第163話 恋人達との理想郷



 夕暮れ時の礼拝堂に訪れた訪問者。


 その男の特徴や言葉をそのままエルシアから伝え聞いたリアは、少しだけ身に覚えがあった。

 彼女は勘違いかもしれないと言う、しかしリアにとっては些細なことだ。重要なのはエルシアがそう感じたということ。


 それ以上でもそれ以下でもない。



(あるか・・・、そう最初に口にした言葉――アルカード。つまり私が吸血鬼だと知ってる存在。丁寧な口調、眼鏡、そして……血の匂い。もしかしてあの男かしら?)



 リアの脳裏に浮かんだ男。

 それは転移してから最初の一カ月。何度も顔を合わせたアビスゲートのギルドマスター、グレイだ。


 あの男であれば全ての特徴が一致する。

 消えることのない血の匂い、死の気配は闇ギルドのマスターともなれば漂わせていても不思議ではない。


 ただ……



(そんな男も居たわね。……あの男に情報以外の価値なんてないから、すっかり忘れてたわ。一応、最後の依頼は完遂したし、私に用なんてない筈なんだけど……ギルドマスターの立場でここまで来た理由はなに? ああ、口封じくらいはした方がいいのかしら?)



 魅了を使うか、存在ごと消してしまうか。

 その二択がリアの脳裏をよぎり、次の瞬間には掻き消えた。


 何故なら吸血鬼と言いふらされた所で痛くも痒くもない上、リアの現状を考えれば対処法はいくらでもあるからだ。

 いや、リアが行動する前にレクスィオやエルシアの実家がどうにかする予感すらある。



(って、なんで私がこんなこと気にしてるの? 取りあえずあの男のことは明日ね。わざわざ訪問しに来たって事は、何か話があるんだろうし)


「リア? もしや何か心当たりがあるのですか?」


「あーうん。多分だけど、その男は私の顔見知りね」


「リアの、顔見知り……? それでは引き留めた方がよろしかったでしょうか?」


「ううん、聞いて直ぐに帰ったなら貴女が気に病むことじゃないわ。どうせ明日にでも来るでしょ」



 エルシアは不在とは返さず、今は謁見できないと答えて帰ったというのなら、恐らく勝手に勘違いして私が吸血鬼故に夕方に顔を出せないと配慮したのだろう。


 すると、リアの言葉に納得したのか、エルシアは少し悩む素振りを見せ頷いた。


 元公爵令嬢らしい綺麗な佇まい。

 着飾ることもせず、ただの修道服でありながらその気品や美貌を周囲へと漂わせる彼女。


 いつの間にかテーブルに置かれたティーカップに手を伸ばし、一口飲んでホッとする仕草はどことなく色っぽい。

 そんな愛しい横顔に惚れ惚れしていると、どうやらそう感じたのはリアだけではないらしい。



「わぁ……綺麗。この人がリアちゃんの話してたエルシアさんだよね?」


「これは……うん、初めての眷族化も納得するよ。目元を隠してた時にも思ったけど、本当に綺麗だね。リアさんと並んで居ても遜色ないなんて、初めて見たよ……うわぁ」


「え、え……? あ、あのっ、そんなにジッと見られると少し……恥ずかしいです」


「「かわいい!」」



 見事に二人の声がハモリ、それを聞いたエルシアも狼狽えだし、流石に恥ずかしそうに顔を逸らした。

 エイスはソファの後ろに周り、背もたれに身を乗り出しながらエルシアを覗き込み、ヒイロも興味津々で私の反対側へと座る。


 私とヒイロ、エイスでトライアングルにエルシアを囲む形だ。

 そこにリリーとセレネも加え、1つのソファに6人が座った夢の理想郷が完成する。控えめに言って天国である。


 セレネはきょとんとした顔で同族のエイスを見据え、リリーはビックリして私の胸元に顔を埋めた。



(あら? ふふ、いきなり乗り出してきたエイスにビックリしちゃったかしら? よしよし、お姉ちゃんの胸で存分に甘えていいからね~♪ ――……でも意外ね。元気になってきたとはいえ、初対面のエイスにセレネがこうも興味を持つとは思わなかったわ。やっぱり同族だと親近感が違うのかしら?)



 リアは小さな体で抱き着いてくるリリーを撫で撫でし、ぼーっと見つめるセレネを観察する。

 そんな中、流石のエイスも自分をジッと見詰めるちみっこに気付いたようだ。



「ん? あ、君がリアさんの言ってた獣人の子だね。確か名前は……セレネ、セレネちゃんでしょう?」


「……お姉ちゃん、セレネのこと知ってるの?」


「うん、知ってるよ~。……といっても、僕が知ってるのは君たち兄妹とリアさんの出会い、あとは可愛いってことだけだけどね。『セレネは可愛い』ってたくさん聞いてるから」



 そう言って膝立ちするセレネの頭に手を置き、ニコニコと撫で始めるエイス。

 セレネの可愛いケモ耳が倒れ、気持ちよさそうに目を細めながら吐息を漏らす。



「んっ……セレネは可愛い? えへ、えへへ……ありがとう、お姉ちゃん」


「どういたしまして~♪ 僕が言ったわけじゃないけど。まぁ今可愛いと思ったから同じことだよね〜」


「あら、私へのありがとうを横取りしといて、有耶無耶にするつもり?」


「あ、あはは……怖いよリアさん? いいじゃないか、僕も本心から可愛いと思ったんだからさ。それに……『可愛い』は皆で共有すべきだと思わないかい?」


「それは……そうだけど。なんだか釈然としないわ。私もセレネからのありがとう、欲しかったのに」



 本気で拗ねてるわけではない。しかし、娘のように可愛いセレネからの『ありがとう』は貴重なのだ。

 それをぽっと出のエイスに取られたのが、リアとしては嫉妬してしまう。


 「あはは……」と苦笑を漏らすエイスをジト目で見詰め、リリーのサラサラの髪を堪能する。


 それは地下に監禁されてたとは思えない程に綺麗な金の髪。

 暖炉の光に反射して天使の輪が輝くツヤ、手触りがよく流れるようなしなやかな質感。


 思わず嫉妬心を鎮めてしまい、感嘆の声を漏らすリア。

 すると、小さな温もりによって空いた手が包まれた。



「リアお姉ちゃん。大丈夫だよ? セレネわかってるから」



 可愛らしく首を傾げ、諭すように小さな両手で私の手を包む天使セレネ

 激動の一日を終え、疲れた体と心には目の前の天使が何よりの栄養となって染み渡った。



「おいでセレネ」


「わっ」



 細心の注意を払ってその小さな体を抱き寄せる。

 ふわふわとした毛並み、柔らかな体、暖かな体温。


 胸元ではぎゅうぎゅうとなったちみっこ達が可愛い声を漏らし、二人して驚きながらもクスクスと笑いあっている。

 ……やばい、可愛い。



(あー可愛い、可愛いが過ぎるわ、幸せ〜! ずっとこうしてたい……二人の可愛い天使が今私の胸の中に居る! こんな可愛い子達を虐めてた奴らがいるとか正気? 人の心とかないの? ……あぁ、疲れた心に染み渡るぅぅ。今日はこの子達と寝たいなぁ♪ 抱き枕にして寝たら最高じゃない? でも二人を抱き枕は無理か。寝相は良い方なんだけど物理的に難しい? う~ん)


「お、お姉ちゃん、苦しい〜!」


「アルカード様……私も、ちょっとっ」


「あ、ごめんなさい。二人が可愛かったから、つい」



 豊かな胸元を押しのけ、何とか気道を確保する二人にリアは慌てて力を緩める。



「ふぅ……お姉ちゃんのおっぱい大きいよ。セレネ、潰されちゃうかと思った」


「う、うん……確かに大きい。それに何だか、とっても良い匂いがした」



 二人してジッと見詰めてくることに、微笑ましくも気恥ずかしくなるリア。

 汗をかく程動いてないにしろ、やはり一人の女としてはシャワーの前に嗅がれるのは少し恥ずかしい。



「変な匂いがしなくて良かった。それと私は平均より少しあるくらいだから、貴女達も大人になればこのくらいになるわ」


「本当? セレネも大人になったらリアお姉ちゃんみたいになるの? んー本当かなぁ……?」



 真っ平の胸元に両手を置いて首を傾げるセレネ。

 リリーは自分のを見下ろし、再びリアの胸を凝視する。



「……っ」


「ふふ、気になるの? リリー」


「っ! いっいえ、私は、別に……」



 大袈裟に首を振るいはしたものの、その視線は胸元に張り付いたままだ。そんなに気になるのだろうか?


 リアはそんな一歩踏み出せないリリーを優しく抱き寄せ、その耳元にそっと囁いた。



「遠慮しないでいいのよ。全部許してあげる。ああ、でも触るなら優しくしてね♪」


「……アルカード様」



 唖然としたリリーは次第に服を掴む力を強めていき、リアの胸元に改めて頬を触れさせる。

 すると段々と体は脱力し、数秒もすれば安らかな呼吸音だけが聞こえてきた。



 室内ではヒイロとエルシアの会話にエイスが混ざり、珍しく目がぱっちりしたカエデにレーテは給仕を行っている。

 そして二人のちみっこは絶賛、私の胸で安らぎタイムだ。



(子供って本当に体温高いわね。特にこの脈打つ鼓動、ただでさえ暖かい部屋なのに余計に眠気を誘うわ。……そういえば、あの子ルゥはどうしてるかしら? ちょっとはレベル上がったかな? ふふ……楽しみね、未来の魔王様)



 若干の眠気を覚えながら考え、この幸せな空間を改めて噛みしめるリア。

 気が休まり、暖炉のバチバチとした音が耳に妙な心地良さを運び続けていると、リリーの小さな声が聞こえた。



「アルカード様」


「ん……どうしたの? というより、そう名乗ったのは私だけど、今後はリアと呼んで欲しいかな」


「……あぅ、……リア……様?」



 様は要らないのに、と苦笑が漏れる。

 すると見上げてくる黄緑と橙色オレンジが揺れ動き、躊躇いがちに震える手がリアの服を掴む。



「あ、あのっ……ありがとう、ございます……」


「どうしたの? 急に」



 なんてことの無い言葉。そう判断するにはあまりにもリリーの顔が神妙に歪み、今にも泣き出してしまいそうに見えた。



「私、何もできないのに……助けてくれて。それに食べ物やお洋服だって……こんな暖かい場所、私、貰ってばかりで……なにも」


「どういたしまして。けれど私は何もしてあげられてないし、お礼を言うならレーテじゃないかしら? それに……私の方こそごめんなさい」



 言葉にしてて気付いた。

 アルカード呼びもそうだ。連れて来たのは私なのに、その殆どの世話をレーテとエルシアに任せきりにしてしまった。

 立て続けに色々面倒事が湧いて来たのもあるが、目覚めたばかりの少女を放置するべきではなかったのだ。



「……?」


「言ったでしょう? 私は貴女やセレネに何もして上げられてない。ううん、危険だからという理由で貴女たちを神殿に閉じ込めてすらいるわ」


「それは……そんなことはないです。リア……様が、私のことを考えてくれてるのはわかっています。それに、別に……外に行けなくても……私はっ」



 真っすぐに見詰めてくるオッドアイ。

 嘘は言ってないのたろう。だが、その声音からは我慢しているのが節々から感じられた。



(本当はもっと一緒に居てあげたかった、けど色々なことが起き過ぎなのよね。まぁそれも全部今日で終わった事だし、漸く私も休めるというものよ。久しぶりに街中に出るなんてのもいいかもしれないわね?)



 クラメンみんなとの再会を果たし、無事にオリヴィアも助けられた。

 レクスィオからの面倒ごとや、闇ギルド……というよりグレイのことも同様に無視しても構わないだろう。


 つまり本当の意味で自由となったリアは、この眠気さえ無くなれば最高の身ということだ。



「お姉ちゃん、セレネも気にしてないよ? お兄ちゃんが外に出られるのはいいなって思うけど、お姉ちゃんがセレネを大事にしてくれてるのはわかるもん」


「あら……ふふ、まだまだ全然伝えきれてないけどね? ……二人とも、本当に外に出たくないの?」


「「っ……」」



 その言葉に、モジモジし出すセレネとリリー。

 セレネの尻尾はゆらゆらと揺らめき、リリーの耳はこれでもかとピクピク動いている。


 互いに顔を見合わせ、遠慮気味に私へと視線を向けてくる。

 目は口程に物を言うとはよく言ったもので、そんな可愛い癒しとも言える行動に思わず吹き出しそうになってしまうリア。


 だから少しだけ戯れてみたくなった。この可愛い少女達と。



「聞き分けの良い子も大好きだけど、私はもっと二人の我儘を聞きたいなぁ」


「「っ!」」


「暫く予定もないし、街中でショッピングなんてするのも楽しそうよね。可愛い服を買って、甘いお菓子を食べながら公園とかで自然を満喫するの」


「「っ!!」」


「でも、私一人でぶらぶらしてもつまらないわ? 誰か一緒に来てくれないかしら……」チラッ


「「ッ!!!」」



 チラチラと視線を向ければ、二人はこれでもかと目を見開き、その瞳をキラキラと輝かせていた。

 口を半開きにし、膝立ちになってリアを覗き込む二人のちみっこ。イジメルもこの辺でいいだろう。



「二人とも、私とお買い物に行ってくれないかしら?」


「行く!」


「行きたい、です……!」



 室内に二人の声が響き渡り、皆の視線を集めてしまう。

 そんな周囲に気にすることなく、前のめりになって瞳を輝かせた二人の頭を撫でるリア。



「それじゃあ決まりね。明日……いや、明後日にで行きましょうか」


「うん……うん! ありがとう、リアお姉ちゃん!!」


「あ、ありがとうございます……リア様!」



 抱き着いてきた二人を撫でまわしながら微笑む。

 するとカエデとの話を終えたレーテが、歩み寄ってきた。



「リア様、ご確認が遅れてしまい申し訳ございません。丁度いいお時間ですが、夕食のご準備はいかが致しましょう?」


「そうね、悪いけど私は一足先に休むわ。本当は貴女の料理も食べたかったのだけど……ダメね」


「いえ、無理をなさらずお休みになってください。……ご無事に戻られて、本当に何よりです」



 そう言って慈愛の目を向けてくるレーテに、リアは衝動のままに手を伸ばす。

 膝を突いたレーテのすべすべな頬に指先が触れ、その愛おしさに思わず手を這わせた。


 頬を撫で、唇に触れ、赤い瞳と視線が交差する。

 リアはそっと優しめな力で彼女を引き寄せ、唇を重ねる。



「んっ……ちゅ、……はぁ」


「……リア様」


「ふふ、おやすみなさい。レーテ」



 本当は皆にやっていきたい。

 しかし眠気がそこそこに限界に近付いているのだ。



(あーもう駄目、限界。今すぐベッドに入りたいわ〜! 人肌に触れつつ甘い香りに包まれるの。もふもふも良いわね? 二人をこのままお持ち帰りしたいけど、久しぶりにレーテも連れて行きたい。うぅ〜あぁ〜無理、寝る)



 リアは子供たちを出来る限り優しく退け、そのままレーテに倒れるようにして抱き着いた。

 自分で歩いても戻れるけど、少しの間でも触れていたいという我儘くらい……いいよね?



「後は貴女に任せるわ。一緒に寝てくれたら……嬉しい」


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