第173話 慎ましい聖女さま


 道中多くの視線に晒されながら、使節団は無事に会場へと到着した。



 単調でゆっくりなリズムで揺れる車内。


 リアはヒイロにもたれかかり、その肩を借りるよう頭を置いている。

 呼吸をする度に甘い香りが漂い、小さな吐息と共に揺れ動く馬車。


 そんな至福のひと時を堪能している中、敷地内に車輪が入った瞬間にリアは目を開ける。



「ん……?」


「見られてるね。数まではわからないけど……敵意はなさそうかなぁ?」


「うん、そうみたい」



 薄目に窓の外へ視線を向け、そして正面に座るフィリスを見てにこりと微笑む。

 赤面した顔を両手で覆い、指の隙間からチラチラ見るフィリスが可愛い。

 

 窓の外には広々とした空間が広がり、無数に警備の騎士と魔法士の姿らしきものが視界に映る。

 見る限り、庭園といっても差し支えないだけの敷地が広がっており、そんなの最奥に位置するのは、クルセイドアの神殿にも劣らない真っ白な建造物だった。


 恐らく、あれが世界会談レガリアの会場だろう。



 扉のない巨大な出入口には幾つもの高級馬車が停車し、そこは様々な恰好をした者達で溢れている。


 遠目でもわかる。

 煌びやかな正装に魔法のかかった武具、馬車から降りる者達は誰もが付き人を二人から三人連れており、その佇まいや雰囲気からこの世界だとそこそこにレベルが高い者達だということを。


(誰も彼も……まるで世界の命運を握ってます、みたいな顔つきね。はぁ、あんな人間達とこれから会談するの? 嫌だなぁ、行きたくないなぁ……このままずっとヒイロとイチャイチャしてたいわぁ)


 そんな愚痴を内心で吐き散らかし、リアはぐったりとしたまま小太りで頭つるつるなお爺さんが建物へ入っていく光景を眺めていた。


 体感では数秒程度のぼんやりだったが、どうやらもう入り口で着いたらしい。

 御者の到着の声が聞こえ、「着いたみたいだよ?」というヒイロの声に退かれ身を起こす。


 狭い室内で可能な限り体を伸ばし、扉へ手をかけようとしたところで外からどよめきが聞こえてくる。

 領域内に感知できたのはヒイロと私、そしてフィリスと護衛騎士。あとは――



「リア、私だ。扉を開けてもいいだろうか?」


 その声が聞こえた瞬間、車内のフィリスは慌てふためき、ヒイロは「どうする?」と首を傾ける。

 エスコートなどいらないのだが、リアは先ほどの光景を思い出し身を引いた。


「はい、それじゃあお願いします。殿下・・



 そうして一拍おいて扉が開かれると、予想通り無数の人間の目に晒されながら、リアはレクスィオにエスコートされることとなる。


 魔族大陸ほどじゃないにしても、この国も十分に雪は積もり肌寒い空気が漂っている。

 毛皮の黒コートに高価な装飾、腰には一振りの剣を携え、身なりはいつも以上に整えられたレクスィオが私を出迎えた。


 といっても、リアが男に腕など組むはずもなく、レクスィオも理解してるからこそ指先だけだ。


 細やかな動き、紳士的な態度、リアの個人空間パーソナルスペースをできる限り侵さないよう心掛けているのはその動きから見て取れる。


(ふふ、生意気ね。でも……正直助かるわ)


 決して口にはしないが、今のリアにとってそういった細やかな配慮は気分がいい。

 だから何も不満に思うことなく、大人しくリアはレクスィオにリードされるのだった。


 二人の後ろにはヒイロとガリウム、そしてフィリスや使節団を含めた大所帯が続いていく。



「色々とあったと聞いているが、とりあえず無事に間に合ってよかったよ。リア」


「そうね。思わず壊したく……帰りそうになったわ」


「……踏みとどまってくれて何よりだ。彼女たちのおかげかな?」



 声量を抑えながら口にするレクスィオはヒイロとフィリスに振り返る。

 二人はそんな視線に気づき、にこりと微笑み、慌てて顔を俯かせた。



「ええ、私を癒してくれるのはいつだって可愛い子だけだもの」


「君らしいな」


 そう言って笑うレクスィオは、リアを横目に見据えながらその顔に陰りを落とす。


「もしかしたらこの先、それ以上に君を不快にするようなことがあるかもしれない。いや、間違いなくあるだろう。だがどうか耐えて欲しい」


「……」



 レクスィオ自身が心苦しそうに言うが、それについてはリアであっても即答はできない。

 というより意味がないだろう。


 道中で起きた他の英雄たちの安否、敵意を隠すことなく向けてくる憎悪の目。

 私のことであれば歯牙にもかける必要はない、けれどオリヴィアちゃんや他の子に矛先が向けられるなら話は別である。



「酷なことを言っているのはわかってる。しかし今日だけは『人類種』の火の聖女として振舞って欲しいんだ。話したくなければ話さなくていい、後は私が全て対処しよう」


「ふふ、できるの? 貴方に」


「やるしかないさ。君とこの関係を持つと決めた以上、私にはそれしかないからな」


「ふーん」



 無数の足音が響く中、リアは隣で歩くレクスィオをちらりと見る。


 前世では見慣れた黒髪と黒目。

 その整った顔立ちには明瞭に強い意志が表れ、口にした言葉が決して虚勢を張ったわけではないことがわかる。武力という面では頼りないが、今回のような場なら試す価値があるのかもしれない。



「それじゃあお願いしますね? 面倒だと思ったら全て投げますので、殿下が私を守ってください」


「言葉遣いの割に内容が酷いな。だが……ああ、任せて欲しい」



 レクスィオは一瞬だけ驚きはしたものの、明らかにほっとした様子で頷く。

 するとその時、領域外から明らかに使節団とは異なった、大げさな足音が聴こえてきた。



「久しいなぁ、クルセイドアの小僧」


「貴方は、っ――……恩寵を授かりし帝国の主に、ご挨拶申し上げます。イルシオン皇帝陛下」



 畏まったレクスィオは頭を下げ、その先に居たのはコントラストの強い猛獣だった。


 身に纏う衣服から髪色まで、全身を黒と金色に染めたギラギラしたお爺さん。

 まるでライオンを彷彿とさせるような長いタテガミを後ろに流し、黒を基調とした軽鎧の上にゴワゴワな毛皮のマントを羽織っている。

 背丈も肩幅も、何もかもが大きく、そして太い。



「ほう……随分と垢抜けたな。どうやら見放されていた野良犬は牙の使い方を覚えたらしい」


「事実であることに否定はできません、ですが野良犬だって噛みつきはするのですよ? 陛下」


「クククッ、王太子の座を得て自信に繋がったか? だが悪くない。今の貴様でもまだ食い足りないが、以前のようなつまらん様より断然いい。そうは思わないか? フォルトゥナ」


「……」


「ふん、まぁいい。貴様のその変化は余にとっても嬉しいことだ。そして」


 顎鬚を摩りながら笑うお爺ちゃんは、その獰猛な瞳をリアへと向ける。


「その変化を齎したであろう人物にも――余は興味がある」


 まるで面白いものを見つけたかのよう、ニヤリと笑うお爺ちゃん。


(私はないですー! どうしてこっちを見るのかしら? 私は限られた時間をヒイロとイチャイチャしてたいの、貴方はその後ろのガチガチな騎士とイチャイチャしてなさいよ!!)



 さり気なくレクスィオの後ろにフェードアウトしたリアだったが、それは虚しい抵抗に終わる。

 見るからに面倒な相手。陛下という以上どこぞの王族であり、今回の参加者なのは間違いない。

 

「リアちゃんリアちゃん、呼ばれてるよ? 今日だけは聖女として頑張るんでしょ?」


「……」


 ヒイロの囁きに仕方なくリアは目を向ける。すると、ますます笑みを深める皇帝と目があった。

 リアは小さく……本当に小さくため息をつき、姿勢を正しながらカーテシーをした。



「リア・ホワイトです。こんにちは・・・・・、皇帝陛下」


「こんにちは、ホワイト令嬢。余はイルシオン帝国皇帝、ライオネル・ロワ・イルシオンと言う。会えて嬉しいぞ」



 ささやかな反撃をしたにも関わらず、皇帝はまるで気にした様子もなく上機嫌に微笑む。

 その姿は装備や事前情報を知ってなければ、近所のお爺ちゃんだとすら思えるほどのフランクさ。


 リアは握手を求められた手を数秒見据え、仕方なくその手を取ることにした。


 その瞬間――全身を突き刺すような威圧がリアへと降り注ぐ。


 冬の寒さとは別の冷気が全身を包み込み、空気がびりびりと振動するほどの煩な威圧。

 微笑んだ爺の顔を狂気に染め上げ、周囲の重力が何倍もの重さでリアへと圧し掛かった。



 後ろからは無数のうめき声が上がりだし、膝をつくような鈍い音と嗚咽を漏らす声が次々と聴こえてくる。その中でも特にリアの注意を引いたのは、フィリスちゃんの苦しそうな声。



「もういいですか?」


「!」


 リアからすればそよ風程度の威圧。だが、フィリスちゃんを苦しめたのは見過ごせない。


「皇帝陛下は随分とお茶目な一面があるんですね? よろしければ、私のお遊びも見て頂けませんか?」


「ほぅ……」


 握る手に一切の力を入れず、一見すればただの握手に見えるソレ。

 皇帝は最初こそ驚きはしたものの、すぐにギラギラとした挑戦的な笑みを浮かべ出す。


(その顔、どうやらわざとやったみたいね。このくらいなら英雄レベルか少し下、戦闘狂の類かしら? だったら逆に思惑に乗らない方が――いや、それじゃあ私の気が済まないわ)


 一瞬にも満たない思考でそう結論付け、リアは【原初の覇気】を滲ませる。

 すると握手をしていた手が、やや乱暴に振り払われたのだ。


「……っ、………! …………!!?」


 数歩のステップで飛びのき、不思議そうにリアと床を交互に見つめる皇帝。


「何故……余が下がっているのだ? 何が、今のは……前兆か……?」


 その姿勢は腰を落とし、いつでも対処できるよう戦いに身を投じる者の構え。

 驚愕としたままジッと手を見つめ、そして我に返ったようにまた口元を歪め出す。


「ホワイト令嬢……いや、火の聖女よ。想像以上だ……其方、本当に若輩の英雄か?」


「……? どこまでご存じかは知りませんが、私は確かに英雄には・・・・なったばかりですよ」


「そうか、だがこれは……――ククッ、ククク……クァーッハハハハハ!!!」



 突然笑い出す皇帝は心底面白いといった様子で顔を手で覆い、その愉快そうな笑い声は通路中に響き渡った。

 そして満足したのか、いや興奮は収まらない様子でぐわりと顔をこちらに向ける皇帝。


「面白い、面白いぞ火の聖女!! いや、親しみと敬意を持ってこ『リア嬢』と呼ばせて貰おう!! まさか余の威圧を受け切り、あまつさえ前兆だけで余をここまで唸らせるかッ!!」


「……」


「世間では其方を臆病者、卑怯者と揶揄する声もあるようだが、そんな戯言はどうでもいい! これ程の覇気を有する者が敵に恐れを成して逃げる? 実力のない噂が独り歩きしたお飾りの英雄? 笑止! 事実がどうであれ、其方が並みの英雄ではないのは確かなのだ!!」


「…………」


 選択の失敗を悟り、リアはとりあえず微笑んだ。

 するとそれをどう受け取ったのか、皇帝はその目をなお一層に輝かせる。


(あーこれ実力主義の類だわ。強いと知ってあの嬉しそうな顔、どうしよ? まずはこの場から去ることが優先よね。このままじゃ次は何を要求されるかわかったものじゃないし、うっかりやらかす可能性も……)


 内心で思考をフル回転させ、この場をどう切り抜けるかを考える。

 するとそんな私の思考を読んだのだろう。


「リアちゃん、大丈夫? もうここを離れた方が――」


 そう耳打ちをする・・・・・・ヒイロの声が聴こえた瞬間、リアは即座に直剣を引き抜いた。

 キーンという甲高い金属音が通路中へ反響し、時間差でその刀身が床に転がる。



「ありがとう、ヒイロ。確かに時間も迫ってることだし、そろそろ行きましょうか」



 直剣を次元ポケットにしまい、何事もなかったかのよう振り返るリア。


 静寂が満ち、刀身の折れた剣を構えるフルプレートの騎士はただ立ち尽くす。

 何が起こったのか、いつ抜いたのか、剣の軌道からその振りぬく刀身まで、何一つ疑問は潰えぬままただ折れた剣を唖然と見つめるフォルトゥナ。


 もはやその頭に『陛下の御前で内密な話をする無礼』などいうものはなかった。



「わぁ、いつ見ても凄いね~! リアちゃんはやっぱり私の騎士様だね♪」


「私が手を出さなくとも、ヒイロならどうとでもなったでしょ? ……恥ずかしい」


「ふふ、体が動いちゃった?」


 静まり返る空間では二人の声だけが響く。

 リアは完全無意識・・・・・で動いたことに後悔はない。しかしそれを想い人にまざまざと見せつけ、更にはしっかりと把握されていることに若干の羞恥心を覚えたのだ。


「………………うん」


「もう、本当に可愛いなぁ!」


 ヒイロはリアの手を引き、二人だけの世界に入った聖女と修道女はそのまま通路を歩き出す。

 そうして、その場には眼前で繰り広げれた状況についていけてない者達だけが残ることとなった。


 皇帝は顎を摩りながら、きょとんとした顔でそんな二人を見送る。



「…………ふむ。命拾いしたな、フォルトゥナ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る