第142話 真祖への覚醒
濃厚な血の香りと共に張りつめていた緊張の糸が解ける。
全てが予想していた通りの流れではあった。けれどやっぱりアイリスが傷つく様は見ていて気持ちのいいものではなかった。何度飛び出し、あのニートにお灸を据えてやろうと思ったことかわからない。
そんな思いで無事に終わった戦いにリアは静かに安堵の息をつく。
顔から下を凍結され、氷の表面には何重にも血の鎖を巻き付けられているが透けて見える。
そんな完全拘束されたニヤルトに対し、アイリスはとても楽しそうに笑って何かを話していた。
さて、そこでリアが思い悩んだのは自分とレーテの出るタイミングである。
吸血鬼が真祖へと至る条件。
その中でも今回の目的となる《真祖の心臓》については、前提条件として"一人専用フィールドに存在する二つ名ネームドボスを倒す"必要がある。
この世界について完全に把握していない以上、下手に動いて全てを台無しにするのは避けたい。
今わかっている事としてはLFOに限りなく類似する世界ということ、そして
もちろん、それらの事はアイリスに伝えてある。
(それじゃあ、いつ出ていこう? "一人専用フィールド"、つまりソロ攻略という概念はどこからどこまでが適応されるのかしら? やっぱり、ニヤルトの心臓を抜き取って絶命させた時? う~ん)
そう考えて思い悩むリアの胸元で、抱き締めているレーテがもぞもぞと動き出す。
「勝負は付いたように見えますが、出て行かれないのですか?」
「そうね、あの鎖に《強靭化》が付与されている以上、変化で抜け出すことも出来ないでしょうし終わりね。でも」
支配戦の為に習得した《強靭化》。
それは行使した鮮血魔法に"貫通不可"の特性を付与するといったものであり、本来なら膜を張ってシールド代わりにしたり、血剣に付与して実体を持たない物を攻撃する為に用いられる。
けれど、それをわざわざ付与して殺さずにいるということは、やっぱり言いたいことの一つでもあるんじゃないだろうかとリアは考える。
「今は色々と因縁や想うこともあるだろうし、とりあえず様子見かしら」
「かしこまりました。……それで、その」
「ん? どうしたの?」
「少し……苦しいです。ですので手の力を緩めて頂けると……」
「え、あっ! ごめんなさいレーテ。アイリスが傷付けられるのを見て、つい」
レーテの視線が抱き締めてる腕に向けられ、慌てて力を緩めながら抱擁は止めないリア。
そして今度は優しく腕を回し、その首元にさり気なく顔を埋める。
「いえ、私としても同じ目線でご解説いただき、とても有意義な時間となりました。ありがとうございます、リア様」
「ううん……私こそ、貴女が居てくれたおかげで邪魔をせずに済んだわ。本当にありがとう、レーテ」
優しい声音のレーテに癒されながら微笑んで返すリア。
すると、そんな小さな幸せを感じる空間に水を差す者がいた。そう、ニヤルトである。
「変化が出来ない……だと? なぜ、どういうことだ!?」
「拘束した貴方を逃がすわけないでしょう?」
「……貴様、一体どれだけの手札を持って」
負け犬の姿のまま、視線で人が殺せると思える程の眼力でアイリスを睨む付けるニヤルト。
しかし何を思ったのか、ガチガチに拘束された状態のまま不敵に口元を歪ませ始めた。
「……今すぐに余を解放しろ。でなければ貴様、労力をかけて得た力が全て無に帰すぞ?」
「今度は命乞い? はぁ、貴方に恐怖してた頃が情けなく思えてきますわ。……それで? 一体どんなことが起きますの?」
顔に手を当て大きく溜息を付いたアイリスに、ニヤルトは増々勝ち誇った笑みを浮かべる。
「お前の想像もできないような御方が今、余の館にいらっしゃっている」
(ん……私のこと? あのニート、一体何を言い出すつもり?)
「随分と小手先の力を得たようだが、あの御方が余を探しに来られればそれらは何一つとして通じることなく、貴様は呆気なく終わりを迎えるだろう。……余が虚言を吐いてると思うか?」
黙りこくるアイリスを見て、その顔を醜く歪めるニヤルトは煽るようにねっとりと声を出した。
身動きの取れない達磨状態で勝ち誇る真祖。そのあまりにも情けない姿にリアは思わず視線を逸らし溜息をついてしまう。すると、どうやら同じ気持ちだったらしい。やっぱり姉妹ね♪
「はぁぁぁぁ…………情けない、あまりにも情けないですわ。これ以上真祖の方々を愚弄するというのであれば、それは万死に値しますわ」
手元で鮮血魔法を行使し血の槍を数本作ると、アイリスはそれらを無造作に掃射させる。
槍は氷の上から穿たれ、苦痛の声と共に氷の亀裂は徐々に修復されていく。
「ぐっ、……あの御方は余に話があってここへ訪れられたのだ! 余が戻らなければ、探し始めるのも時間の問題だぞ!? だというのに貴様は――「嫌ですわ」」
その瞬間、捲し立てるように言葉を並べていたニヤルトは唖然とする。
「…………は?」
「だから"嫌"だと申しましたの。……聞こえなかった?」
「き……貴様ッ! あの御方を知らぬからそんな口が利けるのだ! 本来であれば貴様如き、そのお顔を拝み、口を利くことすら叶わぬ天上の御方なのだ!! 少し力を付け、余に偶然勝てたからといって、あの御方に比べてしまえば貴様など、取るに足らぬ
発狂にも近いそれは森の中を駆け巡り、それらを向けられたアイリスは何食わぬ顔で平然と首を傾げた。そして私も首を傾げる。あのニートは何を言ってるんだろう、と。
(いや、勝手に決めないで頂戴? というか段々と腹が立ってきたわね。2回しか顔を合わせていない分際で、なんで私の事を分かった気になってるの? ……もういい、手を出さなければ"一人専用"という条件は満たされるでしょ?)
アイリスが私の事を知らないと思っているのか、私がここで聞いていないと思っているのか、はたまた何も考えずにただ助かりたいだけなのか。
リアはあまりにも耳障りな言葉の数々に、とうとう我慢できずに身を隠すことをやめた。
「何を当然なことを仰って――」
「っ……!?」
草木を避け、静かな足取りで広場へと躍り出るリア。
白けた空間にはやけにリアのヒール音が響き渡り、二人の吸血鬼は口を開けたまま呆然とする。
氷漬けにされたまま、蒼白した顔で口をパクパクと開け閉めするニヤルト。
アイリスは少し驚いた顔を見せたが、直ぐに微笑みへとその表情を変えた。
「し、始祖様……? なぜここに……っ、始祖様! この者は貴女様に仇なす"はぐれ者"にございます! どうか、どうかこの者に貴女様のご威光を知らしめて頂ければ、これ以上の喜びはございません!!」
「…………」
「恐悦至極、感謝致します。この忌々しい拘束さえ無くなれば……しっ始祖様?」
困惑するニヤルトの横を通り過ぎ、リアは一直線にアイリスの下へと向かう。
既に新しい血の匂いは途絶え、その所々を泥や血痕で汚したアイリスは照れた様にはにかんだ。
頬の傷は完治し、いつもの可愛らしい姿に思わずその頬に手を伸ばしてしまう。
「おつかれさま。傷は大丈夫?」
「は、はい、お恥ずかしい所をお見せしてしまいました。こんなに汚してしまい、あれ程までにご指導頂いたのに……情けないですわ」
「ふふっ、そんなことないわ。貴女は本当によく頑張った。私の自慢よ、愛しのアイリス」
「お姉さま……はい、これも全てお姉さまの教えあってこそですわ」
添えられた手に自身の手をそっと重ね、アイリスは擦り付ける様に頬を当てる。
瞼を閉じ、穏やかな表情で口元を緩ませる妹の姿に心臓が締め付けられるリア。
思うがままにその体を抱き寄せ、心地の良い感触と共にポカポカとした熱が体中にじんわりと広がっていくのを感じた。
そんな幸せの中、無粋にも空気の読めないニートがこの場には居た。
「お姉さま……だと? 何を言って、……っ! まさか……そんな、ありえない。だが上位の身でありながら支配術を扱い、これ程までの力を身に付けられたのが全て、始祖様の教えがあったとすれば……」
「察しが良いわね。そう、私が教えてあげたの」
「なっ!? ……なぜ、なぜそのようなことを!!」
興奮して取り乱し、身を乗り出す様な勢いで声を荒げ出すニヤルト。
そんなニヤルトの疑問に、リアの方こそ首を傾げてしまう。だって当たり前のことだから。
「何故って、そんなの当然でしょ? 可愛い妹の為だからよ」
「妹……? 妹君……? アイリスが? いやそんな筈がない。ソレがまだ人間だった頃、燃え盛る屋敷の前で倒れ瀕死だったのを、眷族にして生き永らえさせたのはこの余だ。なら、これはどういう……」
「貴方がどう思うのかは勝手だけど。重要なのはアイリスがそれを望み、私が叶えてあげたいと思った。ただそれだけのこと」
押し問答をするつもりも、ニートの疑問に答えてあげるつもりもない。
これ以上吠え出す前にさっさと終えてしまうべきだと考えたリアは、アイリスへと耳打ちをする。
「ええ、わかりましたわ」
微笑んで頷くアイリスは、地面に突き立てた大鎌を持ってニヤルトへと歩み出した。
「ま、待て、待つんだ! 余は貴様の主人だぞ!? わ、我が主よ! 確かに我らの世界は純粋な力で全ての優劣が決まる、貴女様から見れば余は敗者なのでしょう。ですが余は、貴女様の眷族にございます! どうか、どうかもう一度だけお慈悲を頂ければ必ず、必ずや勝利してご覧に入れましょう!! だから――」
「別れの言葉を交わすような仲じゃありませんし。さようなら、
「まっ待て! 余はまだ――!」
立ち籠る霧が薄っすらと晴れ始め、視界が幾分か良好になっていく。
煩い存在は口を閉じ、その場には下半身だけを残した氷像が留まった。
切り離された上半身は地面へと転がり、胸元辺りを真っ赤に染め上げ黒ずんでいる。
「お姉さま、抜き取ったコレは……どうしたらいいのでしょう?」
「う~ん、そうね。血に取り込んじゃえばいいわ。そのまま食せば、何だかお腹壊しちゃいそうでしょ?」
「ふふっ……それもそうですわね。私としても、これをそのまま頂くのは少し気が引けますもの」
アイリスは手に持った
そして私がいつもやってるように、指先に浮かべた飴玉サイズの血球を可愛らしく唇へ押し込んだ。
ピンク色の唇に人差し指で押し当てるように、ゆっくりと口にするアイリス。
その光景は思わず、生唾を飲み込んでしまいそうな程リアの欲望を掻き立てた。
(わわっ、ア、アイリス? 何だかその食べ方とってもエッチだよ! 食べてる物はアレな筈なのに、何だか色気が凄いというか……それに所々破けてる服から覗かせるあの白い肌。ああ、目元までそんなにとろんとさせちゃって、何だか私までちょっと変な気分になってきたわ。……可愛い、食べたい、その白い肌に私の牙を突き立てたい……うぅ!
コクンッと喉を小さく鳴らすアイリスを前に、思わずその目を釘付けさせてしまうリア。
頭の片隅では真祖へと至る方法を思い返しながら、その大半をイチャつきたい欲求で埋め尽くす。
これでアイリスの中には《真祖の心臓》が取り込まれ、あとは取り込んだ状態で対人戦、つまり人型を相手に300人キルすれば真祖へと覚醒を果たす。
そう思っていると、自分の体を見渡していたアイリスに変化が訪れる。
「あら? 何だか……体中が疼いて、ぐっ」
その場で膝を突き、胸を押さえながら口元から血を垂らし始めるアイリス。
「リア様、これは一体……?」
「どうやら全部が全部、
「……っ、はい、かしこまりました」
リアは後ろにレーテを控えさせ、蹲るアイリスを静かに見下ろす。
その光景はリアが
即ち――"真祖への覚醒"
まだ条件が未達成にも関わらず、覚醒してしまったということは条件達成に前後は関係ないのだろう。
レーテを下がらせたのは念の為であり、エルシアを眷族にした時の事がフラッシュバックしたからだ。
「うぅ……体がッ、疼いて……乾いて、あぁ、あぁ! 私の世界が、真っ赤に……染まりましたわ。あはぁ♪」
「……アイリス、私がわかる?」
そう静かに声を掛けると、その紅黒く変色した瞳はリアを見つめ、恍惚とした表情で両手を伸ばし始めた。
「あぁ……あぁ、お姉さま……お姉さまが
「うん、そうだね。私にどうして欲しい? ふふ、こんなに髪を伸ばしちゃって……後でしっかり、レーテに切り揃えて貰わないと」
リアは尻餅を付いて手を伸ばし続けるアイリスを優しく抱きしめ、すっかり伸びきってしまった灰銀色の髪を掬って微笑んで見せる。
向けられる紅く黒い瞳はまるで黒の宝石が嵌め込めたようにキラキラと輝き、無邪気な顔を向けたアイリスはリアの腰へ腕を回すとその首元に顔を近付けたのだった。
「このきめ細やかな肌、うっとりしてしまう質感。ここに始祖様の、お姉さまの血が……! 私、お姉さまが欲しいですわ……いいですわよね? いいと仰ってください。もう私……これを頂かないと、どうにかなってしまいそうなんですわ!!」
「ええ、好きに食べていいわ? これは真祖へと覚醒した、貴女へのご褒美♪ ああ、でも――」
「はむっ!」
「んっ、……そんなに慌てなくても、ふふっ♡」
優しくしてね?と言おうと思った矢先、首元に強い違和感を憶え思わず声を引っ込めてしまう。
突き刺さる牙に痛みはなく、あるのは存在が吸われていくような感覚とじんわりと広がる気持ちの良い快楽の波。
無意識に熱い吐息を漏らし、リアはアイリスの頭を優しく撫でるのだった。
(多分これエルシアの時と同じ感じよね? どっちも血を欲してる、いわゆる貧血状態なのは変わらない。けど、アイリスはエルシアの時より意識がはっきりしてる様に見えたわ。……覚醒と眷族化、同じ真祖でも微妙に状態は違うのかしら? ――まぁ私にとっては、どっちも可愛いことに変わりはないけどね♪)
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