第166話 始祖と吸血鬼の聖域
暗闇の室内には僅かばかりのランプの光が灯されている。
漂うは甘く蕩けるような心地良い匂い、そして果実のように欲望を掻き立てる芳醇な香り。
ふかふかなベッドに身を投げ出し、部屋の主であるリアは愛しい彼女に頭を預けていた。
俗に言う、膝枕というやつだ。
「そう、シスターが……」
愛妹に今夜のことを話した時、特に時間の指定はしなかった。
皆が寝静まった深夜にでもと、適当な時間を伝えていただけなのだから特に気にしてはいない。
それでもアイリスにしては少し遅い時間帯の訪問に、リアは違和感を感じていた。
「そのっ、生かしておくべきだったでしょうか?」
ベッドの前で立ち尽くし、胸に手を当てながら不安そうに見つめてくるアイリス。
そんな妹の姿にリアは寝返りをうち、エルシアの太ももと優しい手つきを堪能しながら微笑んだ。
「ふふ、そうね。でも入ってきちゃったんでしょう? そうなった以上、
「……お姉さま」
その程度のことで私がアイリスを叱るわけもない。
それは彼女自身わかっていながら不安に駆られ、気後れしてオロオロする姿はとても可愛い。
できることなら少しイジワルしてみたかったが、嫌われたら立ち直れないのでやらない。
「でもリア? 今回に関して、偶々そこに居合わせたのがアイリスちゃんだったから事なきを得ました。これがもしセレネちゃんやリリーちゃんだったら」
「ええ、それについてはあんまり心配してないわ。だってあの子達にはレーテがついてるもの、でしょ?」
リアはクスリと笑い、ベッドの脇に陰のように佇むレーテを見据える。
「はい、この身に代えましてもお二人はお守り致します」
淡々とその美しい声音を響かせ、惚れ惚れする所作で頭を下げるレーテ。
一見してみればいつも通り、それでも纏う空気や何処とない違和感から彼女を観察する。
そして数秒の思考で思い至った。
(エルシアを拉致し、更にはレーテをも傷付けた星傷の英雄。もうあの男は居ないというのに、死して尚も貴女を不安にさせるのね。……忌まわしい男だわ)
私の
実力で勝てないとわかっている以上、同じ機会があれば彼女は迷うことなく命を懸ける。
リアは「失敗したな」と思いながら物憂げに上体を起こし、レーテへ向けて手を差し出した。
「リア様? どうされ……――っ!」
指先が触れた瞬間、少し強引にレーテを抱き寄せ、まるで蜘蛛の巣にかかった得物を巻き取るかのように優しく抱き締める。
洗剤の香りが鼻に漂い、闇に解けてしまいそうな黒髪が頬をさらりと撫でる。
「もう、無理をしろなんて言ってないわ。貴女が居なくなったら誰が私にレーテ分を供給してくれるの? いい? 貴女の存在は頭の天辺から足の爪先まで、髪の毛一本から血の一滴に至るまで余すことなく私のモノなの。この意味わかるかしら?」
「っ、……こ、心得ております。リア様」
尚も綺麗な佇まいで私の両足に挟まるレーテ。
声音や顔色は変わらない。けれど、背中ごしに伝わってくる鼓動は少しだけ早まっている。
リアは愛おしさのあまり首元に顔を埋め、匂いを堪能しながらその耳を甘噛みする。
「んっ……リ、リア様っ? そこは……っ」
「はむっ……全然わかってない。天は二物を与えないっていうけど、貴女の場合は従順すぎるのが欠点ね? まぁ、そんなところも大好きだけど」
「なにを仰ってっ……、私はただっ――」
「頼りなさいってこと、私に言われたことだけを熟すのが全てじゃないわ。あの星型の古傷を持った英雄……ううん、あれじゃなくとも英雄には歯が立たない、そうでしょう?」
「それは……」
レーテは不自然に言葉を途切らせ、まるで罪人が判決を待つかのように俯いてしまう。
(まぁ、ここ最近は英雄のバーゲンセールだったから例えに出しはしたものの、そうホイホイと英雄が現れる訳もないのよね。レーテはレベル的な意味では英雄に数歩劣る。けれど推定LV40中盤ともなればこの世界では立派な強者の筈だわ。――カエデ製の装備に、私の戦闘技術。軽く10……ううん15くらい盛れるかしら)
抱擁を強め、微かに肩を震わせたレーテにリアは慰めるように優しく囁いた。
「大丈夫……私が、私達が、貴女を少し上のステージに連れて行ってあげる♪」
「……上の、ステージ……?」
「そう、英雄の世界とでもいうの? ああ、でも安心して、貴女だけにあの子達を任せるつもりもないし、私も漸く落ち着けたからね。貴女の不安は全部取り除いてみせるわ」
柔らかな口調を心掛け、私の狂おしい程に募った愛を余すことなく声音に乗せる。
レーテは言葉を紡ぐ度に肩を震わせ、赤らめた耳はとても可愛らしい。
そんな風に和んでいれば、隣からどーんっと眷族が肩を寄せて来た。
「二人だけの世界は終わりですか? ……レーテばっかり構って、私、一応貴女の眷族ですよ?」
「ふふ、寂しがらせちゃった? 可愛い♪」
仕返しとばかり、リアは挑発するようにエルシアへ
「むぅ……お姉さまっ!
アイリスは強引に私の隣を陣取り、腕をコアラのように抱き込みながら頬を膨らませる。
両脇に毛色の違ったお嬢さまの二人、前には綺麗なメイドさん。思わず私はなんなんだろう?と考えてしまう。
お嬢さまとメイド……なら、私は女王? なんちゃって。
そんなくだらない事を考えながら日頃の疲れを癒していると、リアはふと思い出す。
「そういえばさっきの話に戻るのだけど、誰が入ってきちゃったの?」
「あっ、えっと」
「配属されたばかりってことは……ファラ? それともメアリー? ああ、レイチェルって線もあるのかしら」
一応は可愛いを愛でる者として、神殿に所属しているシスターは全て把握している。
だから取り敢えず、新しく入った順に候補を上げてみた。
「申し訳ございません、お姉さま。シスターの名前までは」
「……そう、まぁいいわ。ご苦労様、アイリス」
可愛い妹の頭を優しく撫で、内心で少しだけ残念に思う。
(う~ん、どの子だろう? 私としては、世界から可愛い子が減っちゃうのは悲しいのだけど、アイリスから見れば私たち以外は皆同じ。名前を覚えてなくても仕方ないのかな……あれ? でも、この子の初撃を避けてみせたのよね。もしかして……うちの子じゃない? いや、偶々戦闘の心得があったシスターちゃんの可能性も)
そんな風にぼんやり考えていると、ぽふっとした感触が肩に当てられる。
「いずれにせよ、やはり対策は講じるべきかと思います。そうでしょう? リア」
「ええ、そうね。レクスィオから借りた衛兵もいるにはいるけど、一般区域にしか置いてないものね。正直、あまり意味はないわ」
「それはリアが嫌がるから……それと彼らは衛兵ではなく、王家に忠誠を誓った正規騎士ですよ。一応は聖女様なんですから、間違えないよう気を付けてくださいね?」
ピンクサファイアの瞳が真っ直ぐに私を捉える。
すると私の腕を抱いていたアイリスが指を絡め、わざとらしく首を傾げた。
「エルシア様、なぜ虫如きにお姉さまが配慮する必要がありますの? 居るか居ないかわからない
「……アイリスちゃん。リアは火の聖女です。例えそれが形だけのものであっても、民衆や貴族、他国にとっては違います。――噂、それも希代の英雄ともなれば、俗世には瞬く間に広まるでしょう。……悪い噂であればある程に」
そういったエルシアは何よりも実感の籠った声で、その美貌に苦笑を浮かべる。
貴族、それも元公爵令嬢だった彼女なりの気遣い。
(別に私はどう広まろうと構わないのだけど。でもエルシアが気になるなら、少しは気を付けようかな)
「ふふ、わかった。貴女の言う通りにするわ」
「……リア。ありがとうございます」
「それで――まだ話はあるんでしょう?」
私がヨシとしたからか、話から興味を無くしたアイリス。
体を擦り付けるように甘え、その姿はとても猫っぽい。
ツーサイドアップな灰色の髪がネコ耳っぽいなぁ、なんて思っていれば、耳元にエルシアの吐息が吐きかかる。
「騎士団を持たれるのはどうですか?」
「んっ、……騎士団? それは神殿にってこと?」
「はい、まだ数日程度ではありますが、神殿の警備にも人手が必要です。何か不祥事が起きた際、今のままでは手が足りなくなります」
「あ〜……」
それはリアとしても考えなかったわけではない。
なにせ神殿内には私達を除き、シスター達しか常駐していないのだ。
では何故、配置しなかったのか?
「でも、男はちょっと……」
「それなら女性一色の騎士団なら如何ですか?」
「そこのところ詳しく」
あまりにも興味のそそられる内容。
リアは思わず少し前のめりになってしまい、エルシアはキョトンとした顔を浮かべて笑った。
「実は神殿の開放前、色々と資料や記録を読み漁ってみたんです。そこには――」
冒頭は火の聖女の歴史から始まった。
その内容は以前にレクスィオから聞いた話と少し異なり、初代と私の間にはなんと二代目が存在したらしいのだ。
いや、レクスィオが二代目を初代と勘違いしたのか? まぁそんなことはどうでもいい。
とにかく、その頃の記録によれば神殿には国に属さない、聖女のみに仕えた騎士団があったらしい。
例え同じクラスといえど、初代程の力を持っていなかったと思える二代目。
暗殺や護衛、神殿の体制などという単語が多く出た事で、幾度もその命の危険に晒されたのは想像に難くない。
その話に少しだけ首を傾げたリアだったが、今はエルシアの話を黙って聞くことにした。
といっても、その内容は至ってシンプルだった。
火の聖女の権威を示し、神殿の秩序を正す。
百年ぶりに開いた神殿は国内外ともに今や注目の的であり、それら全ての問題を解決するには色々と丁度いいらしい。
「――ということです。まだ直接調べさせた訳ではありませんが、身分問わず、そして女性限定で神殿の騎士となれる機会があれば、志願者は少なくない数集まると思います」
「……」
「もちろん、声を上げる家門も出てくるでしょう。ですが、殿下とリアの間柄を考えれば、何も問題はありません。社会貢献に慈善的な活動、そして目的も達成することができます! その……如何ですか?」
目をキラキラと輝かせ、なんだが少し興奮気味なエルシア。
その様子はまるでプレゼンを終え、確かな感触を得てやりきった様のそれだ。
(ああ、エルシア可愛い〜! さっきまで大人びて見えたのに、今は褒めて欲しそうなワンコに見えるわ!! それにしても流石は元貴族のお嬢様ね。私の我儘に応えつつ、ちゃっかり国のことや社交界のことも視野に入れてる。……まだ心は人間寄りなのかしら?)
「つまり、私が一から騎士団を設立するってこと?」
「はい、王国にも女性の騎士は居るには居ますが、全体を見ればその数も微々たるものだと思います。ですので、その……リア自身の目で見定め、好みの女性で固めればどうかな、なんて……」
今度は自分で言っていて恥ずかしくなったらしい。
エルシアは頬を染めながら徐々に顔を背け、段々とその美声を口篭らせていく。
私の動かし方をしっかりわかっているわね。
彼女のいう神殿の体制や権威、そして警備を入れるのはリアとしても一考の価値はある。
気に入ってるシスターちゃん達へ寄り付く虫を防げ、エルシアの負担も減らせるのだから。
でも……
「エルシア様の仰る通り、日中に動かせる手足が増えるのは良いことですわ。ですがお姉さまが直接手解きする価値があるのでしょうか? 有象無象の目など、お姉さまを見て一目で理解できないなら、そんな虫は相手にする価値もありませんわ。貴女の眷族だって使えるでしょう? レーテ」
「私は……僭越ながら、エルシア様のご提案に賛成致します」
そう答えたレーテに、リアは少しだけ目を丸くする。
今までの彼女であればそのまま賛同する、もしくは見守るスタンスを取っていたように思える。
抱きしめたレーテを見つめ、その小さな変化にリアは嬉しくなって思わず口元を緩めた。
「まぁ、レーテっ!」
「ですが、何よりも私は……リア様の御心のままに」
「あら、それを言うなら私だってそうよ? お姉さまの思うが儘になさってくださいまし」
リアとしてはこの場で決めるつもりもなかったが、場の空気はすっかりそんな感じだ。うーん、どうしよう?
(別に護衛なんて必要ないけど、確かに人手が増えるのは魅力的ね。私が教えれるかはさておき、女性の騎士団は確かに欲しい! 華やかで目の保養にもなるし、あの子達の護衛としても多いに越したことはないわ。懸念点があるとすれば、私達の吸血鬼バレ、あとは私の労力くらい?)
想像すればする程に面白いとは思う。
けれど、それと同時に面倒ごとは引き込みたくはない。
「とりあえず、その件についてはまた今度話し合いましょ」
悩んだ時は日を跨ぐ、寝たら考えが変わるかもしれない。
リアは足に挟む形で抱き込んだレーテを解放し、ベッドから立ち上がって室内を歩き出す。
人肌が離れたことで冬の冷気が全身を覆い、窓辺に近付くにつれ頭は段々とクリアになっていく。
「お姉さま?」
「リア……?」
不思議そうにジッと見詰めてくる三人を横目に、リアは微笑みながら振り返った。
冷たい窓辺を背に、一度も使ったことのない机に腰掛ける。
思わぬ闖入者に大分遠回りしてしまったが、彼女らを呼んだのは本来、別のことを話すためだった。
リアは無意識に息を小さく漏らし、白い吐息を見て内心で苦笑を浮かべる。
「今日は……私の話をしようと思って♪」
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