第150話 世界に叛く最古の真祖
地に足を付けて数秒すると、土を焦がす火の匂いが鼻にこびり付く。
そこかしこに魔力の残滓が映り込み、絶えず騒音と怒声が聴こえてくる。
それはいつもと変わらない日常。
もはや普通こそが異常であり、オリヴィアにとっては見慣れてしまったそんな光景。
此処に立って居るのが、本能に忠実な吸血鬼であれば狂喜乱舞したことだろう。
しかし、幾ら慣れたとはいえ平穏を望むオリヴィアにとっては、決して楽しいものではなかった。
昨日までの拠点は遠目に映し出され、こうしてる今もじわじわと自軍は後退を続けている。
オリヴィアはそんな光景を一瞥し真っ先に指揮をするダークエルフ、ルキアスの下へと向かう。
そうしてルキアスは妾に気づき、眉間の皺を解いて安堵の表情を浮かべた。
「オリヴィア様! ああ、漸く来てくだ――」
「状況はどうなっている」
「っ……、……報告致します。敵軍の数はおよそ五万、尚今も増え続けている状況であり、確認できた英雄は四人。しかし、一般兵や傭兵の浮き足だった様子から恐らく英雄の数はそれだけではないでしょう。第三防衛ラインは成す術もなく崩壊。現状は被害を最小限に抑え、第二防衛ラインまで後退するよう指揮を執っております。それと呪いについてですが、」
「報告は聞いている。それに」
オリヴィアは逸る気持ちを抑えながら言葉を被せ、"慧眼"を持ってあちこちへ視線を泳がせる。
映し出される情報に『奈落』という文字は消え、代わりに『強靭』『気高き光』が増えている。
(確かに、奈落の呪いはどれを見ても消えているな。……それにあの二つの状態、あれは一体なんだ?)
眼下では魔族が血を流し片膝を突くも、努めて冷静に思考を巡らせながら戦場を見渡すオリヴィア。
すると、そんなオリヴィアの耳に砂を蹴るような音が聴こえてきた。
「はぁ、はぁ、戦況は……どうだ? オリヴィア」
「其方……いや、その目で見てみるといい。呪いは確かに消えているぞ?」
自軍を置いて来たのか、と言葉にしそうになるものの、この状況で仲良しこよしに隊列を組んで向かう方がどうかしてる、そう思い直し口を噤むオリヴィア。
マナガルムはそんな二人に並び立ち、身を乗り出すように戦場を見渡した。
「これは……お前のように状態は見えないが、明らかに動きが軽快だな。アンデッドは……ほぼ全滅か、それに黒騎士も数えるほどしか残っていないな」
「……気付いたと思うが、英雄は四人だ。だがそれで全てではない」
「四人の内、二人までは巨人部隊と獣人たちに何とか当たらせてるけど。見た通り全く手が足りていない状態なんだ。だからマナガルム、君には遠目に見えるあの黒い英雄の対処をして欲しい」
「ああ、承知した。指揮はこのままお前に任せ――」
そう口にした瞬間、戦場のあらゆる場所で一際大きな爆発が起きる。
それによって少なくない数の魔族が宙に投げ出され、戦場には幾つものクレーターが生み出された。
「くっ! 今のはッ?」
「きっと……っ、新たな英雄の投入だろう!」
「……」
(例え主戦場とはいえ、一つの戦場に五人の英雄が投入か。どうやら、奴らは本気で我々のことを根絶やしに来たみたいだな? 風貌は前衛のそれだが、見たところ魔法士……それも火系統だろう。妾には不利な相手ではあるが特段問題はない。まずはあの英雄を……――なんだ、あの光は?)
爆発を引き起こした英雄を遠目に。
その更に奥、怨念の渓谷に位置する場所から奇妙な光が薄っすらと見えた。
本来の"怨念の渓谷"は黒紫色に揺らめき、オーロラのように不気味な光が漏れ出している。
しかしそれが今、まるで渓谷を分断するかのように、中途半端な位置で眩い光を放っていたのだ。
あまりにも遠目すぎて確実なことはわからない。
だがオリヴィアの目には、その位置から敵が雪崩れ込んでいるように見えた。
「話してる時間すら勿体ない、俺はこのまま英雄を狩りに行く。ルキアス、指揮は任せてもいいんだな?」
「君を後ろに腐らせるなんてそんな勿体ないことはしないさ。ここは私に任せて……頼むよ」
「ああ、承知した。……グルルッ!」
マナガルムは身を完全に乗り出し、獣のように姿勢を低めて大剣を担ぐ。
そうして鋭い牙をチラつかせながら獰猛な笑みを浮かべて、大地を蹴り出したのだった。
「敵は全員呪いを回避している。それを留意した上で貴方達は自軍の援護に回りなさい。もし、英雄と対面した場合、必ず三人以上で対処するように」
「「「「「…………」」」」」
「行きなさい」
言葉を終えたと同時に黒騎士たちは散開、黒い残像を残して戦場へと参戦した。
オリヴィアは数歩歩くと、何か物言いたげな雰囲気を感じて振り返る。
「オリヴィア様……」
「そんな顔をするな。残った彼奴等の対処は妾が――ッ」
そう口を開いた時、オリヴィアの視界の端に一点の光がチラついた。
反射的に首を反らし、それは瞬く間に頭のあった位置を通過する。
「っ!?」
「っ……!」
光の線が宙を走り、首を傾げたオリヴィアの頬に傷痕を残した。
頬はまるで熱線に焼かれたように赤白く溶け、再生と
(……この距離で。ルキアスを射貫かなかったのは回数に制限のあるスキルだからか? 超高濃度な聖なる魔矢。直撃していたら……絶命は免れなかったな)
「オ、オリヴィア様!? ご、ご無事ですか!!??」
「問題ない。どうやら妾のことを待っていたんだろう、小賢しい」
狙撃ポイントは恐らく、怨念の渓谷付近、先程の強い光が渓谷を分断していた辺りからだろう。
超々遠距離からの狙撃……大弓、いや、魔弓師の類か?
そんなオリヴィアの発言に対し、ルキアスも瞬時に同じ考えに至ったらしい。
「……チャンスは幾らでもあった筈。だというのに私に使わなかったということは、相当に警戒されております。オリヴィア様、くれぐれもご留意を」
「其方は無暗に顔を出さないことだ」
新たな英雄の影に警戒はするものの、続く二射目の狙撃の気配は感じられない。
そう思ったオリヴィアは大地を蹴り上げ、戦場の上空へと舞い上がった。
愛剣の二本を抜き放ち、飛翔しながら魔法構築を行う。
眼下には数え切れないほどの人類種で埋め尽くされ、既に踏み鳴らした大地には同胞達の無残な亡骸が映り込んだ。
元々黒かった大地。それは大量の血を
「……其方らの無念、妾が晴らおう」
【邪闇魔法】【天空魔法】混成――"浸食ノ流星"
頭上には何千もの魔法陣が展開され、掲げた剣を振り下ろすと同時に撃ちだされる流星群。
それは一つ一つが軌跡を残し、まるで宙に線を引くように大地へと降り注いだ。
戦場で立ち止まり、愚かにも見上げた人類種は次々と悲鳴を鳴らし、その身を宙へと浮き上がらせる。
鎧は意味をなさず、魔法陣も貫通し、人がまるでゴミのように散っていく光景。
戦場の一部は砂煙で満たされ、眼前で目にしていた魔族たちは唖然と立ち尽くす。
そして、それらの目が徐々に上を向いたことで、その表情は安堵と歓喜に満たされた。
「……オリヴィア様だ、オリヴィア様が……オリヴィア様が来られたぞー!!」
「隊列を立て直すなら今だ! オリヴィア様が齎してくれた時間を無駄にするなぁぁぁ!!」
「オリヴィア様だけじゃない!よく見ろ!! 黒騎士の部隊、それにマナガルム様まで!!」
「オリヴィア、オリヴィアがキタ! グゲッ、ガガッ!!」
雄叫びや歓声が戦場を奮い立たせ、それは急激な速度で士気となって周囲へ広がっていく。
そんな声を遠耳に、オリヴィアは地面へと急降下し、すれ違い様に人間達の首を斬り落とす。
まるで無反応な人間、少し反応して結局斬り落とされる人間、抵抗はすれど左程意味のない人間。
目にも止まらぬ速さで戦場を駆け抜け、残像も残すことなく人類種を蹂躙して回る。
斬り飛ばし、蹴り抜き、魔法を持って人間の体をまるで土人形のように破壊。
そうして数え切れないほどの死体を地面に転がした時、漸く一人目の英雄が見えてきた。
(何をしようとしているのか知らんが。これだけの雑兵を集めたんだ、英雄もそれに比例するか、近い数まで招集されていても不思議ではない。ならば合流する前に……貴様を討つ)
眼前では何人もの獣人を一振りで薙ぎ払い、血飛沫を舞い散らせながら好戦的な笑みを浮かべた男が見える。
それは血が纏わりついた大剣を振り回し、肩に担いで愉快そうに吠えた。
「その姿、お前がオリヴィアか? ハハッ、まさか最初が俺とはなぁ!!」
オリヴィアは駆け抜ける速度を更に加速させ、一秒にも満たない時間で間合いに入り込む。
「なっ!? ぐっ」
振り下ろした直剣をギリギリで大剣が受け止め、もう片方の剣でその首を狙う。
英雄は辛うじて大剣を傾けたことで攻撃を防ぐが、既にオリヴィアは次の行動に移っていた。
直剣を手放し、即座に逆手に持って放たれる斬撃。
「ぐぅッ!!?」
「……ほう、防いでみせるか」
大剣を蹴り、空中で回転しながら双剣を流麗に振るうオリヴィア。
三次元的な動きで軌道を変え、斬撃をありえない角度からくり出す。
一撃一撃が大剣に火花を散らし、凄まじい衝撃音と共に英雄の足を地面へと陥没させた。
「なんだッ、この重い剣は!? これが真祖、なのか!!?」
「……」
蝙蝠と鳥類の両翼を持って体勢を変え、あらゆる斬撃を繰り出しながら、同時に魔法を展開するオリヴィア。
それは瞬く間に英雄の体を削り落としていき、、出血と共に苦悶の色が見え隠れしていく。
二人が衝突し、まだ一分にも満たない時間。
乱舞ともいえる斬撃の嵐に、対応が追いつかなくなった英雄はのけ反りながらその隙を晒す。
「この俺がッ、こんな一方的にぃ!?」
「英雄が聞いて呆れるな」
無防備となった男の首に魔剣が差し込まれ、その刃が皮膚を抉り――停止した。
「っ……!」
「ふぅ……ふぅ、今のは危なかった。……まさかここまで化け物だとは思わなかったぜ?」
不自然に停止したことで即座に剣を引き抜こうとする。しかし異様に重たい剣。
そう認識した時、離れたところから強い悪寒が走り抜けた。
振り向いた時には視界が真っ白に染め上がり、オリヴィアは乱暴に護剣ソレイユを差し込んだ。
そうして眩い光が一帯を包み込み、
それは爆発とも破壊とも違う。浄化……強い浄化の力によって穢れた大地ごと消滅させたのだ。
「……はぁ、はぁ、正直助かったわ。……俺一人でも行けると思ったんだが、ありゃ無理だ」
「当然でしょ? あんた一人でやれんなら、とっくに魔族を根絶やしに出来てるわよ」
そう言って差し込まれた首元を摩りながら、大剣を構え直して笑う英雄。
並び立つは魔女のようなローブを羽織り、短すぎるスカートを翻す少女の英雄。
軽快な様子で話す二人だが、その目は砂煙で覆われた空間をジッと見ている。
十秒、十五秒、二十秒と立ったところで、少女は咄嗟に上を見た。
「っ、上よ!!」
「こりゃまさか!?」
「……厄介な小娘だ」
漂わせた無数の血剣を振り下ろそうとし、オリヴィアは弓の弦を弾くような音を聴き取った。
左右、前後、そして――頭上。
見上げた先、停滞させた血剣の更に頭上には、目を細めるほどの光り輝く矢の雨が降り注いだ。
その一本一本からは濃厚な聖属性の魔力を感じ、オリヴィアは即座に血剣を操る。
腰を捻り、二本の愛剣と血剣を持って強烈な斬撃を放ち、次々と降り注ぐ魔矢を振り払う。
しかし、その全てを弾くことなど真祖のオリヴィアであっても不可能。
雨のように降り注ぐ魔矢は体のあちこちに突き刺さり、その動きを自然と鈍らせていく。
「ちっ」
「動きが鈍った……! 危うく串刺しになるところだったわ!!」
吠えるような少女の声が聴こえると、雷を纏った光槍が何本も撃ち放たれる。
それは曲線を描き、無防備なオリヴィアへ前後から襲い掛かった。
翼に力を入れその場でくるりと回転。魔剣で斬り払い、護剣を持って直撃に遅延を掛ける。
そうして次の瞬間には魔剣で跡形もなく打ち払うと、宙を蹴るような姿勢を取ったオリヴィア。
「俺の存在を忘れちゃいねえか? おらぁ!!」
「直線的すぎるな、貴様は」
空中で宙返りを行い、頬に物凄い風圧を感じつつその後頭部を容赦なく蹴り落とす。
大剣の男は真っ先に地面へと叩きつけられ、クレーターを生みながら地面を激しく揺らした。
魔矢によって傷付けられた体の再生を行い、眼下の英雄たちを見下ろすオリヴィア。
増えた英雄は二人。一人は魔弓を携えた女、もう一人はその隣に並び立つ紳士服を着た無手の男。
(あの魔弓……姿を現したということは、ここで妾を確実に屠るつもりか? あの男も、蹴り如きで死ぬ筈がない。無手の男は……そうか、加護を付与したのは貴様か。……四人、ギリギリのラインだろう。可能であればこうなる前に減らしておきたかったが、もはや何も言うまい)
慧眼で見下ろすオリヴィアと、見上げながら得物を構える英雄たち。
大剣の男に追撃を加えれば、今すぐに一人は減らせるだろう。
しかし、それをした途端、彼奴等は全力で阻止にかかる筈だ。
一触即発の空気が漂う中、大剣を持っていた男が割れた大地からのし上がる。
「……他の魔族には目もくれないところを見ると、狙いは妾か?」
そう問いかけた時、この騒々たる怨嗟と狂気の戦場で、誰かが口にしたのを聞いた気がした。
『ああ、お前だ』
次の刹那、入り乱れる戦場の中から一筋の白光が生まれる。
それは大地を抉り、兵士を呑み込み、激烈な勢いで迫り来るは
(この斬撃はッ!)「
【邪闇魔法】『渾身憑依』『闇への祈祷』――"黒闇の斬撃"
眼前に迫り来る斬撃に対し、オリヴィアも構うことなく手札を一枚きる。
白光と黒闇の衝突によって凄まじい爆風が巻き起こり、戦場には濃密な魔力が駆け抜けた。
斬撃は互いが互いを削り合い、数秒もすればどちらからともなく霧散する。
周囲には残痕が舞い、白と黒の魔力が可視化できる程のレベルで空気に融けて消えていく。
(今の攻撃は……奴か? 四人……いや、奴を交えての八人は流石の妾も骨が折れるぞ。だが、あの光の魔力は)
そうして考えを巡らせながら警戒するオリヴィア。
その間、英雄は誰一人として動かず、まるで戦場から人が消えたかのように、静まり返る大地をのうのうと歩いてくる人間たちが居た。
コツコツと響かせる金属の音。
それは一人を先頭に三人が付き従うPT。
先頭にたった男の数字は『82』。曾ての魔王、そして妾より6も低い。
そんな男が英雄達の前を通り過ぎ、互いに必殺の間合いに入った瞬間その足をピタリと止める。
「よぉ、六年ぶりか?」
「……まさかとは思っていた。今更、貴様がここに何の用だ?」
「まぁ、そろそろやんねぇとなとは思ってたんだよ、
「……貴様は見ない間に随分と変わったな。――勇者セシル」
====================
魔族領で衝突し合う最大勢力。
そんな中、大陸を超特急で横断し、巡る都市を火の海に変えながら飛翔する吸血鬼たちが居た。
彼女らは最初の港町を除き、ここまで実に三つもの都市を半壊させ、渡ってきた飛ぶ天災。
一人の魔力は半分ほどが空になり、もう一人はその顔に微かな疲労を浮かべている。
そんな二人の吸血鬼は今、魔族領へと差し掛かる"怨念の渓谷"と呼ばれる谷の前に到着していた。
「お姉さま、これは……」
「まさかあれだけ燃やしたのに……まだこんなに居るなんてね。砂漠の時の連合軍より多いんじゃないかしら?」
空高くに浮遊するリアとアイリス。
二人が見下ろす先に見えるのは、これが本隊だと思いたくなるほどの夥しい数の兵士達。
渓谷の前を陣取り、幾つもの天幕を広げながら隊列を組み、それぞれの集まりによって蠢く集団。
そんな光景を前に思わずリアは足を止めてしまったが、それ以上に気になる事があったのだ。
「ねぇアイリス。あの渓谷の光、見える?」
「ええ、見えますわ。あれは……司祭? 祭官のような虫が蔓延ってることから、恐らく……」
「呪いを回避している、ということよね」
紫色の不気味な光を放つ渓谷。
それは遥か上空から見下ろしてもその底は見えず、距離もあることから渡り切ろうとするとどれだけの時間がかかるか分ったものではない。
だというのに、薄気味悪い渓谷のど真ん中には光の架け橋が浮かんでおり、兵士たちは恐れることなく渡っている。
「はぁ……先を急ぎたいのだけど、このまま放置って訳にもいかないか」
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