蓮の破滅クリムゾンノート"


 ヒイロの結界越しに座標を固定し、シーリンを囲うよう幾つもの魔法陣が展開。

 シーリンの笑い声が一拍途切れ、会場内には白と黒の閃光が点滅した。


 次の瞬間――音は消え、世界は爆炎と灼熱に吞み込まれた。

 触れてもいない天上の障壁は無残に砕け散り、シーリンの一撃とは比較にならない程の爆風が会場内で巻き起こる。



 視界内には踏みとどまる女帝の前に、皇帝自ら己を盾にして庇ってる姿が見えた。

 ヒイロの結界と障壁、どちらも張られた上でのただの爆風。彼らなら大丈夫だろう。


 砂埃が舞い散る中、足元を見下ろすリア。

 そこにはいつの間にか、この場には似つかわしくない花々が咲き始めている。


(丈夫なタイルを突き破っての急成長、明らかに人為的なものね。スキルか魔法か、燃やすことは……できるか。でも次から次へと育つなら意味はないわ、これらの大本は……)


 試しに花々を燃やし、今なお増え続けるそれら。

 狂気的な笑いは消えた、だが漂う魔力とその存在感は一向に消える気配がない。むしろ今までとは比較にならない程、強くなっている気すらある。


 彼女シーリンは間違いなく加護持ちじゃなかった。それどころか装備で埋め合わせをしてただけで最上位とはいえ、素のリアの全力に加え、ヒイロのバフが入った一撃を耐えられるわけがない。

 間違いなく肉片すら残らず、その存在をこの世から完全に抹消していることだろう。


 煙が晴れ始め、うっすらとそのシルエット・・・・・が浮き彫りになり始めた。

 それを見た瞬間、リアの口元が無意識に歪められる。



「加護を得た、というにはあまりにも違い過ぎるわね」


「姿に変化はないけど、存在感が大きく増したねぇ。特殊アイテムでも使ったのかな?」



 並び立つヒイロは次元ポケットを開こうとし、その手を止めて無手に構えた。

 お互いにガチ装備は全て外した状態、だが隣に彼女がいるならなんら問題ない。



「これが……私? すごい、体の奥深くから力が漲って……ふふ、ふふふ……アハハハハハハハハハ!! これが! これがあの御方の恩寵!! 私にも、私はついに英雄の壁を越えたのか!!? あぁ……あぁぁ! 姉さん見てて!私が姉さんの成しえなかったこの世の不条理と不合理、その全てを絶ち切ってみせるから!!」


 切り飛ばした腕は生え直し、外れた肩を物ともせずに天を仰ぎ見るシーリン。

 鎧は先ほどの魔法で消し飛び、裸体の上に魔力を強固させたものが鎧の代わりとなっている。


 違う点があるとすれば、それは白金だった髪色にピンクが混じり合い、体中を覆う魔力が何十倍にも膨れ上がっているということ。


 狂気的な笑いはピタリと止まり、『だが』と感情の抜け落ちた顔がゆっくりとこちらを見た。



「まずは貴様だ。火の聖女、リア・ホワイト」



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