第139話 妹吸血鬼の記憶(アイリスver)



 吸血鬼にとってのオリヴィア様。



 そんなお姉さまの問いかけに、アイリスは少しだけ頭を悩ませた。



 あの御方を表す言葉は無数に存在する。

 最古の真祖、魔王軍の心臓、魔族の希望、そして……少し変わった吸血鬼。


 何故、ご自身が眷族にしたオリヴィア様をお聞きになるのかはわからない。

 けれど、こうして改まってお聞きになるということはお姉さまはのオリヴィア様を知りたいのかもしれない。


 私を助けてくださるその直前まで、永劫にも等しい長い休眠を取られていた筈なのだから。


 そう思ったアイリスは初めてリアを見て感じたことを気付けば口に出していた。



「オリヴィア様は……お姉さまに似ているかもしれません」


「私に?」


「お姉さまが眷族化させた時のことは存じ上げません。ですが百十年ほど前、初めてお会いした際のあの方は、とても変わった御方でしたわ」



 もう何十年も顔を合わせていない、それでも記憶にはしっかりと刻まれたあの御方との出会い。

 それはアイリスにとって思い出したくもない忌まわしい記憶であり、人生の分岐点ともなった大切な記憶。


 今になって思い返せば、本当に……変わった御方でした。


 そうして無意識にクスクスと笑ってしまったアイリスへ、リアは微笑んだ表情で首を傾げた。



「あ、申し訳ございません。お会いになった時のことを思い出してしまい……つい」


「ううん、その頃の話が聞いてみたいかも。質問を変えるわ、貴女・・にとっての彼女を教えて?」


「私にとって……ですの? いえ、わかりましたわ。宜しければ歩きながらお話しませんか?」


「ええ、もちろん」



 ほら、やっぱりお姉さまはオリヴィア様に似てらっしゃる。


 お姉さまがあまりにも慈悲深く、一緒に居るとつい忘れてしまうけど。

 本来の吸血鬼社会なら、私の首は既に飛んでいる筈だもの。



 アイリスは敬愛するリアと畏敬の念を持つオリヴィアが似ていることに無性に嬉しさを覚える。

 差し出された手に無遠慮に抱き着き、腕を絡ませて森の中を歩き始めた。



「実を言うとオリヴィア様、あの御方とは数える程しか言葉を交わしていないんです」


「あらそうなの? それなら増々気になるわね。数える程の会話でどうやって、貴女をそこまで垂らし込んだのか」


「へ……? た、垂らし込むなど! 私は確かに畏敬の念をあの御方に抱いております。ですが敬愛して止まない心も体も虜にさせられてしまったのは、お姉さまだけですわ」


「ふふ、本当? なら教えて、貴女にとっての彼女を」



 そうしてリアの言葉に頷き、アイリスは少し恥ずかしさを憶えながら記憶を遡り口を開いた。





 それは百十年ほど前、アイリスがまだ逃げ出さず、アイツの下で縛られていた時のお話。


 吸血鬼社会を知り、吸血鬼の生活に慣れ、自身の選択に後悔して終わりなき悪夢を見ている様な日々の中。

 アイリスはあの御方に出会った。



『まだか? まだ奴は来ないのか!? 一体どれだけ余を待たせるつもりだ!!』



 テーブルの上に乱雑した物を薙ぎ払い、こめかみに手を当てて憎々し気に言葉を吐き捨てる。

 身に纏った服には皺が付き、整えられた髪はすっかりと形を崩してボサボサに乱している。



 そんな姿で激怒し、広い部屋の中を支配するのがアイリスの主人、真祖の吸血鬼ニヤルト。


 アイリスとその他の吸血鬼はただ部屋の隅で息を殺し、その怒りの矛先が自分へ向かないことだけを祈って目を瞑った。



『奴は一体何様のつもりだ? 余より少し早い時期に眷族にして頂いただけで、奴も余も同じ真祖! だというのに、あの目……あの余を軽んじる何でも見透かしてるかのようなあの目! 気にくわん、腹立たしい、真祖でありながら吸血鬼の社会を乱す異端者が!! オリヴィアめ、クソッ!』



 大理石で出来たテーブルが蹴り上げられ、アイリスの真横を物凄い勢いで通り過ぎる。

 そして一拍置いて轟音が鳴り響き、発生した風圧によってアイリスの髪が激しく揺れる。



『はぁ……はぁ、実に不愉快だ。……ふぅ、少し外に出る。片付けておけ』



 主人の言葉にアイリスと他の吸血鬼達は只々頭を下げ、嵐が過ぎ去るのを待った。

 やけに遅く感じる扉は重々しくバタンッと締まり、部屋には静寂が訪れる。


 そして一人、また一人と部屋の掃除を始める侍女吸血鬼。

 しかし、アイリスだけがたった一人、その場から動けずにいた。

 それはもはや恒例と化してしまった流れに身を置いてしまっていることで、この後の流れがわかっていたからだ。


 ご主人様は不機嫌や不快な思いをすると、吸血や睡眠をとることで気を紛らわせる。

 吸血の対象、それは異常な程にその血を気に入られてしまっているアイリス――つまり私だ。


 飲み始めれば暫くは動けず、あの不快な感覚や体温、自身の命が啜られている感覚を何時間も味わわなければならない。気絶寸前など当たり前、意識が飛びかけるなどしょっちゅうだ。



 (私はご主人様の血袋……それ以上でもそれ以下でもない。味の鮮度が落ちると純潔を散らされずに、ただの食事としか見られていないのは幸いだけど。これはいつまで続くの? 何十年?何百年? 私は……どうしたらいいんですの)



 終わりの見えない地獄にただ押し潰され、この後の呼び出しに無意味な感情を抱くアイリス。

 すると、室内の物音が一切しないことに気付いてふと顔をあげた。



 部屋の窓から入って来たのは、一匹の蝙蝠。

 ただの蝙蝠である筈なのに誰一人として目を離せず、ご主人様の命令をも止めてそれを見ていた。


 次の瞬間、蝙蝠は影の様に体を黒く塗りつぶし、形を伸ばして人型へと変わった。

 そこに現れたのは黒いベールを被り、修道服の上に黒いコートを着崩して両肩を露出させた銀髪の少女。


 開かれた両目には吸血鬼の象徴、ルビーよりも赤く暗い瞳が煌めかせている。



 (同族……? っ、いや違う! この少女は、この御方はご主人様の仰っていた真祖の……!)



 声が出ない。ご主人様をお呼びしなければいけないのに、何故か足が張り付いたように動かない。

 そう思って足元からふと顔を上げると、いつの間にか目の前にその少女は立っていた。


 そのあまりにも早く自然な動きに、跪くのすら忘れてしまう。



「其方、良い物を持っている。名前は?」


「っ……わた、くしはっ……」



 至近距離で真っすぐに見つめられる赤い瞳。

 肺から空気がなくなってしまった錯覚を憶え、パクパクと口を動かしながら恐怖のあまり視線を下げるアイリス。


 跪かず、即答もせず、挙句の果てには目を逸らす行為。

 それは即ち、吸血鬼社会での"死"を意味する。


 殺されても文句など言えない。アイリスが自覚した時には、それは既に遅かったのだ。


 いつもなら直ぐに行動に移せた、だというのに何故!?

 混乱した頭で必死に原因を考え、その思考する時間でまた目の前の存在を待たせていることに気付いた。



 (ああ……でも、これでよかったのかもしれない。これでこの方に殺され、私の悪夢は漸く終わるんですわ)



 そんな事を思い、目の前の高位吸血鬼に手をかけられるのをジッと待ったアイリス。

 しかし、いくら待っても一向にその時は訪れない。


 疑問に思ったアイリスは瞑った瞼を薄っすらと開くと、眼前の少女は首を傾げた。



「ん? 聞こえなかった? 妾は其方の名前を問うたのだ」


「……? ア、アイリス……ですわ。あっ」



 またやってしまった。

 それは人間時代の名残、貴族だった時の口癖でご主人様にも散々やめろと言われ、ご不快にさせてしまった忌まわしい言葉。


 今度こそ終わったと思い、顔を青褪めさせるアイリス。



「そう……アイリス。良い名だ」


「っ……??」



 思ってもみなかった反応に、頭の中は『?』で埋め尽くされる。

 すると同じ背丈くらいの少女はずいっと顔を近付け、長年の経験からそれが吸血だと察した。



『アイリス、ジッとしていろ。これは命令だ』



 その瞬間、ご主人様に吸血される時の記憶あくむがフラッシュバックした。

 目を瞑り、体を縮こませ、与えられる刺激に身構える。


 だがまたしても、その気配が動いてない事に気づいた。



「其方、もしや吸血が嫌なのか?」


「い、いえ! その様なことはっ……ございませんわ。……この身は真祖の方々の、物ですから」



 条件反射のように返事を返し、思わず少女の向けてくる瞳に視線を合わせてしまうアイリス。

 そのジッと見詰めてくる瞳には、何もかもが見透かされたような錯覚を覚え、アイリス自身いま自分が何をやっているのかすらわからなくなっていた。


 視線を合わせること数秒、少女はコクリと頷き「……なるほど」と呟く。

 そうして唐突に自身の掌を開き、そこに魔力を収束させていく少女。


 吊られたアイリスは呆然とその光景を眺め、瞬く間に形成されていく魔法に無意識に息を呑んだ。

 黒い靄が溢れ出し、それが緻密な魔力操作によって渦巻き、高次元な魔法をあっという間に作り上げてしまう。……恐らく闇系統の上位魔法に当たるだろう。


 良い印象を持たない闇魔法でありながら見惚れる程に美しく、中位魔法までしか扱えないアイリスでもソレが非常に精練された魔法行使だと一目でわかった。



「口を開けて?」


「え……あっ、……ん!」



 有無を言わさない口調に、言われるがままに従うアイリス。

 時間の経過と共に味わう苦痛に身構え、そしてそれを認識した時思わず目を見開いてしまう。



 (あれ? 痛みがないですわ。それにこの甘くて舌にしっとりと残る味、何だかお腹と牙が疼いて……え? これって……血!? し、真祖様の血!!?)



 認識した時には視界が鮮明になり、心身ともに活力が底から湧き上がってくる。

 今なら何でもやれそうな、白黒だった世界に色が付いたような感覚を覚えたアイリス。


 気付けば目の前から少女は消えており、扉の開いた音で反射的に振り返る。



「あっ!」


「そういえば、其方には問いたのに妾はまだ名乗っていなかったな。妾はオリヴィア・ノスフェラトゥ・リーゼ。ニヤルトの阿呆に用があって来た、しばし邪魔をする」



 淡々とした言葉で言いたいことは言ったと、何事もなく去っていくオリヴィア。

 アイリスはそんな光景をただ唖然として見つめ、胸の内に燻ぶる確かな高揚を感じていた。


 これが真祖の血を取り込んだ影響なのか、それとも高次元な卓越した魔法を見たことによるものなのかはわからない。


 けれど瞼の裏に焼き付いた魔法は鮮明に記憶に刻まれ、【魔の申し子アーツ】を持つアイリスにとって大きな影響を与えたのも確かだった。



 (あの御方が、オリヴィア様。……あの魔法。精練された魔力操作、異次元な魔力量、一切の淀みすら見えない透き通った魔力。なんて……魔法なんですの? あんなこと、私の得意な氷系統でも不可能ですわ。でも)




 この時から私の中で何かが変わり、悪夢すら耐えるべき試練だと思うようになった。


 ニヤルトアイツによって呼び出され、毎回瀕死になるほどの吸血をも耐えた。

 空いた時間を作っては魔法の鍛錬に励み、従順を装って積極的に森へ入り込んだ侵入者を排除して経験を積んだ。


 元々【魔の申し子アーツ】を持っていたことで、それなりに魔法は使えたのだ。

 それがみるみる内に、まるでストッパーが外れて才能が開花したかのように、吸血鬼としての自覚が芽生えた。


 一年、二年、歳月が過ぎ去るにつれて力は増していき、同時にアイツへの反抗意識と耐性が身に付いていく。


 屋敷には度々オリヴィア様が訪れ、あの日以来言葉を交わすことはなかったが、気のせいでなければ私を見ていてくださっていた気がした。



 そうして5年の月日が流れた時、とうとう私は上位吸血鬼へと至った。

 すると、オリヴィア様はまるで待ち望んでいたかのように、私へと声を掛けてくださった。



「上位へと至ったのか。予想よりずっと早い」


「……オリヴィア様。ご挨拶申し上げます」



 跪くよりも早く接近され、瞳をずいっと覗き込むようにして顔を近付けてくるオリヴィア様。

 その瞳には赤と黒が混じり合い、宝石にも負けず劣らずな魅了を放っている。



「美しい色……不純物が消え、まるで氷のように鮮明で透明な魔力だな。でも、随分と無理をしたように見える」


「い、いえ! そのようなことは……」



 真祖の吸血鬼に努力が認められ、嬉しくも反射的に否定の言葉を吐いてしまったアイリス。

 しかし微笑を浮かべたオリヴィアは何かに気づいた様に頷き、一人でに呟いたのだった。



「……そうか。其方は決めているのだな」


「っ! 何を、仰っているのか、私には……」



 それは誰にも言っていない計画。

 言葉や行動はもちろん、反抗意識や嫌悪感を徹底的に隠し、従順なふりをして力を蓄え続けた。


 主語は付いていない。

 しかし向けられるその目が、アイリスにはソレを指摘している様に思えてならなかった。



「欲しくなかった、と言えば嘘になる。だが、既に決意しているのなら妾からは何も言うまい。……彼奴あやつはしつこいぞ?」


「っ……!?」



 オリヴィアは能面な表情を崩し、クスっと笑っては踵を返して屋敷へと入っていく。

 その後、特になにも起こらなかった。



 1年後。準備が整ったと判断したアイリスは計画を実行した。


 結果的に言ってしまえば、幾ら力を付けたとはいえ長年真祖に君臨していたニヤルトに対し、上位吸血鬼なりたてのアイリスは命からがら屋敷から逃げ出すことになる。


 上位へと至ったことで"命令"に抗うことはでき、そのまま大陸単位でできるだけ離れることを決めた。町から町を点々とし、レーテを拾ってからは落ち着ける住処を捜し歩いた。


 ニヤルトからの追手は定期的に差し向けられたが、世界戦争が勃発し、終息してからはめっきりそれもなくなった。



「あとは……お姉さまもご存知の通りですわ」



 話を一区切り終えたアイリスは立ち止まり、腕を抱き締めながら敬愛するリアを見上げた。

 すると、月明りに照らされたお姉さまの顔が映り込み、その余りにも優しく慈愛に満ちた表情にアイリスは何故か目頭が熱くなる。



「あの方は最初から何もかも見通しておりました。生き永らえる事に固執し、選択を間違え、ただ後悔と絶望に沈んで行くだけだった私に、可能性を見せてくれたんですわ。きっと全て……掌の上だったんでしょうね」


「……アイリス」


「ですから私にとってあの方は、"恩人"と言うのが正しいのかもしれません。 だからこそ、微力ながらにあの御方の力になりたいんですわ、お姉さま」



 立ち止まり、真っすぐにお姉さまを見詰める。

 全身を白く染め、月明りに反射して神々しく佇むお姉さまは、その深紅の瞳をうっすらと緩めた。



「なら、明日はわからせないとね、貴女を苦しめたあの雑種に。そして恩返しをすればいい、貴女を絶望から掬い上げてくれたオリヴィアに。……ね?」



 そう言って微笑むリアを見て、アイリスはもう何十回思ったかわからないくらい安堵する。

 過去を思い返し、改めて今の状況がどれだけ奇跡に等しいことかを自覚する。


 (きっと私の一生分の運は、お二人に使い果たしていますわね。でなければ採算が取れませんわ。こんなに慈愛に満ちたお姉さまが私を愛してくださり、始祖でありながら我儘まで許してくださる。ならば私に出来ることは……お姉さまの期待に応え、あの御方に恩返しすること)



 心は既に決めてる、覚悟だって十分にした。

 アイツはまだ苦手だけど、それがお姉さまとあの御方の期待を裏切る理由にはならないわ。



「はい! 必ずやり遂げて見せますわ! ですので続きをお願い致します、お姉さま!!」



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