第129話 不穏な戦場(オリヴィアver)



「それで、本当にやるつもりか?」



 意識せずに漏れ出てしまった溜息混じりな声。

 そこには闘志を漲らせたゴブリン達が群れをなして妾を見上げていた。


 ハイエナを彷彿とさせる高い鼻、獰猛で線の細い目元、みすぼらしい体格。 それが万の種族が共通して彼らを見る姿だろう。



「ヤル、ヤラセテクレ! オリヴィアサマ」


「カナラズ、情報モッテクル。 カナラズ!」


「イカセロ、イカセロ! オデタチ、ヤレル!!」


「……」



 細い瞳をギラギラと輝かせ、体中どこを見ても傷が絶えない姿でただ一つを訴えるその姿。


 あまり表情の違いはわからないが、皆、覚悟を決めた様子で各々が武器を担ぎ、その瞳には守るべき者と果たすべき大儀を濛々と燃え滾らせていた。


 オリヴィアは彼らの数字・・だけを見て判断していたが、どうやらそれ以上に優先すべきものがあるのかもしれない。それに



(これは聞きそうにないな)



 主戦場となるこの場所で3人の英雄を討ってから数日、明らかに英雄の参戦が減った。


 本来なら恐れをなし、臆病になった人類種を鼻で笑ったかもしれないが、オリヴィアには妙な違和感があった。

 それは言葉にはできない、長い年月を培って得た直感というべきもの。



 内心で溜息を洩らし、隣で判断を委ねる様子の狼の王ループスを一瞥。


 彼らの数字は20~25。

 今回の任務を任せるなら狼の王ループス、マナガルムに任せた方がよっぽど確実で無駄な犠牲も押さえれる。


 しかし――


 少し視線を逸らせば崖の下には相も変わらず、他種族が入り混じる戦場が繰り広げられ、こうして悩んでる間にも一人また一人と魔族が負傷し、仄かな血の匂いに混じって怒声が聴こえてきた。



 時間にして数秒、瞼を少し閉じるだけの行為ではあったが、オリヴィアにとっては数分の長考。


 そうしてあらゆる理屈や要素を度外視し、再びその瞼を開かせる。



「……わかった、今回は其方達に任せよう。だが深追いはするな? 必要なのは人間達が"怨念の渓谷"を回避する手段を見つけたかどうか、調査区間は山岳地帯までだ」


「ワカッダ、山岳地帯マデ。怨念の渓谷、回ル!」


「深追イスルナ、深追イスルナ! イイナ?」


「イクゾ! 我ガ魔族軍ノ為ニ!!」



 細く尖った顔を大きく歪め、恐らく漲らせた闘気で仲間達を鼓舞している精鋭エリートゴブリン。


 それが拳を上げれば他がそれに続き、何時しかそこには一心同体となった1つの大波が生まれる。



 本来ならマナガルムに向かわせるのが確実だろう。

 だがそれは同時にデメリットでもあった。



(これは妾の直感でしかない。あるかどうかも不明瞭な迂回ルート。戦場から感じられた幽かな違和感に、ただ憶測を立てているだけだ。永年の勘だけに一応調査はさせるが、貴重な戦力であるマナガルムを向かわせずに済むならそれに越したことはない)



 そうして去っていくゴブリン部隊の背中を見送り、隣に並び立ったマナガルムを見る。



「なんだ? 妾の決定に不満でもあるのか?」


「いや、お前がそう判断したならそれでいい。直感ソレはあくまで直感、俺も大人しく英雄を待つとしよう」



 狼の王ループスはその筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとした体を伸ばし、巨竜の顎で造った猛々しい大剣を地面へと突き立てる。


 オリヴィアと並び立つとその姿は大人と子供、いやそれ以上だ。


 しかし、二人の背中から放たれる存在感は並の範疇を軽く凌駕しており、見る者が見れば、大小が逆転した小柄なオリヴィアへと目を向けることだろう。



「これは……マナガルム、お前はどう見る?」


「ああ、別の戦場にって言いたい所だが、未だ伝令にも報告が上がって来ないのは妙だな。……オリヴィア、もしかしたらお前の直感が当たっているのかもしれないぞ?」



 広大な大地を舞台にしたそこは猛々しい雄叫びと血の匂いが充満し、少し離れた所にはハッキリと"怨念の渓谷"と呼ばれた天然の要塞が見える。



 それは黒き大地を分断し、あまりにも広い亀裂を走らせた怪異的な渓谷。


 まるで奈落の底へ繋がっているような開けた断崖からは、もやもやと不気味なオーロラを絶えず漏れ出させ、一寸先すら見通すことのできない不鮮明の空間。



 無謀にもちっぽけな大儀とやらを掲げ、強行という名の進行を続ける人類種。


 "怨念の渓谷"によって弱体効果を受けたにも関わらず、突貫してくるその姿は薄気味悪さを超え、一種の拒絶すら憶える。



「練度は低い、だというのに。なんだこれは?」



 ある程度の距離を持っても問題なくオリヴィアの瞳に映し出される数字。

 それはこれまでより一律して5は下落した人間達にも関わらず、どういうわけか抑え込めず後退までし始める我が魔族軍。



 まるで何かに取り付かれたように『アウロディーネ様の為にぃ!!』と叫ぶ散らかす人間たち。



「狂信的だな。推測するに、アウロディーネが何かしたんだろう」


「マナガルム、ここはお前に任せる。妾が出よう」



 考えるより直に触れて視た・・方が早いと判断したオリヴィア。

 腰の二振りを抜き放ち、蝙蝠と鳥類の翼を生やして振り返る。



「ああ、わかった。俺はお前を通しながら英雄の乱入を待つとするさ」



 長い付き合い故にその考えを即座に汲み取り頷くマナガルム。

 オリヴィアはそんな同胞を一瞥すると、背中から崖を飛び降りたのだった。





 戦場に降り立ったオリヴィアは文字通り敵を蹂躙した。



 縦横無尽に戦場を飛び回り、目についた者は一人残らず両断する。


 蝙蝠と鳥類の翼の特性を生かし緩急を付けての急接近。

 認識した時にはその生命を絶ち、一閃一殺を確実に行っていくオリヴィア。


 辛うじて、数字が高い者は初撃を対応してみせた者もいたが、続く第二第三の斬撃と闇魔法の嵐によって成すすべもなくその肉体を絶命させた。



「っ、オリヴィア様!!」



 無数の死体が転がる大地に足を付けた瞬間、付近でそれを見ていた黒騎士が声を張り上げる。


 虫の息。 動くことすらままならなかった死を待つだけの存在が突然に立ち上がり、肉体の限界をとうに超えた様子で剣を振り上げた。



「アウロディーネ様の為にぃ! 魔族は死ぬべきなのだぁぁぁぁ!!」


「……」



 勢いよく振り下ろされた剣は、オリヴィアの頭上でピタリと止まる。



「がっ……あぁ、」



 そしてプルプルと微弱な震えを見せると、宙を滑るように力無く落ちていったのだった。

 地面にどさりとした音を響かせ、下半身のなくした胴体が無造作に転がる。



「報告致します、我が主よ。敵は何らかの狂乱状態にあり、怨念の渓谷を通ったにも関わらず力が衰えておりません。恐らく恐怖や不安、苦痛といった感情が欠落しているかと」


「……いや、渓谷の効果は影響されている」



 オリヴィアは手に持った愛剣を無造作に振るう。

 すると数十メートル離れた所で剣を交えた二人の内、人間の腕が宙へと舞う。


 対面していたオークはもがき苦しむ相手を前に愚かにも唖然とし、痛みを忘れたかのように素手で掴みかかってくる人間に慌てて対処し始めた。



「痛みはある。ただそれ以上の効果で痛覚を上書きしているのだろう」


「それは一体……?」



 オリヴィアの瞳。

 固有能力アーツ"慧眼"によって映し出される情報。



 『29』『戦士ウォーリア』『虚弱』『混乱』『奈落』『狂信化・・・』『筋力微強化』『体力微強化』



 虚弱と混乱、奈落は"怨念の渓谷"を通った代償で見慣れた効果。


 だが、狂信化については随分昔、聖神教の教皇が使っていたのを見た記憶がある。

 十中八九、他者から付与されたものと見ていい。



(ここ数十年、見ることのなかった効果だ。 デメリット付きの強化効果、つまりそれを付与できる者があちら側に合流したということ。 ……新たな英雄か? だとしたら何故姿を見せず、こんな特攻紛いなことをしている? 陽動?時間稼ぎ?それとも……何かを待っているのか?)



 オリヴィアは幾億の血によって黒く染まった大地を駆け回り、狂信状態と化している人間を二本の愛剣で斬り付けながら思考する。


 追従する黒騎士はオリヴィアの動きに合わせ、邪魔をしないよう最低限の最適な立ち回りで徹底して動いていた。



「その赤い目、吸血鬼ッ! うぉぉぉ、ッ」


「なん、だっ!? この動きは、ぐぁっ!!」


「アウロディーネ様、私に力をッ……ガッ!?」


「ひっ!? く、来るな、来るなぁぁぁぁ!!! がはっ」



 狂気的な信仰を持っていようが状態に侵されていようが、オリヴィアは一切の躊躇いもなく双剣を振るう。

 一振りすれば空気が震え、切り裂いた斬撃は止まることなく大地を抉る。



 飛び散った鮮血が頬に触れ、オリヴィアは気にすることなく意識の大半を思考に割いて剣を振るい続けた。

 そうして片手間に剣を振るっていると、明らかに系統の違う風貌の男を視界に収める。



「黒騎士ッ!? そうか、吸血鬼オリヴィアか!!」


「貴様は真面そうだな?」



 何十何百と剣を振るい、漸く見つけた正常な思考を持っていそうな者。


 『54』『重戦士』『虚弱』『奈落』『筋力強化』『瞬発力強化』『頑強』



 オリヴィアはそれを目にした瞬間、懐に潜り込み剣を切り上げる。

 その場には微かな上昇気流が発生し、甲高い金属音と共に空気の流れが止まった。



「ぐぅ! これがあの魔族軍の吸血鬼、最古の真祖かッ!!」


「問いたい。アウロディーネは、貴様らは一体何を考えている?」


「……何の話だ? アウロディーネ様? ……かの創造神様が、何だってんだよ!!」



 男はクレイモアで強引に薙ぎ払い、すかさずオリヴィアに肉薄する。

 振るわれた剣は相手を仕留める攻撃ではなく、確実な一撃を当てる為の陽動の連撃。


 直剣の刃の上を走らせ、火花を散らしながら対峙するオリヴィアと男。



「これだけの狂信者をけしかけておいて知らんのか? その目は飾りか? 人間」


「ぐぅぅぅ!? そんな細い剣で……ッ、この俺の剣がぁぁ!!」



 目にも止まらぬ速さで連撃をくり出す男。

 オリヴィアは失笑を洩らしながらその剣を弾き、いなしつつ懐へと潜り込む。



「其方のなまくらと一緒にするな。知らぬなら結構だ」


「なまくらかどうかッ、お前の命で確かめてみろ!!」



 男の纏う闘気が赤く幻視され、間に合う筈のない引き戻しがまるで時間が加速したように防がれる。

 周囲には甲高い音が鳴り響き、赤いオーラを纏ったクレイモアが宙を滑りながらその刀身を消した。



「うぉぉぉぉ!!」――"致命ノ断頭"


「っ!」



 赤い刀身はオリヴィアの首元に迫り、次の瞬間にはその白い肌へ切れ込みを入れるだろう。

 だがしかし、オリヴィアは永劫の時を生きた吸血鬼であり、そもそもな自力が違うのだ。


 オリヴィアは直剣を瞬時に差し込むと、首元に一閃を切らせながら軌道をずらす。

 そのまま流れるような動きでくるりとターンを決め、そのまま迫ってくる首元に剣を薙いだ。



 刃は何の抵抗もなく振り抜かれ、宙には男の首が投げ出される。



「確かに、最後の一振りはなまくらではなかったな。謝罪しよう」



 オリヴィアは自身の首元についた傷を指先で触れ、既に完治した肌を撫でる。


 狂信的な人間は数を減らし、実力のある冒険者らしき存在も排除した。

 だというのに、オリヴィアの胸の内に燻ぶる違和感は払拭される所か、益々膨れ上がっている。



(この男も含め、やはり全ての兵士の練度が低い。 状況を理解していない初陣の傭兵もそうだ。戦場に傭兵や冒険者が居ることは特段珍しくはない、だが痕跡はあるにも関わらず、その英雄の姿が見られないのはあまりに不自然。 やはり、別の迂回ルートを見つけたのか? ……それについてはゴブリン部隊の帰還を待つしかないか)



 すると、オリヴィアの耳に金属のような固いものが石を蹴った音を拾う。

 一瞥すれば、そこには傍でオリヴィアに接近する人間を排除する黒騎士とは別の眷族が降り立っていた。



「我が主よ、マナガルム様より言伝を預かって参りました」


「なんだ? 申してみよ」



 何時もであれば即座に返す黒騎士が言い淀み、微かに眉を顰めるオリヴィア。



「ゴブリン部隊が帰還しました。 ――失敗です」



 失敗。その言葉の意味する所は益々、この違和感と直感が現実味を帯びて来たということ。


 種族は違えど、彼らは同じ戦場で戦う戦友であり同胞だ。オリヴィアは勇敢にも己の成すべきことをなそうとした脆弱な戦士達に、内心で祈りを捧げる。



「…………そうか。被害は?」


精鋭エリートゴブリンは全滅。帰還した者は下位種の3体のみです」



 期待してなかった訳ではない。

 寧ろ実力は大きく劣るものの、彼らの固有能力アーツ"捜索者"と"潜行"であれば何かしらの情報は入手すると思っていた。 いや、入手して命懸けで帰還した可能性もあるか。



「一先ずはその3体の話を聞こう。妾は戻る」


「では私も――」


「いや、其方には山岳地帯に通じる道を見てきて欲しい。頼めるか?」



 黒騎士の彼女は兜の隙間から赤い瞳を揺らし、数秒の間オリヴィアと見つめ合うと頭を下げた。

 上位吸血鬼であり、他の同族よりも生存能力に長けた彼女であれば見る分には問題ないだろう。



「其方は妾の眷族だ。見誤るなよ?」


「はっ、もちろんにございます。我が主よ」



 そう言って応えた彼女を見て、オリヴィアは頼れる同族の存在に自然と口元を緩めた。

 皆実力もあり、妾に影響されてか傲慢で怠惰な、元来の吸血鬼としての在り方から逸脱している。


 眷族を一瞥して上空に飛び立ち、ふと遠い昔に気に入った同族を勧誘したことを思い出す。



(あれ程に才のある吸血鬼を引き込めなかったのは妾の痛恨のミスだな。 確か、アイリス……だったか? 彼女は息災だろうか? ――いや今はそんなことより、早急に戻るとしよう)



 次々と移り行く景色の中、まるで嵐の前の静けさのような悪寒を肌で感じ取るオリヴィア。


 それは時間が経つに連れて不快感を増していき、肌にまとわりつく感覚と共に、無意識に飛翔速度を加速させたのだった。


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