第149話 真祖と残党の魔王軍(オリヴィアver)



 ひんやりとした冷たい風にゆったりと瞼を開く。


 深紅の瞳にぼんやりと映るのは、寄りかかった石像の断片。

 滑らかな曲線に半身を預け、居心地の悪いソレを視界に収めては再び瞼を閉じる。



 石像らしい無機質な感覚が鮮明に感じられ、体の節々が少し痛む。



 首にかけたロザリオが何かに引っかかり、ちゃりんと音を鳴らした。

 そうして漸くオリヴィアは完全に意識を覚醒させる。



 崩れた廃墟には殺風景な光景が広がり、冬の訪れを感じさせる寒々とした風が通り抜ける。

 一体どれだけの時間、この石像に寄りかかっていただろう。


 脱力した体に力は入らず、オリヴィアは周囲に視線を巡らせる。



「……そうか。またここへ……来ていたのか」



 ぼんやりとした思考を動かし、ここに来るまでの出来事を思い出す。



 奈落の状態異常に掛かりながら狂信化という効果によって、練度の低い兵士が特攻して来たのがつい数日前。

 付与した英雄は姿を見せず、参戦したのは傭兵と拙い戦闘技術を持った兵士たち。


 結局、あの戦いの最中に調査させたオリヴィアの違和感は杞憂のまま終わった。

 瀕死ながらに戻ったゴブリンの報告では何もわからず、それ以降も繰り返し調査をさせたが答えは同じ。

 もう少し深部に迫った斥候を送れば何かわかるかもしれないが、それが出来る人員は限られている。



 違和感を感じる戦場、それは日に日にオリヴィアの胸をざわつかせた。



「キュヴェを向かわせたのだったな。監視も付けてる。報告が上がるとすれば……今日か」



 彼奴あやつのことは未だ信用できないが、その能力は確かだ。

 今の魔王軍が無限に湧いてくる人間どもに対抗できているのも、奴の力が少なからず貢献している。


 渓谷の調査といえば、不可解なことが他にもあった。



「英雄の出現が減っている。いや、英雄だけじゃないな。いくら背格好を真似ようと、明らかに兵士の練度が下がった。それにあの動き……」



 脳裏に思い出されるは先日の英雄と対峙した時の光景。

 相手は二人。


 一人は煌びやかな鎧を纏い、得物は身の丈以上に大きな斧を持った男。

 もう一人は見るからに魔法士の類で、転移を使ったことから空間魔法の使い手なのは確かだ。


 そんな二人との戦いは一刻ほどで幕を閉じ、結果的には転移で逃げられてしまった。

 スキルや攻撃魔法などで戦闘にはなっていたが、奴らは明らかに守りに意識を集中して立ち回っていた。


 それ以外でも英雄の参戦は目にするものの、オリヴィアが向かうとまるで待っていたかのように撤退を始める。


 自然な挙動にも見えた為、一見すれば違和感はない。

 気付けた理由があるとすれば長年の付き合いがあり、それを直に目の当たりにしたからだろう。

 状況も撤退せざるを得ないものへと陥っていた上、偶然という線もなくはない。



「妙に大人しい。妾の杞憂だといいが……違うだろうな」



 そうは思っていても、わかっていても、現状我々にできることなど何もなかった。

 出来ることは、この背水の陣を持って窮鼠猫を噛むようにジリ貧な抵抗を続けることだけ。


 少ない人員に加え、日に日に減っていく有能な人材。

 猫の手も借りたいという言葉が永い歳月を過ごし、漸く身に染みてきたくらいだ。



 寄りかかった体を起こし、立てかけていた愛剣に手を伸ばす。

 二本の内の一本、"護剣ソレイユ"。



 鞘からゆっくりと引き抜けばかそけき光が漂い、刀身に纏わりつくように淡いオーラを放つ。

 度重なる幾千もの戦いにおいて、未だその刀身へ傷痕を残さない澄んだ輝き。


 そしてそんな刀身へ対照的に反射するは、黒く淀み、ぼんやりとした暗紅色あんこうしょくな瞳。

 そこには嘗ての澄んだ色は失われ、諦観ていかんを含んだ妖光だけが光る。



 乱れた足音が廃墟の外から聴こえ、愛剣を鞘へと納める。



「我が主よ、ご報告いたします……!」


「……アスールか。聞こう」


「主戦場に動きがございました。敵軍の数はおよそ5万、尚、今も増え続けてる模様です。英雄の――っ!」



 オリヴィアは愛剣の二本を手にして、跪いた黒騎士の前を通り過ぎる。

 アスールは言葉を途切らせ、永すぎる付き合いから即座にご主人の後へと続く。



 崩れた廃墟のアーチを潜り、両脇にジッと佇んでいた黒騎士が続々と付き従う。

 ガシャガシャと鎧の擦れる音が鳴り響き、最古の真祖が率いる吸血鬼たちは魔城へと向かうのだった。





「――……という状況にあります。人類種は五人もの英雄を投入、加えてこれまでの練度の低い兵士は全員下がらせた模様です。恐らくは――」


「本腰を入れてきた、ということだろうな。……しかし、それだけではないのだろう?」


「はっ。これはまだ確証を得ていないのですが、……その、」


「なんだ? 申してみよ」


「どうやら、我が主が懸念していた事態に陥ってしまったようです。……奴らは奈落の呪いを回避する手法を手にし、あろうことか呪いではなく加護が齎された状態で戦場へ投入されています。我が軍は既に甚大な被害が出ており、ご報告に上がった時には既に第一防衛ライン間近だったかと」



 魔城の通路を速足で歩きながら、眷族の言葉に耳を傾けるオリヴィア。

 眷族の言葉が通路へと木霊し、気のせいでなければ付き従う黒騎士たちも動揺の気配を漂わせている。



「……指揮は今誰がとってる? マナガルムか?」


「マナガルム様は一度魔城にご帰還されると仰られ、丁度ルキアス様に代わられた後に事態が動きました」



 これは、不幸中の幸いというやつだろうか。

 狼の王ループスであるマナガルムは、その種の中では冷静沈着な方で、本能に呑まれずに思考を巡らせる事の出来る存在だ。しかし、それとて理性で抑えつけているだけであって本来の奴は獰猛な獣人。


 変わってルキアスは、妾に近しい時を生きたダークエルフであり、洞察に富んだ慎重さを持ち合わせながら戦闘経験も豊富なことで、戦場というものを本質的に理解している。



(だとしても、幾ら知略を巡らせたところで自力に差があり過ぎては、奴でもそう長いことは持たないだろう。……それが叶うなら、世界は今のような有様にはなっていない)


「……そうか、妾はこのまま戦場へ向かう。其方はキュヴェを見つけ次第、連れて来てくれ」


「はっ! 仰せのままに」



 アスールは影の中へと溶け込んでいき、オリヴィアは円卓へ向かう足を止めてエントランスへと向かう。

 広々とした通路では魔城に勤める文官や、戦場から戻ってきた兵士が慌ただしく行き交っていた。


 人型に近しい魔族は顔を青ざめさせ、異形なものは触手を目障りな程にくねらせている。

 そんな者達もオリヴィアを視界に収めると、ピタリとその動きを止め、道に逸れてから落ち着きを取り戻す。



 逸る気持ちはオリヴィアも一緒だ。

 今すぐに駆け出したい、そんな気持ちをグッと堪え、これまでの経験から努めて焦燥を理性で殺しきる。


 そうしてエントランスへと到着し、巨大な扉をサイクロプスが寂れた音と共に押し開く。

 すると――



「オリヴィア様ー!」



 後方から物凄い勢いで地面を滑り、黒騎士たちの隙間を縫うようにしてオリヴィアへと抱き着く半人半蛇。

 桃色の髪をふわりと靡かせ、反転した黒い蛇眼でうるうると頼りない眼差しを向けてきた。



「お話はお聞きになりましたか!? ヤバい、ヤバいですよ!!


「……ララか。其方は聞かなくともわかりやすいな」



 体にぐるぐると巻きつかれ、床に尻尾を引き摺らせながら構わず歩き出すオリヴィア。



「ちょ、なんでそんな冷静なんですか!? 渓谷の呪いが効かなくなったなんて……それに今回の数、人間達は今までとは比べ物にならないくらい多いって――ッ」


「其方は少し落ち着くといい。そう急いたところで何も変わりはしない」


「で、ですが……!」



 【高位変化】にて翼を生やし、軽くバタつかせながらララを一瞥するオリヴィア。

 このまま離れないようであれば連れて行こうと思考を巡らしていると、背後から見知った気配を察知する。



「なんだ、まだ騒いでいるのか? ……お前のその慌てふためきようが、自軍にどのような影響を齎すか理解しているのか?」


「マナガルム……!」


「無駄に混乱を招き、考えなしに恐怖を散らすその姿。……軍団長としての自覚を持つべきだな、第五軍団長ララ」



 無骨な大剣を担ぎ、二本足で堂々と歩み寄る巨漢な狼。

 大柄な体格は黒と灰色の毛並みに覆われ、背中から首回りにかけて存在感を主張する銀のタテガミ。

 剥き出しな白い牙と獰猛な瞳は、立ち姿だけでもその凶暴性が伺えた。


 シンと静まり返る中、オリヴィアは瞬時に周りへと視線を巡らせる。

 ここは魔城の入口ということもあって、これから戦場へ赴く魔族たちでそれなりに溢れている。



(時間の無駄、といいところだが……ここに居る魔族だけでもその殆どが、恐怖と不安に支配されている。この士気の低さでは、戦場へ赴いたところでむざむざと殺されるだけだろう。それなら……)



「わ、わかってるわよ! でも仕方ないでしょ? 今回は本当にヤバい状況なんだから!」


「危険な状況なんて今更だろ……? 足りない人員、減り続ける物資備蓄、負傷者だって日増しに増える一方。この数年間、これらが変わったことなどただの一度としてないんだ。それが今回は敵が増えたというだけの話」


「だ・か・ら、それがヤバいって言ってんの! オリヴィア様やアンタみたいな強い魔族ならいいわ。でもそれ以外の、力のない魔族は"それだけの話"で済む話じゃないのよ!」


「そんなことはわかってるさ。だから最も危険な最前線には再生能力の秀でた吸血鬼とアンデッド種、そして耐久面に優れた巨人部隊を配置しているんだ。彼らの危険度は後方組のそれとは比較にすらならない、それでも傷を負い、死と隣り合わせて前線を維持している。ならば……嘆いていても仕方ないだろう?」


「それはっ……そうだけど」


「最も危険な領域はオリヴィアと黒騎士が担っているんだ。なら、俺達は俺達に出来ることをやればいい……此奴らの流した血に報いる為にも」



 期待していた言葉とは別の言葉が出てきてしまった。

 言ってる事はその通りかもしれないが、果たして今の言葉で士気を高められるだろうか?


 オリヴィアは小さく溜息をつき、腰に差した愛剣を引き抜きいて天に斬撃を放った。

 視線が集中するのを感じ、スルスルと地面へ降りていくララを見据えながら周囲へと言葉を向ける。



「報いる必要はない。……成すべきことを成せばいい」


「っ……!」


「其方がここに留まらず、戦地へ赴くのは何故だ? 震えて縮こまることもできたろう? 何故武器を手に取ったのだ?」


「それ、は……」


「例え其方がやらなくとも、やれる者が居る限り誰かがやるだろう。……其方はその順番を自由に決めればいい、終わりは等しく訪れるのだから」


「…………」



 剣を鞘に納めると、好戦的に顔を歪めたマナガルムがわかりやすく肩を竦める。

 物資を詰め込む音や得物を研ぎ澄ます音、不安を口にする声はもう聞こえない。


 そんな静寂の中、翼をバタつかせたオリヴィアは黒騎士と共に上空へと飛び立った。




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 ここは一切の光を通さない薄暗い密室の空間。


 音が木霊するそこでは杖を突く音だけがやけに鳴り響く。

 引き摺られたローブは地面へ擦られ、砂埃がサラサラと音を鳴らした。



 枝木のような腕が伸び、台座に寝かされたソレに手を翳す。

 注ぎ込まれた魔力は掌から靄のように放出され、次第に膜を覆うかのように全体を包み込む。



「ふむ、やはりまだ無理か? もう何体か運び込めば原因がわかりそうなんだが……オリヴィアめ。あれだけ有利な状況を作ってやったというのに、英雄の一体すらも綺麗に殺せんとは使えん奴だ」



 空っぽの頭蓋骨をカラカラと鳴らし、翳していた手から魔力を打ち切る。

 台座は全てで三つ、寝かされたソレの数も三体。



「理論上は出来る筈なのだ。なのに成功しないということは、やはり状態に問題が? ……いんや、だとすれば儂の生み出す眷族すら失敗に終わる筈だろう」



 顎に手を置き、思考に没頭するかのように台座の周りをぐるぐると歩く。

 寝かされたソレを、妖しくも光る空虚な瞳でジッと観察する。



「やはり"英雄"という存在は死して尚、その抵抗力を落とさんということか? 女神の加護を受けている以上不思議ではないが、どうにも釈然とせん」



 生前の名残か、髭のない顎を摩りながら思考を巡らせる部屋主。

 そうしてどれだけの時間が経ったか、探知用に展開していた結界が大きく揺れた。



「んっ、儂の結界を抜けた者がおるのぉ、これは……奴の犬か。大方、例の件についてであろうが、すこし妙だな? 一体何をそんなに急いでいるのだ?」



 真っ暗な室内で立ち止まり、顰める眉などない眉を顰めて、手に持った杖で床をトントンと無意識に叩いてしまう。



「おっと、いかんいかん。考え出したら直ぐに止まってしまうのは儂の悪い癖だな」



 まぶたという光を閉じ、再び開かれると先程よりも明るくなった部屋で目を覚ます。

 使い古されたベッドでむくりと置き、奴の犬が扉を叩く前に儂が出る。


 扉を開ければ丁度、奴の犬が手を伸ばしており、一拍にも見たぬ短い時間その体を硬直させた。



「キュベェ様、人類種に動きが見られました。至急、主戦場へ来るようにとオリヴィア様から――」


「あいわかった。かのオリヴィア様がお呼びなら、出向かぬ訳にもいかんのぉ。……その様子から察するに、戦況が大きく傾いたのだろう? 主に我が軍の不利な方へ」


「……ええ、詳細は向かいながらお話致します。すぐにご準備を」


「ふんっ、少し待っておれ」



 そう言って扉を閉めると室内を歩き出し、もう何年も使っていないであろう埃塗れな棚を開く。

 ぎっしりと敷き詰められた大量の資料をかき分け、キュベェは適当に棚の中を漁った。


 取り出したのは、掌に収まるほどの小さな瓶。

 それを二本指でぶら下げるように見つめ、妖光な眼を輝かせてカタカタと顎を鳴らす。



「そろそろ此処も潮時かもしれんなぁ。……欲を言えばもう少し欲しかったが、致し方ない」



 そんな小瓶を懐へと仕舞い、どこか気楽な足取りで部屋を退出していったのだった。


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