第162話 吸血鬼な聖女様の帰還




 帰国早々、何故か見知らぬ少女に正体がバレたリア。

 遅かれ早かれバレるにしても、自分から話した方が幾分か羞恥心は紛れると思ったことで、自然とその歩みは速足になっていく。


 神殿へと続く長い石段を登り切り、礼拝し終えた住民達とすれ違う。

 幸い先程の教訓を活かして、目元すら覆うリアは聖女だと気づかれることはなかった。



「わぁ……夜なのに凄い人の数。あれだと、いくら正体を隠しても流石にバレちゃうんじゃないかな? どう思う? 聖女様」


「ふふ、その辺にしてあげようよ。羞恥心に悶えるリアちゃんも可愛かったけど、あんまりイジりすぎるのも可愛そうだしね。……あ、でも聖女姿のリアちゃんを見てみたいのは本当だよ? どんな衣装かはわからないけど、きっと綺麗で可愛いんだろうなぁ……アイリスちゃんは見たんでしょう? どうだった?」


「はい、お姉さまの聖女姿はとても美しいものでしたわ! 美しい白銀の髪に透き通った水色の瞳。何より全身を純白と金で包んだお姉さまのお姿は、まさに美そのもの!! 微笑んだお姿ももちろん惚れ惚れしてしまうのですが、やはり私としては不意に見せる妖艶なお姿なども――」


「落ち着いてアイリス? 褒めてくれるのは嬉しいけど。流石に恥ずかしいわ……」



 捲し立てるように興奮したアイリスは、リアの一声で我に返り「申し訳ございません」と萎れていく。


 そんな彼女の姿に苦笑を漏らし、ヒイロはアイリスの頭を優しく撫で始めるのだった。



「アイリスちゃんはリアちゃんの事が本当に好きなんだね。あ、そうだ! ねぇねぇ、今度リアちゃんのお話を聞かせてくれないかな? 私も貴女の知らないリアちゃんを教えてあげるから、どうかなぁ?」


「……まぁ! それは素晴らしいご提案ですわ!! 是非ともお願い致しますわ、ヒイロ様」


「ヒイロでいいよ? それじゃあ決まりだね。ふふ、今から楽しみが増えたな~!」


「え、ちょっ何それ羨ましい!? 僕も……ううん、僕とカエデさんも参加させて貰うからね!!」


「もちろんいいよ? この際リアちゃんの恋人を皆呼んで、お話するのもいいかもね~♪」



 一応は忍んでいる筈なのに、皆のテンションが異様に高い。

 そう思いながらリアは正門を避け、ぐるりと神殿を囲うよう聳え立つ外壁を沿って進んでいく。


 隣には一般人では到底登ることのできない巨大な城壁。

 ある程度そういったスキルに特化した人間、もしくは英雄レベルなら乗り越えれるであろう城壁。



 そんな城壁の――感覚ではちょうど神聖区域の裏側辺りに到着したことで――リアはヒイロを抱えて、何の苦もなく悠々と飛び越える。

 すると、ほぼ同時に着地したエイスが苦笑を漏らしながらぼやいたのだった。



「なんだか非正規な道を通ってばかりだから、聖女一行というより夜盗一行みたいだよね」


「こう動いた方が面倒ごとが少ないのよ。……最も、私が経験したのは暗殺のほうだけど」


「ああ、闇ギルドだっけ? そう考えると、リアさんって結構やりたい放題やってるよね」


「言ったでしょう? 闇ギルドに入ったのは貴女達の情報を得る為、だからもうあそこに用はないわ」



 そんなことを話して予め決めていた礼拝堂へと向かい、カエデの力を使って魔族大陸との転移陣を設置する。

 二つのパスが正常に機能したことをカエデが確認し、私達は今、神殿内の通路を歩いていた。


 神聖区域はシスターすら入れない、リア達の領域。

 それ故に人の気配はなく、私達の話し声以外はシンと静まり返った空間が広がっている。



「アイリス、眠いの? 大丈夫?」


「……んっ、はい……もちろんですわ。ですが……やはり、昼夜逆転の時間軸は私には合いませんわね」


「それが普通よ。無理はしないでいいから、もう休みなさい」


「お姉さま……はい、それでは私は一足先に失礼致しますわ」



 ゆったりとした動きでカーテシーを魅せるアイリス。

 リアはアイリスのフードをそっと下ろし、黒のアイマスクを解いて赤い瞳を見つめた。



「貴女が付いて来てくれて本当に助かったわ。ありがとう、アイリス」


「私こそ、我儘を聞いていただき感謝致しますわ。んっ」



 抱き締めながら唇に優しいキスを落とし、数秒の間彼女の温もりを堪能する。

 そうして蕩けた表情を魅せたアイリスは、微睡ながら背を向けて帰って行った。

 自室のない、私の寝室がある方へ。



 そんな可愛らしいアイリスを見送り、私達は通路を進みながらグレイトルームへと向かう。

 エルシアは恐らく一般区域の礼拝堂、レーテはちみっ子二人の面倒を見ている筈。


 そう考えたリアは、取りあえず暖まることを優先して暖炉を求めた。



「この神殿……本当にリアちゃんの物なの? 私達のギルドハウスよりも広いんじゃない?」


「ふふ、すごいでしょう? 多少の面倒ごとと"火の聖女"を引き受けるだけで、こんな場所が貰えちゃうのよ? 私が甘んじた理由もわかるんじゃないかしら」


「これは……正直、想像以上だね。確か、他の場所にも家を建てたんだよね?」


「まだ建設途中みたいだけどね。……出来たら皆で、そこに移り住みましょ♪」



 神殿の造りを見渡しながら感嘆の声を漏らすヒイロ。

 エイスなんて声も出ないみたいで、さっきからずっと口をぽかんと開けている。


(意外とこういう芸術、というより美しい風景や神聖な雰囲気が好きよね。エイスって)



 気付けば、目前にはグレイトルームの扉が迫っていた。

 リアは話しながらその取っ手に手をかけ、特になんの警戒もなく押し開く。


 その瞬間――



(……あら?)


「ッ!」



 風を切る音と同時に、銀色の煌めきがリアの首元を狙う。

 リアは半歩下がることでその切っ先に触れるか触れないか絶妙な距離を取り、即座に短剣を持つ腕に手を添えた。



「……」


「ぐっ、まだッ!」



 彼女は掴まれると思ったのか身を捻り、そのままもう片方に握った直剣で刺突を放った。

 少し首を傾げればフード越しに微かな風圧が頬を撫で、背中ごしに眠そうな声が聴こえる。


 刺突が避けられると彼女は懐へ潜り込み、刀身を赤光らせた短剣で凄まじい切り上げを行った。

 天上には赤い斬撃が斬り込まれ、軽い振動とパラパラとした粉が降り落ちる。



「ッ……くぅ!」



 動揺が垣間見え、次なる一手で更に踏み込んでくる彼女にリアは思わず口元を緩める。

 クールな彼女の顔も愛おしいが、危機に迫り殺意を込めたその瞳にも惚れ惚れしてしまう。



 刃が届く前にその腕を払い、無属性の障害物まほうを領域で感知して避ける。

 リアの対応力に彼女の目が一瞬だけ見開き、これまで以上に殺気の籠った一撃が放たれた。



 直撃はない、しかしフードが捲れ、微かな風圧によってリアの素顔が晒されるのだった。

 襲撃者が息を呑むと同時にその動きを止め、リアはそっと触れながら優しく引き寄せる。


 ふわりと爽やかな香りが漂い、私よりも少し身長の高い彼女の顔が視界を埋め尽くす。



「良い動きだわ、レーテ」


「……リア……様?」



 能面な彼女には珍しく唖然とした表情。

 手から零れ落ちた短剣と直剣をエイスがさり気なくキャッチし、リアは愛おしさが募るままに彼女を優しく抱き寄せた。



「驚かせてしまったわね……ごめんなさい。でも会いたかったわ」


「いっいえ……申し訳ございません、リア様を攻撃するなど……私の方こそ」


「ふふ、悪いのは私だもの。貴女の動きに見惚れちゃって、つい楽しんじゃったわ」



 抱き締めながら彼女の肩越しに、部屋の中を見渡すリア。

 すると、暖炉の前にあるソファに身を隠し、顔を覗かせてこちらをチラチラと見る二人のちみっこの姿。



「彼女がレーテさんか。直剣に短剣……距離を取られた時点で直剣に切り替えたのは良い判断だね。それに致命傷クリティカル狙いで急所を狙ったのも悪くはない。……ただ、二撃目が通じなかった時点で距離を取った方がいいね。被弾させたなら可能性はあったけど、避け切られた時点で相手は間違いなく格上だから」



 そういってレーテの武器を手元で弄びながら助言と一緒に、レーテに武器を渡すエイス。

 レーテは私の顔を一瞥し、エイスに感謝の言葉を述べながらぎこちなく武器を受け取った。



「リア様、この方々は……」


「彼女達は私の探し人よ? そんなことより、まだ貴女の口から聞いてないわ。ただいまレーテ?」


「っ……おかえりなさいませ、リア様」



 熱烈な歓迎を受けて帰宅したリア。

 レーテは私達を迎え入れると、エルシアを呼ぶと部屋を退出していってしまった。


 残ったセレネとリリーも、侵入者が私だとわかればすぐに警戒心を解いて抱き着いてくる。

 そうして二人のちみっこと暖まりながら話していると、リリーの様子が少しおかしいことに気づいた。


 どこか上の空、いや内心で驚愕を隠すようにして天上を見上げる様子。

 気のせいでなければ、その目は幽体化したカエデを見ているようにも思えたのだ。



「リリー、貴女もしかして――」



 そう口にした瞬間、室内の扉がノックもなしに開け放たれた。



「リア!」



 息を切らし、水のような綺麗な髪を靡かせながら室内を見渡す彼女。

 その姿はアイマスクを付け、修道服を纏いながらも気品に満ち溢れている。



「ただいまエルシア。そんなに慌てなくとも私は逃げないわ?」


「……ふふ、ご無事で何よりです。おかえりなさい、リア」



 呆気に取られた様子で、どこかほっとした顔を浮かべ歩み寄ってくるエルシア。

 リアはそんな彼女の手をとり、自然な動きで自分の頬へと押し当てた。



「私の心配をしてくれたの? この通り、傷一つついてないわ」


「そうみたいですね。でも、魔族を助ける為に英雄と行動を共にするのは、やっぱり肝が冷えます」


(そういえばエルシアの前で戦闘したことなかったかな? いや、元人類種だった彼女には英雄がそれだけ人智を超越した存在ということかしら? ふふ、今回はたくさんの英雄が死んだと言ったら心底驚きそうね……ううん、悲しむ可能性もありそうだわ。……慣れて欲しいとは思うけど、そんな所もエルシアの魅力なのよね~♪)



 愛おしい眷族の温もりに心休まっていると、彼女の反応が別の所へ向いてることに気づく。



「リア……このお二人・・・は、一体……?」


「私の旧友たち。それと二人じゃないわ? 三人よ」


「え……?」



 振り返ったエルシアににっこりと微笑み、その背後では宙で実体化するカエデ。

 六枚の白翼を顕現させ、室内には大量の羽を舞い散らせた。



「…………天、使……?」



 そんな光景に唖然とするエルシア。

 無言で給仕を始めていたレーテですら、突然現れたカエデにその手を止めざるを得なかったようだ。


 室内の視線を一身に集め、マイペースに空中で微睡むカエデはすすーっと浮遊を始める。

 そして自分を見上げるレーテの顔を覗き込み、どこか確信を得た様子でにへらぁっと微笑んだ。



「わぁ、本当にメイドさん……なんですね?」


「リア様……? これは……」


「ふふっ、再会した後にね? 私のお付き合いしてる恋人の話を皆にしたのよ。そうしたらその子は貴女に興味を持ったみたいなの。なんでも、すごいメイドさんに給仕して貰いたいみたいよ?」


「……給仕? 何故、そのようなことを……」



 わけがわからない、そう顔に浮かべたレーテに、カエデは眠そうな目を見開いてキラキラと見つめた。

 六枚の翼は若干にばたつきが加速しており、魔力で出来た羽が室内に大量に振りまかれる。



「綺麗……メイドさん、かっこいいです……! わぁぁ」


「っ……ありがとうございます」



 困惑はあるようだが、すぐに持ち直していつもの能面なレーテへと戻る。

 それでも内心ではどうしたらいいかわからない筈だから、リアが助け船を出すことにした。



「もし貴女が嫌じゃなければ、その子に付き合って上げて欲しいの。無茶振りや無理難題は絶対にしない子よ?」


「それは……もちろんです。リア様のご友人ともあれば、ですが私などで――「いいんですかぁ」」



 再会してからのまぐわいを除き、初めて興奮したかのようなカエデ。

 しかし、そんなカエデも何かに気づいて直ぐに落ち着きを取り戻した。



「あっ、でもタダでやって貰うのも悪いですよね? うーん……うーん、あっ! 貴女に装備を作るなんてどうでしょうか? 私……これでも装備作り、得意なんです。……リアの装備も……大半は私が作ったんですよ? えへへ~」


「装備……? リア様の装備を、貴女様が……?」



 完璧に表情をコントロールしていたレーテが、その言葉を聞いて驚愕する。

 そうしてこっちに確認の視線を向けてきた彼女に、私は迷うことなく頷いた。


 私の装備はドロップ品やレーヴァテインのような固有装備ユニークアイテムを除いて、殆どがカエデに作成、もしくは改良して貰ったものだ。

 初期装備や低レベルの簡単な物は自分で手を加えたが、高レベルな生産スキルや鍛冶師スキルが求められるものは全部カエデ、もしくはフレンドにお願いして作ったもの。



(あ、レーヴァテインもそろそろ耐久やばいし、今度修理して貰わないとね。……このタイミングで再会できたのは奇跡。危うく、暫く使い物にならなくなるところだったわ)



 そんな事に思いながら、興奮して押し気味なカエデと困惑するレーテのやり取りを眺めるリア。

 室内の視線を集める二人に、エルシアは思い出したようにリアの隣に座った。



「リア、忘れる前にお話しておきたいことがあります」


「……話? どうしたの、そんなに改まって」



 アイマスクを首元まで下ろし、覗かせたピンクサファイアが真っすぐに私を見詰める。

 その様子はどこか真剣みを帯びたおり、リアも少しだけ気持ちを切り替えた。



「本日は、早朝から神殿の一般開放が行われました」


「ええ、そうね……。ああ、全て貴女に任せることになっちゃってごめんなさい。もし私に出来ることがあれば――」


「いえ、そのことはいいんです。私は貴女の……眷族ですもの。それに確かに人の多さには驚きましたが、衛兵も多く配置されてましたし……レーテも必要な時には手伝ってくれましたから」


「……そう。変な礼拝者は来なかった? 体を触られたり視姦されたりはしなかった? 何かあったら、包み隠さず私に教えて欲しいわ」


「そ、そんなことはないですよ!? 皆さん非常に信仰的で場を弁え、礼節に重んじる方ばかりでしたので!」



 エルシアは驚きに体を仰け反らせ、否定するかのように両手をバタつかせた。

 顔色も暖炉の熱のせいか、頬が火照ったように赤らんでいる。……かわいい。



「それなら……良いのだけど、でも何かあったんでしょう?」



 その言葉にエルシアはバタつかせた両手をぴたりと止め、少し視線を地面へと落とす。



「思い違いかもしれません……。私がまだ吸血鬼に慣れてないだけで……勘違いを」


「それでもいいわ。貴女が思ったことを聞かせて? エルシアの言葉なら、私はどんな言葉でも聞きたいの」


「……リア」



 不安そうな顔で儚げに見詰めてくるエルシア。

 そんな彼女に思わず見惚れてしまい、無意識に顔を徐々に近付けさせていくリア。



「血の匂いがしたんです」



 特に驚くことでもないが、気になったリアは動きをピタリと止める。

 すると、エルシアは顔を上げてハッキリと口にした。



「濃厚な血の匂い、洗っても隠しきれない……死の匂いともいえる物を体中に染み渡らせた男性の方。……夕暮れ時だったでしょうか? 礼拝堂に訪れにきたのです。中折れ帽を被った眼鏡をかけた若い男性が……」


「その男がどうしたの? 見かけただけなら……」


「話しかけられたのです。貴女は居ないかと」



 私?と思って身に覚えのない特徴に首を傾げるリア。

 そうして要領を得ない私に、エルシアはもう一度はっきりと、今度は男の問いかけをそのまま口にしたのだった。



『アルカー……いや、リア様に謁見を願いたい。彼女はここに居られるでしょうか?』



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