第141話 妹吸血鬼の下剋上(アイリスver)


 並べ立てられるは出来もしない不快な言葉の数々。



 それはお姉さまから事の顛末を聞き、わたくしには想像もできないコレの姿だったとしても。心から敬愛する御方を侮辱され黙っていられる程、アイリスは大人ではなかった。


 しかし、私以上にご不快な思いをした筈のお姉さまは気にした様子もなく、あろうことか微笑んでいらっしゃったのだ。


 その微笑みは霧の中でも一切の輝きも失われず、美貌と神々しい白銀色は、例え御隠れになっていたとしても隠しきれない存在感を漂わせている。


 そんなお姉さまが口をゆっくりと動かされた。



 『弄んじゃってもいいよ?』



 (……弄んでもいい。ふふ、お姉さまったら。私が勝つことはお姉さまの中で確定してるわけですわね? まだ不安がないと言えば嘘になる。けれどそう言って信じてくださるのがお姉さまであるなら、私に迷いなどありませんわ!)



 立ち籠る霧の中、血の大鎌を生成し構える。

 向けられるは、ただの血袋としか見ていない淀んだ瞳。



 百年前と何一つ変わらない姿に密かに喉を鳴らす。

 手には鮮血のパルチザンを携え、人間でいう四十代程の外見をしたニヤルト。胸元を晒した白シャツからは筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとした胸元を覗かせ、そのギラギラと濁った瞳には絶対の自信が漲っている。


 これぞ吸血鬼の頂点。まさに真祖のお一人といった姿。

 けれど――



「黙り込んだかと思えば……何を笑っている? いや、後で尋問すればわかることか」



 そういって姿を消したニヤルトは、既に眼前でパルチザンを振り抜いていた。

 しかしそれを見たアイリスは、余りにも予想していた攻撃に増々その口元を緩めてしまう。



「っ!」


「接近してからの一撃はフェイク、こっちが本命でしょう?」



 即座に大鎌を首元から左肩へと移し、薙ぎ払われたパルチザンを受け止める。わかっていても重い一撃。


 しかしリアの薙ぎ払いに比べてしまえば、力もキレも格段に劣って見えた。



 「……ほう」



 微かな感嘆の声と共に放たれる乱撃の応酬。

 左肩に刺突、弾かれれば薙ぎ払い、躱された所で間髪入れずに脇腹を穿つ一連の流れ。それはどれもリアが模倣した動きであり、この数日間でアイリスの目には焼き付いた動きだった。


 大鎌の持ち手に火花を散らし、鍔迫り合いの距離となって大胆に微笑むアイリス。



 (正にお姉さまの仰った通りの動き。それに立ち合ってみてよくわかりますわ。コレは確かに右半身の重心に若干の偏りがある。そのおかげで少し意識して動けば、ワンテンポ遅くても十分に対処は間に合いますわね。ああ……お姉さま! こうしてる今も、お姉さまへの愛が溢れて止まりませんわ!!)



「血袋の分際で。数える程度、抑えれたくらいで図に乗るな」


「あら、それなら何回抑えれば図に乗ってもいいのかしら?」


「本当に余を怒らせたいようだな。昔、吸血する度に泣き喚き、無駄な抵抗をして気を失ってた姿が嘘のようだ」


「下らない挑発ですわね。貴方だってオリヴィア様と比べたら見劣りも良い所じゃありませんか?」


「貴様ッ……! 余の前であの女の話をするか!!」



 腐っても真祖。

 抑えきれない腕力によって薙ぎ払われたアイリスは空中で一回転し、何事もなく地面へと着地する。


 顔を上げればパルチザンの切っ先が視界に映り、咄嗟に宙返りしたアイリスは勢いを乗せた大鎌で切り上げて弾く。


 のけ反ったニヤルトと宙返りしたアイリスの視線が刹那の間に交差する。

 するとニヤルトがニヤリと笑った。



 宙に舞った鮮血が槍の形状へと変貌し、着地するアイリス目掛けて一斉に掃射された。

 しかし、空中に血液をばら撒いていたのはニヤルトだけではない。


 アイリスの鮮血が鎖の形状を作り、ジャラジャラと音を立てて宙を走ると、放たれた血槍に絡み付いた。



「血の鎖、だと? ほう……余の血槍を止めるか」


「驚くことでもありませんわ。血統魔法は吸血鬼の基本、この程度の魔力操作は当然です」


「確かに当然だ、しかしそれだけじゃない。……少し驚いたぞ? 貴様は美味な血を生成することだけが取り柄だと思っていたが、なかなかどうして悪くない」



 空中で巻きつかれ制止した血槍を見上げ、顎髭を撫でながら余裕淡々と口にするニヤルト。

 アイリスは大鎌を手に弄び、再び構え直す。



「だが、それも"血袋の中"ではの話だ」



 そう口にした途端、血槍に巻きついた鎖が浸食されていく感覚を覚えるアイリス。

 それはこの三日間、何百回と敬愛するお姉さまと繰り返した支配戦の感覚。


 アイリスは魔力操作に加え、支配戦に意識を割きながらその場から駆け出していた。



「ん? この感覚……っ! まさか……そんな筈が!?」


「貴方は血を吸う事しか取り柄がないと思ってたけど、まさにその通りでしたわね!!」


「貴様ッ! 余の支配に抗って――!?」



 取り込む筈の鮮血が拮抗してることに気付いたのだろう。

 その表情を驚愕に染め、動揺して接近するアイリスへの対処がお粗末になっている。



 (やっぱり右半身に過剰に反応しますわね。ならば揺さぶりをかけ、フェイントからの左半身。この男であれば――っ、そうしますわよね! そんなガタガタの守りでこれを防げますの?)



 パルチザンに勢いよく打ち付けた大鎌の持つ手を刀身へと滑らせ、そのまま引っかけた状態で得物を力一杯に引き寄せる。

 軸足でターンを踏み、大鎌を引き寄せながらガラ空きとなった鳩尾を利き足で打ち抜いた。



 ――お姉さま直伝、後ろ回し蹴り!



「ぶごぉっ!!?」



 ヒール先からメキメキッとした感触が伝わり、めり込んだ足を力一杯に振り抜いてみせるアイリス。

 骨の砕ける音と空気の破裂する音が混じり合い、勢いよく吹き飛んだニヤルトにアイリスは追撃の手を緩めない。


 本人の意志が消失したことで抜け殻となった血槍。

 それをちゃっかり支配していたアイリスは、その幾百にも上る膨大な数の血の鎖に命令を下す。



「まだまだ、私の鮮血は終わってませんわよ!!」



 勢い良く振り翳された手によって、開けた空間には鎖の豪雨が降り注ぐ。

 ジャラジャラと打ち鳴らす鎖はまるで共鳴するかの如く互いに地面へ引き摺り合い、その勢いを衰えぬまま一帯を血の鎖で隙間なく埋め尽した。


 大地が揺れ、地面を抉り、霧に混じって砂煙を撒き散らす圧倒的な質量。

 アイリス自身、これ程の鮮血魔法を行使した記憶など、生まれてこの方一度すらないだろう。



「はぁ……はぁ、まだですわ。この程度で一応は真祖であらせられる御方が、終わる筈がありませんわ」



 息を荒げて大鎌を持ち直すアイリス。

 その薬指には"血舞の指輪"が煌めき、自傷ダメージを抑えて鮮血魔法を強化する効果は驚く程に発揮してみせた。



 (この程度で息を荒げてしまうなど、情けないですわ。きっとお姉様であれば1の力で10を支配し、尚且つ完璧に制御し得たのでしょうね。……だというのに、私はスキルなしでは同程度の力しか持ち合わせていない。もっと精進しないと)



 眼前では雨霰のように破壊を尽くす鎖を前に、アイリスは少しだけ落ち込み気を引き締め直す。


 そうして一体どれだけの雨が降り注いだことだろう。

 制御するのにそろそろ限界を感じてきたアイリスは、維持するのに負担のかからない量だけを残し、鎖の雨を解除した。



 砂煙と霧が視界を覆う中、自身の吐息だけが聞こえてくる。


 シンと静まり返る場が数秒続くと、霧上に薄っすらと人柄のシルエットが浮かび上がってきた。



「……誤算だった。まさか貴様が、支配術を心得ているとは思わなかった」


「……」


「誰だ……誰に教わった? それは真祖の吸血鬼のみが知る術。貴様如きがどうやって身に付けたのだ!!」



 体中から血を垂れ流し、白シャツを血みどろに染めて、重い足取りで歩いてくるニヤルト。

 無数に風穴を開けた肉体はみるみると再生を始め、荒げた息も歩を進める毎に平静となっていく。


 アイリスはチラリとリアの方へ向き、全力で首を横に振っているのを見て心の中で頷く。



「さぁ? それを貴方に教える必要がありますの? 私を躾けると、そうのたまってましたわよね?」


「……減らず口を。ならば望み通り、直接その口に聞いてやる。もはや貴様に自由はないと思え」


「私の自由を決めるのは貴方ではありませんわ。(お姉さまです!)」



 ニヤルトは地面へ垂らした血を浮遊させ、自身の周囲に血槍を作りだす。

 それに倣ってアイリスも周囲に停滞させた血の鎖を制御し、その先端をニヤルトへと向けた。


 お互いに切っ先を相手へと向け、合わせて百にも下る数の得物を宙へと浮かべる。

 そしてどちらからともなく、鮮血の支配戦が始まったのだった。



「先刻は思わぬ事象に意識を削がれた……だがもう油断はせん。貴様を徹底的に甚振り、主人が誰なのかをもう1度思い出させてやろう」


「何度言えばわかりますの? 私の主人はオマエ・・・じゃないと言ってるんですわ」



 数多の槍が鎖に巻きつかれ、衝突と同時に互いの意思の喰い合いが始まる。

 接触部はぐちゃぐちゃに融解し、どちらの血も混ざりそうで混ざらない異質な光景。


 ニヤルトの意思がアイリスを裂けば、裂けたアイリスの意志がニヤルトを覆い尽くす。

 喰って喰われてのせめぎ合いが開けた広場上空で行われ、もはやそこに飛び込める余地は存在しない。



「ぐぅっ! 貴様、余にお前と言ったのか!? 止めだ、貴様は血袋ですらない! もはや同族としてこの世に存在することすら腹立たしい!! 今ここで貴様を殺し、そのお姉さまをやらも殺し、二人纏めて人間どもの国に送ってやる!!!」


「出来もしないことをペラペラと」

  ――【翻弄せし支配】《血の渇望》


「っ!? 何故だ……? 何故、余の支配が押され始める!? ありえない、上位吸血鬼がこんなッ!!」



 "翻弄せし支配"の効果は魔力と支配力の自動補助。

 これによってアイリスの意識負担が半分ほどで収まり、そこに加えて"血の渇望"の効果によって支配力へ純粋な強化バフが施される。


 もはや勝敗は誰の目から見ても明らかな物となり、血槍の支配権を次々と塗り替えていくアイリス。


 そうして開けた空間からニヤルトの鮮血が消え、全てがアイリスの支配下に置かれた鎖だけで満たされた。



「こんな、こんな筈がッ! ぐぅ……鎖如きで、この余を!!」


「……皮肉ですわね。他者を命令で縛り付けていた者が今こうして、鎖に縛られようとしてるなんて」



 そう言って手を振り下ろせば、それらはまるで生き物のようにニヤルトへと襲い掛かっていく。

 手に持った唯一の武器パルチザンを振り回し、情けなく抗い続ける姿を冷めた目で見据える。



 何十もの鎖がけたたましい音を打ち鳴らし、弾かれては突貫し、弾かれては突貫を繰り返す血の鎖。

 一度勝敗が決した以上、もはや鮮血魔法は相手を強化するものでしかない。



『吸血鬼同士の戦いは支配戦で決まるの。もちろん例外はあるけど、この根本は覆らないわ』



 そう言っていたリアの言葉を思い出し、漸く本当の意味で理解したアイリス。

 決着を付けようと鎖に命令を下そうと手を翳した瞬間、何十もの鎖が一斉に打ち払われた。



「舐めるなぁぁぁ! この程度の鮮血で余を呑み込めると思ったか!? こんなもの距離を詰めてしまえば!!」


「っ! 腐っても、真祖ということですわね!!」



 ニヤルトの強烈な一撃によって、鎖で満たされた空間にはモーゼのような道が拓かれる。

 その道を一点突破して瞬く間に距離を詰めるは、血走った目でアイリスを射るニヤルト。


 何とかその手に持ったパルチザンは、鎖で巻き取り支配には成功する。

 すると、懐まで潜り込んできたニヤルトの拳がアイリスの頬を掠めとった。



「ぐっ!?」


「始めからこうすればよかったのだ! 槍への対処は目を見張るものがあったが、体技に関しては場慣れしていないな?」


「この程度の攻撃、なんて事ないですわ!」



 大鎌の持ち手で拳を防ぎ、上段蹴りを上体を逸らして避けるものの。

 がっちりと懐に入られてしまい、もはや大鎌は使い物にならなかった。



「ぅっ、くぅ……この、ちょこまかと……!」


「ククク、そんな得物で捌けるわけがなかろう? 蹴りの礼だ、受け取るがいい」


「ぐふっ!?」



 腹に突き刺さった手刀が肉を抉り、生々しい鮮血が大地を汚す。

 その瞬間、近くの草むらが不自然に揺れた。



「どうした? さっきまでの威勢は何処へいったというのだ?」


「腹に穴を空けたくらいで、この程度……!」


「ククク、アハハハハッ! どうやら貴様のソレは付け焼刃ではなかったようだな! 認めてやる、貴様は上位の吸血鬼の中でも最上位に位置することだろう。だが、貴様の自由もこれで終わりだ」



 ニヤルトは頬に飛び散った血をぺろりと舐め、厭らしく口元を歪めて笑う。

 蹴りで開けた間合いは瞬く間に詰められ、アイリスの振るった大鎌は掠める程度で致命傷には至らない。でも



「私が体技を出来ないと、誰が申しましたの?」


「貴様ッ、主人だった余に向かって一度ならず二度までも蹴りを……! ふんっ!」


「ぐっ!?」



 爪先が肩を掠め、脇腹を抉り、徐々にその黒いドレスを血に染めていくアイリス。

 致命傷はお腹に空いた風穴だけであり、少しすればその傷も完治する。


 こうも接近されては血の鎖は使えず、"翻弄せし支配"も維持にリソースを割いていまっている以上、今は使用出来ない。


 そんな今は・・攻め手に欠ける中、自分の勝ちを確信したであろうニヤルトは拳を振るいながら不遜に笑う。



「もうよせ、貴様では余には勝てん。頼みの綱である鮮血が使えぬ以上、もはや万策尽きたであろう?」


「……っ」



 鮮血魔法を纏わせた拳によって防いだ筈のアイリスの腕が鈍い音と共に端折れる。



「何故諦めん? お姉さまとやらの為か? 貴様がそこまで慕うのは癪だが……今ここで負けを認めるのなら、其奴のことも助けてやらんこともないぞ?」


「……がはっ」



 片腕を力無く垂らし、大鎌で辛うじて致命傷を防いでいたアイリスの脇腹に蹴りが突き刺さる。



「物分かりが悪くなったものだ。ここまで余が譲歩してやっているというのに、まだわからんのか? もはや勝負はついた、貴様の負け――っ!?」



 ペラペラと聴こえていた煩わしい声がピタリと止まった。

 アイリスは我慢に我慢を重ね、思考の大半・・・・・を魔力制御に割いて噤んでいた口をようやく解いていく。



「……ふっ、ふふ……ふふふふ」


「貴様、最初からこれを狙って……!?」


「……あははははは!!」



 手に持った大鎌を地面に突き刺し、耐えきれなくなったアイリスは腹に両手を抱えて笑い出す。

 停止したニヤルトの足はどちらも地面へと張り付き、その下半身全てを透明な結晶で覆っている。


 パキパキっと乾いた音はそこかしこから響き渡り、その場には霧に紛れてひんやりとした冷気が漂っていた。



「この程度の傷を負わせたくらいで何を勝ち誇っていますの? さっきのお言葉、そっくりそのままお返ししますわ」


「ぐぅっ!?」



 アイリスの翳した手によって血の鎖は下半身を完全に凍結させたニヤルトを何重にも巻き付いていく。

 上半身の鎖の拘束に加え、下半身の凍結の拘束。


 下半身の氷は鎖の上からニヤルトを覆い尽くさんと、その領域を急速に押し広げている。


 そんな無様な姿でありながら、憎々し気に顔を歪めたニヤルトに対し、アイリスはクスッと笑って妖艶に微笑んでみせた。



「もはや勝負はつきました。貴方の負けですわ、ご主人様」



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