第148話 降り立った希望の絶望



「お姉さまー!!」



 そう言って一切の躊躇いもなく、胸に飛び込んでくるアイリス。

 リアは最小限に衝撃を殺し、ふわりとした感覚と共に最愛の妹を抱き留めた。


 その瞬間、まるで布団を投げられたようにリアの体は絶妙な心地良さに包まれる。

 アイリスは胸元に顔を埋め、まるで猫がマーキングするかのように頬を擦り合わせた。



「お姉さま、お姉さま、お姉さまぁ♪」


「あら、甘えん坊ね。さっきはかっこよかったのに」


「……お姉さまは、甘える妹はお嫌いですか?」



 うるうるとした瞳で見上げてくるアイリス。

 体を余すことなく密着させ、透明感のある唇が妙に艶めかしく映り込む。


 リアは無意識にゴクリと喉を鳴らす。



(かっ可愛い……全身に血の匂いをびっしりと付けてるのに、まるで損なうことのないアイリスの甘い香り。柔らかな胸、暖かな体温、きらきらと純粋な目で私を慕う深紅の瞳。例えその頬に返り血を浴びていたとしても、それすらも貴女は魅力へと変えてしまうのね! あぁダメ、可愛すぎるわ!!)


「そ、そんなことないわ。例え貴女がどんなアイリスでも……私は好きよ?」


「っ! 私もですわ! お姉さま!!」



 満面の笑みを魅せたアイリスはこれでもかと抱擁する腕に力を籠め、その顔を谷間へと埋める。

 サラサラとした長い髪が宙へと靡き、何処となく呼吸を荒げだすアイリス。


 そんな可愛い妹に労いの意味も込めて、リアは好きにさせることにした。



 先程の戦いを見た限り、アイリスは相性が悪くなければ英雄を問題なく対処できるだろう。

 血統魔法と氷系統魔法。 二種の魔法の切り替えの速さもさることながら、機転の利いた運用方法に加えてその練度まで、今の彼女レベルなら申し分はない。

 気になる点がないと言えば嘘になる。けれども、ひとまずは安心していいように思えた。



 リアは抱擁するアイリスの腕を取り、未だ再生途中のそれに目を向ける。

 前言撤回だ、やっぱり体は大事にしてほしいかな。


 自然治癒力リジェネがあるとはいえ、愛する女性が傷つくのを見て平気なリアではない。

 しかし、あれが吸血鬼本来の戦い方でもある為、何とも言えないリア。



「……やっぱり破壊の特性は厄介ね」



 既に原型は取り戻しており血色も元通り、あとは肌の張りを直し、爪を再生させるだけの状態。

 もう数秒もあれば完治するだろう。けれどいくら陽光の下とはいえ、真祖としては遅すぎる再生速度。



「お恥ずかしい限りですわ。でも、以前よりはずっと早いんですわよ?」


「それでも、私の大切なアイリスが傷つくのはあまり見たくないわ」


「お姉さま……」



 再生を終えた腕を慈しむように摩り、改めて最愛の妹を抱き締めるリア。

 腰に腕を回し、羽のように軽いアイリスを宙へ浮かして首を差し出す。



「あっ、……よろしいんですか?」


「もちろん、頑張ったご褒美よ」


「……で、では、……失礼致します、お姉さま」



 熱い吐息を感じつつ、躊躇うような素振りから「はむっ」と可愛らしい声が聞こえてくる。

 じんわりとした熱が首元に広がり、小さく喉を鳴らす音から吸血されてることを実感する。



(ふふ、可愛い。でも、今日は本能に支配されてないからか、何だか大人しいわね? それはそれで可愛いのだけど、小さな舌がちろちろと動くのは……少しくすぐったいわ♪)


「ちゅっ……はぁ、はむっ」


(まぁ被弾しながら手数を増やし、カウンターの要領で戦うのが吸血鬼の基本戦術ではあるから。どちらかといえば異質なのは私の方なのよね~。……よしよし、ゆっくり飲みなさい)


「……ちゅうっ……ふぁぁ……はむっ、ちゅっ」


「あっ、……んっ」



 ふわりとした甘い果実の香りが鼻に漂い、柔らかな感触と共に艶めかしい声が耳元で鳴り響く。

 熱の籠った吐息が吹きかけられ、微かに漏れ聴こえる甘い声は、リアを容赦なく刺激する。


 それでも、今の状況は時間に余裕があるわけではない。

 リアは鋼の意思を持ってふにゃふにゃになりかけた心を凝り固めた。



「アイリス、そのまま聞いてね」


「んっ、……?」


「私たちはこれから、当初の予定通りオリヴィアのいる大陸へと渡るわ」


「……」(こくり)



魔族の状態が今現在、どうなってるのかはわからない。

私にわかるのは加護持ちの数、そしてまだ彼女オリヴィアが無事な可能性が高いということだけ。

あの女アイシャの予想はヘスティナの予想より少ない、おおよその目安は15~20人と考えていいだろう。だからこそアイリスには気を付けて欲しいのだ。……ここで慢心しないように。



「貴女は強くなったわ。それこそ英雄の一人や二人相手にしても大丈夫なくらい。けど油断しちゃダメよ? 貴女にはこれから可能な限り、再生に頼らない立ち回りを心掛けて欲しいの」


「……」


吸血鬼わたしたちのそれは明確なアドバンテージよ。でも絶対的な力ではない。他の種のようにポーションや回復魔法で治療できない以上、封じられたら血統魔法すら使えなくなる。それは吸血鬼わたしたちにとって何よりの弱体化。だから……ね?」


「…………はい。畏まりましたわ、お姉さま」



 吸血してる筈のアイリスの声が聞こえ、至近距離で顔を向けるリア。

 話し始めてから薄々気付いてはいた。だからふと微笑んでしまう。



「吸血しながらでいい、って言ったのに」


「お姉さまの尊き血に、話を聞きながら頂くというのは……私が嫌なんですわ」


「もう……この子ったら♡」



 もじもじと口籠るアイリスを見てリアは堪らずに抱き締める。

 むぎゅっとした擬音語が聴こえた気がして、小動物のように体を硬直させるアイリス。


 破壊された腕はすっかり完治したが、もう少しだけ吸血をして休むことにしたのだった。




 それから少なすぎず多すぎずの適量、始祖の血を取り込んだアイリスと共に孤島を離れた。

 白と灰色の一色蝙蝠に変化した二人は、海上の空を風を切るようにして飛翔する。


 あの女アイシャが中間地点として選んだ孤島は、思いの外、魔族のいる大陸から比較的に近い位置に点在した。

 三十分ほど緩やかに羽を動かし続け、見えてきたのは夥しいほどの船の数々。



 漁船やガレー船、小型な帆船もあれば、無駄に煌びやかな大型帆船なども停船している。

 船に詳しくないリアですら、それが一般市民だけが使うような船ではない事はわかった。



 ずらりと並ぶ港町の上空を超え、他の建造物より抜きんでた鐘塔しょうとうへと降り立つ。


 肌寒い空気が肌を撫でる中、まるで空気を読まなかった陽光の光。

 それは何時しか怪しい群雲によって遮られ、昼間にも関わらず影を差した港町が眼下に広がる。


 吸血鬼わたしたちにとっては好都合な天候であり、リアは体を伸ばしながらニヤリと笑う。



「それにしても変わった港町ね。まるで違う街同士がくっついてるみたいだわ」


「魔族領から離れていても、ここは中継地点ですもの。……僅か数年でよくもまぁ」



 羽休めで停まった鐘塔しょうとうは丁度街の中心に聳え立ち、目下の様子がよくわかる。

 立ってる位置から街を半分に割り、海に面した街並みはごく平凡な港町。


 一般人と思える住民や商人、商店街のような通りには子供すら見える。


 反対に陸へ続いた街並みは、一般的な港町とはかけ離れ、要塞のような城壁や無骨な建物が立ち並んでいた。

 道行く人間も、一般市民というよりは兵士や武装をした人間の方が明らかに多い。



「貴女が訪れた時とは、大分変わっているのかしら?」


「面影もありませんわ。あの頃は港町……といっても、とても小さな街でしたから。大方魔王軍から奪った拠点をそのまま流用し、その規模を拡大させていったのでしょう」


「……あの広場、随分と人が集まってるわね」


「多分、傭兵に類する者達かと思いますわ」


「類する? 普通の傭兵ではないの?」


「ええ、あれらは魔族狩り専門の傭兵ですわ。……ただの傭兵と異なり、我々魔族だけを執拗に付け狙う蛆虫ですわね」



 どこか経験から来るようなうんざりとした態度にリアは察した。

 そしてそれと同時に、判別できなかった独特な雰囲気にも納得する。



「魔族狩り専門の傭兵……なるほど。それなら、他の大陸で見かけなかったのも頷けるわ」



 遠目に見ても、それらが他とは違った異様な雰囲気を持ってる集団だとは思った。

 離れた兵士と比べ、筋骨隆々な男達が目立ち、それは戦闘を生業にする者だと一目でわかる。

 好戦的な顔立ち、盗賊紛いな背格好。正規ギルドや闇ギルド、その辺の傭兵とはどこか違う。



「魔族の首にはそれぞれ賞金が掛けられていると伝え聞いたことがありますわ。それが名の知れた存在や貴重な資源となる種族、魔王軍の幹部クラスともなれば多大な額で取引されるとか」


「まるで罪人、もしくは珍獣の扱いね。……趣味の悪い」


「ええ、本当に」



 まるで虫けらを見る眼差しを送り、凍てつくような声音で頷くアイリス。

 リアはそんな妹の様子を横目に、眼下に広がる光景を見渡した。


 あちこちに武装した人間が立ち歩き、多くの人間がある一か所へと向かっている。

 向かう先に目を這わせれば、それが街の城門だとわかった。



(あれらが全部が全部、魔族領へ向かうわけじゃないんでしょうね。それでも、決して少なくない数だわ。それに……あの兵士の集まり、遠征の準備をしてるのかしら?)



 それなりの人が行き来をする城門の傍らで、隊列を組んで同じ恰好をした人間達が上官のような男の言葉を聞いている。

 その隣では馬車が何台も並べられており、鎧を着ていない働きアリ達のような者達が、せっせと何かを積み込んでいた。


 魔族領から最も近い町でもない筈なのに、この有様。

 多くの傭兵、謎の騎士団。運ばれる物資の数々。そして……招集された数多の英雄たち。



「認識を改める必要があるかしら」


「お姉さま……?」



 これからそこそこの移動に加え、後には間違いなく戦闘が待っている。

 その為の羽休めのつもりだったが、どうやら何もしないで立ち去るのは難しいようだ。



「貴女の話してくれた例の渓谷、怨念の渓谷……だったかしら? その効果を聞いた時は少し安心したけど、この様子じゃあまり期待できそうにないのよね」


「……そうですわね。あの程度の騎士団であれば仮に通過できたとしても、まともに動けない筈。だというのに……少し、妙ですわ」



 リアは無造作に次元ポケットからレーヴァテインを引き抜く。



「お、お姉さま!?」


「今は時間がないわ。これで少しでも遅延を掛けられるなら、十分だと思わない?」


「た、確かにお姉さまの御業みわざであれば都市内の戦力は愚か、既に出立している者達や後にくる英雄なども引き留められるかもしれませんわ。ですが! あれだけの規模の魔法を行使して、お姉さまは……大丈夫なのでしょうか?」



 リアのロングコートの端を可愛らしく摘まみ、思い留まらせるように心配そうな目を向けてくるアイリス。

 レーヴァテインから滴った液体が鐘塔しょうとうの表面を焼き、焦げ色も付けずにその場を融解させていく。


 じゅわじゅわと物質が融かされる音だけが聴こえる中、リアはアイリスの頭を愛撫した。


 彼女の心配してることはわかってる。

 今ここで極致魔法を使ってしまえば、私は万全な状態で戦場へ挑めなくなるということ。



(あぁ、綺麗な瞳……うっとりする程に綺麗だわ。可愛らしい小顔に心配そうな顔もそそるわね!でも、心配は無用よ? 一番MP消費の少ない形で使う予定だし。それに魔法が使えなくても、英雄なんてどうとでもなるわ)


「ふふっ、大丈夫よアイリス。前みたいな規模でやるつもりはないわ」


「それなら――っ!」



 その瞬間、無造作に構えたレーヴァテインが激しく燃え上がる。

 鐘塔しょうとうの壁を触れずに焼け焦がし、ポタポタと滴る液体は絶えず足場に穴を開け広げていく。


 狙いは港町の半分、無骨な印象を持った戦いを生業とする者達の区域。



 超高温によって白く発光した刀身は、液体を迸らせながら炎の渦を生み出す。

 それは長剣に纏わりつくように渦巻き始め、鐘塔しょうとうの鐘を赤熱へと染め上げた。



 ――【獄焔魔法】"狂焔の九錠"



 薙ぎ払われる直前、レーヴァテインは過去に類を見ないほどに燃え盛る。

 刀身は何倍にも伸び、巨炎ともかした炎その物を手に持って振るうリア。


 虚空に一閃を描き、次の刹那――世界は白く点滅した。


 レーヴァテインに触れた全ての建造物が爆発音と共に炸裂し、融解させた断面は瞬く間に焔を燃え盛らせる。

 あらゆる建造物が崩壊し始め、飛び散った瓦礫は火山噴火のように町中へと降り注いだ。


 道行く人々は衝撃に軽々と吹き飛ばされ、壁に叩きつけられると地面へと転がる。



「なんだ!? 何が起きた!!?」


「襲撃ー! 襲撃だー!! 魔族だッ、魔族のクソ共に違いねぇ!!」


「どうなってるの? 何が起きて……! 嘘……私たちの街が!!」


「重症者を運び出せ! 急ぐんだ! 戦えるものは周囲を警戒しろ!!」


「誰か助けてれ! 足が挟まって動けねぇんだ……誰かー!!」



 灼熱が世界を染め上げ、一瞬にして火の海と化した街の半分。

 所々から阿鼻叫喚の声が響き渡り、街全体が騒々しくなり始める。


 粉塵が舞い、高く聳える鐘塔しょうとうにまで熱を感じさせる火の世界。

 リアはレーヴァテインを次元ポケットへとしまい、アイリスへと振り返る。



「急ぎましょう。予定通り、この先は貴女に先導を任せてもいいのかしら?」


「…………っ、もっもちろんですわ! お任せください、お姉さま♪」



 唖然とした様子が抜けないながらも胸に手を当て、カーテシーを魅せるアイリス。

 そうして先に上空へと飛び立つと、リアは城門を一瞥してから後を追うのだった。




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