第130話 始祖の目まぐるしい朝
真っ暗闇の中、リアは唐突に意識を覚醒させる。
そこは穏やかな空気が流れ、布が擦れる音以外には何も聞こえない無音な空間。
んんー……? なんだか胸がくすぐったい?
例えて言うなら飼っている猫が布団の中に入り込んできた様な、柔らかくてフワフワした暖かい感覚。
違いがあるとすれば、それは猫よりも大きくて人肌のようにすべすべとしてモチモチしている点だろう。
リアは夢心地なまま横向きの姿勢でそれを強く抱きしめる。
「きゃっ!? ……お姉さま? ふぁぁぁ、幸せ~♪」
どうやら抱き枕の正体はアイリスだったらしい。
確かにこの癖になる抱き心地と果物のような甘い香りは彼女独特のモノだ。
リアは薄っすらと瞼を開き、胸元で悶絶している可愛い妹に微笑む。
「ふふ、誰かと思ったら貴女だったの? 私の可愛いアイリス」
「まぁ、お姉さま♡ おはようございますですわ」
瞳をキラキラと輝かせ、谷間の隙間から愛くるしい顔を魅せてくれるアイリス。
その両腕はリアの腰にしっかりと回され、互いにこれでもかと密着したそんな状態。
なんだか胸元の辺りが若干湿っている様な気がするが、多分気のせいだろう。
「おはよう、アイリス。唇に涎……付いてるわよ?」
「えっ!? あっ、その……それは」
しどろもどろするアイリスの唇に指先を這わせ、そのままぺろりと口に含んで笑うリア。
「う~ん……甘い? あんまりわからないわ? だから直接貰うね」
「直接……! はい、アイリスをお召し上がりください、お姉さま」
とろんとした瞳で唇を差し出し、抱き締められたまま少し背伸びをするアイリス。
灰色の髪がさらりと落ち、甘い香りが全身を包み込む。
「それじゃあ、いただきます。 ちゅっ」
「んっ、はむ……ふふ、……お姉さまぁ♡」
寝起き故にゆっくりと堪能しようと思っていたけど、どうもそうはいかないらしい。
唇を合わせたと同時にアイリスの小さな舌が入り込み、それはまるで別の生き物のようにリアの中を堪能し始める。
「れろぉ……んっ、もう……最初から大胆ね、アイリス」
「もっと、もっと……! ……はむっ、ちゅっ、んちゅうっ」
恍惚とした表情を魅せるアイリスは、蕩けるような甘声を響かせ
既に、体は一寸の隙間もない程に密着しているのに、これでもかと体を寄せ足を絡ませてくる彼女。
(もう目なんて覚めちゃったわ! 甘いし柔らかいし幸せだし、それにこの香り……くらくらしてきたわ。でもやめられない! ずっとこうしてたい。何か忘れてる気がするけど、今は全部を忘れてただアイリスだけを感じていたい!! はぁ、もう好き、大好き!!)
ベッドが軋み、布団は蹴られ、ただ目の前の相手を求めることだけを止められない二人。
気付けば、互いに淫靡な雰囲気を醸し出し、寝間着もすっかりと気崩れていた。
「はぁ、はぁ……ふふ、甘い♪ ちゅ。ちょっと休憩」
「はぅ!? ……幸せですわぁ♪ お姉さまに包まれてお姉さまを頂けるなんて、えへへ」
顔を火照らせ、にへらと笑う最愛の妹にリアも釣られて笑みが零れる。
甘く刺激的な目覚めに寝ぼけてた頭もすっかり覚醒している。 昨晩のことも、この後のやるべきことも、全てがハッキリしていた。
昨晩、いや今朝方ティーの背の上でヘスティナとの邂逅を果たしたリア。
その内容は嬉しいこともあり幸せなこともあったが、手放しで喜べるものばかりではなかった。
『アウロディーネは臆病で慎重な性格、だから猶予は1週間と見ていいと思う。僕みたいに体の一部を分け与える度胸なんてないだろうし、その数は年月から考えて多分20から30は居るだろうね』
『一週間……それが早まる可能性はある?』
『なくはないと思う。でも僕が下界に居た頃から大陸位置に変動がなければ、物理的にそのくらいはかかるよ。それにあの大陸には未だ僕の施した加護が残ってる。だから彼らも転移系は使えないだろうし、自分達の足で向かう以外に他はない筈だ。だからリア、……僕の眷族を、魔族を、世界に抗い続ける皆を助けてあげて欲しい』
小さな両手で私の手を包み込み、懇願する様子でその夜空の瞳を真っすぐに見詰めてくる彼女。
私は多分、その一瞬の光景を生涯忘れることはないと思う。
彼女はそれ程までに美しく、向けてくる感情はどこまでも真摯な心で清く切実なものだった。
多分、心を奪われる瞬間というのはこういうことを言うのかもしれない。
亀裂が走り崩壊する夢幻世界の中、私はヘスティナの手を取って額をこつんと合わせる。
『約束する。私は魔族領へ向かって魔族と亜人、オリヴィアちゃんを助ける。そしていつか……貴女だって助けてみせるよ、ヘスティナ』
『……うん、期待してる。アイツは僕を消滅させることはできない筈だから気負わずにね。ありがとう、僕の
そうして彼女との邂逅は幕を閉じた。
リアはアイリスの体温を感じながら天上を見上げ、そしてハッキリと思い出したことで上体だけ起こす。
「はぁ……そうだったわ」
「お姉さま? どうされたんですの?」
不思議そうに見つめるアイリスに、リアは自然と頬を緩ませて状況を整理しながら話す。
「うーん、私自身が別のことに気を取られ過ぎていたけど、流石に魔族のことはアイリスに話しておくべきよね。それにエルシアにも…………あ」
「…………」
どうやら私は過去に限らず、現在でも色々なことに気を取られ過ぎていたらしい。
ベッドの中央には私が横になり左側にはアイリスが居る。
なら、右側は?
何気なく振り返った先にはプルプルと震え、美しくも綺麗な瞳としたエルシアと目が合う。
目元から下を布団で覆い隠し、隠していても彼女が赤面していることがわかる可愛い眷族。
「おはようエルシア。今日も綺麗ね」
「…………おはよう、ございます。リア」
できる限り平常心を保って声をかけたが、返ってくるのはリアが思わず苦笑してしまうジト目。
そんな反応にリアは無意識に頬を緩め、手を差し出した。
「エルシア、貴女を感じたいわ。……ダメ、かしら?」
差し出された手とリアの顔を交互に見比べるエルシア。
すると布団から白い肌を晒し、ゆっくりと手を置く彼女を優しく引き寄せる。
「きゃっ!? もうリア? びっくりする――ん!?」
「ちゅっ、……んっ、はむっ……ふふ♪」
「んんっ!? …………んっ、ちゅっ」
始めは驚き混乱していた彼女も、優しく味わえば徐々にその落ち着きを取り戻していく。
舌を絡めれば体をビクリと跳ねさせ、気付けばその両腕を腰に回してくれるエルシア。
どのくらい愛し合っていたか、唇を離せば息を荒げて吐息を漏らす彼女を見て、リアは改めて幸せを実感する。
「……んっ、……はぁ、はぁ……もう、リアったら」
「ふふ、ごちそうさま♪ もっと楽しみたかったけど、丁度来たみたいだから」
その瞬間、部屋の扉が規則性を持ってノックされた。
入室の許可を出せば、姿を現すのはこの後呼ぼうと思っていたレーテの姿。
「お目覚めになられたのですね、リア様」
「ええ、おはようレーテ。そんな所居ないで、もっとこっちおいで?」
「はい」
そうしてレーテ分も補充したリアは、ツルツルなお肌に上機嫌な様子で本題へ入ることにする。
けれど、内容が内容なだけにそうもいかないのだろう。仕方ない。
リアの雰囲気が変化したことを瞬時に理解した3人。
皆、神妙な表情を浮かべつつもリアが口を開くのをただジッと待ってくれる。
「そうね、どう話すべきかしら。取りあえず、貴方達の知る神の像を私に教えてくれない?」
「「「……?」」」
唐突な質問に3人とも同様な反応を見せ、それから少しして各々がわからないままに話してくれる神の像。
それは概ね、リアが予想していた通りだった。
(やっぱりこの世界の神はアウロディーネだけなのね。ヘスティナの存在もなければ、彼女の話していた3人目も居ない、というか3人目は私も知らないか。でも正直、私が逆の立場だったとしたらヤバい奴にしか見えないけど、大丈夫かな?)
何故そんな当たり前の事を聞くのか、って顔ね。ふふっ
リアとしてもどう説明したらいいかわからないし、回りくどいのも嫌いである。だから、ありのままを話すことにした。
「単刀直入に話すと貴女達の知る神、アウロディーネは神の一柱に過ぎないの」
「……お姉さま? 突然なにを仰っているんですの?」
「リア? アウロディーネ様はこの世界の創造神、子供でも知ってる常識です。魔族の貴女が良く思わないのは理解できますが、あまりにも突拍子がなさ過ぎる言葉ですよ」
当然の反応にリアは特に気にしない。
むしろ話を聞いてくれる姿勢があるだけ嬉しくなり、そのまま言葉を続けることにした。
「じゃあこんなのはどう? この世界には元々三柱の神が存在して、その内の一柱が私達の――魔族の創造主という話」
「「っ……!!」」
反応を示したのは当然、魔族として長い二人の吸血鬼。
手ごたえを感じたリアはそのまま、ありのままのことを話していく。
人間の神と魔族の神について。
そしてヘスティナの現状に加え、始祖のリアを生み出した存在だということも。
もちろん、リアが異世界から来たことや、元々の始祖がヘスティナだったという話はしていない。
話がややこしくなるし、リアもまだ完全にその事については理解していないからだ。
室内には静寂が満ちる。
普通であれば『お前は何を言っているんだ?』と首を傾げられる内容だろう。
しかし話したのが始祖のリアであり、私がそういう冗談を言わないことを彼女達は理解している。
「俄かには……信じ難い話ではあります。神が三柱も居られるなど。ですが」
「ええ、お姉さまがそう仰るのなら、きっとそうなんでしょう。魔族、私達には別の創造主がいらっしゃったんですわね。そしてその御方……ヘスティナ様が、お姉さまを」
ポツポツと溢し始める二人の声。
そこには疑心と期待で打ち震えていたが、その根底にあるものは隠しきれない程の歓喜の感動。
そんな二人を見ていると、反対に未だ人間の残滓が濃いエルシアは空虚を見つめていた。
「アウロディーネ様が、そんなことを? 神が神を封印? 何を言って……でもリアがそう言うってことは、本当のことなの?」
「……エルシア。貴女にとっては受け入れづらいものかもしれない、でも事実なのよ。少なくても私にとっては本当のこと」
そんな言葉にエルシアの透明感ある瞳は大きく揺れる。
両手をつき項垂れるように下を向く様子は、いつもの毅然とした彼女を知ってるからこそ、余計に居た堪れなかった。
前世では神という存在をあまり信じていなかったリア。
それでもヘスティナに置き換えて考えてみれば、彼女の受けた衝撃は少しくらい想像できる。
(私はこの世界で数か月しか過ごしていない。でもエルシアは生まれてからずっと、この世界と共に神のことも信仰してた筈。……話さない方がよかった? いや、タイミングとしては今がベストな気がする。それに大切な彼女がもし目の前でアウロディーネなんかに祈りを捧げていたら、私がどうにかなっちゃうわ)
リアはエルシアをそっと抱き寄せ、ヘッドボードに背中を預けつつその肩に頭を乗せる。
サラサラとした髪が肌を撫で、香水とは違ったエルシアの独特な香りが漂ってくる。
そうして暫くの間、彼女が落ち着くまで黙って身を寄せ合っていると、唐突にエルシアがポツポツと話始めたのだった。
「リアは……リアはどこで、それを知ったのですか?」
「夢の中ね。彼女曰く"夢幻世界"と言うらしいわ」
「……夢の中? それは神託というものでは?」
「神託……そうね、神託というのかしら? うん、だから私はその神託に従って、少しここを離れないといけないの」
「離れる? それはどちらに向かわれるんですの?お姉さま」
前のめりになったアイリスは覗き込むようにして、その可愛らしい顔を寄せてくる。
この妹は頭が良くて勘が鋭い。
まだ「離れる」としか言ってないのに、どこか不安そうな顔で何かを察知した様子である。
「ふふ、そんなに心配しないで? ちょっと助けにいって直ぐに帰ってくるから」
「助ける……? どなたを助けに行くんですの? 魔族の創造主が直々に、お姉さまに神託を下す程のお相手。 それは一体、誰――」
「オリヴィアよ。貴女の知っている魔族軍の彼女、真祖の吸血鬼のオリヴィア」
その瞬間、アイリスのルビー色の瞳がこれ以上にない程に見開かれる。
「オリヴィア……様? 何故あの方を? だって魔族領には渓谷があって、虫共も簡単には攻められない筈ですわ? なのに、どうして……」
「昨晩、アウロディーネがこの世界の全ての英雄に対して、オリヴィア討伐の神託を下したのよ」
「…………は?」
無意識と漏れた間の抜けた声。
それは不思議と室内へ大きく響き渡り、その声音から彼女の心境はこれ以上にない程に表れていた。
事の重大さでいえば間違いなく、私よりも内容を理解している筈のアイリス。
「それは……事実なのですか?」
「ええ、残念ながらこれも紛れもない事実よ、レーテ。全ての英雄が集まるまでの時間的猶予はそこそこにあるみたいだし、私ももう少し休んだら夜にでも向かうつもり。つい昨夜の話だからね」
「っ……!」
"全ての英雄"という言葉に反応し、肩をピクリと跳ねさせるアイリス。
まぁ、全ての加護持ちであって、天然物はお呼ばれされてるかわからないけど。
その辺はガリウムに聞きに行けばわかること。
もしそれで神託を貰ってるようなら、残念だけどこの国からは一人の英雄が消えるだけの話。それにしても
(不謹慎だけど、不安そうにしてるアイリスも可愛い~!! もう抱き締めたくなっちゃう!!って、もう抱き締めてたわ。これは一気に色々話しすぎちゃったかな? でもでも、このタイミング逃したら次はいつになるかわからないし、それに猶予はあっても私も向かわないといけないから)
少女の体を包み込むようにして抱き締め、狂おしい程に愛おしい妹の耳元で囁く。
「大丈夫よ、アイリス。 同族で可愛い子を私が見殺しにするわけないでしょう? だから貴女にはエルシアやレーテ、セレネ達と一緒にここで待ってて――「私も!!」」
「……私も、お姉さまと一緒に魔族領へ行くことを、……同行を許してくれませんか?」
「アイリス……?」
そう言い出す可能性を考えなかった訳ではない。
だが全ての英雄という言葉に反応してた時点で、大人しく待っていてくれると思った。
向けられる瞳に吸い込まれる錯覚を覚え、リアはつくづく思う。
好きな子のお願いって断るの無理よね。それが可愛いなら尚更。
同行は構わない。 だけど今回は文字通り英雄の桁が違う。
5、6人程度なら指一本触れさせない自信はある。
でも10人単位となると対処はできても守りきるのは難しい、というか深追いができない分、勝負が終わらなくなる。
だから連れて行くなら最低限、アイリスも自分の身は自分で守れるようにならないといけない。
(本当はもう何回か見に行って、確実な模倣ができたらやろうと思ってたんだけど。まぁ才能のあるアイリスに、なんといってもこの
一応、心臓を得られても真祖に至れない懸念点はある。
そうなってしまっても、私は彼女を連れて行くと思う。
真祖に至れる可能性を提示したのは私だし、その責任くらいはとるつもりだ。 大丈夫、アイリスなら絶対に至れる。
リアはアイリスの頬にそっと手を添える。
「わかった、それじゃあ一緒に行きましょうか」
「っ……お姉さま!」
「だから期限は三日ね? 少し厳しくなると思うけど、私も頑張るから一緒に頑張りましょう♪」
「…………へ?」
キラキラと輝いていた瞳の希望が途絶える。
猶予は一週間。早いに越したことはないけど、ティーで向かうことを考えれば2,3日の余裕を持てば間に合う筈。
リアはにっこりと微笑みを浮かべて愛しい妹の頬を優しく撫でるのだった。
「貴女は三日で真祖に至るのよ」
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