第168話 始祖が知らない二人の女神



 時は遡り、リアが魔城で一晩を明かした時に戻る。



 現存する世界とは別の空間、およそ時間という概念があるかもわからない場所。


 世界は千変万化する空に覆われ、揺らめく色の下には無限に続く広大な花畑が広がっている。

 花は多種多様に埋められ、そのどれもが世界にはある筈もない不整な形状や色をしていた。


 空気には色が付き、時間の流れは不可逆的に一進一退を繰り返す。

 ここは世界の理から外れし異空間。


 そんな不可思議な空間の花畑に根を下ろし、世界を見下ろせるだけの巨大樹が聳え立っていた。



 美しい光景、見る人が見ればまさに幻想の領域。

 感嘆は自然と漏れ、暫くはその場から動くことはできないだろう。


 そう思えるほど壮麗な景色の中、夥しい量の花びらが無残にも散った。



「なんなんですか! あれは!!」



 物理法則など意味をなさないこの空間で、人為的……いや神為的に起こされるそよ風は存在する。

しかしその花びらの舞い方は、嵐に飲まれ、望みもしない強制的な暴風のそれに類似していた。



「はぁ……はぁ……! 私の……私の可愛い子供たちが、死んだ……?」



 荒々しく息を溢し、肩を震わせながら女は花畑に立ち尽くす。

 それはこの空間の主でもあり、花びらが吹き荒れた原因でもあった。


「この私の加護を受け、寵愛まで余すことなく与え続けた子供たちが一斉に。どうして……?」


 女は誰に喋ってるわけでもなく、独り言のように何もない空間を凝視して手を震わせる。


 膝裏にまで届きそうなピンク色の髪を揺らし、少しの動作で肌が見えてしまう踊り子のような衣装。

 そんな彼女の背中には、彼女の今の心境をこれでもかと表すくらいに、ルーンのような紋様の翼が激しく収縮を繰り返していた。


 虚空を見つめる目はぷるぷると震え、それは次第にマグマのような怒りがにじみ出す。


「あの女ッ! 悍ましい吸血鬼の分際で……私の可愛い子供達を。同族を助けに来たとでもいうつもり!? 汚らわしい! ……汚らわしい汚らわしい汚らわしい汚らわしいぃ!!!」


 絶世の美女は両腕を抱え、これでもかと呪詛のように呟き続ける。

 ギリッと歯が擦り合い、全身で怒りを露わにしたそれはふと我に返った。


「アレは……なに? どうしてあれだけの力を持った吸血鬼がまだこの世界に居るの? それだけじゃない、他の三人だってそう。あの光の柱は間違いなく神聖魔法の行使の筈、今この世界で極致魔法を使えるのは私……それと」


「ぷふっ」


「っ! ……ヘスティナ?」


「ククク……ククククッ! ……アハハハハハハッ!!!」



 子供のような鼻にかかった甘い声が空間に響き渡る。

 それは心底楽しそうに、無邪気で中性的な笑い声。



「ヘスティナ……貴女の仕業ですか」



 視線だけで人を殺せるほどの殺意を籠め、ピンク髪の女性、アウロディーネはジロりとそれを見る。

 宵闇の黒髪が巨大樹に垂れ、全身を蔦と十字架にがんじがらめに拘束された――半身を失いつつある女神のなれのはて。


 それでも、ヘスティナは余裕の笑みをもって見下す。



「さぁ? 仮にそうだったとして、僕が君に教えると思うかい? いいじゃないか、知らないままそこでもっと踊ってなよ。愚かな君にはお似合いな姿さ」


「そうですか、やっぱり……貴女の仕業ですか! なにを、どうやって干渉したのです!? アレらは貴女が加護を与えたんでしょう? いつから、この状況を見越していたのですか!!」



 周辺に咲き誇る花畑は徐々に枯れ始め、それでも尚、アウロディーネは憎々しげにヘスティナを睨みつける。背中の紋様は大きく振動し、翼は通常の数倍に膨れ上がっていた。


 そんなアウロディーネの怒気を、まるでそよ風に触れるような涼し気な顔でヘスティナは微笑む。



「可哀そうに」


「何を……」


「可哀そうな可哀そうなアウロディーネ。……大切に、大切に育て見守って来た子供達、死んじゃったんだ? それなら僕らの気持ちも少しはわかるんじゃないかな?」


「意味のわからないことを……ハッ! 可哀そうだと言うのなら、今の貴女の方がよっぽど私には可哀そうに見えますけどね? 魔族なぞを作った貴女らしい、実に見るに堪えない醜悪な姿です」


 自分の優勢を自覚したアウロディーネは、その表情に少しばかりの余裕が生まれる。

 しかし、当のヘスティナはどこ吹く風であり、そんな反応がまたアウロディーネをイラつかせた。


「元々、この私と同じ位に居るのが不思議なくらいではありましたが、今や下界の悍ましい魔族にすら劣る様です。……折れた角、捥がれた黒翼、手足は一本ずつ消失し、存在感だってもはや元の4分の1に過ぎません。それに……」


 両手を合わせたアウロディーネはヘスティナを凝視し、まるで花の咲いたような満面の笑みを浮かべた。


「あはっ♪ また減ってるんじゃないですか? そんな取った・・・つもりはなかったんですけど、どうやら力の加減がまだ不慣れなようですね」


 そう言って笑うアウロディーネの顔には、言葉とは裏腹にこれでもかと圧倒的な自信が垣間見えた。


「だったら尚更無駄な抵抗はやめて、何をしたのかを私に――」


「教えるわけないじゃん」


 冷ややかなヘスティナの言葉に、アウロディーネはその表情を消した。


「貴女、今なんて」


「僕は君と違って、我が子は大事にするんだよね。……あの子達が困ってるなら助けたいし、苦しんでるなら代わってあげたい。僕を助けたいと言ってくれたあの子リアには……報いてあげたいんだ」


「何をぶつぶつと……それに私が、愛する子達を大事にしてないというのですか。種族を作ることばかりに感け、繁栄を放棄していた貴女が! 私は貴女達とは違う。人類種を繁栄の道へと進ませ、誰にも害されないよう導き、世界をあるべき姿へと戻すのです!!」


「はぁ……その妄言は聞き飽きたよ? 過干渉することが導きだと勘違いしてるなら、本当に救いようがないバカだ。君は」


「バカ……? 代用品の癖に……! はぁ、今はいいです。それよりどうやって干渉したのか答えなさい。私達は直接下界に干渉はできない、それは"摂理"を作った私達が最も理解しています。抜け道などない、ある筈もない。だから――」



 アウロディーネの立っていた花畑が陥没し、次の瞬間ヘスティナの首を巨大樹ごと締め上げた。



「教えなさい、何をしたのですか? あの忌々しいルールをどうやって搔い潜ったのです? あれは私達では不可能な、唯一あの御方だけが破ることのできる絶対不変の摂理です。いい加減に話しなさい、ヘスティナ!!」


「自画自賛もいいけどさ、『魅惑の支配それ』は効かないって前にも言ったじゃん。もしかして今ならやれると思った? 君の権能じゃ、僕の権能を支配することは不可能だよ。いい加減学ぼうよ」


「くぅ……!」



 ヘスティナは一切の抵抗をしていない、というより出来るはずもない。

 それでも、悔しそうに歯嚙みするアウロディーネと涼し気なヘスティナの表情を見れば、この場でどちらに優位が傾いているかは明白だった。


 アウロディーネはヘスティナの首を一層に締め上げ、鷲掴みする手に力を籠める。

 巨大樹は軋み、埋め込まれた十字架ごと陥没する。それでもヘスティナの表情は変わらない。



「もういいかな? 僕の子供達なら大歓迎だけど、君みたいなアバズレにいつまでも触っていて欲しくないんだよね」


「……っ!」



 怒りが再発し、これ以上にないほどを両眼を見開いたアウロディーネ。だが反対にその手は徐々に解かれていってしまう。

 浮遊したまま地面に足をつけ、取れる手段のなくなったアウロディーネは只々ヘスティナを睨みつけた。



「後悔しますよ。貴女が作り育てた物など、いつでも消し去ることができるんですから」


「やってから言わないと。だから『バカ』って言われるんだよ? アウロディーネちゃん」



 その瞬間、アウロディーネの足場が四散し、綺麗な肌には皺がうっすらと浮かぶ。

 閉じられた口角はピクピクと痙攣させ、ピンク色の髪がふわりと宙へ漂いだした。


 二人の視線が交差し、数秒の沈黙がそよ風を生む。


 そうして視線だけで神を殺せるほどの殺気を纏ったアウロディーネは、踵を返して行くのだった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 アバズレが去っていく姿を眺めながらヘスティナは思う。


 どうせ、次に目が覚めたらまた居るんだろうなぁっと。


 ここに名称なんてものはない。

 ただ無理やりにつけるとするならば――"神域"

 そう呼ぶのが一番しっくり来る場所だろう。


 ヘスティナを含め、これまで三柱……いや四柱しか訪れた者はいない、世界から隔離された空間。


 しかしそんなことはどうでもいい。

 それよりも今は、この数百年ぶりに感じる昂りをヘスティナは噛み締めたかった。



「ぷっ……


 ――あっはははははははははははははははははははははははははははははっ!!!」



 誰もいない空間で只一人、無邪気な笑い声が広がる。

 陥没した巨大樹は形を戻し、飛び散った花畑は時間が逆行するかのよう元通りになっていく。


 なんの変化もない。ただアレに吸収されるのを待つばかりの世界で、ヘスティナはリアと話す以外に久しぶりに心から笑った。

 喜びが禁じ得ない、やってよかった、そう思えるだけのことが起きたのだ。



「はぁ、もう堪んない♪ あの女のあんな姿をもう一度見られるなんてね。ふふふ……駄目、思い出すだけで笑えてくる。全く……僕の娘は最高に親孝行な子だよ」



 磔にされた体はまるで石のようにピクリとも動かない、それでも頬は自然と緩んでしまう。

 思い出すのは文字通り、自身の体の一部を分け与えて創ったリアのことだ。



 他の魔族こども達も、もちろんヘスティナの子供ではある。

 彼らには加護を与え、環境を与え、進化を促し、その体と魔力に変化を齎した。


 しかし、リアに限っては根本から異なる。



 あの特異な魂を受け入れるだけの器を創造し、その能力を十二分に扱えるように魂と肉体を少しばかり分け与えた。

 それはこの窮地な状況に加え、何より異世界の魂という初めての試みで、勝手がわからなかったからという理由もある。


 これは彼女の友人、もとい恋人達にも当てはまった。

 違う点があるとすれば、それは――


(彼女達の魂も、この世界の存在に比べれば信じられないほど強靭だった。けどリア程じゃない。少しの魔力と権能、そして一度経験したことでそこまで次の器を作ることは難しくなかった。でもリアは)


 アウロディーネはヘスティナの急激な弱体化を、自身の吸収によるものだと思い込んでいる。

 それは正しくもあり、そう思わせたのもヘスティナに他ならないわけだが、実際はこの状況が物語っていた。


(まさか――『神核』を欠片にしてまで、眷族に譲渡するとは思わないよね。僕がアレの立場だったら選択肢にすら入らないし、普通に正気の沙汰じゃない。邪道も邪道、常識…… 理 ことわり外れもいいとこさ。でも彼女は適応した……してみせたんだ)


「ふふ、僕は邪神らしいし、このくらいは当然だよね……? 少し無理はしすぎちゃったけど、君は確かにまた・・言ってくれたから」


 ヘスティナは美しい光景を見て笑い、静かに瞼を閉ざす。

 思い出すは最初の夢幻世界、『八橙理亜』の魂を初めて器に入れた時のこと。


『話はわかったわ。確かにゲームの頃より色々鮮明ね。血管が透けて見えるし、嗅覚だって敏感。明らかに体の構造が変わったのはわかる。……でもいいの? 私の為とはいえ記憶に蓋なんかしちゃって。この会話すら覚えてないってことでしょ?』


『それは仕方ないよ。じゃないと下界に降りた時、魂と肉体の反発は避けられない。最悪、君の人間性部分がズタズタに壊れちゃう可能性だってあるからね。……それは僕の本位じゃないんだ』


 すると、そんなヘスティナをどう思ったのか。

 銀色の髪を靡かせた吸血鬼は表情を緩め、まるで素直に咲く花のように微笑んだ。


『わかった、じゃあ後は転生後あっちの私に任せましょう? 本能に忠実だというのなら、貴女みたいな可愛い子を放って置けるわけがないもの」



 きっと……私が貴女を助けてくれるわ。ヘスティナ


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