第152話 真祖の絶望Ⅱ
離れたのは一瞬。それでも、この戦いは無慈悲に弱者を淘汰する。
妾は……間に合わんかった、のか?
それは一瞬にも満たない悔恨の思い、しかし頂上同士の世界では何よりの大きな隙となる。
セシルの両脇から飛び出てくる二つの影に、反応が数テンポ遅れるオリヴィア。
片方には無機質な顔の戦士、もう片方は大剣を振りかぶった大男が一気に距離を詰めてきた。
振るうだけで空気を振動させる大剣を刀身に滑らせ、感情の読めない剛剣が頬をかすめる。
「マジか! 今、あからさまに反応遅れてたよな!!」
「……だが、防ぎが甘い」
「くっ……! 妾は、まだ……ッ!」
「――俺がいること、忘れてねえよな?」
超絶技巧によって神速の聖剣を弾き返し、読めない剛剣をいなし、直線的な破壊を逸らす。
だがあっという間に護剣は絡めとられ、魔剣を引き戻すにはあまりにも遅すぎた。
咄嗟の判断で地面を蹴り上げ、飛び退いた瞬間――
「ぐっ、がはっ! ……ッ!!」
刹那の隙に聖剣が体を焼き貫き、続けざまに二本の剣がオリヴィアに吸い込まれる。
口端から血を溢し、剣を引き抜きながら地面に手をつき、辛うじて受け身を取ったオリヴィア。
(血が消失……、聖剣の力か? 再生が遅い、魔力ももう無駄撃ちはできんな。……軍は撤退、いやラインが崩壊したか。一人も削れていない英雄……妾とて、これ以上は――)
「ぐふっ、…………?」
思考に割いた時間は一秒の間。
絶えない騒音が耳を掻き立て、傷痕の再生はままならず、疲労と葛藤で頭がおかしくなる。
そんな状態で違和感を持ったのは胸の辺り、そう……丁度心臓の辺りだ。
見下ろしたそこには、神々しい光を漂わせた槍の切っ先が突き出ている。
そして風を切る音が幾つも聴こえた途端、体が激しく何度も揺れた。
体のあちこちから燃やされるような激痛が走り、オリヴィアはぎこちなく振り返る。
そこには紋様のような碧眼を浮かべ、無機質に微笑む金髪の女。
「貴様……
「心臓を確かに貫いた筈ですが、流石は真祖ですね」
「いや、これで終わりだろ」
慧眼で"
すると視界はぼやけ始め、痛覚も麻痺したかのように無感覚へとなっていく。
(視界が歪んで……、手に力が入らない……? いや、そもそも妾は立っているのか? 倒れているのか? 胸に刺さった槍の感覚がない。これは……状態異常の付与か。まずい……動け、動け、妾はまだ……っ!)
そうして本能的に双剣を構えた時、抗いようのない力によって意識ごと掻き消されたのだった。
体が動かない、いや動かしているのかどうかがわからない。
騒音は聴こえ……止んでいるのか? どれだけの時間、妾は気を失って――
無感覚なまま瞼を開き、徐々に光が入ってくることで映される光景。
体を動かそうとすれば視界が動かず、見下ろせばそこには聖剣が深々と突き刺さっている。
「よぉ、起きたか? って言っても、一分くらいの時間だけどな」
(……セシル。そうか、妾も……
周囲を取り囲むは、一二人もの英雄。
騒音は遥か遠くから聴こえてくる気もするし、聞き続けたことによる幻聴かもしれない。
足元に見下ろせば夥しい死体が転がっていて、まるで妾に手を伸ばすような者も見えた。
「ん、このゴミ共が気になるのか? ……ふふ、ふふふっ……あはははははは!!! ……お前を助けに来たんだよ? 「オリヴィア様、オリヴィア様ぁ」って無意味に叫んでよぉ。まぁ、どれだけ頑張ったところで所詮は雑兵……これだけの英雄からお前を助けるなんて不可能だろ!? そんなことが出来る奴は、この世のどこを探しても存在しねぇよ!!」
心底おもしろおかしく目を見開き、三日月に歪めた口で大笑いするセシル。
周囲からはクスクスと嘲笑う声が幾つも聴こえ、オリヴィアは地面のそれを見る。
こちらに手を伸ばし、その背には幾つもの魔矢と光槍が突き刺さった黒騎士。
「ああ、そいつは一番頑張ってたなぁ? 何ていったって俺の髪の毛先を斬ってみせたんだからよぉ!!」
そう言って死体を蹴れば、その黒騎士の兜が外れて静かに足元へと転がる。
素顔を晒したのは最も見知った顔、何百年も共に付き従ってくれたオリヴィアの最初の眷族。
(……アスール。なぜ……其方がここに居る? 妾を助けるため? そんなこと、貴様に命じた覚えなどない……! だというのに……なぜだ?)
「流石のオリヴィアもこうなっちゃ打つ手はねぇか? 反応がねぇとつまんねぇし、
「………………ぜだ」
「あ?」
「…………なぜ、だ」
「なぜだ? そりゃあお前、魔族だからだろう?」
回らない口をもどかしく思いながら動かし、返ってきた答えに潰れた筈の心臓が跳ねる。
ぼやけたセシルの表情はさも当たり前といった顔で、ここ何百年のわだかまりを容赦なく刺激した。
――魔族だから
その言葉は何度も聞いた。
何度も何度も何度も何度も、もはや耳にこびり付いて離れないほどに聞いた。
無関心を装うことで平常を保ち、戯言だと思うことで一蹴する。
考えないように、気付かないように、一度それを自覚してしまったら、もう立ち上がることができないと理解していたから耳を塞いだ。
だが、この状況においてその言葉は、心臓に突き刺さった聖剣よりもオリヴィアの心を抉った。
(……魔族だから。なぜ魔族だとこうなる? 我らとてこの世界の住人、
この数百年、胸に溜め込んでいたものが決壊したかのようにオリヴィアを埋め尽くす。
もはや足に力は入らず、眼前のセシルや周囲の英雄すらその存在を薄めている。
「魔王を殺した時も思ったけどよ。……お前、本気でわかってねぇの?」
わかっていない。たかだか数十年生きた若造が、妾にわかっていないだと?
口は回らず、掠れた声だけが虚しく空気を揺らし、セシルを睨みつける。
「ぶはっ! おいおいマジかよ!? マジでわかってねぇのかよ!! んなの一つしかねぇだろうが。あの女、この世界の創造神であるアウロディーネが、自分の生み出した失敗作であるお前らを、心の底から消したいと思ってるからに決まってんだろう!!?」
じゃなきゃ、こんな煽らねぇって、そう吐き出し周囲を見渡しながらゲラゲラ笑うセシル。
無意識に体が飛び跳ね、残滓のように残っていた力すら抜けていくのを感じた。
"失敗作"、その言葉を否定するだけの根拠はいくらでもある。
だが、創造主が我々を消したいと思っている意向は、有り余るほどに心当たりがあった。
「ああ、それともう一つ。どうしてこれだけの英雄が一堂に集まったかわかるか?」
(集まった理由……? 魔族を滅ぼせと、
そう考えていると、ぼやけた視界の中でセシルは面白おかしく笑った。
「ふふ、悪いがお前の考えていることは外れだ。残念ながら魔族どもを根絶やしにするのに、俺達がこうして募る事はない。ならばなんだと思う?」
魔族を滅ぼしに来たわけではないと、そんな虚言を妾が信じると思うのか?
それ以外にここにあるものなどない、全てお前たち人間が奪っていったのだから……。
もはや問答は不要、さっさと殺せと思いながら思考を打ち切るオリヴィア。
すると、セシルは数歩歩いてからオリヴィアを指差して笑った。
「――お前だ、オリヴィア」
息が止まった気がした。
言われてることが理解できず、向けられていると思える指を凝視してしまう。
「今日という日に限って俺達が集い、これだけの大軍を率いて攻め入ったのはお前が原因なんだ。あの女は魔族も嫌いなようだがその中でも、特にお前を消したいと思っている。……他の魔族なんてついでに過ぎない。全ては、お前が原因でこの惨状は生まれたってことだ」
「…………」
張りつめた糸が切れたように胸のロザリオが千切れ、乾いた音とともに地面へと落ちる。
痛覚など微塵も存在しない、それは異常状態を掛けれらる前から変わらない。
だというのに……胸が痛い、どうしようもなく張り裂けそうなほどに孤独を感じる。
(……そうか、妾が原因……全ては妾の存在が……ッ!)
そう思った時、夜に見間違えるほどに薄暗い戦場に光が降り注いだ。
それはあまりにも神々しい光の巨柱。
聖剣や光槍など比べ物にすらならない、
遠く離れていても、視界が暗くぼやけていても、生き物の本能として理解した。
"神の御業"
それはこの状況を喜ぶような、祝福するかのような耀かしいほどの光。
同時にどれだけ抗おうと、どれだけ力を持とうと、全てが身の丈に合わない無意味なことだとわからされる
ぼやけた筈の視界が更に霞む。
「はは……ハハハッ! 普通ここまでするか? あの女……どんだけお前が嫌いなんだよ、同情するわ」
その言葉に、オリヴィア自身も自分を憐れんだ。
魔族という同胞がいようと、この世界に本当の意味での自分の味方など存在しない。
何故なら、世界そのものに拒絶されているのだから。
(ああ……そうか、あの崩れた廃墟に足を運んだのは、存在の許しを乞う為の懺悔だったのだな。だからあれ程までに……心が和いだということか。……ははは、滑稽だな? 抗う為の力を、その神に縋って賜っていたということか)
「そんじゃまっ、あの女からの祝福もあったことで、終戦の音頭は俺がとるとするかね。……お、雪か?」
霞んだ視界には薄っすらと絶望が映るだけ、無感覚な肌にはその冷たさすらわからない。
わかるのは眼前で溜められた夥しい程の光が、次の瞬間には自分へ向けられるということだけ。
「まぁいいや、報復も済んだことだし。もう十分生きたろ? じゃあな、オリヴィア」
遠目の三柱には及ばないにしても、オリヴィアを滅ぼすには十分すぎる光剣。
振り下ろされると当時に地面が抉れ、赫々たる光が視界を白に埋め尽くす。
『君が最初の眷族だよ。能力はもう定まってるし、やっぱり種族名は吸血鬼がいいかな?』
顔も思い出せない存在が
それはずっとずっと昔に消えた筈の古い記憶。
首から上は塗り潰されていてわからない、けれどその存在だけはわかった。
――ああ……最後にもう一度、貴女様にお会いしたかった。
「……始祖、様……」
掠れた声は空気に溶けてなくなり、煌々とした光が眼前まで差し迫る。
すると、視界を覆い尽くすほどの赤黒い奔流が光を遮った。
その内包された魔力に空気が震え、膨大な質量によって抗う事すら許さず掻き消える光。
時が止まったかのような時間の中、ふわりとそれは舞い降りた。
光とは違った白銀が宙を靡き、純白に染まったそれは何ものにも代え難い安堵を齎す。
白一色でありながら圧倒的な魔が、その深紅の瞳に妾を映したのだった。
「ようやく会えたわ、オリヴィア」
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