第169話 広がる世界への波紋
私は非常に困っていた。
想像していた反応とは真逆……いや、考えもしなかった状況に戸惑っていたのだ。
最愛の妹は涙を溢し、まるで幼子のように私に抱き着いてくる姿。
……超かわいい。
"運命"と呟いたアイリスの真意はわからない。
けれど、この可愛さを前にしてしまえば他のことなどどうでもよくなってしまう。
それくらい私の妹は可愛い!
甘い香りがふわりと漂い、柔らかな感触と共に可愛らしくすすり泣く可憐な妹。
呼吸を乱し、吹きかけられた暖かな吐息には少しくすぐったさを覚えてしまう。
「……お姉さま、……お姉さまぁ……!」
「もう、いい加減泣き止みなさい? せっかくの可愛い顔が台無しよ」
あまりの可愛さに自然と頬は緩み、リアはその涙を優しく拭う。
すると可愛らしい顔がこちらへと向き、その宝石のように紅い瞳が暗闇の中で一層に煌めいた。
(うーん、泣いてても可愛いものは可愛いわね? というかそんな泣き顔も最高にそそられるわ。ふふっ♪ ……――じゃなくて! なんでアイリスは突然、泣いちゃったのかしら? もしかして私またなんかやっちゃった?)
小さな頭をそっと撫でながら、リアは恐らく原因となった暴露内容を思い起こす。
すると不規則にも、覚束ない足音が聞こえてきた。
「貴女もなの? レーテ」
「リア様……私、私は……っ」
恍惚とした表情を浮かべ、眼前まで歩み寄るレーテはその場で崩れ落ちる。
どうやら、今の彼女はアイリスと似た状況らしい。
(なんだか想像してた反応と違うなぁ……拒絶や距離を置く、なんてことはないと思ってたけど。まさかこんなに感激されちゃうなんてね)
その理由がどうであれ、彼女たちから近づいてきてくれるのは純粋に嬉しい。
リアは傍で跪いたレーテと見つめ合い、気づけばその頭にポンと手を置いていた。
「ごめんなさい……話す機会がなかったとはいえ、結果的に貴女達を騙していたことになるわ。私は……」
「そんなことありませんわ!」
そう声を上げたのは勢いよく顔を上げたアイリス。
リアは思わず呆けてしまい、その目に浮かぶ涙を凝視してしまう。
すると、少し遅れて「そうですね」というレーテの声が続いた。
「そう? 私は貴女達の想像していた始祖本人じゃないのよ。それでもいいの?」
「はい。……私は、私とアイリス様は、リア様が始祖だからという理由だけで共に居たわけではありません。リア様を……お、お慕いしてるからこそ、この身を捧げて付き従うと決めたのです。ですから――」
「その通りなのですわ! レーテに先を越されたのは癪ですが。お姉さまが何者であろうと、私はお傍から離れるつもりはありませんの! 確かに……最初こそ少し違う思惑もありましたが、今となってはお姉さまのいらっしゃらない世界など考えるだけで恐ろしいのです。だから……そんなことを仰らないでください」
赤い瞳を潤ませ、その頬からぽろりと一粒の涙が零れ落ちる。
子供のように服を掴み、まるで懇願するかのようジッと見つめてくるアイリス。
(私の妹可愛すぎない? え……え? こんなに可愛いこと言って貰えるお姉ちゃんってこの世にいる? 私だけじゃないの?? はぁ、ダメね。本当なら涙を拭うくらいしてあげなきゃいけないのに、この瞳から目を逸らせそうにない。――キスしたい)
あまりの可愛さに思考がぐるぐると周り、取り合えずキスしようと思ったところで誰かの手が頭に置かれる。
「エルシア……?」
「リアは何というか、本当に変わってますね」
「そう? 私なんて普通よ、普通」
多少乱暴にされようと、リアにとっては痛くも痒くもない。
だというのに
撫でられた箇所はぽかぽかとした熱が広がり、向けられる視線は感じるだけで胸の当たりがキュンキュン煩い。微笑むエルシアに安息の地、控えめに言って溶けるわ。
「普通? うーん、リアが普通……ふふっ、そうですね? リアは普通の女の子です」
「……ありがとう、エルシア」
LFOの話をしていた時には驚愕し、動揺を露わにしていたエルシア。
しかし今の彼女にその様子はなく、あるのは只々聖母の微笑みで頭を撫でてくれるそんな姿だった。
「エルシア様は……どうして平然としていられるんですの?」
そうぼそりと呟いたのは、私の胸元ですっかり泣き止んだアイリス。
エルシアは撫でる手を止めることなく、空いた手を口元に置いて考える。
「うーん、そうですね。……正直に言えば、リアの身の上話は私の理解の範疇を軽く超えていました。ですから平然とする、というより……諸々を受け入れてしまった方が楽に思えたんです。それに……」
「それに……?」
「神を殺し、神に認められ世界を渡ったそんなリアが――二人に戸惑う姿が可愛らしくて♪」
思い出したかのようクスクスと笑い出すエルシアに、リアも内心納得する。
彼女は何も思わない訳ではない。ただ受け入れてくれただけ。
思考停止とは別に、それだけリア・アルカードという存在を信用してくれているのだろう。
(いやいや、エルシアの方がずっと可愛いわ! でもそんな貴女も大好き!! それに……彼女は一見して儚げで物腰の柔らかい印象あるけど、意外と
そんなエルシアの変わらぬ姿にリアは心地よさを覚え、アイリスは首を傾げた。
それを言うなら神々しいでは……?なんて呟きが聴こえもしたが、リアとしては「可愛い」と言ってくれた方が普通に嬉しかったりはする。
冷徹で傲慢、自身の尺度でしか物を考えないリアも一人の女の子なのだ。
そうして若干の眠気を感じながらレーテの「もっと話を聞きたい」という言葉から、リアはLFOの思い出話を話し聞かせることにした。
この際、ヒイロ達を呼んで昔話に花を咲かせることも考えはしたが、この
それに何より、今はこの幸せな空間から出たくなかった。
動くのが面倒だったとも言える。
「――……どう? みんな凄いでしょう。純粋な戦闘職には一歩劣るけど、ヒイロはそれを技術と経験だけで対処しちゃうの。それにカエデだってね、本人はよく『私なんか』なんて言いはするけど、……あそこまで多才で全てが高水準なんて、LFO中探しても……そうそう……だから、それにエイスだって…………すぅ」
「リア?」
一言問いかければ喜々として語り聞かせてくれる彼女な吸血鬼。
そんな彼女の永遠ともいえる話し声が時間と共に途切れ始め、ついには静かな寝息だけが聴こえてきた。
レーテは夢境の世界へと行ってしまったリアにすかさず布団をかけ直し、私とアイリスちゃんはその寝顔をジッと見つめていた。
「ふふっ、お姉さまったら♪」
「寝てしまいましたね? ……あどけない寝顔、やっぱり可愛い」
「ごゆるりとお休みください。リア様」
こうして、
窓の
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窓を超え、男のテーブルには陽光が差し込む。
室内にはメイドの声が静かに響き渡り、紙の捲る音と共に小さな溜息が吐き出される。
執務机に座る男、部屋の主でもあるレクスィオは静かにメイドを見据え、手元の書類へと目を落とす。
「これで3件目か。救い出された者達はどうしている?」
「えっと、今回の
「それは獣人や魔族もかい?」
「はい、ただ種族上、下手に処置を施さない状態にもあるとの報告が」
「……種族の壁か。その件に関しては私からアイリーンに聞いてみよう。一先ず、彼らには食事と休息を与えてやってくれ」
「かしこまりました」
悩みの種が次から次へと湧いてくる。息つく暇がない。
それでもつい先日まで続いていた"王位継承争い"に比べれば、幾分かマシなのもまた事実だった。
レクスィオは思わず自嘲の笑みを零す。贅沢な悩みだと。
「……まだ、なにかあるのか?」
「い、いえ! ただ、その……」
「?」
歯切れの悪い彼女に首を傾げるレクスィオ。
すると目を泳がせたゾーイは、まるで覚悟を決めたかのよう口を開いた。
「ま、魔族もっ! 治療……されるのですか?」
嫌悪してるわけでも、憎悪してるわけでもない。
しかし、その言葉の節々から彼女の戸惑いは伝わってくる。
(差別意識のない、能力至上主義なあのディズニィから推薦された彼女ですらこうなんだ。民衆、そして治療を施す医療陣たちはこれ以上の疑問を抱いているのは間違いない。だが……)
その時、レクスィオの中にいる破天荒な
気分一つで国を滅ぼす程の力を持ちながら、富や名声に一切の興味を示さない変わった彼女。
息を吸うかのよう人を殺めることは未だに看過できないが、その背景には決まって彼女の過剰なまでの報復があるというのを私は知っている。
おとぎ話に出てくるような種の始祖が、人類種のメイドとなり、結果的に一国の危機を救った。
吸血鬼の身でありながら永年空席だった聖女の座に座り、今では国の象徴ともいえる存在にまで至った存在を、誰が劣悪種の魔族と蔑めるだろう。
(先は長い、やるべきことも山のように積まれている。だが、年月を経て彼女への信用が不変のものとなった時、それはこの世界に一つの変革が齎される好機だ――私は成し遂げてみせる)
「殿下……? 殿下?」
「ああ」
「っ、しっ失礼しました! 私如きが余計なことを!」
「いや、構わない。無論……魔族たちにも治療は施す。彼らと私達はそう違わないからな」
それからというもの午後の視察や会議に向け、ゾーイにはガリウムを呼ぶよう指示を出す。
レクスィオはその間、簡単な身支度をしながら窓の外へと目を向けた。
「この時間帯に報告が上がらない、ということは……今日も難航してるらしい」
装飾の施された黒コートを羽織り、テーブルの上に置いてある懐中時計を開く。
時刻は昼頃。
この一週間、初日を除いて、神殿に遣わせた使者はどれも夕方頃に報告にきていた。
「今すぐどうこうなるという訳ではない、だが早いに越したことはない。……彼女は既に戻っていると聴いていたが、どうしたものか」
扱いの難しい聖女のことを思い出し、独りでに苦笑を漏らすレクスィオ。
その瞬間、執務室の扉が乱暴に叩かれ、間髪入れずして近衛が駆けこんできた。
「殿下! 至急、至急ご報告がございます!!」
「……! なにがあった?」
焦燥に駆られて両目を見開く近衛騎士、レットは普段冷静な男とは思えない程に息を乱していた。
その異常さにレクスィオはすぐさま思考を切り替え、全幅の信頼を置く親友の言葉に耳を傾ける。
そして語られる。今後世界を大きく揺るがすことになる『人類種の敗北を』
「それは……事実、なのか?」
「状況が状況なだけに、確かな証拠はございません。ですが、印章を持った使者が緊急用の転移門を起動させてまで戻ったことから、信憑性は高いかと思われます!」
話された内容、それは今から一週間前のこと。
リアがちょうど英雄達の招集を受け、魔族大陸へ向かった日のことだった。
多くの英雄に加え、数十万にものぼる大連合が魔族との戦争に敗れ、完膚なきまでの壊滅を帰した。
その中にはあの剣聖クレイヴ・ファウストの師事を得た、世界戦争に終止符を打った大英雄、勇者セシルの戦死。そして――"新たな魔王の誕生"
報告を聞いたレクスィオは唖然する他なく、倒れるようにして椅子に凭れ掛かる。
「全滅……? そんな……そんなことが、ありえるのか……?」
開いた口が塞がらない。
数年の月日が経ち、魔族の脅威が消えとてその過去を忘れたわけではない。
だが、英雄に加えてヤンスーラの時とは比べ物にならない大連合の壊滅ともなれば、少なからず衝撃は受けてしまうのはどうしようもないだろう。
頭が真っ白になり、全身から急速に力が抜けていく。
それでもこれからの国政、見直すべき態勢、そして今後の世界情勢を考えざるを得ないと、レクスィオは残った思考で必死に頭を回した。
魔族大陸からこの地まで、中央大陸の最北東に位置するクルセイドアまでは距離がある。
通常の移動手段を用いれば三週間はかかるものを、一週間で知ることが出来たのは一重にその伝令の功績が大きい。しかし、この事実が国内に広まってしまうのはもはや時間の問題だった。
無気力な体に鞭を打ち、威儀を正す。
これから起こり得ること予想できることに対し、今必要な行動を思案する。
「其方はディズニィとユーエスジェ、いま国内に滞在してる現当主たちを直ちに王宮へ集めてくれ。それと伝令は今どうしている?」
「私との情報共有後、膨大な魔力消費によって気を失いました。今は信頼できる近衛をつけ、これ以上の情報漏洩を防いでおります」
「それでいい。この後すぐに宰相にも一報を、会議前までに情報の共有をする必要がある。予定は全てキャンセルだ。私は今すぐ神殿に……!」
今は時間を1秒たりとも無駄にできない。
そう思って掴むように扉へ手を伸ばし、そんなレクスィオを冷静さが止めた。
「……」
「殿下……?」
「…………」
「どうされたのですか、殿下?」
レクスィオは自分がいま口走った言葉にひっかかりを覚えていた。
(神殿……?)
そして次に報告された内容が頭に木霊する。
『勇者を含めた英雄たちの戦死、かつてない大連合は完膚なきまでの崩壊。魔族大陸からは完全に手を引かざるをえなくなった我々人類種。そして新たな魔王の誕生』
当然のように口にしてしまったが、何故自分は『神殿』と口にしてしまったのか。
(……全滅??)
だが同行した筈のリアは生きている。
それどころか、報告によればその日の内に王都へ帰還しているという。
(………………ん?)
レクスィオはこの緊迫した状況を忘れ、扉から手を放して腕を組む。
そして改めて冷静になった頭で状況を整理しだす。
数々の英雄が戦死するような死地であれば、一介の伝令など居られる筈もない。
つまりこれは状況的判断であって、魔族の手によって大陸が占領された情報だけが確かなものだ。
リアの生存、新たな魔王、連合軍の全滅。
……確信はない、希望的観測かもしれない。
しかしどちらも魔族という共通点がある以上、まずは本人へ直接確認する必要があるのかもしれない。
「すまないレット。いま言ったことは全て取り消してくれ」
「……は? な、何故!? 殿下、今は一刻を争う事態だと……!!」
「わかっている」
(そうだ、同行した聖女は
これじゃあ魔族と人類種、どちら側に自分が立ってるのかわかりはしない。
そう思ったレクスィオは自嘲の笑みを溢し、気持ちを切り替える。
対立する種の、新たに台頭へと上がってきた存在が対話可能なら、少なくともこの絶望的な状況は打開される。
依然として世界へ齎す影響は変わらない。
一国の主としても備えなければならない。
だが、まずは――
「
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