第167話 お姉さまの真実(アイリスver)




「今日は、私の話をしようと思って」



 そう言ったお姉さま。


 浮かべた微笑みは鷹揚とし、ただ机に腰掛けただけの仕草がまるで一枚の絵画のように美しさの止まるところを知らない。


 窓辺を背にしたことで白い景色を背景に、月光がお姉さまの銀色を照らす。

 吸血鬼の象徴ともいえる深紅の瞳が妖艶に輝き、口元から覗いた白い牙がどこかなまめかしい。


 そんな光景を脳裏に焼き付け、ある違和感に気付いた。



(お姉さま……もしかして緊張なさってるの? あのお姉さまが? 英雄はおろか、例え世界全てを敵に回したとしても歯牙にもかけそうにないあのお姉さまがっ!? いや、そんな筈は……ううん、間違いない。一体、何を話されるおつもりで……?)



 アイリスは内心でこれ以上にないほど戦慄していた。

 すると静まり返った室内では、リアは少しだけ苦笑を浮かべて片足を抱き抱える。



「といっても、どこから話そうかしら」



 首をこてんと傾げ、この世の全ての純潔を集約させたような銀色が肩から零れ落ちる。

 何気ない仕草すら美の結晶。心なしか微笑みを浮かべ、思い悩む姿すら可憐で美しい。



(あぁ、お姉さまぁ……♪ 月明りに照らされ、真っ白に光り輝くお姉さまの露出した肌。あの首に牙を埋め込めれば一体どれ程の絶頂が私を……あぁ、いけませんわ。お姉さまの整ったお胸様が抱かれた足に潰され……うぅ、私だってお姉さまに抱かれたいですわ)



 いつも盗み見るように見ていたアイリス。

 しかし、眼前でこうもまざまざと見せつけられれば、その目は自然と引き寄せられてしまう。


 するとそんな視線に気付いたのか、お姉さまはキョトンとしたあと穏やかに笑った。



「そんなに緊張しなくとも、楽な姿勢で聞いて欲しいわ」



 どうやら、大方その内容が決まったらしい。

 まるで可愛いものをみるような眼差しが向けられ、アイリスは釣られて周囲を見据える。



(二人とも呑まれてますわね、まぁ、私もだけど。ですがそれなら……お言葉に甘えて)



 座っていたベッドに四つん這いになり、アイリスは少し皺を作っていた毛布を抱き抱える。

 肩に掛け、ぐるりと全身を覆って両手に持ったそれを口元に押し当てた。



 お姉様の匂い、すんすん……はぁぁ幸せ~♪



 心地の良い暖かさに包まれ、香ったそれはレーテやエルシア様とも違う。

 お姉さま独特の蜜の香り。鼓動は自然と早まり、下腹部がジンジンと温まっていくのを感じた。


 急速にボヤけていく視界では、お姉さまが困ったように微笑まれている。



「ア、アイリスちゃん? 大丈夫……ですか? あの、そんなに嗅がなくとも……」


「これはトリップされてますね。リア様、お気になさらず、このまま話された方がよろしいかと」



 何かを言ったレーテの言葉に頷き、お姉さまはそのセイレーンのような美しい声で話し始めた。


 お耳が幸せですわ~♪



「え……ええ、そうね。こほんっ、それじゃあ始めるけど、貴女達は以前に話したヘスティナという神を覚えてるかしら?」



 お姉さまは苦笑を浮かべたお姿すら美しい。

 あら、よだれが……。



「ヘスティナ……確か魔族の創造主で、アウロディーネ様に封印された神々の一柱、ですよね?」


「その通りよエルシア。そしてその封印された神の一柱が、私をこの世界・・・・に連れて来たの」



 まるで天気の話をするかのような、なんてことのないような口調で話されるお姉さま。

 こうして予め聞く姿勢を取ってなければ、その違和感にすら気付けない言葉の羅列。


 ふわふわとした感覚が一瞬で吹き飛び、お姉さまの毛布に包まれながら体が硬直してしまう。



 静寂が室内を満たし、平然としたお姉さまだけがそのまま続けようとした。



「彼女が私に望んだこと、それは調停者としての――」


「ま、待って待ってください! すとっぷ、すとっぷです!!」


「どうしたの? そんなに慌てちゃって……可愛い」


「どうしたのって……今、いまリアはッ……」


「この世界と、仰ったのですか? リア様」



 立ち上がったエルシア様は言葉に詰まり、平然としたレーテの口調も微かに早い。

 もちろん私も二人と同じ気持ちではある。ただ、以前にも聞いていたことから二人よりは驚かないだけ。それでも……



 思い違いだと思っていた。



 遥か昔より存在していたお姉さまやヒイロ様。

 お二人の間で使われていた独特な言い回しであって、まさか言葉のまま、別の世界を示唆する言葉だとは思わなかった。



「私は此処とは違う、他の世界からきた存在なの」


「「っ!」」



 その言葉は、エルシア様だけでなく、最近は表情豊かになったレーテすらをも驚愕させる。

 逆に私は妙に納得がいき、寧ろすとんと何かが胸に落ちた気すら覚えていた。



 記憶を思い起こし、頭の隅に留まり続ける疑問。

 それはまるで一つだけ欠けたパズルのよう、仮定として最も遠くにあった筈の答えが、お姉さまによって齎された。



「無理もないわ。私だって意味がわからなかったもの」



 肩を竦め、抱き込んだ膝下に口を当てて小さく呟く。


 別の世界、異世界から来たという言葉は正直信じ難い。

 しかし敬愛するお姉さまがそう仰られるなら、そこに疑う余地などある筈もない。



 例え吸血鬼わたしたちの始祖様じゃなかったとしても。『リア・アルカード』という存在が私のお姉さまであって、何物にも代え難い大切な想い人であることに変わりはないのだから。

 でも……



(お姉さまの口ぶりから察するに、望んでこの世界へ来たわけではないようですわね。ですが、それなら何故ヘスティナ様に連れて来られたと? 何か事情があるということかしら? お姉さま……私は、伺ってもよいのでしょうか?)



 感情の読めないお姉さまのご尊顔。

 それは只々美しく、同時に口惜しい想いが込み上げてくる。


 カミングアウトから僅か数秒、その間に数え切れない感情がアイリスの中で渦巻いた。


 心配と親愛が織り交ざり、疑問と疑念がそれらを覆い隠す。

 その中には僅かな好奇心と興味が顔を覗かせ、そしてまた心配の感情が邪魔をする。


 もはやどう声を掛けたらいいかわからずにいれば、陽気なお姉さまの声が聴こえてきたのだった。



「私、元々グールだったのよ」


「…………は?」



 グール? お姉さまが、あの食屍鬼グール? ……冗談でしょう??


 例えどんな姿であろうと、お姉さまへの愛が揺らぐことなどありはしない。

 それは断言できる。が、あまりにも突拍子のない言葉にアイリスの理解が追いつかなかった。



「あ、間違えたわ、こんな最初から話してもつまらないわよね。それじゃあ……」


「お、お待ちくださいまし、お姉さま! 是非、是非お聞きしたいですわ!! お姉さまのその、最初の記憶を……」



 気付けば私は理解できないまま前のめりになり、そんな私を見てお姉さまは「ふふ、そう?」と微笑まれる。



「それじゃあ話すね。私はグールから始まり、そして始祖に至ったの♪」



 やっぱりわけが分からない。



(グールが始祖……? グールって始祖に至れるような存在だったんですの?? だとしたら、私は今までどれだけの愚行を……いや、お姉さまが特別な可能性も十分にありえますわ。……だとしても、やっぱり訳がわかりませんわ!!)



 思考をフル回転させ、なんとか理解しようとする。

 しかしどれだけ考えを巡らせても答えは見つからず、そうしてる内にエルシア様がぼそりと呟く。



「……グール。何度か見たことはありますが、確かアンデッド種の死体喰らいですよね? でも、え? リアが……あのグール?」


「ふふ、本当のことよ? グールから始まって~、まずは劣等レッサー吸血鬼に進化したの。それから陽光の下を歩けなくなったから、仕方なく夜を動き回ってたくさんの血を浴びたわ。……そうして気付けば中位吸血鬼だった」


「グールが……中位吸血鬼? それはつまり、グールは吸血鬼の……一体どれだけの血を浴びれば、そのようなことに」



 数十年と時間をかけ、下位から中位へと至ったレーテには驚愕する他ないだろう。

 机に腰掛けたお姉さまは足を組み、頬杖をつきながら面白そうにニヤニヤと笑った。



「気になる? でも残念、私自身あまり覚えてないの。数千だったような気もするし、数万だったような気もする……とにかくいっぱいね。数を上げればキリがない程たくさんよ」


「っ……」


「するとね。いつからか色々な相手から狙われるようになったの」


「……色々? それは……一体?」



 聞き入っていた私は思わず問いかけてしまう。

 すると、お姉さまはまるで待ってましたと言わんばかりにニヤリと笑った。



「人間、エルフ、獣人。空は鳥人種ハーピーを筆頭に精霊、天使、悪魔。海や水辺なんかだと半魚人や人魚、それから海竜種や甲殻種なんかも居たわね。……一度でも私だと認識すれば、その瞬間ありとあらゆる種族が襲い掛かってきたわ」


「お姉さま……」



 胸に異様な痛みが走り、思わず手を当ててしまう。



 グールはその特性上、本能のままに殺傷を余儀なくされる。

 そんな凄惨な状況に立たされ、お姉さまは一体どれだけの苦労を強いられたのだろう?

 できることなら直ぐにでも駆けつけ、その脅威を全て排除したい。そしてその傷ついたお心を癒して差し上げたいとアイリスは思った。


 床を空虚に見つめるお姉さま。

 すると次の瞬間、お姉さまは顔を上げてニッコリと満面の笑みを浮かべた。



「だから、全部返り討ちにしてやったの♪」


「「「…………」」」



 一瞬で渦巻いていた感情が霧散し、遅れてアイリス、いやその場にいる全員が思い至った。

 種族に関係なく、お姉さまはお姉さまリアだと。



「それに皆が皆、私の敵だった訳じゃないわ。ヒイロやカエデ、エイスみたいに仲間と呼べる人達も居たのよ? 変なストーカーも居たし、それなりに楽しめる好敵手も居た」


「……」


「まぁそんな感じで、今とあまり変わらない生活をしてたら始祖の吸血鬼にまで至ってたの」



 お姉さまはどこか懐かしむように独笑ひとりえみを浮かべた。

 室内には静寂が満ち、アイリスはそんなお姉さまから目が離せなかった。


 聞きたいことは沢山あるのに、ありすぎて何から聞いたらいいかわからない。

 それに全てを聞こうとすれば、それはたった一夜では語り尽くせない程の膨大な記憶に違いない。


 何よりお姉さまにそこまでして頂くのは、あまりにもその温情に甘えすぎてると思った。

 そうして尻込みしてる内に、エルシア様が佇まいを正す。



「……リアの、リアの存在はわかりました。にわかには信じ難い話ではありますが、……私は、信じます」


「エルシア……そう言ってくれると思った。ありがとう」


「そんなの私の方こそっ! ……助けて頂き、眷族にしてまでこの命を……――ですが、それならどうして」


「ヘスティナが私を連れてきたのか、ってことよね?」



 お姉さまは足を組み替え、伸びをするようにその豊満な胸元を反らす。

 そして天井を仰ぎ見るようにして数秒の沈黙の後、お姉さまの美声が室内へと響き渡る。



「私の居た世界は……LFOって言うの」



 そうして始まる、言葉を選びながら話す"えるえふおー"というお姉さまの居た世界の話。


 その世界は私達の居る世界と同じ創りのように思えた。

 しかし、やはり所々不思議な部分もあったのだ。


 Lvレベルという概念、世界の在り方、存在する種族の多様さ、そして……過剰なまでの運営かみがみの干渉。


 その中でも特にアイリスが気になったのは、IDダンジョンと呼ばれる世界から隔離された小世界。

 お姉さまが世界を渡るきっかけとなった場所であり、お姉さまですらわからない不可思議な場所。


 その場所の名は――



「ま、待ってください! いま、神域と仰ったのですか? リアは……リア達はッ! ……神へ、挑んだというのですか?」


「うーん、破滅の巨神って呼ばれてたし、そういうことになるのかしら」



 あっけらかんと答えるお姉さま、やはり美しい。

 そして見惚れてしまいながらも、私は開いた口が塞がらなかった。



 何故ならお姉さま曰く、私のレベルは80程らしい。

 そして"えるえふおー"の世界では平均レベルが120前後、高い存在だとお姉さまのように140もそこそこに居ると。



 わけがわからないですわ?



 そんなの英雄ですら比較対象にならない、英雄を超えた大英雄、いいえ――"超越者"の集まりですわ。

 そう呼んでも過言じゃない、文字通りレベルの違う世界でありながら、そんな超越者達ですら誰一人として突破することのできなかった前人未到の小世界ダンジョン《夢想の神域》。

 


 アイリスは自分が呼吸を忘れていることに気付き、慌てて肺を動かす。



「――って感じかしら。それで破滅の巨神オーディナルを倒した後、ヘスティナから突然の招待を受け、私の意識はそこで途絶えたの」


「「「…………」」」


「あとは貴女達の知る通りよ。アイリス、レーテ」



 淡々と話されていたお姉さまから突然に名前を呼ばれ、肩が飛び跳ねる。



「あ……えっと、っ……」


「……?」


「その、……あ、あら……?」


「……アイリス?」



 色々と納得した。もちろん、わからないこともまだある。

 けど、どういう経緯でお姉様と出会えたのかは理解した。


 世界を渡り……あの時、あの場所で、あのタイミングで、お姉さまは私の前に降り立った。

 あと一歩でも遅れていれば私は自分の怠慢を呪い、この素晴らしい感情を知ることもなく、跡形も無く消滅させられていたことだろう。――お姉さまがいらっしゃらなければ。



 視界がボヤけ、身を包んでいた毛布に涙がポタポタと滴る。



「ちょっ!? ア、アイリス? どうしたのよ、もう……」



 お姉さまは困惑した様子で駆け寄り、その手で私の頬を優しく拭ってくださる。

 暖かな指先が頬に触れ、あまりにも尊きお顔が眼前に迫った。良い匂いがする。


 心臓が痛い、体が震える、この溢れんばかりの想いをどうしたらいいかわからない。



「お姉……さま、お姉さま……っ、お姉さまぁぁ!!」



 私はその存在を感じたい一心に思わず飛び込んでしまった。

 安心をもたらす香りと暖かさに包まれ、頭上から聴こえてくる声があまりにも心地良い。



「あー……うん。よしよし、私はここに居るわ、アイリス」


「お姉さま、お姉さま! ……ありがとうございます、ありがとうございます……ありがとう、ございます……!!」


「え、え……? 何だかよくわからないけど、私の方こそありがとう? 大好き、大好きよ……心から貴女を愛してるわ」



 困惑しながらも頭を優しく撫でてくれ、無条件でわたくしに無償の愛をくださる。

 異世界から来訪した存在であり、わたくしが最もお慕いする始祖のお姉さま。



 神の如き存在だと思ってたけど違った、お姉さまは神をも超えた存在なのだ。



 出会いから今に至るまで、「奇跡」という言葉を何度噛みしめたかわからない。

 けれどお姉さまの身の上を知った上だと、その言葉すら陳腐に思えてくる。


 これは奇跡などではない、そんな言葉で終わらせていいものじゃない。

 お姉さまと私の繋がり、これは――





「"運命"だったんですわ」

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