第135話 姉妹の個別レッスン
暗闇の中、広々とした空間には赤と紅が混ざり合う。
それは宙で自在に形を変え、同種を呑み込もうと波打ち覆いかぶさっている。
視界は闇に覆われ、上階へ差し込んだ月明りのみがこの場を照らしていた。
「はぁ……はぁ、……んっ」
シンと静まった空間では水分が波打ち、弾ける様な音に紛れ、時折布の擦れるような音が入り混じる。
息を乱し、呼吸を整えようとするも抑えきれず、意識とは別に漏れ出てしまう甘声。
リアは膝に乗せたアイリスを後ろから抱き締め、耳元で囁くようにして口を近付けた。
「よく見て、魔力の流れを。闇雲に範囲を広げても意味はないわ」
「うぅ……駄目、ですわ。またお姉さまに……支配され、んっ……でもこれ以上は!!」
「大丈夫、貴女ならまだやれる。ほら頑張って? が~んばれ、が~んばれ♡」
優しく丹精を籠め、アイリスが元気になってくれるよう吐息が吹きかかるぎりぎりの距離で囁くリア。
一声発する毎にその耳をビクっと震わせ、お腹に回した手からプルプルと振動が伝わってくる。
リアは片手間に魔力操作を行い、鮮血魔法とアイリスで意識を半々に分けながら応援する。
指先をちょいちょいと動かせば、リアの鮮血がアイリスの血を覆い尽くし、寸での所でその掌握を止めた。
宙に浮かぶ血統魔法は混ざらず、まるで大が小を取り囲むようにしてふよふよと浮遊を続けている。
「気を抜いちゃダメ。貴女が少しでも気を緩めれば、私は貴女を支配しちゃうわ?」
「お姉さまぁ、耳元で……囁かないでぇ。力が、抜けちゃっ……あっ」
「あ~あ、またアイリスを支配しちゃった♪ これくらい耐えて貰わないと、一緒に寝る時はいつもこのくらいの距離でしょう?」
「ひぁっ!? だ、だって今は……指導中ですし、そのお声が近すぎて……お姉さまの声が耳の奥まで響くんです……!」
アイリスの鮮血魔法は完全に制御が切れ、リアの血に丸々と呑み込まれてしまった。
腕の中には、リアの声音に耐えるよう背筋をピンッと伸ばし吐息を漏らすアイリス。
「逃げちゃダメよ、アイリス。ほら、ぎゅうぅぅ~!」
「っ、お姉さま!? ご、ご容赦くださいまし、こんなの続けてたら身が持ちませんわ!」
「ふふっ、わかった。それじゃあちょっと休憩しましょう? このくらいはいいよね?」
「うぅ……はい。これくらいであれば、寧ろ……心地良いですもの」
完全に脱力したアイリスはリアに体を預け、倒れるようにして深呼吸を繰り返していた。
リアはそんな妹の額や首元に、取り出したハンカチで拭いながら扉を一瞥する。
紺色の扉にはしっかりと鍵が掛けられており、脇壁には縦長い空洞がぽっかりと穴を開けていた。
(ああ、あの穴も後でウォードに直して貰うよう言わないと。思わず血剣を投げちゃったけど、聞き耳を立てていたドワーフは無事かしら? まぁ、どっちでもいいか。ドワーフは好きだけど、イチャイチャを邪魔したなら相応の対価は払わないとね)
アイリスを抱き締めながら窓の外を見るリア。
そこには変わらず深い闇が広がっていて、パッと見ただけじゃ時間の経過はわからない。
リアの体感では2,3時間は経過しているように思えるけど、実際のところは謎である。
それでも彼女との支配戦は優に50は超えているだろう。
(今日でどこまで習得できるかな? できれば【翻弄せし支配】と《血の渇望》、それと《強靭化》も習得できればほぼ勝ち確と言っていいんだけど、一応は保険として近接戦の備えもしておきたい。だとすればやっぱり、今日中にどこまでアイリスがモノにできるかで決まりそうね。そういえば……今回アイリスが来たがった一番の理由ってオリヴィアちゃんよね? 一体どういう関係なのかしら?)
考えれば考える程に、抱擁によってぽかぽかと暖まる胸元が何故か少しだけ冷たい。
抱き締める手に無意識に力が入り、その首元に思わず顔を埋めてしまう。
「お姉さま? んっ……どうされたんですの?」
「ううん、なんでもないわ。ちょっと考え事をしてただけ……貴女をどう成長させようかなって」
面と向かって寂しいを言葉にするのが恥ずかしかったリア。
思わず真実に当たらずとも遠からずな返答をしてしまうと、今度はアイリスが顔を俯かせる。
「……申し訳ございません、お姉さま。私がもっと飲み込みが早ければ、お姉さまにこんなご負担を掛けることもなかったというのに……」
「それは違うわ、アイリス。本来支配戦は1、2日で出来る様なものじゃないの。存在を知ってれば形なりとも下位吸血鬼ですらやれる。でも、"やれる"と"できる"は違うわ。私ですら一週間はかかったんだもの」
リアは
するとそんな言葉が意外だったのか、気落ちしていたアイリスはふと振り返った。
「お姉さまが……っ、ですの? そんな、まさか……!」
(支配戦という概念を知らなかった頃を合わせれば、厳密には1年以上掛かったけどね。それにあの頃は検証勢やスーパードライちゃん、他の吸血鬼プレイヤー達がわんさか居た。だから、結構無茶振りを言ってる自覚はあるんだよね……ごめんなさいアイリス)
苦笑するリアにアイリスは何処か納得した様子で姿勢を戻す。
私だって最初から始祖だった訳ではない。
始まりの人という意味で
「貴女は私の予想よりずっと早いスピードで成長してる。時間がないのは事実だからしょうがないけど、焦る必要はないわ。支配戦なんて結局は経験の差で決まるんだもの。そしてその為に私が居るんだし、ね?」
「っ……はい、お姉さま。あら、これは?」
「『銀王獅子の幻血』、私の秘蔵の血なの。たくさん血を使ったでしょう?」
「あ、ありがとうございますですわ……!」
アイリスは差し出された血瓶を受け取り、栓を抜くと一気に口に流し込む。
すると、みるみるうちに瓶は空になっていき、可愛らしい吐息と一緒にその綺麗な小顔が向けられた。
「この血……何だか身体中の血が、跳ね回ってるみたいですわ。お姉さま、稽古を直ぐに再開しましょう! お姉さまが独学で一週間というのなら、そのお姉さまに直接ご指導頂いてる私は1日ですわ!! 何よりこの体が直ぐに始めるべきだと、そう言っているのです!!」
「ふふ、それでこそ私の妹ね。最後までお姉ちゃんが付き合ってあげる♪」
そうして、再び行われる鮮血魔法の支配戦。
本質は一緒ではあるが、出来る限り実戦同様に形状は拘らないものとする。
剣、大剣、槍、斧、盾、奔流や
本来であれば、どの形からでも対処する必要があるがアイリスにはまず、自分に合った形を見つけて欲しい。
そう思ったリアは
「魔力制御に意識を割きすぎよ。もっと私の意思を感じ取ってみなさい」
「はいですわ……! ぐぅっ!」
「今度は籠める魔力が少なすぎる。それじゃあ勝負にすらならないわよ?」
「……あっ、……もう1回ですわ!」
「うん、今度はどっちも安定してる。それをキープしたまま、今度は前にも話した通り――」
「"混じり始めた瞬間、魔力の質と流れの変化を見逃さない"、ですわね……!」
言おうと思ったことを先に言われてしまい、思わず口元を緩めてしまうリア。
無数の残痕をあらゆる所に残し、もはや新築の見る影もない程に破壊の限りを尽くされた部屋。
夥しい数の血統魔法の応酬によって壁面や扉、床などは真っ赤に染まり、濃厚な血臭がこれでもかと室内に充満している。
そうして何十回目の喰い合いか。
眼前にはリアとアイリスの鮮血魔法が絡み合い、互いの血を呑み込もうと形状を変化させ続けていた。
(あら、加減は変えていない筈よね? だとすると……この力はっ、
アイリスの表情から苦悶の色が消え、代わりに浮かべたのは余裕を含んだ笑み。
作りだした大剣がアイリスの血鎖に巻きつかれ、その制御権を徐々に浸食されていくのを感じたリア。
やがて大剣の形状はドロドロと液体へと変化し、それは完全に血鎖へと取り込まれてしまった。
「やった……やりましたわ! お姉さま!! 私、
「どうやらそうみたいね。まずは1つ、おめでとう」
振り返ったアイリスは全身でその喜びを表現しており、「褒めて褒めて!」といわんばかりに赤い瞳をキラキラと輝かせている。
その様子は喜々として見た目相応で、甘える様に体を擦り合わせる姿は可愛いを超えて尊いと化していた。食べちゃいたいくらい。
「……可愛い、本当によく頑張ったわアイリス。これは労いの――ちゅっ、キスよ♡」
「あっ……んっ、お姉さま……えへへ♪」
頬に優しく手を添え、その小さく食べ応えのある唇をいただくリア。
本当ならもっと深く、長い間、酔ってしまいそうな貪るようなキスがしたかったが、それをすると次はいつ再開できるかわかったものじゃない。だから今は我慢の時である。
何時もより短い一瞬の行為、少しの名残惜しさを感じてしまうリア。
それでも、彼女は満足してくれたらしい。
「お姉さまの……キス。ふふふ、これだけで私はいつまでも頑張れますわ♪」
「そう? 私は全然足りない……。でも、それは特訓を終えた後のお楽しみね」
はにかむ様に口元に手を置き、静かに微笑むアイリス。
そんな可愛らしい妹の姿に悶絶しそうになったリアは、表情筋を強めながら抱擁を忘れない。
そうして束の間のイチャイチャを享受した姉妹。
膝から立ち上がったアイリスは鮮血魔法で大鎌を作りだし、周囲には無数の鎖を漂わせ始める。
「私はまだまだやれますわ! お姉さま」
「それじゃあもう少し、ステップアップしてみましょう♪」
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同時刻、クルセイドア王国の正門前広場にて。
「ふぅ、やっと着いたわー! もうすっかり夜だぜ? 転移陣からここまでの距離あり過ぎだろ」
「面倒な大陸移動を短縮してあげたのだから、そのくらい我慢なさい」
「はぁ? 一人で誘うのが怖かったから俺らを連れて来ただけだろ?」
「はぁぁ……貴方は本当におつむが弱いですね。ですからあの御方にも気に入られないのです」
「あぁ? もう一回言ってみろ、誰の何が弱いだって? ちょっと空間魔法が使えるからって調子に乗ってねぇか? 後ろに隠れるしか能のねぇ、魔法士の分際でよぉ」
「そう思うのであれば、ご自身で試してみては如何です? ああ、弱い犬程よく吠えると仰いますが、貴方がそうなのですね。流石、辺境村で満足している英雄ですね?」
「やるんだな!? 今! 此処で!!」
「ええ、勝負はここで決めてあげます」
「お前らいい加減にしないか! ……落ち着け、殺気を出し過ぎだ。周囲への影響も考えろ」
そう言って両者ともに武器を抜いた二人に向かって、仲裁するは三人の中で一番大柄な男。
黒いガウンを身に着け、牧師の様な服装で片手に持ったメイスを地面へと打ち付ける。
するとその場に居る全員が錯覚してしまう程の大揺れが発生し、遠巻きに見ていた周りの住民達がその場で崩れ落ちてしまう。
辛うじてその揺れに耐えきり、周囲を見ていた軽薄そうな男が牧師へと振り返る。
「いや、アンタが一番影響を考えろよ。家を壊さなければ地震を起こしてもいい訳じゃないぜ?」
「あっいや、今のは、つい……おほんっ! さて時間も遅いことだし、城へは明日向かうとしよう」
「棚上げかよ……まぁいいや。俺もその意見には賛成だ。ついでに神殿にも寄らないといけねぇしな」
「ではこの辺りで一度解散しますか? 寝床を共にする程、我々は気心知れた仲ではないでしょう?」
三人は互いに視線を向け合い、手に持った得物を静かに握りなおす。
そうして数秒の間が空くと充満した殺気は霧散し、その場には元の空気が流れ始めた。
周囲で諸に影響を受けていた住民は腰を抜かし、近寄る事もできなかった衛兵たちが漸く行動に移す。
「お、お話し中に失礼しますっ! あなた方は、その……」
「ああ、すまない。先程は私含め、随分とお騒がせしてしまったな。何か破損させてしまっただろうか?」
「い、いえっ! そういったものは今の所……ただ、王国に訪れたご理由を窺ってもよろしいですか?」
衛兵は見るからに顔を強張らせ、只者じゃない三人の雰囲気に引き腰だった。
するとそんな兵達に対し、牧師の男は細めた目で朗らかに微笑んだ。
「ああ、あまり時間がない故、先程の検問で偽りを話してしまった。……我々は英雄だ」
「英、雄……っ! こ、これは失礼しました。あの……お名前を窺っても?」
衛兵の言葉にニヤリと口元を歪めて力強く頷く牧師。
「私は"魔滅の審判者"ベルゼ。こっちは"空間術師"のアイシャと"百剣"のオーレアンだ」
「魔滅のベルゼ様、それにあの空間魔法のっ!、……百剣ってまさか、アッシェアの剣聖!? ……こ、これは大変ご無礼をいたしました!」
「私たちは今、女神アウロディーネ様より神託を受けてここに来ている。……その目的は1つ」
あまりの情報量に衛兵はパンク寸前といった様子で、半開きになった口元を正そうともせず、眼前のベルゼの言葉を待った。
そして誰もがその存在に唖然とする中、静かな口調でハッキリと知らしめたのだった。
「要塞騎士ガリウム、火の聖女リアへの同行を願う」
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