第143話 始祖は百合の花を愛でたい



 首元にじんわりと広がる暖かな体温。

 それは火傷しそうな程に熱く、心地の良いもの。


 チロチロと動き回る舌先は肌を優しく撫で、小さく喉を鳴らす毎に回された腕には力が加わる。



「お姉さま、お姉さまぁ……はむっ、ちゅぅぅ」


「アイリス……私はここにいるわ。ふふ、可愛い」


「これが、お姉さまの味…………なに、これ? 牙が、お腹が、……私の全てにお姉さまが、満たされてッ」


「ひゃっ!? ちょ、もうがっつきすぎよ? 私は……んっ、はぁ……どこにも行かないわ」



 耳元では何度も何度も『お姉さまぁ』と切なそうに囁かれ、荒い吐息が吹きかけられる度に、ゾクゾクとしたものがリアの背筋を駆け巡った。


 腰に回された腕にがっちりと拘束され、元から無抵抗であったにもかかわらず、リアを逃すまいとするアイリス。


 彼女の芳醇な血の香りと元々の甘い匂い。

 それらは酔ってしまいそうな程に濃密に絡み合い、覚醒したばかりの影響なのか、いつもの何倍もリアには濃く感じられた。


 充満した甘い香りがそこら中に漂い、熱の籠った嬌声は絶えず耳元で囁かれる。



「好き、大好き……お姉さまぁ♡ はぁ、はぁ……もっとお姉さまを、私の中に……!」


「アイリスの舌が、私の首を何度も舐めて……ちょっと厭らしい」


「だってお姉さまの此処、吸えば吸うほど……この世のモノとは思えないくらい美味な血が溢れるんです! こんなの、こんなの……止めれるわけがありませんわぁ! もっと、もっとぉ……はむ♡」


「その吸いつき、ダメッ……ひゃぁっ!? え、ちょっアイリス? 今そっちを触るのは……んッ!」



 全てを受け入れるつもりではあったリアだが、密着する胸元に強引に差し込まれた手には困惑を隠せなかった。

 それは体勢的に張り出してしまった胸を優しく包み込み、ただ欲求のままに揉みしだくアイリス。



「血は飲んでいいって……言ったけど! そこは、んっ……もう少し優しく」


「お姉さまの全部が私のもの……! この血も、柔らか体も、綺麗なお顔も……全部、全部! あはっ♪ あはははっ、最っ高の気分ですわ!!」


「アイ、リスっ……落ち着いて? 一度落ち着きなさい。……もうこの子ったら」



 リアは少し力を入れてアイリスを抱き込み、胸元で落ち着かせるように優しく撫でることにする。

 乱れてしまった吐息を整え、気崩れた装備の上でもぞもぞと動くアイリスを見て、思わず苦笑を浮かべてしまう。



(……完全にハイになってるわね。《高揚》と《酩酊めいてい》、それに《興奮》まで。覚醒の影響もあるんだろうけど、行き成り私の血を飲み過ぎたのもあるのかしら? あまりにも可愛くて、私も嬉しかったから。つい甘やかしちゃったわ。でもやっぱり……可愛い♪)



「お姉さま……? これではお姉さまを頂けませんわ? 放してくださいまし」


「ダ〜メ! 確かに飲んでもいいとは言ったけど、急に飲み過ぎるのも良くないわ? それが暴走するなら尚更ね」


「むぅぅ…………あっ! お姉さまのお胸、えへへ……柔らかい。それにふわふわして、んっ……良い匂い♡」



 ある程度を飲んだことで吸血欲求は落ち着いたのか、今度は目の前にある胸元や毛先で弄び始めるアイリス。



 エルシアの時は完全に無意識下であり、吸血をして満足したら正常に戻っていた。けれど、アイリスは元が吸血鬼なことで、吸血への耐性のようなものがあるかもしれない。


 そう思ったリアは半強制的にストップをかけてしまった以上、このままアイリスの好きにさせてあげることにした。



 一定間隔で齎される快感に、意識を逸らすように周囲を見渡すリア。すると、そこには静かに佇むレーテが映り込む。



「こっちにおいで、レーテ」


「……ですが、」


「今は大丈夫よ。ほら、ここに貴女が恋しい女がいるわ?」



 子供のように抱き着き、無邪気に甘えてくるアイリスを撫でながらレーテへと手を伸ばす。

 するとその手はゆっくりと取られ、少し遠慮がちにアイリスから離れて座るレーテ。


 いつも通りの表情。切れ長のまつ毛に高い鼻、赤い瞳に黒髪を靡かせる美人メイド。けれど、リアの目には少し違って見えた。


 もちろん、これはリアの願望を多分に含んでいるだろう。



「物欲しそうな目をしてる」


「いえ、そのようなことは……」


「……本当? 私にはそうは見えないけどなぁ♪」


「……っ」



 視線を僅かに逸らし、地面へとその目を向けるレーテは佇まいこそ美しいが、どこか落ち着きが欠けているように見えた。


 そんなレーテへと振り向いたリアは、挑発的に人差し指を唇に押し当て微笑む。



「吸血だと貴女への負担が大きい、だから……ね?」


「……よろしいのでしょうか」


「んっ、はぁ……もうアイリスったら。……見ての通り私は今動けないから、貴女からして欲しいわ」



 赤い瞳がゆらゆらと揺れ、儚げにリアを見つめるレーテ。

 しかし最後には自分の欲求に従ったのだろう。それでこそ吸血鬼だわ♪


 瞼を閉じて力を抜き、レーテの愛を求めるリア。

 すると、柔らかな感触と共に"何かを埋め込まれた"ような感覚を憶えるのだった。



「「ちゅ」♪」



 それは一瞬の隙。

 レーテの愛を迎え入れたと同時に生じた、アイリスの吸血。



「はむっ♪ ちゅぅ……んっ、えへへ♪」


「んっ……ちゅっ、リア……様」



 柔らかな感触が口一杯に広がり、控えめに唇を啄むレーテ。

 伸ばした首元に広がる熱い感覚は視なくても、ピチャピチャとした水を弾く音とその感触ですぐに理解した。



(気を抜いていたとはいえ、私の反応を掻い潜るなんてね。もう、私の血ってそんなに美味しいのかしら? ……仕方ない、レーテとのキスが終わるまでは許してあげるわ――それにしても、レーテの顔って本当に綺麗ね。目を閉じてキスする顔も最高にそそられるわ♪ 貴女は今、どんなことを考えてるのかしら? 私のキス、しっかり味わってね)



 再び瞼を閉じ、視界を塞いだことによって唇と首元の感覚がより鮮明に研ぎ澄まされる。

 聞こえてくる艶かしいなまめかしい声は動悸を昂らせ、両隣から漂ってくる甘い香りは感覚を敏感にする。


 太ももに置かれたレーテの手は優しく肌を摩りさすり、胸元を弄るアイリスの手は一定間隔に優しく揉まれる。

 少しの休憩クールダウンなどまるで意味を成さず、あらゆる快楽の波によってリアは思わず背筋をくねらせた。



「ふふっ、お姉さま今、ビクッてしましたわ。血の流れも、少し早く……はむっ♪」


「リア様、気持ち良いのですか? では、僭越ながらもう少しだけ……ちゅっ」



(待って待って待って!? 二人とも弄る手がえっちだよ! レーテの激しい息遣いは色気が凄いし、アイリスの吸血で気持ち良いのが全然収まらないし。愛してる身としては全力で応えてあげたいよ? けどこれ、私もつかな……?)





 そうして暫くの間、霧の森の最奥では艶めかしい声が絶えず響き渡り、嬌声が治まったのは時計の短い針が一周した頃だった。



 途中から正気に戻ったアイリスは、乱れた私を見るや否や謝罪と感謝、そして続きのイチャイチャを切望してどろどろに溶け合うくらい濃厚な時間を過ごした。


 対してレーテはいつも通りで、終えた後も少し頬を染めるくらいに留めていたものの。よく見ればその肌は艶々と輝き、少し目を合わせるだけで照れたように頬を緩ませる姿は、リアを悶絶させるには十分な破壊力があった。



 3人とも気崩れた身だしなみを整え、アイリスはレーテに伸びた髪を簡易的に結ばせると、私たちは再びニヤルトの館へと足を運んだ。



 出迎えたのはニヤルトの側近らしきリアが心臓を握りつぶした上位種らしい男。

 彼は少し怯えた様子で下げた顔を上げ、周囲を軽く見渡す。



「お、おかえりなさいませ、始祖様。……して、ニヤルト様はどちらに?」


「アレは死んだわ。もういない」


「……は?」



 間の抜けた声が聞こえ、見ればその表情には《何故》《理解できない》といった感情がありありと窺える。

 上機嫌なリアは不敵に微笑み、ゆっくりと首を傾げた。



「私に二度、同じことを言わせるつもり?」


「い、いえ! 滅相もございません。ただ、あまりにも唐突なお言葉に……混乱してしまい」


「もういいから、顔をあげなさい」



 男は深々と跪いた状態でビクッと肩を飛び跳ねさせ、恐る恐るも顔を上げた。


 その視線はリアを見上げ、隣のレーテ、アイリスの順へと移していく。そして何かに気付いたように、目を見開いた。



「まさか……お前、アイリス……か?」


「何処かで見た顔ですわね。……ああ、私がアレの侍女をしている時の従者だった、名前は確か……忘れましたわ」


「その姿……いや、この感覚。まさか……真祖に、なられたのですか?」



 驚愕した顔でアイリスを見詰め、言葉も出ないと口をぽかんと開ける男。


 そんな男を見て、アイリスは胸に手を当て毅然として笑う。



「ええ、ご主人様あいつを殺め、その身を取り込みましたの。今の私は紛れもない真祖」



 もはや絶句するしかない男。

 リアは《黒銀の指輪》を発動して赤い光で周囲を照らしながら、館の窓から顔を覗かせる吸血鬼達を一瞥する。



「アイリスの言った通り、今の貴女たちに主人はいない。"自由"、と言えば聞こえはいいけど。この森の外、世界の現状はもちろん理解してるでしょう? その上で問うわ。――貴方達はどうしたい?」


「ニヤルト様が…………私は、いえ我々は……」



(……ティーが召喚を拒否した? この微弱な反応。意思疎通は取れてる筈なのに殆ど何も聞こえない。本当にどうしちゃったの? 北大陸で見た戦闘の跡、その対戦者に何かをされた。いや、ティーに外傷はもちろん、呪いや状態異常の類はなかった。だとしたら……いいえ、今は取り敢えずこっちが優先ね)



 《黒銀の指輪》の発動を解除し、徐々にその光を収めながらリアは首を軽く振るう。



「ああ、今決める必要はないわ。後日……そうね、1週間後にまた訪れることにするから、その時に貴方達の答えを聞かせて頂戴」


「答え、ですか?」


「ええ、これでも私は吸血鬼あなたたちの始祖だからね。面倒を見るのもやぶさかではないってことよ」


「っ……! 我々の如きを……ご厚意、感謝いたします。始祖様」



 男は顰めた顔を隠すようにその場で深々と跪き、感極まったように打ち震える。


 普通に考えればおかしな光景だ。

 主人を奪った一味の人間が『保護』を言い渡し、奪われた側が『感謝』して跪くのだから。


 しかしこれが吸血鬼わたしたちであり、力のない者は息絶え、あるものが全てを許される。そういう絶対的な力社会なのである。

 もちろん、彼らが好んであのニートの元に居たとは限らない訳で、中にはアイリスのような存在も居るかもしれない。


 だとしても、リアとしてはどちらでもよかった。


 ただ、可愛い子は連れて行きたいし、ヘスティナの願いでもあったから気にかけただけのこと。



(お母さんヘスティナの願いだからね。――力ある者に集う必要がある。私にその気はないけど、オリヴィアを助けるならここで彼らを助けても変わらないでしょ)



 そうしてリアはここでの用件は済んだと、跪く男に踵を返して館を後にしたのだった。





 ニヤルトの館がある迷霧の森は、北西に位置するイモータル大陸という場所の最西端。

 対してクルセイドア王国は、中央リヴァディア大陸の最東端に位置する王国だ。


 つまり、何が言いたいかというと、神殿までそこそこに遠いということである。


 エルシア曰く、この距離を移動するのに一般人だと平気で1か月はかかるらしい。

 それは規格外のリアを持ってしても面倒な距離であり、海上を帰路にする為非常に寒い。


 早く帰りたかったリアは人型のまま翼だけ生やし、蝙蝠に変化したアイリスとレーテを懐に入れ超特急で帰ることにした。



 時間は既に深夜へと差し掛かり、クルセイドア王国の神殿へ着いた頃には0時をとっくに過ぎた頃だった。



「おかえりなさいリア。それにアイリスちゃんとレーテも」



 神殿へ入り、神聖区域へと足を踏み入れるとグレイトルームの暖炉で暖まるエルシアが出迎えてくれる。


 毛先を赤黒く染め、水のように美しい髪を一纏めに結んだエルシア。

 その姿はお姫様のような白いネグリジェに身を包み、繊細な作りと袖の上から透けて見える白い肌は、言葉を失う程に美しい。



「ただいまエルシア。貴女を感じたいのは山々だけど、今の私はとっても冷たいから――あっ、ふふっ♪」


「本当に冷たいですね。でも暖かいですよ? それにリアの匂い……とっても落ち着きます」


「私もエルシアの匂い大好きよ。……暖かい、ずっとこうしてたいくらいだわ」



 一切の躊躇もなく抱きつかれ、その肩に顎を乗せて耳元で囁くエルシア。

 リアは存分にエルシア分を堪能すると、その体を放して部屋の中を見渡す。



 エルシアの座っていた椅子の横にはソファが置かれ、その上にはセレネとリリー、ルゥの姿があった。

 3人のちみっこが肩を寄せ合い、無邪気な顔で暖炉に暖まりながら寝ている。掛けられた毛布はエルシアのものだろうか?



(この子達まで、自分の部屋にベッドはあるでしょう。もう、可愛い顔で寝ちゃって……ん? ルゥ……そう、ガリウムの所で頑張ったのね。きっと私が生涯、生物学的な男にキスをするのは貴方だけでしょうね。もちろん、成長したらやってあげないけど。……精々、今の少年期しあわせを噛み締めることね。未来の魔王様?)



 セレネ、リリー、そしてルゥの頭にキスを落とし、先程から静かな彼女達へと目を向ける。


 そこにはエルシアとアイリスが向き合い、互いをジッと見つめ合っていた。いや、見つめ合ってはいるが、二人とも微妙に意味合いが違う気がする。



「アイリスちゃん、その姿……真祖の吸血鬼に、なられたのですね」


「ふふふっ、わかりますの? そう、私は貴女様と同じ真祖へと至ったのですわ!」


「まぁ! だから髪も伸びて、瞳の色までとっても綺麗に……おめでとうございます! アイリスちゃん!」


「これで私は貴女様の世界を鮮明に見ることが叶いますわ。今の私であればエルシア様に、より真祖としての吸血鬼の在り方をお教えできますわよ?」



 アイリスは可愛らしく口元に手を当て、お嬢さま然とした様子で誇らしく笑ってみせる。

 言動は完全に嫌味を言ってそうな令嬢なのに、中身はエルシアを敬い、もっと力になれると可愛いことを言う始末。


 すると微笑みながら話を聞いていたエルシアは不思議そうに首を傾げた。



「アイリスちゃん。アイリスちゃんは真祖になったのでしょう? なら私と同じ階位な訳ですし、敬語を使う必要もないのでは?」


「……何を仰いますの? 貴女様は眷族として直接真祖に選ばれた方であり、お姉さまが愛する大切な御方ですわ。であれば、私が貴女様を敬うのは当然じゃありませんの」


「それを言うならアイリスちゃんだって、リアに愛されてとても大切にされてるでしょう? アイリスちゃんは自分の努力で真祖へとなった……だとしたらやっぱり、敬うべきは私の方ではないでしょうか?」


「もう、煩いですわ! 私の敬愛するお姉さまが愛して眷族にされたのがエルシア様なんです。であれば、お姉さまの妹である私が貴女様を敬うのも当然です! 気になるようなら早く私にぎゃふんと言わせてみてください! そうしたら考えてあげますわ!!」



 可愛いやり取りが眼前で繰り広げられ、リアは暖炉の暖かさに当たりながら内心、だらしなく表情を緩める。

 気付けばレーテは私の後ろまで避難して来ており、ちみっこ達へ毛布を掛け直していた。



「……レーテお姉ちゃん? あ、リアお姉ちゃんだぁ♪」


「ん、起こしちゃった? ごめんなさい、少し声が大きかったわよね」


「……ううん。今日は少し寒かったから、お姉ちゃん達を待ってたんだぁ」


「そう、それじゃあ今日は一緒に寝ましょうか? 私もセレネ達と一緒に寝たい気分なの」


「えへへ、セレネもお姉ちゃん達と一緒が良い」



 花の様にはにかんだ笑顔に、疲れが浄化されていく。

 可愛らしいケモ耳をぴこぴこと動かし、嬉しそうに尻尾をゆらゆらと振るうセレネ。


 リアはセレネを優しく抱き抱え、二人となったレーテがそれぞれにルゥとリリーを持ってくれるのを確認し、真祖の二人へと微笑を浮かべるのだった。



 「今日はみんなで寝ましょうか♪」




 

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