第140話 始祖の抜き打ち訪問Ⅱ



 先程までアイリスの最終テストしていたリアは、いま迷霧の森へと来ていた。


 同行者のレーテを連れ、森へ入って数分した所でニートの眷族に出迎えられた。

 前回よりも早い出迎え、それはまるで事前に知っていたかのように見えたが、表情を見るにどうやら違うようだ。


 恐らく徘徊範囲を森の入口周辺へと変え、次いつ私が来ても良いよう常に張っていたのだろう。



 というかこの顔……何処かで見た記憶のある吸血鬼なのよね。どこだったかしら?

 ああ、前回私が心臓を握りつぶした上位吸血鬼だわ。だからさっきから怯えた様子なのね。



 霧の中で先頭を歩き、その一挙手一投足を気にして歩く上位吸血鬼。

 こちらに気付かれないようチラチラと盗み見る視線は非常に鬱陶しいものの、別にリアだっていつでも心臓を握り潰すような趣味を持ち合わせている訳ではない。


 敵対の意思を見せないなら、こちらだって行き成り手をかける様なことはしない。



 そうして暫く何処を見ても霧が広がる面白味のない景色が続き、漸く目的の屋敷が見えて来た。



「こちらで少しお待ちいただけますか? いま、ニヤルト様を――」


「その必要はない」


「っ、!」



 霧の中から影が浮かび上がり、腰に手を回して堂々とした佇まいのニヤルトが姿を現す。

 リアは冷めた目つきで振り返ると、長身の男を見据える。



「我が主よ。ニヤルト・トランス・ストーカー、御身の前に」



 ニヤルトは躊躇うことなくその場で跪き、深々と頭を下げた。


 前回は回し蹴りを最後に、森の中でそのまま放置して帰った。

 そのことに罪悪感など一ミリも存在しないが、変に敵対して来たり、恨みなどを持っていたらどうしようかと考えていた。もちろん、面倒という意味で。


 しかし、この様子を見る限り、再び武力行使にでる必要もないだろう。



「顔を上げなさい。今日は少し、貴方に話があって来たのよ」


「はっ、承知しました。 では中で伺いましょう」



 立ち上がったニヤルトは一瞬だけレーテを一瞥し、道案内をした吸血鬼に指示を出す。

 そうして屋敷までニヤルトが変わって先導し始めたが、一体何を勘違いしてしまったのだろう。



「……して、リア様。その者は貴女様の従者にございますか?」


「レーテの事を言ってる? そう、この子は私の従者。それがなに?」


「あぁ……何ということを。私如きが貴女様に意見することを、どうかお許しください」


「?」


「見た限りソレは中位程度、始祖であらせられる貴女様には余りにも不釣り合いな存在。もちろん、血袋として連れるには十分なのかもしれませんが、従者としてであれば、それは――」



 その瞬間、ニヤルトの腰が"く"の字に拉げたひしゃげた


 時間にして一秒にも満たない、刹那の瞬間。

 後ろで静かに歩むレーテの目にすら、まるで時間が飛んだように映ったことだろう。



 ニヤルトの体はその場に残像を残し、宙に線を描いて屋敷へと一直線に吹き飛ぶ。

 すると、まるで雷が落ちたかのような衝突音を鳴り響かせ、屋敷を揺らした一部は見事に崩壊させたのだった。



「リア様?」



 戸惑いと心配を含んだレーテの声に、リアは止まりそうになりながらニヤルトへと歩いて行く。

 コツコツと靴音を響かせ、壁に打ち付けられ崩壊した屋敷の中で死に体と化したニヤルトの首を掴み上げる。



「ニヤルト……貴方は私に聞かれたことだけを答えればいいの、これは命令。わかった?」


「……あ、あぁ……も、申し訳……いえ、かしこまり……ました」



 リアの回し蹴りは通常攻撃。

 スキルや装備の効果はなく、純粋にLV145の身体能力で力任せに振り抜いてるに過ぎない。


 しかし、幾ら当たる直前に咄嗟の加減を挟んだとしても、相手はLV70程度の真祖。

 死ぬことはなくても、その身が瀕死一歩手前になるなど当たり前の事であり、加減が無ければその胴体が真っ二つになって絶命していた可能性も十分にあり得た。



 リアはニヤルトをその場に投げ捨てながら、勢い余って殺さなかったことに安堵する。


 そして後ろで呆然と立ち尽くしたレーテへ、思いのままに駆け寄った。

 怒りの感情は未だ拭えぬままだが、それ以上に無償にレーテを抱き締めたかったのだ。



「リア様……? どうされたのですか?」


「ううん、ちょっと癒されたかっただけ。はぁ、暖かい……それに良い香り。落ち着く~♪」


「……、あれが普通の反応にございます。本来、私の様な存在がリア様にお仕えするなど……んっ」



 煩いレーテの口に人差し指を押し当てる。

 細い腰に手を回し、余す事なく全身で密着したリアは自分よりも少し高いレーテを見上げた。



「説明が面倒だったから従者って言っただけ、わかってるでしょ? 貴女は私に仕えてるのかもしれないけど。それ以上に、貴女は私の愛する恋人なのよ?」


「……はい、そうでしたね。しかと心得ております」


「うん、よろしい」



 無視できない轟音によって次々と屋敷から吸血鬼たちが集いだし、ニヤルトが目を覚ましその再生を終えるまで、リアはレーテと思う存分にイチャイチャするのだった。



 そうして大幅な時間のロスに、内心でアイリスに謝るリアは応接室へと通されていた。

 すぐ後ろには少し頬を緩ませたレーテが立ち、眼前にはその存在が不愉快極まりないニヤルト。



 部屋の隅には20人ほどの眷族たちが呼び出され、リアはそれらを一瞥する。



 (この中に過去のアイリスみたいな子はいるのかしら? 正直、男はどうでもいいけど、もし似た仕打ちを受けてる子が居るならお持ち帰りしてもいいかもね。でもその前に、あまり待たせるのも可哀想だしさっさと本題に入っちゃおうかな)



 そう判断したリアは静寂の中、あからさまに顔色を窺うニヤルトへと視線を移す。



「これで全部?」


「はい、今この部屋に存在する同族のみが、余の眷族にございます」


「ふーん、そう。それならさっき森の中で見た同族は違うのかしら?」


「……と、いいますと?」



 少し前のめりになって聞く姿勢を取ったニヤルトを見て、内心でニヤリとするリア。



「私がこの森に訪れた際に見たのよ、可愛らしい吸血鬼を。特徴は灰色の髪に黒いゴシックドレス、階位は上位くらいじゃないかしら? 歳はそうね、14~16くらいの少女の見た目をしていたわ」



 するとニヤルトは呼吸を止めたかのように目を見開き、その動きを完全に停止させた。


 時間にしてものの数秒。自分が動揺し、あからさまな反応を見せたことを自覚したのだろう。

 すぐに平然を装い始め、咳ばらいをしてみせるが、バレバレである。


 (ふふ、焦ってる焦ってる。わかったんでしょう? 私の言ってる吸血鬼が誰なのか。コレの考えてる事くらい手に取るようにわかるわ。始祖である私が気になってる存在、それはつまり見つかれば取られてしまうということ。……アレは自分のモノだ、ならばどうするべきか、って感じ? 勘違いも甚だしいけど、今はそれでいいわ)



 リアは溢れ出す殺意を抑えながら、黙りこくるニヤルトへ微笑を浮かべる。



「やっぱり貴方の眷族なんじゃない? いいわ、人数を数え間違えることくらい誰にだってあるもの」


「っ、……どうやら、そのようでございます。リア様には不甲斐ない所ばかりお見せしてしまい、恥ずかしい限りにございます。ですので少し、外に出てきてもよろしいでしょうか?」


「ええ、構わないわ。ああ、それなら私のモノを貸してあげる。この子は私の大事な・・・お気に入りなの。きっと痕跡のある正しい場所まで案内してくれる筈よ?」



 だから手出したらわかってるよね?というメッセージを暗に残し、レーテを紹介するリア。



「寛大な御心に感謝致します。ではその者をお借りしても?」



 後ろから気配が移動し、横を通り過ぎてニヤルトの元へと向かうレーテ。

 リアは思わず離れていくレーテの手を掴み、感情のままに抱き寄せてからその唇を奪うのだった。


 柔らかい感触が唇に広がり、幸せの味と暖かい感情が心に満たされていく。

 周りに見せつけるように唇を啄み、深い部分まで味わって満足するとそっとレーテを放した。



「しっかり役目を果たして来なさい、私のレーテ」


「……はい、お任せください。リア様」



 二人の光景に部屋中の視線が集まり、眼前で繰り広げられた事に理解が追いつかないニヤルト。

 これでレーテに対して始祖リアがどれだけ忠愛を注いでるか、この雑種にもわかったことだろう。


 確実にアイリスが指定した場所に連れて行く為にも、案内人は必要だ。

 非常に心配ではあるが、それと同時にレーテのことはこれ以上にない程信頼している。



 そうして絶句したニヤルトが復帰すると、レーテが先導してニートを部屋から連れ出したのだった。



 後には、室内に適当な理由で呼びつけた眷族たちとリアだけが残る。

 その場に静寂が広がる中、全く微動だにしない眷族たち。


 しかし領域内である以上、視界に映らない部分や些細な状態の変化にも完璧に把握しているリア。



 ニヤルトをアイリスの下へ行かせた以上、リアも向かわなければならない。

 しかし、この子達が邪魔をしないようこの場に引き留めておく必要もある。さてどうしようか?


 そう考えたリアだったが特段難しいこともなく、普通に命令すればいいやという結論に至った。

 可愛い子を助けたい気持ちはある、しかしそれ以上にアイリスが大事であり、ハッキリ言って比べるまでもないことであった。



「私の用事は済んだわ。貴方達も好きにして貰って構わない、でもこの屋敷から出ることは禁じる。これは命令よ」


「「「「…………」」」」



 疑問を直接に顔に出す者は少ない、だがその雰囲気や些細な動きから動揺は見て取れた。

 何より返事を返さないことは、了承していないということ。


 リアは微弱な【原初の覇気】を最低出力で発動する、加減は慎重にだ。



「……お返事は?」


「は、はい。……始祖様のご命令、しかと……承知いたしました」



 そう口にしたのは、最初に出迎えここまで道案内をした上位吸血鬼。

 他の者は覇気によって立っていられず、膝を突きながら呼吸を荒げている。


 リアはその返事に満足して立ち上がり、応接室を後にした。





 アイリスがニヤルトとの戦いの場に選んだのは迷霧の森の最奥。

 そこは人里離れ、霧が最も濃く、誰の邪魔も入らないそんな場所。


 奥に行けば行くほど視界は遮られ、その身は霧に包まれていくものの、リアの疾走が衰えることはない。

 僅かな木々の特徴やレーテの残した痕跡、まだ記憶に新しい場所へと淀みなく突き進んでいく。



 そうしてあっという間に辿り着いたのは、迷霧の森の中でも比較的に開けた空間。

 中央ではアイリスが木々を見上げ、丁度ニヤルトを案内するレーテが到着した頃だった。



 リアはすぐさま移動を開始する。

 探す場所は気付かれにくく、二人の様子が見え尚且ついつでもリアが介入できる絶好の観戦ポイント。


 開けた空間ではさり気なくフィードアウトするレーテを後ろに、ニヤルトはアイリスに向かって歩き始めた。


 二人の間には霧の壁が立ち籠り、一定の距離まで近付くとその歩みを自然と止めるニヤルト。



「まさかとは思ったが……やはりお前か、アイリス」


「あら、お久しぶりにございます、ご主人様」



 振り返ったアイリスは妖艶に微笑み、その場で見惚れる程に美しいカーテシーを行う。

 ニヤルトは遠目にも分かりやすいほど眉をピクリと跳ねさせ、憎々し気に口を開いた。



「暫く見ない間、小賢しくなったものだ。つい先日まで迎えを寄越していただろう? 何故その時に戻らなかった?」


「迎え? ああ、あのコバエの事を仰っているのですね? 気分ですわ」



 アイリスのナチュラルな煽りに、またしても眉をピクつかせるニヤルト。

 未だ問答無用で手を出さない辺り、私の所に戻る前にやっておきたいことでもあるのだろうか?

 それにしても


 (私と話してる時と違い過ぎない? あのニート本当に同一人物? まぁ、それだけ吸血鬼が階位社会なのかもしれないけど。私の大事なアイリスを見下してるのが節々に感じられるのよね、もっと蹴っとけばよかったかしら?)



 アイリスの毅然な立ち姿に見惚れつつ、一方その言動が癪に障るニヤルトに殺意が芽生えるリア。

 すると、そんなリアの元に癒しレーテが帰ってきてくれた。



「ご苦労様、レーテ。何もされなかった?」


「ご心配なく、この身には触れられることなくニヤルト様をご案内することができました」



 歩み寄ってくるレーテの頭からつま先まで、細部すら見逃すことなく入念に視線を巡らせるリア。

 アイマスクを外し、いつ見ても綺麗な顔に惚れ惚れしつつ「そう」と満足して頷く。


 すると開けた空間から声が聴こえて来る。



「お前が逃げ出してから百年程か。その耳障りな話し方といい、分不相応な装いといい、随分と羽を伸ばしたように見える。……だが光栄に思え。もう一度余手ずから、その身に調教し直してやる」


「何か勘違いしているようですわね? 別に私、貴方の眷族として此処へ戻ってきたつもりはありませんのよ?」


「貴方……だと? どうやら本当に己が何者かすら忘れてしまったようだな。もうよい」



 ニヤルトは再び止めた足で歩き始め、その手に血のパルチザンを生成してアイリスへと向けた。



「十二分に理解しておりますわ。私のこの身は頭の天辺から足の爪先まで、身も心もその血の一滴に至るまで全て、敬愛するお姉さまの物ですの。だから貴方に与える血など、一滴すらございませんわ」


「……なに? お姉さま、だと? 気でも触れたかアイリス」



 理解できない、そう表情が物語り、怪訝そうに顔を歪ませたニヤルト。

 しかし、はたと気づいた様にその矛先を会話の中のお姉さまわたしへと向け出す。



「そうか……お前を狂わせ、余の所有物に手を出したのが、その何処の馬の骨かもわからないお姉さまなのだな? なら今すぐに此処へ連れてくるがいい! 余の手で首を切り落とし、血を啜ったあとは獣の餌にしてやる!!」


「…………」


「どうした? 今更になって目を覚ましたのか? だがもう遅い。お前を躾けた後、そのお姉さまとやらを必ず見つけ出し、最も惨たらしい最後を与えてやろう。これで貴様も、安心して戻ってこれるだろう?」



 ニートの不愉快な言葉が離れているリアに耳に響き渡る。

 すると、そんな傲岸不遜ごうがんふそんな態度に、瞬間的にリアの頭には数える程度の記憶が蘇った。


 無様に媚び諂い、屋敷から投げ出された後も許しを請うニヤルト。

 半裸のまま槍を振り回し、ひと掠りすらせずに喚き散らかすニヤルト。

 腕でガードしても軽々と吹き飛び、回し蹴りでノックアウトしたニヤルト。

 私の前で堂々とレーテを蔑み、回し蹴りによって屋敷へとめり込んで再起不能になったニヤルト。


 どれも思い出すに値しない、何の面白味もない下らない記憶の数々。だからこそ思う。



 ――うん、無理でしょ。



 遠目に冷めた目つきでニヤルトを一瞥し、こちらをチラチラと見てくるアイリスと目が合う。

 ニヤルトは興奮して気付いていないのか、もしくは引き籠り過ぎて感覚が鈍ってわからないのか。


 そんな情けない真祖を置いて、リアはアイリスへ向けて口をゆっくりと動かした。



『もうそれやっちゃっていいよ?』



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